今日の「この人の、この1枚」はビッグ・ビル・ブルーンジー(Big Bill Broozy)とサニー・ボーイ・ウィリアムソン(Sonny boy Williamson)の『ビッグ・ビル&サニー・ボーイ(Big Bill & Sonny Boy)』です。
二人のカップリング・アルバムです。元は1964年にイギリスのRCAからリリースされた同名のアルバムでした。それを日本のRVCが1975年に「RCAブルース・コレクターズ・シリーズ」として発売したアルバムです。ちょうど日本でもブルース・ブームが沸き起こっていた頃です。中村とうよう氏と日暮泰文氏の監修でした。
ビッグ・ビル・ブルーンジーは本人曰く1893年にミシシッピ州スコットに生まれました。生まれ年は定かではありません。14歳ごろから演奏を始め、その後シカゴに移り、1920年ごろパパ・チャーリー・ジャクソンからギターを習いました。最初の録音は1926年頃、まだギターの弾き語りでした。
1930年代になるとピアノと組んで演奏するようになりました。1934年には8曲を録音しました。このアルバムに収められている曲はこの頃の録音と思われます。レーベルはブルーバードやパーフェクトです。
ビッグ・ビルの名前がロック・ファンの間でも知られるようになったのはエリック・クラプトンがデレク・&ザ・ドミノスで「Key To The Highway」をカバーしてからではないでしょうか。
ビッグ・ビルはその後もコロムビア、マーキュリーとレーベルを変え数多くの曲を録音しました。1958年に癌で亡くなりました。60歳でした。
サニー・ボーイ・ウィリアムソンは1914年、テネシー州ジャクソン生まれのブルース・ハープ奏者です。ブルース・ハープの先駆者です。サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡとは違います。彼はサニー・ボーイ・ウィリアムソンの人気にあやかって勝手につけた名前です。結果的にⅡの方が有名になってしまいました。この紛らわしさを防ぐために元のサニー・ボーイをサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅠと呼ぶこともあります・
ジャクソンではスリーピー・ジョン・エスティスやホームシック・ジェイムスらと演奏していました。その後、シカゴに向かいました。
1937年には早くも代表曲「グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール」を録音しました。このアルバムに収められているのは1940年から1947年までのブルーバード・レーベルへの録音です。このアルバムのラストを飾るのがサニー・ボーイの最後の録音でした。この翌年に強盗に襲われ頭を刺され亡くなりました。弱冠34歳でした。
Big Bill & Sonny Boy
Big Bill Broonzy
1.Friendless Blues
2.Mississippi River Blues
3.The Southern Blues
4.Good Jelly
5.I'm Just A Bum
6.Keep Your Hands Off Her
7.The Sun Gonna Shine In My Door Someday
Sonny Boy Williamson
1.I've Been Dealing With The Devil
2.Million Years Blues
3.Win The War Blues
4.Check Up On My Baby
5.Sonny Boy's Jump
6.The Big Boat
7.Better Cut That Out
それでは今日はこの辺で。