Flying Skynyrdのブログ

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この人の、この1枚『サン・ハウス(Son House)/Father of Folk Blues』

今日の「この人の、この1枚」はサン・ハウス(Son House)『Father of Folk Blues』です。

 

前回紹介したスリーピー・ジョン・エスティスに続き、1960年代に再発見された伝説のブルース・マン、サン・ハウスです。

1902年、ミシシッピ州クラークスデールで生まれたサン・ハウスは本名をエドワード・ジェームス "サン"ハウス・ジュニアといいました。

両親の離婚の後、各地を転々とします。母の死後はミシシッピ州のデルタに戻りました。20歳の頃です。綿花畑で農夫として働いて貧しい生活を送っていました。音楽は教会音楽しか興味もありませんでした。教会以外のものは何も信じず、ブルースなど、ましてやギターを弾きながら歌うことなどは悪魔の音楽のようでした。

1927年、25歳の時にクラークスデールの近郊のマトスンというところで、2人の男が路上でギターを弾いているのを見かけ、その音色に惹かれました。その男はボトルネックで弾いていたのです。そんな弾き方を見たのは初めてだったので、さっそくギターを手に入れ自分で弾き始めたのです。

1929年頃にサン・ハウスは酒場で男と喧嘩になり銃殺してしまいます。そしてパーチマン・ファームで禁錮刑に服します。そしてクラークスデールから離れることを条件に2年で釈放されます。

服役後、1930年にミシシッピのルーラでチャーリー・パットンウィリー・ブラウンに出会います。チャーリー・パットンは既に多くのレコーディングをしており、ミシシッピのブルース界では最高のブルース・シンガーでありギタリストです。サン・ハウスはそれを聴いていました。サン・ハウスはチャーリー・パットンのマネージャーの世話でパットンと同じパラマウント・レコードに録音させてもらうことができました。この時録音した中で8曲がリリースされましたが、これは不発でした。

その後は肉体労働で食いつなぎ、演奏活動は続けました。但し、商業的なレコーディングは以後35年間ありませんでした。1941年と42年に民謡研究家のアラン・ロマックスが国会図書館用のためにサン・ハウスを録音しました。

 

以後、1943年には鉄道会社に就職し、完全にブルース界から姿を消しました。ところが1960年代になって、ブルース・ブームが起こり、1964年6月に再発見されました。

 

今日のアルバム『Father of Folk Blues』は再発見後の最初のレコードになります。録音は1965年です。この時サン・ハウス63歳。とてもそんな歳には思えない、力強い歌声です。スライドギターが聴きものです。手拍子だけの曲もあります。B4は10分近くの熱演です。恐れ入ります。また、ギターとハーモニカで1曲づつキャンド・ヒートのアラン・ウィルソンが参加しています。彼は熱烈なブルース・ファンです。

サン・ハウスは1988年、86歳で亡くなりました。ロバート・ジョンソンにも大きな影響を与えたミシシッピ・デルタ・ブルースの王様です。

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A1 Death Letter

A2 Pearline

A3 Louise McGhee

A4 John The Revelator

A5 Empire State Express

 

B1 Preachin' Blues

B2 Grinning In Your Face

B3 Sundown

B4 Levee Camp Moan

 

メンバーは

Steel Guitar, Vocals - Son House

Guitar, Harmonica - Al Wilson

 

 プロデュースはJohn Hammondです。

 


Son House - Death Letter


Son House - Louise Mcghee


Son House-Empire State Express


Son House - Levee Camp Moan

 

それでは今日はこの辺で。