少年・思春期の思い出を一つ。
1964年の東京オリンピックで初めて水泳競技というものを見ました。アメリカのドン・ショランダーやドン・フレーザー、プレズメンシコワなどと言う名前が連呼されていた記憶があります。日本は最終種目の800メートルリレーで銅メダルを獲ったのが唯一のメダルでした。ちょうどそのちょっと前だったか、私が通う小学校にもプールが出来ました。体育の時間も水泳が始まりました。プールでの水泳は初めてだったので楽しくて夢中になりました。
その頃だったと思いますが、怪獣映画にも夢中になっていました。以前の記事『懐かしの映画 東宝編』にも書きましたが、『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』を観に行ったときに、同時上映だったのが加山雄三主演の『海の若大将』だったのです。
それまでは加山雄三などと言う名前も知りませんでした。ところがこの『海の若大将』はちょうど若大将が水泳部の選手という設定だったのです。この時の加山雄三さんの泳ぐ姿が小学生ながらとてつもなくカッコよく見えたのです。夢中になっていた水泳と水泳選手の加山雄三さんが重なって、それ以来すっかり加山雄三さんのファンになってしまいました。それでもその時はまだ「君といつまでも」はヒットしておらず、歌の方は良く知りませんでした。
しかし、そのすぐ後に、「君といつまでも」が大ヒットし、映画も『エレキの若大将』が上映されました。当然観に行きました。そこで再びショックを受けました。今までの歌謡曲では聴いたことが無いようなメロディーが流れてくるのです。しかもエレキサウンドに乗って。寺内タケシも出演していました。それまでもベンチャーズのエレキサウンドは聴いていましたが、日本人が演奏しているのを観た衝撃は大きかったのです。その後グループサウンズ・ブームが到来し、エレキギターに憧れました。
それからは加山雄三ファンになりました。シングル盤を買い、当時の小学生としては大金(500円です)を叩いて写真集まで買ってしまいました。もちろん親には内緒です。ひょっとしたらこれが自腹で買った最初の書籍かもしれません。毎週放送していた『加山雄三ショー』は必ず観ていました。
作曲は「弾厚作」という人でしたが、最初は判らず、あとで加山雄三本人と判り、ますます凄いなと感心しました。シンガー・ソングライター(当時そんな言葉はありません)でギターもピアノも出来て、スキーも水泳もと、まさに憧れのスーパースターでした。
1965年の日本レコード大賞は当然「君といつまでも」と思っていましたが、なんと橋幸夫の「霧氷」でした。この時のショックと怒りは計り知れませんでした。おかげで橋幸夫は嫌いになりました(笑)。
映画の方も『アルプスの若大将』で絶頂期を迎えます。シリーズのマドンナ役の今は亡き星由里子さんがこれまた美しく美男美女で惚れ惚れしました。ストーリーはいつも一緒ですから、どうということはありません。途中で流れる挿入歌が楽しみでした。
中学校ではクラスの歌として「夜空の星」を提案したところ、運良く採用され、毎日帰りにはみんなで「夜空の星」を合唱したのです。今考えたら笑っちゃいます。「恋人」という歌詞を「友達」に変更させられました。まだまだ世の中「うぶ」な時代だったのです。
さすがに高校生になってからは加山雄三熱もやや冷めてきました。代わりにロックに嵌っていったということわけです。私の音楽の好みの原点はひょっとすると加山雄三さんかもしれません。今でも加山雄三さんのシングル盤が何枚か残っているはずです。LPは大人になってから買ったと思います。
懐かしい思春期の思い出でした。
加山雄三さん、本名は池端 直亮。父親は 美男俳優の上原謙さん、母親の小桜葉子さんは岩倉具視の子孫。つまり加山雄三は岩倉具視の子孫なのです。妻は松本めぐみさん。アイドル女優でした。二男二女。二人は俳優業。
加山雄三さんも今年で82歳になりました。借金等で不遇の時代もありましたが、見事に立ち直り、今ではあの元気さ、驚かされます。先日の「光進丸」焼失事件ではさすがに気を落としたようですが、立ち直ってくれると思います。これからもますます頑張ってもらいたいと思います。
私の好きな加山雄三さんの曲を何曲か挙げてみます。
加山雄三/いい娘だから Ii Ko Dakara(1968年)
それでは今日はこの辺で。