Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『ラズベリーズ(Raspberries)/Raspberries'Best Featuaring Eric Carmen』

ラズベリーズ(Raspberries)は1970年代の初め頃に、ビートルズビーチボーイズの再来といわれた、ポップ色豊かなバンドでした。

 

ラズベリーズは1960年代後半に地元のオハイオ州クリーブランドの人気ガレージバンドThe Choirにいたウォーリー・ブライソン(Wally Bryson,g,vo)ジム・ボンファンティ(Jim Bonfanti,ds)ジョン・アレクシック(John Alleksic,b)の3人がサイラス・エリー(Cyrus Erie)にいたソングライターのエリック・カルメン(Eric Carmen,vo,g,b,p)と合流して、1970年に結成されました。

しかし、その後ジョン・アレクシックがバンドを去った為、代わりにこれまたThe Choirのデイヴ・スモーリー(Dave Smalley,g,vo,b)が加入しました。

 

こうしてキャピトルとの契約も成立し、1972年にデビューを飾りました。

デビューアルバム『Raspberries』からの「Go All The Way」がいきなり全米5位の大ヒットとなりアルバムも51位を記録しました。

 

同年のセカンドアルバム『明日を生きよう(Fresh)』からも「I Wanna Be With You」が16位、アルバムも36位になりました。

 

1973年、1974年にそれぞれ『Side 3』『Starting Over』をリリースしますが今一つヒットせず解散に至りました。

なお、『Side 3』の後にジム・ボンファンティとデイヴ・スモーリーが脱退し、代わりにスコット・マッカール(Scott McCarl,b)とサイラス・エリーのマイケル・マクブライド(Michael McBride,ds)が加入しました。

 

解散後の1976年にラズベリーズのベスト盤が発売されました。これはラズベリーズのヒット曲が揃った質の高いベスト盤になりました。

『Raspberries'Best Featuaring Eric Carmen』

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Side A

1.Go All The Way

2.Tonight

3.Ecstacy(君に首ったけ)

4.I Wanna Be With You(明日を生きよう)

5.I Can Remember

 

Side B

1.Overnight Sensation

2.Let's Pretend

3.Drivin' Around

4.Starting Over

5.Don't Want To Say Goodbye(さよならは言わないで)

 

A-1,5,B-5はファーストから。

A-4,B-2,3はセカンドから。

A-2,3はサードから。

B-1,4は4枚目から。

 

A-1はラズベリーズの出世作。2週間連続5位。

A-2は5枚目のシングル。最高69位。

A-3はサードからのシングルカット。

A-4は3枚目のシングルで16位を記録。ラズベリーズが初期のビートルズに似ていると言われたころです。

A-5はエリック・カルメンの得意とする叙情的な曲。

B-1はシングル18位まで上りました。

B-2はシングル35位。

B-3はエリック・カルメンとデイヴ・スモーリーの共作。8枚目のシングル。ビーチボーイズを連想させます。

B-4はストリングス入り。4枚目のアルバムでだいぶ音楽性が変わって来ました。

B-5はエリック・カルメンとウォーリー・ブライソンの共作。シングル86位。しっとりとした曲。

 

メンバーのエリック・カルメンは解散後ソロに転向、「オール・バイ・マイセルフ」の大ヒットで知られるようになりました。

 

たった4年という短い期間でしたが、ポップロック界を一時期賑わしたバンドでした。

 


Raspberries Go All The Way Mike Douglas Show 1974


Raspberries - I Wanna Be With You


The Raspberries - Don´t want to say goodbye - 1972

 


Raspberries, "Overnight Sensation (Hit Record)"

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ジェス・ローデン(Jess Roden)/Blowin'』

ジェス・ローデン(Jess Roden)はブリティッシュロック界きってのシンガー兼ギタリストです。フランキー・ミラロバート・パーマーとも並び称されるほどですの逸材です。ブルーアイドソウルの代表選手です。

 

彼は1947年にイングランドで生まれました。彼が最初に所属したのは The Shakedown Soundsというバンドでした。その後、1967年に新たなリードヴォーカルとしてアラン・ボウン・セット(The Alan Bown Set)に加入します。

1970年にはこのバンドを脱退します。後任はロバート・パーマーでした。そして自らのバンド、ブロンコ(Bronco)を結成します。そこで2枚のアルバムを発表しますが、バンドを去ります。

その後、モット・ザ・フープルキーフ・ハートレートラフィックフリーポール・コゾフのバック・ストリート・クローラーなどのレコーディングに参加し、ツアーも共にしました。

さらにドアーズ解散後のロビー・クリューガージョン・デンスモアが始めたバンド、バッツ・バンド(The Butts Band)に参加したりして、アイランドとの契約も成って、1974年にファーストアルバムJess Roden』をリリースします。

トラフィックリ・バップやフリーのラビットサイモン・カークなどアイランドの仲間が参加しています。プロデュースはアラン・トゥーサンクリス・ブラックウェルでした。

 

1976年にはジェス・ローデン・バンドを結成し2枚のアルバム『You Can Keep Your Hat on』『Play It Dirty Play It Class』をリリースします。

  

 

そして1977年にバンドの1976年のライブ音源をレコード化した『Blowin'』がリリースされます。

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Side A

1.The Ballad Of Big Sally

2.In A Circle

3.Desperado

 

Side B

1.Me And Crystal Eye

2.Blowin'

3.Jump Mama

4.Blowin'(Reprise)

 

バンドメンバーは

ジェス・ローデン(Jess Roden,vo)

ジョン・コートライト(John Cartwright,b)

ピーター・ハント(Peter Hunt,ds)

(Steve Webb,g,vo)

ブルース・ロバーツ(Bruce Roberts,g,vo)

ビリー・リヴセイ(Billy Livsey,key,vo)

クリス・ゴワー(Chris Gower,torombone,perc)

ロニー・テイラー(Ronnie Taylor,sax,perc)

 

プロデュースはジェス・ローデンです。

 

A-1、2はファンキーなR&B、 ソウルナンバーです。A-1はメンバーのジョン・コートライトとブルース・ロバーツの共作。A-2はジョン・コートライトとスティーヴ・ウェブの共作になります。

A-3はイーグルスの名曲です。ジャジーなサックスの前奏のあと、ジェス・ローデンのヴォーカルが始まります。少ししゃがれた声でしみじみと歌い上げます。

B-1はファンク。ジェス・ローデン作。

B-2はジェス・ローデンとジョン・コートライトとの共作。メロウなナンバー。ジェス・ローデンもここではしなやかに色っぽい。

B-3はジェス・ローデン作。一転スピーディーなファンクナンバー。コンサートは最高潮に盛り上がります。

 

このライブ盤は絶品です。ジェス・ローデンとバンドの一体感が素晴らしいです。ホーンセクションもたっぷりで、アメリカ南部を思わせます。

 

これをもってジェス・ローデン・バンドは解散です。

 

1977年、1980年には再びソロ名義で『The Player Not the Game』『Stonechaser』をそれぞれリリースします。

 

 

その後、サンディー・デニーやツトム・ヤマシタのレコーディングに参加するも1980年以降は音楽活動を休止して、グラフィックデザイナーとして活動しているようです。

1995年にはJess Roden & the Humansなるバンドを結成しアルバムも出しているようですがよくわかりません。

 

 

 

ソウルフルでファンキーなヴォーカリストでしたが、もう少しアルバムを残して欲しかったような気がします。

 


* Jess Roden ** 'Blowin' ** 1976/ audio/ live


The Jess Roden Band - In a circle


Jess Roden Desperado

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『デヴィッド・ブロンバーグ(David Bromberg)/Midnight on the Water』

デヴィッド・ブロンバーグ(David Bromberg)は1945年にアメリカ・フィラデルフィアで生まれました。

学生時代にギターを学び、ブルーグラス、カントリー、フォーク、ブルース、ロック、ロックンロール、ジャズなどあらゆるジャンルをこなすようになりました。ちょっと変わった男です。

1960年代後半にはトム・ラッシュやトム・パクストンのレコーディングに参加、さらにジェリー・ジェフ・ウォーカーのアルバム『ミスター・ボージャングル(Mr. Bojangles)』にも参加して名を馳せました。その後もボブ・ディランの『セルフ・ポートレート』や『新しい夜明け』などにも参加しました。

そして1971年にCBSコロムビアと契約しファーストソロアルバム『David Bromberg』をリリースします。

ここではジョージ・ハリソンとの共作もあります。ボブ・ディランがハーモニカで参加しています。ノーマン・ブレイクもギターで参加。

 

1972年、74年にそれぞれアルバムを発表します。『Demon in Disguise』『Wanted Dead or Aliveです。

 

両アルバム共にデッド・ファミリーが参加しています。後者は片面ライブです。

 

そして1975年に4枚目のソロアルバム『Midnight on the Water』がリリースされます。

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Side A

1.(What A) Wonderful World

2.Yankee's Revenge: Medley

3.I Like to Sleep Late in the Morning

4.Nobody's

 

Side B

1.Don't Put That Thing on Me

2.Mr.Blue

3.Dark Hollow

4.If I Get Lucky

5.The Joke's on Me

6.Midnight on the Water

 

プロデュースはBrian AhernBernie Leadonです。Brian Ahernはエミル―・ハリスのプロデュースなどでおなじみです。Bernie Leadonはご存じフライング・バリット・ブラザース、イーグルスのギタリスト。大好きです。

 

参加ミュージシャンがすごいです。主だったところを挙げると、

ジェシエド・デイヴィス ギター

ドクター・ジョン ピアノ

エミルー・ハリス ヴォーカル

バーニー・レドン ギター

ボニー・レイット ヴォーカル

リンダ・ロンシュタッド ヴォーカル

ヒューイ・マクドナルド ベース

バディ・ケイジ ペダルスティー

その他ジャズミュージシャンやブルーグラスのミュージシャンたちが参加しました。

 

A-1はサム・クック、A-3はデヴィッド・ブルー、A-4はゲイリー・ホワイト、B-1はクリフォード・ギブソンの曲になります。

アルバム名義は一応デヴィッド・ブロンバーグ・バンドとなっていますが、どの人が正式メンバーなのかはわかりません。

 

ブルーグラス、カントリー、ジャズ、何でもありのアメリカンミュージックです。インストナンバーまであって、ブロンバーグのアコースティックとエレクトリックギター、フィドルは聴きものです。

ただし、デヴィッド・ブロンバーグのヴォーカルに馴染まない人はちょっと危険かもしれません。

 

その後1990年まで比較的コンスタントにアルバムを出していましたが、90年代は音沙汰が亡くなっていましたが、2000年代に再び活動を開始したようです。

一番最近では2016年にブルースアルバムを出しているようです。これにはちょっと食指が動きます。

1970年代に活躍したミュージシャンがこのように今でも頑張っていると嬉しくなります。現在72歳。

 


David Bromberg - Wonderful World


David Bromberg - The Jokes on Me


David Bromberg - Dark Hollow

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

この人の、この1枚 『ペンタングル(Pentangle)/The Pentangle』

イギリスのフォーク界でもひときわ異彩を放っていたのが『ペンタングル(Pentangle)』です。

 

ペンタングルは二人のギタリスト、バート・ヤンシュ(Bert Jansch,g,vo)とジョン・レンボーン(John Renbourn,g,vo)が中心になって結成されたバンドです。元々は二人のギター・デュオという形で始まりました。

バート・ヤンシュは1943年のグラスゴー生まれで、16歳の頃からギターで才覚を表し、1965年に発表したファーストソロアルバムがイギリスで最も影響力を与えたギター・アルバムだとの評価を得ました。

一方1944年にキングストンで生まれたジョン・レンボーンも同じく1965年にソロアルバムを発表しています。そしてジョンはバートと出会いバートのソロアルバム『Jack Orion』にも参加します。

そして1966年には『Bert & John』なるアルバムを発表します。

この二人にジャズやブルース界で売れていたダニー・トンプソン(Danny Thompson,b)テリー・コックス(Terry Cox,ds)が加わり、さらにフォーク、ブルースを歌っていたジャッキー・マクシー(Jacqui McShee,vo)が加入して、ここにペンタングルが誕生しました。1967年でした。

このようにフォーク、ジャズ、ブルースなど多様な音楽を得意とする面々が顔を揃え、始まったペンタングルは、その音楽性も多様さを極めました。

 

そして1968年にデビューアルバム『The Pentangle』がリリースされました。

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Side A

1.Let No Man Steal Your Thyme

2.Bells

3.Hear My Call

4.Pentangling

 

Side B

1.Mirage

2.Way Behind The Sun

3.Bruton Town

4.Waltz

 

プロデュースはあのシェル・タルミー(Shel Talmy)です。

ほとんどの曲はメンバーの共作です。

 

一言でいうと、アコースティック・ジャズ・ギター・フォークアルバムです。なんかよくわかりませんね。

とにかくフォークとジャズと中世音楽の融合です。ジャズのインプロビゼーションをフォークの世界に取り入れたという感じです。

ジャッキー・カーシーのヴォ―カルはどこまでも透き通っていて、アコースティック・ギターのデュエットは緊張感をもたらします。

ペンタングルの名は一気に高まりました。

 

この後も1972年までに通算6枚のアルバムを発表しました。しかし1973年にバート・ヤンシュが脱退を表明、バンドもあえなく解散となりました。

 

1981年にバンドは再結成しますが、ジョン・レンボーンが早々に脱退、代わりにマイク・ピゴット(Mike Piggott,g,violin)が加入、1985年に久しぶりにアルバムを発表します。その後もメンバーチェンジをしながらアルバムを発表し続けました。

しかし、1994年にはバート・ヤンシュが脱退、ペンタングルは正式に解散となります。

残ったジャッキー・マクシーが『ジャッキー・マクシーズ・ペンタングル』として活動を再開し、現在に至っています。

 

その間、2011年にバート・ヤンシュが、2015年にはジョン・レンボーンがそれぞれ亡くなり、実質上のペンタングルは消滅しました。

 

1960年代後半から70年代にかけてのブリティッシュ・フォーク界のバンドとは一味も二味も変わっていたバンドでした。アコギファンにはたまらない1枚でしょう。

 

 


Pentangle - Let No Man Steal Your Thyme (1968)


Pentangle - Belles - (Live Norwegian TV '68)


Pentangle - waltz


Once I had a sweetheart - The Pentangle - 1969

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ストローブス(The Strawbs)/骨董品(Just a Collection of Antiques and Curios)』

ストローブス(The Strawbs)は1964年にデイヴ・カズンズ(Dave Cousins,g,vo)トニー・フーパー(Tonny Hooper,g,vo)アーサー・フィリップス(Arthur Phillips,mandlin)の3人が結成したストロベリー・ヒル・ボーイズ(Strawberry Hill Boys)がその原点になります。このバンドはフォークやブルーグラスを演奏していました。

まもなくアーサー・フィリップスが抜け、ロン・チェスターマン(Ron Chesterman,b)が加わり、バンド名もストローブスに変更しました。1967年でした。この年に、後にフェアポート・コンベンションのヴォーカリストになるサンディー・デニー(Sandy Denny,vo)が加入します。

そして彼らのファーストアルバムになるはずの『All Our Own Work』がレコーディングされます。しかしこれはレーベルとの契約が折り合わず発売はされませんでした(1973年になってようやく発売)。

サンディー・デニーはバンドを去ります。ストローブスは1968年にA&Mと契約し、翌年の1969年にファーストアルバム『Strawbs』をリリースします。

ここにはニッキー・ホプキンスやジョン・ポール・ジョーンズなども参加していました。

 

翌1970年にはセカンドアルバム『Doragonfly』をリリースします。

ゲストとしてリック・ウェイクマン(Rick Wakeman,p)が参加しています。

 

そして同年、そのリック・ウェイクマンを正式メンバーとして迎えて行われたクイーン・エリザベス・ホールでのライブがレコード化され発売されました。それが『骨董品(Just a Collection of Antiques and Curios)』です。

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Side A

1.Martin Luther King's Dream

2.Antique Suite

  1.The Reaper

  2.We Must Cross The River

  3.Antiques & Curios

  4.Hey, It's Been A Long Time

 

Side B

1.Temperament Of Mind

2.Fingertips

3.Song Of A Sad Little Girl

4.Where Is This Dream Of Your Youth?

 

メンバーにも変更がありロン・チェスターマンが抜け、リチャード・ハドソン(Richard Hudson,ds)ジョン・フォード(John Ford,b)が加入します。

プロデュースは前作同様トニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)です。

 

このアルバム、最初に針を落として1曲目が終わった時に観客の拍手が入るまでライブ・レコーディングだったことを忘れるくらい、静謐な感じがします。全体的にアコースティカルな雰囲気です。

さらにライブ盤なのに曲は新曲ばかりです。という一風変わったレコードです。

A-1はキング牧師のことを歌ったメッセージ性の高い曲。

A-2は4曲の組曲になっています。

A-3はリック・ウェイクマンの曲。リックのピアノソロです。

B-1はインド音楽かと思わせる曲。シタールダルシマーが使われています。

B-2はアコースティック・ギターとピアノが奏でる美しい曲。

B-3はリックのオルガンをフューチャーしたポップな曲。

 

このアルバムが評判を呼びストローブスは一躍人気バンドに躍り出ます。

 

翌年には4枚目のアルバム『魔女の森から(From the Witchwood)』を発表します。

そしてリック・ウェイクマン『イエス(Yes)』参加のためこの後脱退します。

 

代わりにデイヴ・ランバート(Dave Lambert,g,vo)が加入し、エレクトリック路線が始まります。フォークロックからプログレッシブロックへと変わっていきます。

さらにアメリカを意識し、よりポップ化し大ヒットアルバムを連発します。

『Grave New World』『Bursting at the Seams』『Hero and Heroine』『Ghosts』です。

     

特に1975年の『Ghosts』は初の全米50位入りを果たしました。しかし皮肉なことにアメリカナイズされた音楽は本国イギリスでは不評でした。

 

彼らはレコード会社をA&Mからオイスターさらにアリスタへと変更しました。このあたりからは当時流行り出したAOR路線へと向かい始めました。

そしてデイヴ・ランバートがデイヴ・カズンズと衝突、脱退してしまいます。しだいにバンドは方向性を見失いはじめ、1980年には1人でバンドを支えてきたデイヴ・カズンズが脱退してしまい、実質上の消滅となりました。

 

その後、デイヴ・カズンズは盟友トニー・フーパーと再会、リチャード・ハドソン、ジョン・フォードも戻り、新たにメンバーを加え再結成しました。

その後もコンスタントにアルバムを発表し、ライブ活動も行っているようです。

 

ストローブスはブリティッシュ・フォークから始まり、トラッド、フォークロック、プログレッシブ、ポップロックAORと時代の変化にあわせてバンドを運営してきました。その功罪は別として、中心人物であるデイヴ・カズンズの力量は大したものです。

現在73歳。ソロアルバムも数多く出しています。

 


Strawbs - Martin Luther King's Dream (1970)


The Strawbs featuring Rick Wakeman TEMPERAMENT OF MIND 1970 Just A Collection Of Antiques


The Strawbs - Song of a Sad Little Girl

サンディー在籍時の音源を一つ


Sandy Denny & The Strawbs-Who Knows Where The Time Goes-1967

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『マシューズ・サザン・コンフォート(Matthews Southern Comfort)/Later That Same Year』

イギリスのシンガー、イアン・マシューズ(Ian Matthews)は1946年のイギリス生まれで、1967年にポップ・デュオ、ザ・ピラミッド(The Pyramid)を結成しますが、シングル1枚で鳴かず飛ばずに解散します。1968年にはフェアポート・コンベンションに男性ヴォーカリストとして参加します。ここで、ジュディ・ダイブルやサンディー・デニーとのヴォーカルを分け合いました。

ただフェアポート・コンベンションがイギリスのトラディショナルな音楽に傾倒する方向性と合わずに1969年に話し合いの末脱退します。フェアポート・コンベンションの3枚目のアルバム『Unhalfbricking』の作成途中でした。

 

そしてその年には初のソロアルバム『Matthews Southern Comfort』をリリースします。ここにはフェアポート・コンベンションのアシュレイ・ハッチングスやサイモン・ニコル、リチャード・トンプソンなども参加しました。この時にバックを務めた連中と意気投合し、このアルバム名をバンド名にして、グループを結成しました。

メンバーはマーク・グリフィス(Mark Griffiths,g)ゴードン・ハントレー(Gordon Huntley,steel g)カール・バーンウェル(Carl Barnwell,g)アンディ・レイ(Andy Leigh,b)レイ・ダフィ(Ray Duffy,ds)です。

そして同年、正式なバンド名としては初めてになる『Second Spring』がリリースされます。

このアルバム発表のあと、彼等がBBCラジオへの出演時に演奏したジョニ・ミッチェルが書いて、CSN&Yでヒットしたウッドストック(Woodstock)」が評判を呼び、急遽シングル発売したところまたたく間に全英1位となってしまいました。

 

1970年にはサードアルバム『Later That Same Year』が発表されます。

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Side A

1.Woodstock

2.To Love

3.And Me

4.Tell Me Why

5.My Lady

6.And When She Smiles (She Makes The Sun Shine)

 

Side B

1.Mare, Take Me Home

2.Sylvie

3.The Brand New Tennessee Waltz

4.For Melanie

5.Road To Ronderlin

 

プロデュースはイアン・マシューズです。

 

A-1はご存じジョニ・ミッチェル。ちょっと複雑なのが、この曲日本ではセカンドアルバムに収録されています。そしてこのサードアルバムにも当初は収録されていませんでしたが1971年の再発盤に収録されました。

A-2はキャロル・キング。A-4はニール・ヤング。A-6とB-1がアル・アンダーソン。B-3がジェシ・ウィンチェスター。メンバーのカール・バーンウェルがB-2、4、イアン・マシューズはA-3、5、B5です。

 

とにかくソフトで悲しげなイアン・マシューズのヴォーカルとメンバーのハーモニーは美しいです。ジョニ・ミッチェルなど取り上げているアーティストを見ればわかるようにアメリカに対する思いが強かったのでしょう。フェアポート・コンベンションの向かった方向とは相いれない音楽性が現れています。

 

イアン・マシューズは本名イアン・マシューズ・マクドナルドといいます。フェアポート・コンベンションのアルバムクレジットなどを見るとイアン・マクドナルドとなっています。ところがキング・クリムゾンに同じイアン・マクドナルドがいたため、所属事務所から改名を命じられたそうです。

 

マシューズ・サザン・コンフォートは3枚のアルバムをリリースした後、イアン・マシューズがソロ転向を発表、バンドを去ることになりました。

残ったメンバーはMattewsの名前を切り捨てサザン・コンフォート(Suthern Confort)として再出発をしますが、その後2枚のアルバムをだして解散します。

 

イアン・マシューズはソロになって1971年に2枚の素晴らしいアルバムを発表しました。『If You Saw Thro' My Eyes』『Tigers Will Survive』です。特に後者はイアン・マシューズのソロの中で私の一番のお気に入りです。

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その後もプレインソング(Plainsong)を結成したり(1枚のみですが傑作です)、ソロアルバムを制作したりと未だに大活躍です。現在71歳、元気です。

   

 


Matthews Southern Comfort - Woodstock (1970)


Matthews Southern Comfort - Tell Me Why.wmv


Matthews Southern Comfort "Later That Same Year" (1971/2008).Track 07: "Mare, Take Me Home"

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ストーングラウンド(Stoneground)/Family Albam』

アメリカ西海岸のバンド『ストーングラウンド(Stoneground)』は当初は3人でスタートしました。ティム・バーンズ(Tim Barnes,g,vo)マイケル・マウ(Mochael Mau,ds)ルーサー・ビルド(Luther Bildt,vo,g)の3人です。間もなくそこにジョー・ブレイクリー(Joe Blakeley,b,vo)ボー・ブラメルズ(Beau Brummels)にいたサル・ヴァレンティノ(Sal Valentino,g,vo)が加わり、さらにサル・ヴァレンティノが4人のヴォーカリストを連れてきました。アニー・サンプソン(Annie Sampson,vo)リン・ヒューズ(Lynne Hughes,vo)ディレッド・ラポート(Deirdre LaPorte,vo)リディア・フィリップス(Lydia Prillips,vo)です。さらにイギリスにいたピート・シアーズ(Pete Sears,b,key(後にジェファーソン・スターシップに参加))まで加わって、総勢10人の大所帯になりました。

彼らはマーティン・スコセッシの映画『Medicine Ball Caravan』にも登場しているように、この大々的なツアーのメンバーでした。この企画はウッドストックの二番煎じを狙ったものでした。

 

そして1971年にファーストアルバム『Stonground』を発表します。

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プロデュースはトム・ドナヒュー(Tom Donahue)とサル・バレンティノでした。

ブルースあり、カントリーあり、サイケデリックありでヴォーカルも多種多様でいかにも70年代の西海岸を代表する様な共同体的雰囲気でした。

 

そして同年ライブとスタジオを組み合わせた2枚組アルバム『Family Albam』をリリースします。

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Side A

1.Get Rhythm

2.Passion Flower

3.Corina

4.Big River

 

Side B

1.Won't Be Long

2.Super Clown

3.Richland Woman

4.Queen Sweet Dreams

5.Precious Lord

 

Side C

1.It Takes A Lot To Laugh (It Takes A Train To Cry)

2.I Can't Help It

3.No Doreen

4.It's Not Easy

5.If You Got To Go

6.Total Destruction To Your Mind

 

Side D

1.You Must Be One Of Us

2.All My Life

3.Where Will I Find Love

4.Gonna Have A Good Time

5.Jam It

 

メンバーが変わっています。

ピート・シアーズとマイケル・マウ、ルーサー・ビルドが抜け、代わりにコーリー・リリオス(Cory Lerios,key,vo)ステファン・プライス(Stephen Price,ds)ブライアン・ゴデュラ(Brian Godula,b)が加わります。

 

1面から3面までがサンフランシスコでのライブ音源です。4面がスタジオ録音。

ジョニー・キャッシュボブ・ディランの曲などカバー曲がファーストに比べ多くなっています。

 

私がストーングラウンドを初めて聴いたのはフィルモア最后のコンサート』という映画の中でした。確かA-2のPassion Flowerを演奏したと思います。

とにかくこの映画に出てくる西海岸のバンドの数々には圧倒されっぱなしでした。彼らの他にも初めて知ったバンドがいくつかあって、例えば昨日紹介した、後にAORで売れたサンズ・オブ・チャンプリン』コールド・ブラッド』など新鮮でした。

映画が終わった後、早速レコードを探しに行きましたが。日本盤など出ているはずもなく、輸入盤屋さんでようやく見つけて購入しました。

 

ストーングラウンドはこの後、メンバーチェンジを繰り返し、結局1973年にはサル・バレンティノもボー・ブラメルズに戻り、コーリー・リリオスとステファン・プライスは途中から加入したデヴィッド・ジェンキンス(David Jenkins)を誘いパブロ・クルーズを結成しました。このバンドはポップロックAOR路線で大きな成功を収めました。

 

残ったメンバーのティム・バーンズがメンバーをかき集めなんとか1980年までに3枚のアルバムを残しましたが、鳴かず飛ばずでした。

 

1970年代初期の輝いていたアメリカ西海岸を象徴するバンドでした。

 


Stoneground - An Added Attraction (Come and see Me) 1971


Stoneground - You Must Be One Of Us

 

それでは今日はこの辺で。