Flying Skynyrdのブログ

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モッズの英雄『スモール・フェイセズ(Small Fases)』

ザ・フー(The Who)と並んで、ブリティッシュ・ビート時代のモッズ・サウンドを代表するバンド、スモール・フェイセズ(Small Fases)です。

ハンブル・パイを書いて、フェイセズを書いて、さらにはロニー・レーンまで書いておきながらこのスモール・フェイセズを書いていなかったというのはどういうことでしょう。答えは簡単です。書いたつもりで、忘れていたのでした。

 

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スモール・フェイセズは日本ではザ・フーほどの人気も知名度もありませんが、イギリス、アメリカでは絶大なる人気を誇りました。

ザ・フーがロンドンのウェスト・エンド出身で、一方スモール・フェイセズイースト・エンド出身で共にモッズ族のヒーロー的存在でした。

 

スモール・フェイセズの結成は1965年です。リーダー格のティーヴ・マリオット(Steve Marriott,g,vo)が楽器店でアルバイトをしていた時に、ロニー・レーン(Ronnie Lane,b,vo)がベースを買いに来て出会います。スティーヴはその頃には子役として映画などに出演し、さらにバンドを組んでシングルを発表したり、ソロでもシングルをリリースしていました。

ティーヴはロニーに勧められ、ロニーとバンドを組んでいたケニー・ジョーンズ(Kenney Jones,ds)とセッションをし、上手くいったのでジミー・ウィンストン(Jimmy Winston,key)を加えてスモール・フェイセズが誕生しました。

バンド名の由来はメンバーが小柄だったことと「Face」というのがモッズ族の俗語で「モッズの大物」という意味があってつけられたようです。

 

1965年、彼らはデッカと契約し、その年にシングル「Whatcha Gonna Do About It」でデビュー、これが全英14位となるヒットになりました。

この後、ジミー・ウィンストンがバンドを離れ、代わりにイアン・マクレガン(Ian McLagan,key,vo,g)が加入します。このイアンの加入がスモール・フェイセズに大きな影響を与えました。

セカンドシングル「I've Got Mine」はヒットしませんでしたが、3作目の「Sha-La-La-La-Lee」が全英3位に輝き、続く「Hey Girl」は10位、そして次の「All or Nothing」で遂に1位を獲得しました。続く「My Mind's Eye」も4位になり、彼らは不動の人気を得ました。

1966年に発表されたファーストアルバム『Small Fases』も全英3位まで上りました。

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アルバムの方はR&Bバンドとしての面目躍如といったところで、まさにブルーアイドソウルです。

 

しかし、彼らは次第に疲れてきました。ロックの世界もシングル重視からアルバム重視の時代になってきました。アメリカではサイケデリック・ロックが脚光を浴び、イギリスでもクリームやジミヘンなどが人気を博すようになりました。

 

スモール・フェイセズもデッカを離れ、アンドリュー・オルダムが設立したイミディエイトに移籍します。

デッカはそれを不服としてそれまでの未発表曲とシングルを集めたアルバム『From The Begining』を発表します。

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ファーストと数曲ダブっています。

 

一方のイミディエイトも移籍第1弾として『Small Faces』を発表します。

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全曲オリジナルで占める成長ぶりを見せました。

 

その後もシングル「Itchycoo Park」「Tin Soldier」などのヒットを放ちます。続く「Lazy Sunday」もイギリスでは2位になりましたがアメリカでは100位にも入りませんでした。やや陰りが見え始めました。

 

しかしながら1968年に起死回生のアルバムを発表します。『Ogdens' Nut Gone Flake』です。

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紙巻タバコ缶をあしらった変形ジャケットも評判を呼びましたが、その中身もそれまでのスモール・フェイセズから大きく変貌した姿を見せてくれました。ファズの効いたギターとストリングスが印象的なインストナンバーで始まり、それまでのR&Bのみならず、カントリーロック、サイケデリックロックなども取り入れた幅広い音楽性が見られました。このアルバムは6週連続1位を記録しました。トータルアルバム的なところはビトルズの「サージェント・ペパーズ」を思わせます。未だに傑作としての誉れ高いアルバムになっています。

 

しかし、スモール・フェイセズの勢いもここまででした。スティーヴ・マリオットが自身のバンド、ハンブル・パイを結成するため脱退してしまいます。

残されたメンバーはジェフ・ベックグループのロッド・スチュワートとロンウッドを加えてフェイセズとして活動を続けることになりました。

実質的にスモール・フェイセズは消滅しました。

 

しかし、時が過ぎ、ハンブル・パイも解散し、フェイセズもロニー・レーンは「スリム・チャンス」を結成、ロッド・スチュワートはソロで成功、ロン・ウッドローリング・ストーンズへと、それぞれ行き場所を見つけ、バンドは解散。1977年、スティーヴとケニー、イアンが集まり再結成の話が持ち上がり、ピーター・フランプトンズキャメル、ロキシー・ミュージックにいたリック・ウィルス(Rick Wills.b)を誘い、再結成が実現しました。

 

そしてその年、アルバム『Playmates』をリリースします。

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ソウルフルなスティーヴ・マリオットのヴォカールが帰ってきました。

 

さらに翌年にはサンダークラップ・ニューマンやポール・マッカトニーのウィングスにいたジム・マカロック(Jim McCulloch,g)も参加してアルバム『78 in the Shade』をリリースしました。

 

しかし、時代はパンク、ニューウェイヴの時代に入っていました。これらのアルバムも成功を収められず、バンドは再び解散します。

 

その後、1991年にスティーヴ・マリオットが自宅で焼死、1997年にはロニー・レーンが多発性硬化症で死去、さらに2014年にはイアン・マクラガンが脳卒中で死去しました。今生存しているオリジナルメンバーはケニー・ジョーンズただ一人になってしまいました。

 

いまだにミュージシャンの間では根強いファンを持つスモール・フェイセズ。ブリティッシュ・インヴェンションに大きな足跡を残した偉大なバンドでした。

 


Small Faces - Sha La La La Lee


Small Faces - All or Nothing - HQ super sound


Small Faces - Tin Soldier (good quality)


Afterglow Of Your Love, The Small Faces


Runaway - Small Faces

 

それでは今日はこの辺で 。