Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

聴き比べ『知床旅情』と『オホーツクの舟歌』

今日の「聴き比べ」は知床旅情です。

この曲は森繁久彌の作詞・作曲です。1960年、森繁が映画『地の崖に生きるもの』の撮影で知床半島羅臼に滞在していた時に作られ、撮影の最終日に地元の人たちに「さらば羅臼よ」というタイトルで歌われました。1962年の紅白歌合戦では本人歌唱で披露されました。そして1965年にシングル盤が発売されオリコン11位にまでなりました。私は当然そんなことは知りません。

 

初めて聴いたのが加藤登紀子さんの歌でした。これが大ヒットしました。加藤登紀子さんというと東大出の歌手ということで有名になり、恋人は学生運動の活動家だったことも話題になりました。「赤い風船」レコード大賞新人賞を獲ったあとしばらく顔を見せませんでしたが、1969年に「ひとり寝の子守唄」が大ヒット、レコード大賞歌唱賞を受賞しました。そして勢いに乗って1970年にこの知床旅情を発表。じわじわと売れ出し、オリコンの連続7週第1位を記録しました。

この時、元歌が森繁久彌だということを知りました。この後加藤登紀子さんは恋人の活動家と獄中結婚して注目されました。出産のため一時期活動を停止していた時期もありましたが、その後は「灰色の瞳」「時代遅れの酒場」「この空を飛べたら」「難破船」「百万本のバラ」などヒット曲を連発しました。今も元気で頑張っています。

 

また前置きが長くなってしまいました。「知床旅情」です。森繁・バージョンは実に味わい深いです。加藤バージョンはさわやかです。

 

知床旅情

作詞・作曲:森繁久彌

 

知床の岬に はまなすの咲くころ

思い出しておくれ 俺たちの事を

飲んで騒いで 丘にのぼれば

はるかクナシリに 白夜は明ける

 

旅の情けか 酔うほどにさまよい

浜に出てみれば 月は照る波の上(え)

君を今宵こそ 抱きしめん

岩かげに寄れば ピリカが笑う

  

別れの日は来た 知床の村にも

君は出てゆく 峠を越えて

忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん

私を泣かすな 白いかもめを

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知床旅情 森繁久弥


知床旅情 - 加藤登紀子

 

 

それから随分経った頃、倍賞千恵子さんが出演していたあるテレビ番組を見る機会がありました。その中で彼女が「オホーツクの舟歌という曲を歌いました。メロディは「知床旅情」です。ただ、歌詞が違います。倍賞さんの歌唱には圧倒されるものがありました。話を聞いてみると、これが「知床旅情」の元になった歌らしいのです。これは「知床旅情」が夏を歌った歌に対し、冬の厳しさを歌った歌でした。

私にとってはこの「オホーツクの舟歌」の激しさが胸を打ち、「知床旅情」がかすんでしまいました。森繁が是非倍賞さんに歌ってもらいたいとお願いしたそうです。それに見合った歌唱です。

 

初めにセリフが入ります。

 

オホーツクの舟歌

作詞・作曲:森繁久彌

 

何地(いずち)から 吹きすさぶ 朔北の吹雪よ

わたしの胸を刺すように

オホーツクは 今日も 海鳴りの中に

明け 暮れてゆく

 

父祖の地のクナシリに

長い冬の夜があける日を

白いカモメが告げるまで

最涯ての茜の中で わたしは 立ちつくす

何故か 眼がしらの涙が凍るまで  (以上台詞)

 

オホーツクの海原

ただ白く凍て果て

命あるものは暗い雪ノ下

春を待つ心 ペチカに燃やそ

哀れ東(ひんがし)にオーロラかなし

 

最涯の番屋に 命の火チロチロ

トドの鳴く夜は いとし娘が瞼に

誰に語らん このさみしさ

ランプの灯影に 海鳴りばかり

 

スズランの緑が 雪解けに光れば

アイヌの唄声 谷間にこだます

シレトクの春は 潮路に開けて

舟人のかいな 海に輝く

 

オレーオレー オーシコイ

沖の声 舟歌

あじだいエリャンサ

揚げる網ゃ大漁

霞むクナシリ 我が故郷

何日の日か詣でむ 御親(みおや)の墓に

ねむれ静かに

 


オホーツクの舟唄(倍賞千恵子)

 

 

それでは今日はこの辺で。