Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

『ジャニス・ジョプリン』 あるいは『ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニ―(Big Brother & The Holding Company)/チープ・スリル(Cheap Thrils)』

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

正月三が日、酒飲んでしっかり休養しました。

 

今年最初の記事はジャニス・ジョプリンにしました。といっても、ジャニスについてはとっくに書いていたものと勘違いしていました。調べたら書いていませんでした。ということで、新春一発目はジャニスの『チープ・スリル』でいってみます。

 

 『ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニ―』のレコードというよりも、ジャニス・ジョプリンのレコードといったほうがわかりやすいかもしれません。それほどまでにこのレコードはジャニス・ジョプリンで有名になってしまいました。ところが、ジャケットにはジャニス・ジョプリンの名前はありません。あくまでも『ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニ―』のレコードであり、ジャニスはこのバンドのヴォーカル担当のメンバーの一員です。

彼らのファーストアルバムは『Big Brother & The Holding Company Featuaring Janis Joplin』となっています。

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このアルバムは元々1967年にメインストリーム・レコードから発売されましたが、さっぱり売れずに、倉庫入りになっていました。しかし同年の「モンタレー・ポップ・フェスティバル」での彼らの、特にジャニスの熱唱で一気に人気が上がり、そこにCBSが目を付け、契約しこの原盤を買い取り、新たに2曲追加して発売したものでした。

もちろんジャニスがいなければ、ビッグブラザーはここまで有名にはならなかったでしょうが、逆にビッグ・ブラザーに加入していなければジャニスのその後もどうなっていたかはわかりません。

 

1968年、そのCBSから発売されたのがこの『Cheap Thrils』です。

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『ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニ―』のメンバーは

ピート・アルビン(Pete Albin,b)

デヴィッド・ゲッツ(David Getz,ds)

ジェームス・ガーリー(James Gurley,g)

サム・アンドリュー(Sam Andrew,g,vo)

ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin,vo)

です。

 

Side A

1.Combination Of The Two

2.I Need A Man To Love

3.Summertime

4.Piece Of My Heart

 

Side B

1.Turtle Blues

2.Oh, Sweet Mary

3.Ball And Chain

 

これはフィルモアでのライブアルバムと言われていますが、実際はウィンターランドでのライブです。

A-1 サム・アンドリューのヴォーカルで始まり、途中からジャニスが絡んで来るロックンロール。ジャニスの声を初めて聴いた時(確かテレビでのモンタレーポップだったと思います)には仰天したのを憶えています。声を振り絞って絶叫する。体ごと歌っているという表現がぴったりです。

A-2 ジャニスとサムの共作。ミディアムテンポのナンバー。ジャニスのボーカルとサムのリードギターが冴えわたります。

A-3 ご存じガーシュインの名曲。ブルース風のアレンジでジャニスの歌う曲の中でも屈指の名演。

A-4 日本語タイトル「心のカケラ」。色々な人がカバーしていますがジャニスが最高でしょう。

B-1 ジャニス作のカントリーブルース。サムのアコースティックギターとプロデューサーのジョン・サイモンのピアノとジャニスのヴォーカルの掛け合いが素晴らしい。

B-2 サムのヴォーカル。サイケデリックな曲。

B-3 定番。ビッグ・ママ・ソートンのブルースナンバー。とにかく痺れます。この曲を聴いていると、ジャニスが死に向かって絶叫しているようで、怖いくらいです。

 

歴史に残る名盤であることは間違いありません。

 

このあと、ジャニスはバンドを離れ、自身のグループ『コズミック・ブルース・バンド』を結成し、1969年にアルバム『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama! 』をリリースします。

 

このバンドも「ウッドストック」に出演した後すぐに解散し、ジャニスは1970年、アルバム『Pearl』のレコーディングに取り掛かります。

しかし、レコーディングのために滞在していたロスアンゼルスのホテルで死体となって発見されました。ヘロインの過剰摂取とのことでした。わずか27歳の夭折でした。

彼女の死後発表された『Pearl』はこれまでで最高の売り上げを上げ、シングルのクリス・クリストファーソンの「ミー・アンド・ボギー・マギー」は全米1位を獲得しました。

その翌年には生前のライブ演奏を集めた『In Concert』がリリースされました。

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さらに近年になって、1970年に「フェスティバル特急」と呼ばれた列車に乗って行ったカナダツアーの模様がDVDになりました。これにはザ・バンドやグレトグル・デッド、フライング・バリット・ブラザース、バディ・ガイ、マッシュ・マッカ―ンなどが参加していました。車内の楽しそうなジャニスが映っています。

 

ジャニスの音源は少ないですが、1968年のビッグ・ブラザーとの「ウィンターランド」での貴重なライブも発売されています。

 

1979年にはジャニスをモデルにした映画「ローズ」も作成されています。

 

ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニ―の方はジャニスが抜けてはどうにもならず、1972年に解散しています。

 

ジャニスが亡くなった1970年前後に、ブライアン・ジョーンズ(1969)、ジミ・ヘンドリックス(1970)、ジム・モリソン(1971)、と立て続けにミュージシャンが亡くなっています。それもいずれも27歳でした。奇妙な符合です。この後も、デュアン・オールマングラム・パーソンズと若いミュージシャンが次々と亡くなっていきました。1970年前後はロックの輝ける時代でしたが、同時に不幸な時代でもありました。それでも先人の功績は偉大であり、彼等の精神はいまだに脈々と受け継がれています。


Big Brother & The Holding Company - Summertime


Big Brother And The Holding Company - Piece Of My Heart


Janis Joplin Ball and Chain (with lyrics)

 

今年も相変わらずこんな感じで書いていこうと思います。

とりあえず目標は300記事達成と1年間継続達成です。なんとか頑張りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 

それでは今日はこの辺で。

 

今年の映画、ベスト5 並びに御礼

今年もいよいよ今日で終わります。ということで、今年劇場で観た約60本の映画の中で記憶に残っている映画を5本ほど選んでみました。テレビ放送やDVDは除きます。映画はやはり劇場で観たいですね。

なにしろ記憶力の低下が著しく、感動しても次々と忘れていくという体たらくで、何とも情けない話ですが、このブログもその予防のために始めたという理由もあるのですが、あまり役に立っていないようです。昔のことはよく憶えているのですが、最近のことはよく忘れます。

今回も5本選ぶのはいいのですが、まず何を観たかを思い出すのに一苦労です。それは記録を見ればわかるのですが、その観た映画のタイトルと内容がなかなか一致しません。

そこはブログの良さです。4月からはブログで観た映画のあらすじやちょっとした感想を書いていますので、それを見れば少しは思い出せます。問題は1月から3月までに観た映画です。それもブログを書いていたおかげで、印象に残った映画がちょっとだけ書いてある記事が見つかりました。

ということで、それらを参考に選んでみました。別に順番はつけません。印象に残ったというただ1点です。あくまでも個人的観点ですのであしからず。

 

観た順番に。

 

ヒトラー暗殺、13分の誤算』

なぜか今年はヒトラーナチスに関する映画が多かったような気がします。その中でも印象に残った映画です。

たった一人でヒトラーの暗殺を企てる男。わずかな誤算と囚われてからの拷問。

 

『沈黙ーサイレンス』

lynyrdburitto.hatenablog.com

宗教と宗教心の強さと弱さ。複雑な思いでした。遠藤周作原作。マーティン・スコセッシ監督。ずーっと昔、篠田正浩監督、岩下志麻主演の同名の映画を観た時よりもぐっときました。年のせいか。

 

エディット・ピアフ~愛の賛歌~』

lynyrdburitto.hatenablog.com

天才の苦悩と女優の演技力の素晴らしさに脱帽。ピアフの歌の凄さに改めて感動。

 

エヴァの告白』

lynyrdburitto.hatenablog.com

アメリカにおける移民の厳しさを改めて思い知らされました。アメリカも決して自由な国ではありませんでした。

 

『きっと、いい日が待っている』

lynyrdburitto.hatenablog.com

感動映画。泣けて泣けて。実話だから余計に感情移入されるのでしょうか。

 

以上、約束の5本です。

 

番外として、既に何度か見た映画を、今年再び見る機会があった映画の中で特によかったものを2本ほど挙げます。

 

ゴジラ

 記念すべき「ゴジラ」シリーズの第1作。昭和29年の作品です。原子力に対する痛烈な批判を込めた作品。制作者側の意気込みがひしひしと感じられます。

シン・ゴジラ』上映に併せて上映されました。古臭いけど凄い!

 

シェルブールの雨傘

lynyrdburitto.hatenablog.com

ドヌーヴとルグラン、やはりこれですね。劇場でこの映画をまた観れるとは思ってもいませんでした。いつも通り、同じ場面で涙、涙、です。

 

人事考課の「期末効果」のように最近観た映画が多くなってしまいました。記憶力が低下しているので致し方ありません。

 

今年最後の記事は何にしようか迷いましたが、とりあえず1年の総括ということで、映画にしてみました。音楽ではまとまりようが無いと思いますので。

 

ブログを始めて9か月です。記事も270を超えました。ほぼ1日1記事のペースで、何とかここまで来れました。途中入院生活もあって、途切れることもありましたが何とか続けることが出来ました。これもひとえにこのブログを読んでくださった皆様のお陰です。

自分のための備忘録として始めたはずなのですが、いつの間にか皆様のご支援で支えられてここまで来れたようなものだと思っております。本当に有難うございました。

 

正月は恐らく酒浸りになるので、いつから始められるか分かりませんが、来年もよろしくお願いいたします。

皆様におかれますても、良い年を迎えられますよう祈念しております。

 

今日は鍋でもつつきながら年を越そうと思います。

それでは今日はこの辺で。

 

ブリティッシュロックの正統後継者 『オーシャン・カラー・シーン(Ocean Colour Scene)』

1989年に結成された『オーシャン・カラー・シーン(OCS)』は、それ以降のブリットポップ界をリードしたオアシス(Oasis)マニック・ストリート・プリーチャーズ(Manic Street Preachers,マニックス)とともにブリティッシュロックの正統派そして後継者として活躍しました。

以前、少しだけ触れています。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

メンバーは

サイモン・ファウラー(Simon Fowler,vo,g)

スティーヴ・クラドック(Steve Cradock,g,key)

デーモン・ミンケラ(Damon Minchella,b)

オスカー・ハリスン(Oscar Harison,ds)

でスタートします。

OCSは1990年にフォンタナレコードと契約し、シングル「Sway」、1991年にシングル「Yesterday Today」をリリースします。この「Yesterday Today」が中ヒットし注目を集めます。それから1年、1992年ようやくファーストアルバムがリリースされます。

Ocean Colour Scene』です。日本のタイトルは『ブルー・オーシャン』でした。

Ocean Colour Scene

 

サイケデリックアルバムです。その後の彼らを見ると考えられないようなアルバムです。プロデューサーが4人も変わるという異常事態でした。当初はあのジミー・ミラーが担当していましたが、フォンタナサイドがが気に入らなかったようで、とっかえひっかえとなったようです。

このアルバムによってOCSは忘れ去られました。

しかし、オアシスのノエル・ギャラガーが救いの手を伸べました。彼の尽力によってMCAとの契約が成立しました。これ以後もノエル・ギャラガーとOCSの関係は続いていきます。

1996年、4年のブランクの後、セカンドアルバム『Moseley Shoals』をリリースします。

このアルバムは一転、ソウルフルに、そして60年代、70年代のブリティッシュロックを思わせるようなサウンドを展開します。レコーディングにはポール・ウェーラーがギターとピアノ、オルガン、バッキングヴォーカルで参加しています。ポール・ウェーラーもこの後OCSと長い付き合いになります。こうしてOCSはノエル・ギャラガーとポール・ウェーラーの強い支持の元活動を続けることになります。このアルバムは全英2位を記録します。

 

翌年、サードアルバム『Marchin' Already』がリリースされます。

このアルバムのオープニング「Hundred Mile High City」には度肝を抜かされます。まるでスモール・フェイセスがやっていたようなギターリフ、かと思えば、次の曲はビートルズの後期を思わせるような曲へと展開します。前作とこの作品はOCSの中でも最高峰に位置する作品だと思います。このアルバムは見事全英1位を獲得します。

 

2年後、1999年に4枚目のアルバム『One From The Modern』がリリースされます。

 このアルバムはそれまでの勢いが若干後退し、おとなしくなったような、よく言えば大人になったという感じでしょうか。メロディーは相変わらず美しく、アコースティクサウンドが多いせいか、しっとりと聴かせる曲が多くなりました。ポール・ウェーラーがヴォーカルで参加しています。

 

また2年後、2001年に5枚目のアルバム『Mechanical Wonder』をリリースします。

 この作品は前作以上にポップになりました。これもブリットポップ全盛という時代の要請でしょうか。オープニングの「Up on the Downside」などはこれ以上ないというくらいのポップチューです。そこそこのヒットでした。セカンドサードアルバムのあのソウルフルなR&Bを奏でるOCSはどこへ行ってしまったのか、という印象です。ゲストミュージシャンとしてミック・タルボットが参加しています。ミック・タルボットといえばポール・ウェーラーのスタイル・カウンシルのメンバーです。ポール・ウェーラーの関係で参加したのでしょう。全英7位でした。

 

2003年には6枚目のアルバムとして『North Atlantic Drift』をリリースします。

 激しいOCSが戻ってきました。やっぱりOCSはこうでなくちゃいけません。それでも単にセカンドサードへの回帰という事ではなく、新たなOCSを目指しているということは明白で、ハードとソフトのバランス、静と動のバランスが上手く撮れています。メロディーは相変わらず美しい。

 

2005年に前年リリースしたライブアルアムを挟んで7枚目のスタジオアルバム『A Hyperactive Workout For The Flying Squad』をリリースします。

 先のアルバム制作後デーモン・ミンケラが退団します。ポール・ウェーラーがギターでゲスト参加しています。レコーディング後、新メンバーとしてダン・シーリー(Dan Seeley,b)とアンディ・ベネット(Andy Bennett,g)が加入します。このアルバムから自主レーベルからのリリースになります。

アルバムの方は前作の延長線ですが、ホーンやストリングスを大胆に取り入れています。ジョージ・ハリソンの「WAH WAH」をカバーしています。

 

2007年にスタジオアルバムの8枚目として『On The Leyline』をリリースします。

 このアルバムは前半がエレクトリック、後半がアコースティック中心という風に分かれています。新メンバーによる作品で、後半部分はしっとりと落ち着いた雰囲気が出ています。サイモン・ファウラーの相変わらずのポール・マッカートニー似のヴォーカルがいいです。曲もビートルズ風の曲もあり、60年代、70年代を思い起こさせます。

 

2010年に9作目『Saturday』をリリースします。

OCS結成20周年の記念アルバムです。女性コーラス、ホーン、ストリングス入りの作品。60年代を思わせる曲が多くなっています。

 

2013年、10作目『Painting』をリリースします。残念ながら未購入です。

 

こうして振り返ってみると、OCSはイギリスロックを見事に引き継いできたな、と改めて思います。いつでも安心して聴けます。はやく10枚目を買わないと。

 


Ocean Colour Scene-100 Mile High City


Up On the Downside - Ocean Colour Scene


Make The Deal Ocean Colour Scene

 

今年も残すところあと1日です。今年最後の記事は何にしようかしら。

それでは今日はこの辺で。

アメリカ的なイギリスのバンド 『デラミトリ(Del Amitri)』

イギリスはグラスゴー出身の、オルタナバンド『デラミトリ』です。1980年代の中ごろにデビューし、アメリカのカントリー、フォークミュージックを積極的に取り入れた、当時のイギリスではちょっと変わった存在でした。以前にちょっとだけ触れています。

lynyrdburitto.hatenablog.com

メンバーは

ジャスティン・カリー(Justin Currie,vo,b,g)

イアン・ハーヴィー(Ian Harvie,g)

デヴィッド・カミングス(David Cummings,g)

ブライアン・マクダモット(Brian McDermott,ds)

アンディ・アルストン(Andy Alston,key)

です。

 

バンドの結成は古く、1981年です。この年に地元のインディーレーベルからシングルをリリースし、ザ・スミスオープニングアクトなどを務めるうちに、次第に注目されるようになり、クリサリスレコードの目に留まり、契約を交わします。

1985年にファーストアルバム『Del Amitri』をリリースします。

このファーストアルバムは完全にフォークアルバムとなっています。なお、再発盤にはボーナストラックとしてヴァン・モリソンの「Brown Eyed Girl」が収められています。

 

この後、クリサリスレコードの内部紛争からクリサリスを離れてしまいます。

彼らは自費でアメリカツアーを敢行します。これがのと後の彼らの音楽に大きな影響を及ぼします。この時に触れたアメリカのルーツミュージック、カントリー、ブルース、フォークが大きな刺激となりました。

1987年にA&Mと契約を交わし、1989年にセカンドアルバム『Waking Hours』をリリースします。

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このアルバムはイギリスで30万枚を売り上げる大ヒットとなりました。アメリカの匂いがプンプンする、フォークロック、カントリーロックアルバムとなっています。私自身はこういうサウンドを聴くと落ち着きます。

 

1992年にはサードアルバム『Cange Everything』をリリースします。

彼らの最高傑作アルバムです。アメリカ的ではありますが、もっと彼らなりにアメリカンミュージックを料理するとこうなります、的な感じでしょうか。イギリスの伝統的なロックも併せ持って素晴らしい出来に仕上がりました。特に2曲目の「Just Like A Man」は秀逸です。イーグルスあり、ニール・ヤングあり、ボブ・ディランあり、ローリング・ストーンズありといった具合ですが、それらを模倣しているのではなく、うまく融合していると言ったほうがあっているでしょうか。ジャスティン・カリーのヴォーカルはソウルフルになったり、フォーク調になったりと実に味わい深いです。

 

約3年ずつの間隔で、1995年に4枚目のアルバム『Twisted』をリリースします。

このアルバムでは前作に比べ、ロック色が強くなりました。ハードでブルージーでジャジーなオープニングナンバーや、ロックロール的な2曲目、カントリータッチのロックナンバーなど、70年代のブリティッシュロックに通ずるものが有ります。これもこれでいいです。ジャスティン・カリーのヴォーカルがここでも光っています。

 

続く1997年には5枚目のアルバム『Some Other Sucker's Paradeをリリースします。

サム・アザー・サッカーズ・パレ

 

このアルバムになるとポップ色が強まっています。アメリカ的なところは残しながらもブリットポップの影響もあるというポップなアルバムになっています。今までにないメロディー作りも見られます。

 

約5年のブランクの後、発表されたのが『Can You Do Me Good? 』です。

このアルバムは電子化された音楽で、プログラミングによって音作りがされとり、ちょっと私にとっては興ざめです。これまで私好みの音楽を作ってきてくれたデラミトリとは思えぬ大変身です。おそらくこの先はないのだろうなと思っていたら案の定、これ以降アルバムは出していません。

 

これまでもジャスティン・カリーとイアン・ハーヴィーを残してメンバーチェンジを繰り返してきましたが、その辺のバンド運営にも限界があったのかもしれません。

良質なアルバムを出し続けていただけに残念です。また、以前のデラミトリに戻ってアルバムを出してもらいたいです。

 


Here and Now - Del Amitri.wmv

 


Del Amitri - I Won't Take The Blame (with Lyrics)

 

それでは今日はこの辺で。

オアシスのライバルだった『シェッド・セヴン(Shed Seven)』

1994年、『ニルヴァーナ』のカート・コバーンの自殺によって、グランジブームの終息を迎え、ブリットポップブームが到来し、ブラー、オアシスが一気にイギリスロック界の頂点に昇りつめようとしていた頃、オアシスの強力なライバルとして登場してきたのがシェッド・セヴンです。彼らはメロディアスでありながら、ストレートなロックを目指していました。ほんのちょっとだけ以前の記事で触れています。

lynyrdburitto.hatenablog.com

当初のメンバーは

ポール・バンクス(Paul Banks,g)

トム・グラッドウィン(Tom Gladwin,b)

アラン・リーチ(Alan Leach,ds)

リック・ウィッター(Rick Witter,vo)

でした。

 

1974年、ファーストアルバム『Change Giver』を発表します。

このアルバムで全英16位を記録し、一躍人気バンドの仲間入りを果たしました。ポップ感覚に優れ、一方でローリング・ストーンズのようなストレートで荒っぽいところもある好アルバムとなっています。7曲目の「Dolphin」はスピード感もあり、このアルバムの目玉になっています。

 

1996年にセカンドアルバム『A Maximum High』をリリースします。

このアルバムは全英チャート8位を記録し、ゴールドディスクを獲得しました。

よりロック色が強まり、荒々しさも増したような気がします。3曲目の「Where Have You Been Tonight」などはちょっと暗めのメロディアスナンバーです。続いて4曲目の「Going For Gold」はさわやかなポップロックになっています。全体的にヒットしたのが頷ける出来になっています。

 

1998年、サードアルバム『Let It Ride』をリリースします。右は日本盤のジャケットでボーナストラックが2曲ついています。

 

このアルバムも全英で9位とベスト10入りを果たしました。全体的に荒々しさが後退し、よりポップになった感じです。ストーンズからビートルズへという感じでしょうか。

この後、ギタリストのポール・ハンクスが脱退します。代わりにジョー・ジョンソン(Joe Johnson,g)が加入し、さらにフレイザー・スミス(Fraser Smith,key)が加入します。

 

そして2001年にそれまでのポリドールを離れ、インディレーベルから4枚目のアルバム『Truth Be Told』を発表します。

メンバーも変わって、レコード会社も変わって、心機一転を狙ったのですが商業的には失敗に終わりました。アルバムの方は荒々しさを取り戻しましたが、新味に欠けるという評価だったのでしょう。私自身はこのアルバムも好きですが。

その後、再びレーベルを変え5枚目の発売を企画するも拒否され、あえなく解散となります。2003年です。

オアシス(Oasis)とのライバル競争は完敗に終わりました。オアシスの方も、2009年にノエル・ギャラガーが脱退、リアム・ギャラガーがバンド継続を図りますが、結局断念して解散に至りました。

 

シェッド・セヴンは鳴り物入りで登場しましたが、結局は何かが足りなかったのでしょう。バンドは2007年に1回限りの再結成ツアーを行いました。

さらに今年16年ぶりとなるアルバムをリリースすると発表しました。

果たしてどうなることでしょうか。機会があったら買ってみましょうか。


Shed Seven - Where Have You Been Tonight?


Shed Seven - Going For Gold

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『テン・イヤーズ・アフター(Ten Years After)/イン・コンサート(Undead)』

1960年代末当時、超速弾きギターで一世を風靡したアルビン・リー率いるテン・イヤーズ・アフター(T.Y.A)を憶えている人はどのくらいいるでしょうか。ウッドストック・フェスティバルの映画でもそのギター速弾きの雄姿は観れました。

彼らの2枚目のアルバムがライブアルバムなのですが、こ今日取り上げるアルバムです。クルックス・クリークの鉄道ホテルでのライブです。

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ちょっと見にくいですが、裏ジャケットに”アートロックの若き獅子”なんていうタイトルが付けられたいます。当時はこの手のロックをニューロックだのアートロックなどと呼んでいました。クリームやジミヘン、ドアーズ、グレイトフル・デッド、キャンド・ヒート、などなどブルースを基本としたバンドは大体においてそのように呼ばれていました。

このT.Y.Aも当然ブルースが根底に流れています。さらにメンバーがジャズに対する造詣が深いため、ブルースとハードロック、ロックンロール、ジャズなどを取り入れた当時としてはプログレッシブな音楽性を持ったバンドでした。

1967年にファーストアルバム『Ten Years After』でアルバムデビューしますが、これはオリジナルもありますが完全なブルースアルバムです。

そして1968年にセカンドアルバムとして発表されたのが『Undead』です。先に挙げたジャケットは日本盤のジャケットでオリジナルジャケットはこれです。CDには未発表曲がかなり追加されています。

 

 Side A

1.I May Be Wrong, But I Won't Be Wrong Always

2.Woodchopper's Ball

 

Side B

1.Spider in My Web

2.Summertime~Shantung Cabbage

3.I'm Going Home

 

メンバーは

アルビン・リー(Alvin Lee,g,vo)

レオ・ライオンズ(Leo,Lyons,b)

リック・リー(Ric Lee,ds)

チック・チャーチル(Chick Churchill,key)

です。

プロデュースはブルースロックではおなじみのあのマイク・ヴァーノン(Mike Vernon)です。

 

A-1 10分を超えるジャズです。メンバー全員が影響を受けたミュージシャンにジャズ・ミュージシャンを上げていることからも、当然の演奏か。

A-2 これはジャズの大御所、ウディ・ハーマンのヒット曲。アルビン・リーの速弾きギターが堪能できます。それにチック・チャーチルのオルガン、レオ・ライオンズのベース・ソロもいいんです。

B-1 ブルースナンバー。ここにきてようやくブルースが聴かれます。アルヴィンの声は黒人のブルースマンを思わせる不思議な声をしています。

B-2 ガーシュインの「サマータイム」ではじまり、続いてリック・リーのドラムソロが続きます。

B-3 T.Y.Aの代表曲。ウッドストックの映画でも演奏されていた曲。汗を噴き出しながらのアルヴィン・リーの熱演、ギターソロは凄かった。

 

その後、T.Y.Aは8枚のアルバムを残し1974年に解散します。中でも私が好きなアルバムは『Ssssh 名前のない朝』ですね。また、1972年にはプロコル・ハルムと共に来日しジョイントコンサートがありました。

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アルヴィン・リーはT.Y.A解散後ソロ活動に入ります。ソロ第1作目がアメリカのゴスペルシンガーマイロン・ルフェーブル(Mylon Lefevre)との共演盤です。ジョージ・ハリソンスティーヴ・ウィンウッドロン・ウッドなどが参加したアルバム『On The Road To Freedom』です。

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T.Y.Aとは全然違った一面を見せています。レイドバックです。いい感じに出来上がっています。

さらに、Alvin Lee & Co.を結成して2枚組のライブアルバムをリリースします。1974年の『In Fight』は傑作になりました。レイボー・シアターでのライブです。

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プレスリーの曲もカバーし、ロカビリー、ロックンロールオンパレード。

色々な一面を見せてくれたアルヴィン・リーでした。

その後、T.Y,Aの再結成を果たし、ソロ活動も続けますが、2013年に手術の合併症で亡くなります。

 

アルヴィン・リーはもういませんが、ギター速弾きのあの姿は今でも頭から離れません。

 


Ten Years After - I'm Going Home - 1968

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚  『よしだたくろう/青春の詩』

吉田拓郎が「よしだたくろう」と名乗っていた頃のアルバム。実質的に彼のファーストアルバムになります。正確には自主制作盤古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』がありますが、名義は広島フォーク村になっていますので、よしだたくろう名義ではデビューアルバムということになります。1970年でした。当時はまだインディーズのようなレコード会社エレック・レコードから『青春の詩』が発売されました。今振り返ると、そんなに昔だったかな、という気がしていますが、実際に流行ったのはもう少し後だったような気がします。

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Side A

1.青春の詩

2.とっぽい男のバラード

3.やせっぽちのブルース

4.のら犬のブルース

5.男の子女の娘(灰色の世界Ⅱ)

6.兄ちゃんが赤くなった

 

Side B

1.雪

2.灰色の世界Ⅰ

3.俺

4.こうき心

5.今日までそして明日から

6.イメージの詩

 

「青春の詩」がラジオから流れてきたのを聴いたのは、確か高校生の頃だったかと思いますが、その頃は岡林信康の「私たちの望むものは」などを夢中で聴いていた頃ですから、何とも奇妙な感じを受けました。それでも、当時の若者の一面を表現しているのは間違いないと確信しました。そして、そのあと「今日までそして明日から」を聴いて、「私たち」「俺たち」から「わたし」「俺」へと表現が変わってきているのを感じました。

拓郎は、当時の若者からは大バッシングを受けました。1970年、71年というと、まだまだフォークの世界では反体制的な歌が主流を占めていましたから当然と言えば当然でした。しかし、時代の変化と共に拓郎は若者に受け入れられるようになっていきます。

第3回全日本フォークジャンボリーに初出演した拓郎は荒れて、「人間なんて」を2時間もぶっ続けで演奏したなどという逸話も残っています。

「イメージの詩」は7分にも及ぶ曲で、ラジオではめったに聴けませんでしたが、このレコードで聴いて感動しました。これほど当時の若者の心を捉えた歌はあまりなかったでしょう。後に、ああこれはボブ・ディランのパクリだなと思いましたが。岡林の「私たちの望むもの」や「それで自由になったのかい」も多分にそうですが、この頃の日本のフォークシンガーにディランが与えた影響というのは物凄いものだなと改めて感心します。

 「戦い続ける人の心を誰もが分かってるなら、戦い続ける人の心はあんなには燃えないだろう」

ちなみにこの頃のフォークのレコードにはだいたいにおいてコード表とか楽譜が付いていました。ギターブームを取り入れていたのでしょう。

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翌年にライブアルバム『オン・ステージ ともだち』を発表します。

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ここには名曲「マークⅡ」や「夏休み」が収録されています。さらに「青春の詩」の替え歌「老人の詩」、六文銭のカバー「面影橋」、斉藤哲夫のカバー「されど私の人生」、レイ・チャールズのカバー「わっちゃいせい」なども収録されています。「イメージの詩」はさらに詩が付け加えられています。

何といっても拓郎の軽妙なおしゃべり(今で言うMCですか)が面白かった。このようにしゃべりを丸ごと収録するのもフォークアルバムならではでした。

 

そしてこの年の暮れに『人間なんて』が発売されます。

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ここには私の大好きな「雨の日の情景」と「どうしてこんなに悲しいんだろう」が収録されています。今でも好きです。

それでも何といっても、世間をあっと言わせたのが「結婚しようよ」でしょう。この曲の大ヒットによって、フォークソングは完全に変わりました。連合赤軍の「浅間山荘事件」とそれに伴う「大量リンチ殺人事件」の発覚で、学生運動が急速にしぼみ、政治の季節は終わりを告げ、「歌で世の中を変えるんだ」的なフォークソングは次第に影を潜め、自分の内面を見つめる歌や日常生活を歌った歌がフォークソングの主流を占めるようになりました。そして「神田川」や「赤ちょうちん」などの四畳半フォークがもてはやされるようになり、歌謡曲の世界にまで影響を与えるようになりました。そのきっかけとなったのがこの「結婚しようよ」だったのではないでしょうか。

拓郎はフォーク界のプリンスとしてもてはやされ、快進撃を遂げます。特に女性ファンが多くアイドル扱いでした。

TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のDJも週一回担当しており、多くのフォークソング曲を知ることができました。

続く『元気です』は大ヒットアルバムになりました。1972年です。

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ここには大ヒット曲「旅の宿」が収録されています。岡本おさみの作詞が6曲と多くなっています(襟裳岬で有名)。

「春だったね」は本人も言っているようにディランのパクリ。「夏休み」も再録音しています。

モップスでヒットした「たどりついたらいつも雨降り」も収録されています。あと、大好きな「リンゴ」も収録。

このアルバムからCBSソニー傘下のODYSSEYにレコード会社が変わっています。

 

この後の拓郎の活躍はご承知の通りです。小室等井上陽水泉谷しげるとともにレコード会社、フォーライフレコードも設立しました。

フォークのどうのこうのではなく、ロック、歌謡曲、演歌、あらゆるジャンルでの活躍ぶりとその影響力はスーパースター並みになってしまいました。

 

拓郎については『元気です』までしかレコードは買っていません。その後は、2枚のCDを買い、時々テレビで見たりする程度ですが、青春の1ページであったことは確かです。

 

 

 

体調不良の時期などもあったようですが、今は元気で頑張っていることと思います。

 


よしだたくろう イメージの詩


『今日までそして明日から』吉田拓郎


よしだたくろう「青春の詩」シングル

 

オリジナル音源ではありませんが「どうしてこんなに悲しいんだろう」。いい曲です。


どうしてこんなに悲しいんだろう  by 吉田拓郎 2002 15/19

 

遂に拓郎まで来てしまいました。誰かを忘れているような気もしていますが、思い出したらまた書きましょう。

日本人アーティストも今まで加川良岡林信康山崎ハコ遠藤賢司シルクロード、浅川マキ、早川義夫高田渡高石友也、五つの風船、吉田拓郎ときましたからとうとう11組になりました(懐メロ除く)。何だかんだで結構書きましたね。

それでは今日はこの辺で。