Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『健さん』を観る

今日のキネ旬シアターは『健さん』でした。ご存じ2014年に亡くなった俳優・高倉健さんのことです。

監督:日比遊一

出演:多数

2016年公開

 

高倉健さんの生前の私生活や撮影時のエピソードなどを関係者の証言をもとに描いたドキュメンタリー映画です。

関係者には『ブラック・レイン』共演のマイケル・ダグラス、『ザ・ヤクザ』の脚本家・ポール・シュレイダー、映画監督のマーティン・スコセッシヤン・デ・ボンジョン・ウー山田洋次降旗康男、俳優の梅宮辰夫、八名信夫中野良子、評論家の川本三郎、写真家の立木義浩、元付人の西村泰冶、実妹、中国の俳優、チュー・リン、韓国の俳優、ユ・オソンなどがいます。

これらの人がそれぞれの思い出や健さんの人柄について語ります。証言者がみな共通して言うのは健さんの「謙虚さ」です。「あれだけの大スターなのに偉ぶったところが一つもない」、皆口々に言います。事実そうだったのでしょう。そうじゃなければこのような映画は作られなかったでしょう。

江利チエミとの離婚、死別、自宅の焼失は相当なショックだったようで、寺の住職に自分にはなぜこのように不幸ばかり訪れるのかと訊ねた時に、その住職は芝居の中でも殺生をしたらその報いが来るんだと言われ、それ以来必ず滝行をすようになったという話も元の付人の西村さんが話していました。

印象深かったのは、母親が危篤の時にも撮影のため、監督・スタッフ・俳優仲間が帰省しろと勧めたにもかかわらず、帰りませんでした。病床の母親は実妹に「息子は日本一になったんだよね」と言ったそうです。葬儀も済んで、ようやく帰った健さんにその話をすると、健さんは嬉しそうに微笑んだそうです。そして母親と二人きりにしてくれと、そして絶対に入ってくるなと言ってしばらくの間、母親の遺骨のある部屋から出て来ませんでした。あとから妹が健さんに何をしていたのかと聞くと、いろいろな話をして、遺骨を少しかじったと言ったそうです。こういう話を聞いても、ああ健さんならそうするかもな、という気持ちになってしまいます。

私も健さんの映画は多分50本以上は観ていると思いますが、一番印象に残っているのはと聞かれても、これ1本という訳にはいきません。東映時代の任侠映画とくに『日本侠客伝シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』『網走番外地シリーズ』、独立してからの『八甲田山』『幸せの黄色いハンカチ』『動乱』『駅』『居酒屋兆次』『あ・うん』などどれも思い出深い作品ばかりです。

新宿、池袋のオールナイト・映画館で健さんやくざ映画をよく観ました。健さんが登場すると一斉に「健さん!、健さん!」「待ってました!」の掛け声で管内の熱気が凄かったです。不思議なもので左翼とは真反対の義理と人情の任侠ものですが映画館には学生運動家が大勢いました。何とも不思議な光景でしたが、それも面白い時代でした。

 

それでは今日はこの辺で。