今年はいったいいくつの訃報記事を書けば済むのでしょう。
今日また俳優の津川雅彦氏の死が報じられました。享年78歳でした。
4月に奥様の朝丘雪路さんを亡くされ、力が抜けたのか僅か3カ月余りで逝ってしまいました。
津川雅彦といえばまず思い出されるのが石原裕次郎との『狂った果実』です。もちろん後追い観でですが、まだまだ坊やの津川雅彦の姿は初々しかったです。
それと大島渚監督作品の『太陽の墓場』と『日本の夜と霧』です。大島作品を夢中で観ていた頃です。この当時はまだ松竹専属俳優でしたので、松竹の監督だった大島作品に出演できたのでしょうが、実にはまり役で将来を感じさせる演技でした。これも後追い観ですが。
その後も数え切れないくらいの映画やテレビに出演しまし。松竹を辞めフリーになってからは東映の高倉健の『日本任侠伝シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』にも出演しました。
テレビドラマではNHKの大河ドラマにもよく出演していました。北大路欣也の『竜馬がゆく』では久坂玄瑞役を演じました。それと渡哲也から松方弘樹に代わった『勝海舟』にも徳川慶喜役で出演しました。最近でも徳川家康役を演じました。その他『必殺シリーズ』の悪役やその他挙げていったらきりが無いくらいの出演数を数えました。
そして何といっても伊丹十三監督との出会いでしょう。1984年の『お葬式』から始まって1997年の『マルタイの女』まで伊丹作品の常連として出演し続けました。
最近ではテレビドラマ『相棒』にも時々出演していました。
年齢を重ねるごとに味わいのある役を演じるようになりました。
私生活では1973年に女優の朝丘雪路と結婚し、1974年には生後5か月の娘・真由子が誘拐されるという事件が起きました。大きく報道されたのを憶えています。無事に戻ってきましたが、それ以来子供を溺愛していたようです。
事業では木製おもちゃの販売『グランパパ』の創業者でした。一時期経営危機で危ぶまれていましたが、借金を肩代わりしてもらい自己破産は免れたようです。現在は名誉顧問になっていたようです。
兄の長門裕之も個性派俳優でした。同じ日活の『太陽の季節』で主演し、その時が映画初出演だった石原裕次郎と共演しました。またその時の共演者、南田洋子と結婚し、彼女の死を看取って2011年に77歳で亡くなりました。この兄の演技力の高さに比べ、世間では津川の演技が下手だともっぱらの評判でした。それを克服したのが『必殺シリーズ』での悪役や伊丹十三監督の指導にあったようです。それ以来長門裕之も弟の演技を認めるようになったようです。
この兄弟は「マキノ」一家の一員で祖父は「日本映画の父」とよばれた牧野省三、父は歌舞伎役者から俳優になった沢村国太郎、叔父に東映の映画監督のマキノ雅弘、俳優の加藤大介、女優の沢村貞子、轟夕起子、娘は真由子など正に芸能一家です。
最後にテレビで見かけたのは、朝丘雪路さんが亡くなったことについての会見の席でした。「自分が後でよかった」と言っていました。兄弟ともに妻を見送っての最期でした。晩年は肺を患って、先日亡くなった歌丸師匠同様、痛々しい姿でしたが、まだまだいけると思っていた矢先でしたので驚きました。
また一人昭和を彩ったスターが逝ってしまいました。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
ことしはもう訃報記事を書かなくて済むように祈ります。
それでは今日はこの辺で。