Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画 『花様年華』 を観る

今日のキネ旬シアターでの鑑賞は『花様年華』です。

監督:ウォン・カーウァイ

主演:トニー・レオン マギー・チャン

香港・フランス制作 2001年 日本公開

 

映画の舞台は1962年の香港です。新聞社に勤めるチャウ(トニー・レオン)はアパートに妻と共に引っ越してきます。ちょうど同じ日に隣の部屋に女性・チャンが引っ越してきます。女性には夫がいますが出張中でその場にはいませんでした。チャウの妻も仕事であまり家にいません。二人はそれぞれの部屋で一人でいることが多く、やがて会話を交わすようになり、次第に親しくなっていきます。そしてお互いの妻と夫が不倫の関係にあることを疑い出します。そして二人は惹かれあうようになりますが、お互いに配偶者があるため一線(今流行りの)を越えてはならないと、苦悩します。そしてチャウはそこから逃れるために、シンガポールへと引っ越す決断をします。そして雨の中、切ない別れをします。この場面はそのまま別れたのかどうかが微妙なところで、あとあとの疑問に対するカギとなります。

それでもチャウは諦めきれずにチャンに対し、よかったらついてきてほしいと言い残しますが、彼女は行きませんでした。

そして1年後彼女はチャウを訪ねて、シンガポールへ行き彼のアパートで待ちますが、合わずに帰ります。

そしてそれから3年の月日が流れ、チャンが前のアパートを訪ねます。大家さんにまだ部屋は空いてると聞き、再び住むことにします。同じころチャウも香港に戻り、知人を訪ねるためにアパートを訪れますが、知人はすでに引っ越して居らず、大家に会い、隣は今誰が住んでいるかと訊ねると、今は母親とその息子だと答えます。そしてチャウはアパーとを去ります。そのあとチャンが子供の手を引いて部屋から出てきます。

場面は変わり、カンボジアアンコールワットの遺跡にチャウがいます。チャウは遺跡の柱の穴に向かい口をつけ何かを呟きます。そして穴の後には草が埋め込まれていました。それを少年の僧侶が高みからじっと見つめます。そして遺跡の廊下の定点カメラの長まわしショットで映画は終わります。

この映画、最初から二人がすれ違う場面が非常に多く、それが二人の未来を予感させているのですが、他にも謎めいた場面が多く、チャンがシンガポールへ行ったのは何のためか、チャウがシンガポールのアパートで探し物をしていたのは何か(これは後から解決)、チャンの連れていた子供は誰の子か、など。言葉が少ない映画で、画面から想像するしかありません。雨でずぶ濡れになるシーンや階段でのすれ違いのシーンなどが何度か出てきてます。最後のアンコールワットも何故、という疑問が私には今のところまだ残っています。その前の友人との酒場での会話に「秘密を守るにはどうしたらいい」というのがあって、「木の穴に埋めてしまえばいいんだ」と答えており、それを実践したのでしょうが、それが何故アンコールワットなのか、そもそも秘密とは何か。二人は「一線を超えない」と言っていたのだから、大した秘密でもないと思えるのですが、この子供が実は二人の子供だったのではないかと思っているのですが、どうでしょうか。

そして赤い色が様々な場面で印象的に使われます。定点カメラの使用や、短いショットの多用、フェイドアウトの多用、時間の逆戻し、ショットの長まわし、スローモーション、ストップモーションなど映像へのこだわりがたくさん見られます。映像から想像する面白さやその美しさを観ているだけでも飽きません。

そして音楽がまた素晴らしい。メインテーマは鈴木清順の『夢二』に使われた梅林茂の哀愁漂う曲で、二人の恋の切なさが見事に表現されています。さらにナット・キング・コールの曲が何曲か流れて、映画を引き立たせていました。はじめは、あれれと思いましたがよく合っています。

それとチャンが着ていたチャイナドレスの美しさは絶品です。十着以上、場面ごとに全部違うチャイナドレスです。スタイルの良さと相まって、ほれぼれと見惚れてしまいます。

ちなみに『花様年華』とは1940年代に中国で流行った歌、『花様的年華』からきていて、その意味は「満開の女性の美しさを表している、人生で最も輝かしい瞬間」だそうです。

正直言ってあまり期待はしていませんでしたが、予想以上に面白かったです。

「過去は観るだけで触ることはできない」この字幕が印象的でした。

 

話は変わりますが、主役の女優が誰かに似ているなと思っていたら、若い頃の多岐川裕美でした(そう思うのは私だけか)。

 

さて、今日で7月も終わりです。キネマ旬シアターの 年間パスポートの期間も残り少なくなっていきました。残念ですが致し方ありません。

それでは今日はこの辺で。