Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

アメリカン・プログレッシヴ・メタルの大御所たち

今までにもアメリカン・プログレッシヴ・メタルのバンドを幾つか書いてきましたが、肝心なビッグ・ネームたちを書いていませんでした。

ということで、ここで私が比較的気に入っているアメリカのプログレ・メタルのバンド、中でも大御所をまとめて紹介したいと思います。バンドの中で特にお気に入りのアルバムを1~2枚取り上げます。

アメリカにはどうしてもプログレッシヴ・ロックというものは根付きませんでした。ところが、1980年代の末期の頃から、その様相が変わって来ました。元々はアメリカン・プログレ・ハードというプログレッシヴ・ロックとハードロックを組み合わせた、後に産業ロックといわれる分野が一時期流行りました。ジャーニーやフォーリナーTOTO、ボストンなどに代表されるバンド群です。

しかし、1970年代の後半から登場してきたパンク、ニューウェイヴに押されてすっかり衰退してしまいました。

ところが今度は70年代のプログレッシヴ・ロックヘヴィ・メタル双方の影響を受けたバンド達がアメリカに登場してきました。そして彼らがプログレッシヴ・メタルという分野を確立させていきました。

 

前置きが長くなってしまいました。それではいってみましょう。

 

ドリーム・シアター(Dream Theater)

まずはこのバンドから。1985年の結成。当時のバンド名はMajesty。1989年、アルバム『When Dream and Day Unite』でデビュー。1992年のセカンド『Images & Words』が大ヒット。日本や北欧でも大人気になります。ドラマティックなプログレ・メタルです。これまでに15枚ほどのスタジオアルバムをリリースしています。まさに大御所です。お気に入りは『Images & Words』と2003年の『Train of Thought』です。

   


Dream Theater - Another Day [OFFICIAL VIDEO]

 

フェイツ・ウォーニング(Fates Warning)

アメリカン・プログレ・メタルの先駆者です。1983年結成。セカンドまでは普通のヘヴィメタでしたが、サードアルバム『Awaken the Guardian』で変身。このアルバムがプログレッシヴ・メタルの始まりと言われています。お気に入りは1989年の5作目『Perfect Symmetry』と1991年の6作目Parallelsです。

 


Fates Warning "Through Different Eyes" (OFFICIAL VIDEO)

 

クイーンズライク(Queensrÿche)

ドリーム・シアターと並んでプログレ・メタルを発展させた立役者です。結成は1981年、バンド名はThe Mobでした。1983年にEP『Queensrÿche』をリリース、EMIと契約。1984年にファーストアルバム『The Warning』でメジャーデビューします。この頃はまで正統派のヘヴィメタです。1988年のサードアルバム『Operation: Mindcrime』がコンセプトアルバムとして高い評価を受けます。商業的にも大成功を収め、続くアルバムも大ヒットとなりました。お気に入りは『Operation: Mindcrime』Empireです。『Empire』はビルボードでも7位を記録しました。

 


Queensryche - Silent Lucidity (Official Music Video)

 

 

シンフォニー・エックス(Symphony X)

以前、書いた『ファントムズ・オペラ』とも因縁深い、マイケル・ロメロ中心の5人組のバンドです。シンフォニー・エックスとしてのスタートは1994年です。この年にファーストアルバム『Symphony X』をリリース。バンド名もSymphony Xと名乗ります。どちらかというとアメリカでよりも日本でのほうが人気が高いかもしれません。アルバムも日本先行発売があります。お気に入りは1995年のセカンド『The Damnation Game』と1996年のサード『The Divine Wings of Tragedy』あたりでしょうか。マイケルのギターが凄い!

 


Symphony X - Candlelight fantasia

 

 

サヴァタージ(Savatage)

結成は古く1978年です。その頃のバンド名はアヴァター(Avatar)でした。1983年に改名。デビューアルバム『Sirens』を発表します。1989年のフルレングス5作目『Gutter Ballet』プログレッシブ・メタルに開花しました。続くアルバム『Streets: A Rock Operaではロックオペラに挑戦しました。2002年には活動を停止しますが、2014年に再開しました。お気に入りは先の2枚です。

 


Savatage - Gutter Ballet (Official Video)

 

 

以上、4グループでした。もっとあったような気もしますが、思い出せないということはそれほど気に入ってはいなかったのでしょう。『メロハー』とダブってしまったバンドもあります。ご容赦願います。

 

これまでに書いてきたアメリカン・プログレッシヴ・メタルバンドは

「ダリズ・ジレンマ」

「ウィズアウト・ウォーニング」

「ファントムズ・オペラ」

「コート・イン・ジ・アクト」

「アックス」

「シャドウ・ギャラリー」

「マジェラン」

などです。プログレの範疇にはどうかな、というのも入っています。

 

 

それでは今日はこの辺で。

『ショッキング・ブルー(Shocking Blue)』を憶えていますか?

先日、1970年に大ヒットしたオリジナル・キャスト(The Original Caste)

ことについて書きましたが、同じ1970年に大ヒットを飛ばしたグループがあったことを思い出しました。

オランダ出身のグループ、ショッキング・ブルー(Shocking Blue)です。後に多くの人がカバーした曲『ヴィーナス』が世界中で大ヒットし、日本でも大人気になったグループです。

 

彼らは1967年、ハーグで結成されました。

当初のメンバーは

ロビー・ファン・レーベン(Robbie van Leeuwen,g,vo)

フレッド・デ・ワイルド(Fred de Wilde,vo)

クラーシェ・ヴァン・ダー・ヴァル(Klaasje van der Wal,b)

コーネリス・ファン・ダー・ビーク(Cor van der Beek,ds)

でした。

 

1967年と68年に2枚のシングルとファーストアルバムをリリースした後、フレッドがバンドを辞め、代わりにリスカ・ヴェレス(Mariska Veres,vo)が加入します。この女性ヴォーカリストの加入がグループを大きく前進させることになりました。

この女性は父親がジプシー・オーケストラのバイオリン奏者で幼いころから歌やピアノに才能を発揮しており、アムステルダムのクラブで歌っているところをロビーにスカウトされました。なんといってもエキゾチック(当たり前ですが)な顔とハスキーな歌声が魅力的です。

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1969年にオランダでリリースされたシングル「ヴィーナス(Venus)」はまたたく間にヨーロッパ中で大ヒットし、アメリカでも大ヒットし全米1位を記録しました。日本での発売は1970年に入ってからでした。

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とにかく毎日何回となくラジオから流れてきました。当時、洋楽の情報を聞くとなればラジオしかありませんでした。

 

そして、このヒットの後すぐに新しい曲が発売されました。それが「悲しき鉄道員(Never Marry a Railroad Man)」です。これは日本で大ヒットしましたが、アメリカではイマイチだったようです。もちろんオランダでも大ヒットです。この辺がアメリカと日本・ヨーロッパの音楽の好みの違いなのでしょう。オリジナル・キャストの「ミスター・マンディ」もそうでしたが、この「悲しき鉄道員」もマイナー調で哀愁があります。これは日本人好みです。私も大好きです。日本盤は速度が違います。

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その他にも「マイティ・ジョー(Mighty Joe)」「ショッキン・ユー(Shocking You)」「悲しき恋心(Blossom Lady)」などヒットを飛ばしました。

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しかし、1972年頃になると次第に失速し、まずクラーシェがグループを去り、1974年にはリーダー格のロビーも去り、すぐにヴォーカルのマリスカも辞めてグループは解散しました。マリスカはソロに転向します。

 

その後再結成したような話を聞いたこともありますが、詳しいことはわかりません。マリスカ・ヴェレスは2006年に59歳で亡くなっています。

 

今手元に彼等のベスト盤があって、聴き直していますが、サイケありブリティッシュ・ビートあり、フォークロック、ポップスありとバラエティに富んでいます。ベスト盤なので当然ですが彼らの音楽性も短い間に色々と変遷したんだな、ということがよくわかります。

 

1970年から71年にかけて日本中を沸かせたポップス・グループでした。当時が走馬灯のように蘇ります。この年は私にとっても忘れられない年です。

 


Venus / ヴィーナス [日本語訳付き]  ショッキング・ブルー


悲しき鉄道員 [日本語訳付き]  ショッキング・ブルー


Never Marry a Railroad Man [HQAudio MusicVideo] - Shocking Blue


Shocking You (ショッキング・ユー) / THE SHOCKING BLUE


ショッキング・ブルー 悲しき恋心 Shocking Blue Blossom Lady

 

それでは今日はこの辺で。

ムード・アクションの最高傑作『赤いハンカチ』

またまたまた古~い映画で恐縮です。しかしながらこれを書かない訳にはいきません、ってちょっと大袈裟ですね。

日活のムード・アクションの中でも、いや裕次郎の映画の中でも最高傑作ではないかと勝手に思っている映画、それが『赤いハンカチ』です。裕次郎のカッコよさが頂点に達しました。

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監督:舛田 利雄

主演:石原裕次郎浅丘ルリ子二谷英明

制作:1964年 日活

 

上映当時は観ていません。初めて観たのは、これもおそらく先日紹介した『夕陽の丘』と同じく池袋の文芸座のオールナイトだったと思います。大学生時代です。ですから初上映からはずいぶん経っていました。『二人の世界』『夜霧よ今夜も有難う』はリアルタイムで観ていましたので裕次郎に目覚めるのがちょっと遅かったのです。

 

ストーリーは裕次郎演ずる三上刑事と二谷英明演じる石塚刑事は横浜で麻薬ルートを追っていました。その際に逮捕した平塚という男を取り調べますがなかなか自白しません。三上は平岡を留置していることを娘の玲子(浅丘ルリ子)に知らせにいきます。そこでお互いに一目惚れします。

「映画 赤いハンカチ」の画像検索結果

 

平岡を護送中に逃げようとした平岡を三上が誤って射殺してしまいます。過失とはいえ世間の風当たりは強く二人の刑事は退職しました。

それから4年、三上は北国の工事現場で飯場暮らしです。そこに横浜からかつての同僚土屋が訪ねてきます。そして4年前の事件には裏があると囁きます。石塚は退職後、スーパーマーケットを開きその経営者として羽振りをきかせていたのです。さらに玲子と結婚していたのです。土屋はその開業資金の出所を疑っていたのです。

「映画 赤いハンカチ」の画像検索結果

 

三上は疑問を解くために横浜に戻ります。そこで石塚と玲子の姿を見てショックを受けた三上は泥酔し喧嘩して病院に運ばれました。玲子が病院に見舞いに来ます。玲子は今でも三上を忘れられませんでした。玲子は父の死に石塚が関与しているのではないかと疑っていました。石塚は玲子の三上に対する気持ちに気付き、三上を追い払うようヤクザに依頼しました。ヤクザに襲われた三上は逆にヤクザに大けがをさせ、指名手配になってしまいます。

 

石塚邸に潜入した三上は石塚が電話で三上を殺すよう命じているのを聞いてしまいます。4年前に平岡が殺されたのは石塚の陰謀だったのです。石塚は麻薬組織と繋がっていたのです。そしてそれがバレるのを恐れて平岡を殺したのです。三上は石塚を殴ります。使用人たちが騒ぎ出したので、三上は逃げ出しホテルに戻ります。ホテルには玲子が待っていました。二人は抱き合います。しかし、ホテルには警察が詰めていました。三上はおとなしく手錠を受けます。一緒に玲子がいたことに石塚はショックを受けます。

 

県警に呼び出された石塚は三上と対面し、三上は石塚の拳銃を奪い、平岡殺しの推理を石塚に聞かせます。そしてそれを認めた石塚に対し、「俺がこの手で裁く」と言って三上は銃口を向けます。その時、それを見ていた土屋は「待て、証拠はある」と言います。土屋は二人の会話を録音していたのです。しかしその瞬間銃声が聞こえます。石塚が撃たれました。撃ったのは玲子だったのです。撃たれた石塚は撃ったのが玲子だと気付くと、近づいていき「ここを撃つんだ」と心臓を指し、玲子から銃を奪い、自ら腹に2発撃ちこみ倒れます。そして土屋に「撃ったのは玲子じゃない、最初から自殺だ」と呟きます。土屋は頷きます。そして「玲子!」と叫んで息絶えます。土屋は録音テープを燃やします。

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石塚の墓参りを玲子と一緒にした三上は静かに去って行きます。

ラストシーンはまさに『第三の男』さながらです。男と女が逆ですが。

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太陽の季節』で彗星の如く現れた石原裕次郎。その後も日活で主演映画を次々とヒットさせ、一方で歌の方でもヒット曲を連発しました。そんな裕次郎のヒット曲をタイトルにしたアクション映画がこれまた次々と出来ました。それらが後にいわゆる日活ムード・アクションと呼ばれるようになりました。

 

そんな中でもこの『赤いハンカチ』は歌の良さもさることながら、ストーリーも役者も良かった。何といっても浅丘ルリ子さんです。映画の中で結婚する前の純情なお嬢さんのような姿から、結婚後の有閑マダム然とした女性への変身ぶりが見事でした。二谷英明の非情な、そして劣等感にまみれた役が嵌っていました。高卒刑事が大卒刑事に抱く劣等感が犯罪のもとになっていたのです。

 

飯場でポロンポロンとギターを弾きながら「赤いハンカチ」を歌うシーンがいいです。ちなみに映画には赤いハンカチなるハンカチは一度も登場しません。

 

歌も映画も裕次郎の最高傑作の一つだと思っています。懐かしすぎますが。

 

追記

この映画でも裕次郎とルリ子はまたしても結ばれません。いつも悲しい。

 

 

『赤いハンカチ』

作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六

 

1 アカシアの 花の下で

  あの娘(こ)がそっと 瞼を拭いた

  赤いハンカチよ

  怨みに濡れた 目がしらに

  それでも涙は こぼれて落ちた

 

2 北国の 春も逝(ゆ)く日

  俺たちだけが しょんぼり見てた

  遠い浮雲

  死ぬ気になれば ふたりとも

  霞の彼方に 行かれたものを

 

3 アカシアの 花も散って

  あの娘はどこか おもかげ匂う

  赤いハンカチよ

  背広の胸に この俺の

  こころに遺(のこ)るよ 切ない影が

 


赤いハンカチ

もちろん歌も素晴らしい!


赤いハンカチ ☆ 石原裕次郎

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ バリー・高石・RC『明日なき世界(Eve of Destruction)』

今日の「聴き比べ」は1965年に世界中でヒットしたバリー・マクガイア(Barry McGuire)が歌った『明日なき世界(Eve of Destruction)』という曲です。

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この曲の作者はP.F.スローン(P. F. Sloan)というシンガー・ソングライターです。彼はこの曲や「孤独の世界」などのヒットでも知られていますが、ソングライターとして多くのヒット曲を書いていることでも有名です。ジャン&ディーン、ザ・サーチャーズ、ザ・タートルズ、ハーマンズ・ハーミッツなど、60年代半ばに活躍したミュージシャンたちに楽曲を提供し、大ヒットしました。

 

ルー・アドラーが1965年にダンヒル・レコードを設立するとP.F.スローンもその傘下に入り、曲作りを始めました。ボブ・ディランに大きな影響を受けていた彼は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のような曲を作りたいと考え、この「Eve of Destruction(破壊前夜)」を作りました。ちょうどベトナム戦争の最中。世の中も反戦ムードに沸き立っていました。当初はザ・バーズに打診しましたが断られ、ザ・タートルズによってレコーディングされましたが、さほどの評判はありませんでした。P.F.スローンはこのちょっと前にバリー・マクガイアがこの曲をレコーディングしていたことを思い出し、シングル盤でリリースしました。これが世界的にヒットしたのです。これにはやはり当時の時代背景があったのです。核戦争が起きたらどうなる?

過激すぎる歌詞で放送禁止になったこともあります。残念ながらP.F.スローンは2015年に70歳で亡くなりました。

バリー・マクガイアは「グリーン、グリーン」などのヒットでも知られています。

 

 

Eve of Destruction

Music by P. F. Sloan

 

The eastern world it is exploding

Violence flarin', bullets loadin'

You're old enough to kill but not for votin'

You don't believe in war but whats that gun you're totin'?

And even the Jordan River has bodies floatin'

 

But you tell me

Over and over and over again my friend

Ah, you don't believe

We're on the eve of destruction

 

Don't you understand what I'm tryin' to say

Can't you feel the fears I'm feelin' today?

If the button is pushed, there's no runnin' away

There'll be no one to save with the world in a grave

Take a look around you boy, it's bound to scare you boy

 

 ※繰り返し

 

Yeah my blood's so mad feels like coagulating

I'm sitting here just contemplatin'

I can't twist the truth it knows no regulation

Handful of senators don't pass legislation

And marches alone can't bring integration

When human respect is disintegratin'

This whole crazy world is just too frustratin'

 

※繰り返し

 

Think of all the hate there is in Red China

Then take a look around to Selma, Alabama

You may leave here for four days in space

But when you return it's the same old place

The pounding of the drums, the pride and disgrace

You can bury your dead but don't leave a trace

Hate your next door neighbor but don't forget to say grace

 

And tell me

Over and over and over and over again my friend

You don't believe

We're on the eve of destruction

Mmm, no, no, you don't believe

We're on the eve of destruction

 


Barry McGuire/明日なき世界Eve of Destruction (1965年)

 

日本でこの曲に目を付けたのが高石友先生でした。1960年代後半から関西フォークと呼ばれる、いわゆるプロテストソングを歌う連中の人気が高まっていました。高石先生の他に岡林信康中川五郎五つの赤い風船高田渡遠藤賢司加川良など多くのフォークシンガーが誕生しました。その先駆者であった高石先生が彼自身のアルバムでこの曲を取り上げました。原曲に劣らずカッコいいです。

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明日なき世界

P.F・スローン 作詞・作曲

訳詞:高石友也

 

東の空が燃えてるぜ

大砲のたまが破裂してるぜ

おまえは殺しの出来る年

でも選挙権もまだ 持たされちゃいねえ

鉄砲かついで得意になって

これじゃ世界中が死人の山さ

 

でもよう何度でも何度でも

俺らに言ってくれよ

世界が破滅の前夜だなんて

嘘だろう

 

 

わかんねえかよ 俺の言うことが

感じねえかよ この感じを

ボタンが押されりゃ それで終りさ

逃げ出すひまもありゃしないさ

見ろよ そこの若いの よく見てみなよ

びくびくするのも当り前さ

 

※繰り返し

 

俺の血は狂ってきたらしいぜ

でも本当のことはまげられやしねぇさ

議員はいつもごまかしばかり

法律で真理が隠せるものか

そりゃデモをするだけで平和が来るなんて

甘い夢など持っちゃいないさ

 

※繰り返し

 

狂ってきたこの世は 空しすぎるぜ

そうさ この世から逃げるに限るさ

一週間ほど宇宙旅行

でも戻って来る場所は もとの古巣さ

進軍ラッパが 国中にひびく

潜水艦が ジェット機が国をとりまく

 

※繰り返し

 


明日なき世界 / 高石ともや&ジャックス

 

それから時代は変わり、80年代に入ると関西フォークは姿を変え、いわゆるJポップへと移っていきました。プロテストソングなど、歌う人はほとんどいなくなりました。

 そんな中、1988年にRCサクセションがアルバム『COVERS』でこの曲を取り上げたのです。驚きました。さすが反骨精神の持ち主、忌野清志郎、やってくれました。歌詞は若干変えてあります。

 


RC SUCCESSION - 明日なき世界

 

この曲のお陰かどうか、1971年、アメリカの選挙権年齢が21歳から18歳に変更されました。歌の力もバカに出来ません。

 

それでは今日はこの辺で。

映画『裸の十九歳』から学んだこと

映画には、その映画を観たことによって、大袈裟ではありますが善かれ悪しかれその後の人生に大きな影響を与える場合があります。

以前にも何度か書いたような気もしますが、私の場合もそれまでと映画の見方が変わったと思わせる映画がいくつかあります。ミケランジェロアントニーニやジャン・リュック・ゴダールなどのような著名な映画作家の作品やアメリカン・ニューシネマなど、それまでの小中学校時代にのような娯楽一辺倒の作品とは違った作品を観ることによって、新しい映画観というものが出来上がったような気がしています。もちろん娯楽映画も大好きです。

それとは別に、その映画を観ることによって、映画そのものではなく、その映画を通して社会を見る目に変化があったという映画もあります。

その一つが新藤兼人監督の『裸の十九歳』という映画です。

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監督:新藤兼人

主演:原田大二郎乙羽信子、草野大吾、太地喜和子

制作:日本 1970年公開

 

この映画は連続射殺魔である永山則夫をモデルにした映画です。当時高校生だった私が、1968年に起きた連続射殺事件の犯人を描いた映画であるということを知って映画を見に行ったのか、あるいは映画を観てからその事実を知ったのか、どちらだったのかは憶えていませんが、かなりの衝撃を受けたのを憶えています。

 

北海道の網走で生まれた永山は8人兄弟の7番目の子供(四男)で、父親はリンゴの剪定職人で浮気男。母親はそんなダメ男との間に8人もの子供を作り、育てきれず永山を含む4人を置いて、実家の青森に引っ越してしまいます。残された4人はゴミ箱を漁ったりして何とか生き延びます。その間、永山は兄弟から虐待されていました。ようやく警察に保護され、青森の母親の元に送られます。

中学卒業と共に集団就職で東京へ上京します。渋谷のフルーツパーラーに就職しますが長続きしません。その後も職を転々として、海外への密航を図って警察に捕まったりします。ある時、横須賀のアメリカ軍人の住宅に侵入し、そこで拳銃を手に入れます。

1968年10月、芝公園の東京プリンスホテルのベンチで寝ているところをガードマンに職質され、射殺してしまいます。それから同じく10月、京都に行き八坂神社でやはり守衛を射殺します。今度は函館に行き、タクシーに乗って運転手を射殺。金銭を強奪します。次に名古屋に行って、同じくタクシー運転手を射殺します。

その後は東京に戻り、新宿でキャバレーやジャズ喫茶で働きます。ところが1969年、一橋スクール・オブ・ビジネスに強盗に入りますがガードマンに発見され、発砲。その間に逃げますが、その後手配中の警察に逮捕されます。

 

映画はそんな永山の生い立ちと、母親の悲惨な人生を重ね合わせながら進行します。

 

私がこの映画で影響を受けたというのは、この映画によって永山則夫という人物を知ったということです。もっと言うと興味を持ったと言った方がいいかもしれません。この後も、永山則夫は何度も私の前に顔を出すことになるのです。

1979年の第1審で死刑判決。1981年の控訴審では無期懲役。そして1987年の最高裁の判決は再び死刑判決。1990年上告棄却で死刑確定。そして1997年8月1日死刑執行。48歳でした。

この時の判決がいわゆる「永山基準」と呼ばれ、犯行の動機、犯人の年齢や被害者の数など9項目が死刑判決の判断基準とされるようになりました。

こうした出来事がニュースになるたびに永山則夫のことが頭をよぎります。

逮捕当時は文字の読み書きも満足に出来なかった永山は獄中での猛勉強でマルクスの『資本論』を読破するまでになり、社会批判を展開し、『無知の涙』『人民をわすれたカナリヤたち』や小説『木橋』などを執筆しました。『木橋』は新日本文学賞も受賞しました。書籍の売上金は被害者への見舞金として当てられました。その間、ミミこと新垣和美さんと獄中結婚もしています。その後離婚しました。

 

私は彼の生い立ちやその後の獄中での活動にいたく興味を持ち、佐木隆三の『死刑囚 永山則夫』をはじめ多くの書籍を読むほどになってしまいました。もちろん本人の著作も読みました。なんとも興味深い人物です。

 

貧困・貧乏による無学・無知がイコール犯罪者になるなどとは毛頭思ってはいませんが、永山則夫に関して言えば本人も認めているように無知であったことが一つの要因であったことは確かでしょう。しかし他の兄弟は犯罪者にはなっていません。従って彼は特異な人間だったのです。

 

たった1本の映画がその後の人生に一つの問題提起をするということがあるのだということをこの映画が教えてくれました。この映画がきっかけとなって、これ以後、様々な凶悪事件の真相や数々の冤罪事件の存在、さらには死刑制度そのものに興味を持つようになり、自分なりに勉強することができました。その結果、昭和史の闇というものの存在も知ることができました。そういう意味では私の中では重要な1本でした。

 

『裸の十九歳』のなかで永山則夫が函館に向かう汽車の中で、参考書の空欄に詩を書いています。この詩が印象に残って、今でも忘れることが出来ません。

 

「私の故郷(北海道)で消える覚悟で帰ったが死ねずして函館行きのどん行に乗る。この One Week どうして、さまよったかわからない。私は生きる。せめて二十歳のその日まで。最悪の罪を犯しても、残された日々を、せめて、みたされなかった金で生きるときめた。母よ、私の兄姉妹よ。許しは乞わぬが私は生きる。寒い北国の最後のと思われる短い秋で、私はそう決めた」

 

 

永山則夫の生い立ちには貧困や虐待、ネグレクトといった、今の時代にも共通する多くの課題を含んでいます。

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なんか支離滅裂になってしまいました。

 

それでは今日はこの辺で。

 

聴き比べ 小椋と陽水『白い一日』~『少しは私に愛を下さい』

今日の「聴き比べ」は『白い一日』です。

この曲は小椋 佳作詞の曲ですが、私が最初に聴いたのは井上陽水バージョンでした。

井上陽水の1973年の3枚目のアルバム『氷の世界』に収められていた曲です。「心もよう」が聴きたくて、買ったアルバムです。

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氷の世界

氷の世界

 

このアルバムではもちろん「心もよう」は良かったのですが、「小春おばさん」とともにこの「白い一日」が特に気に入りました。


井上陽水/白い一日 «歌詞» (1973年)

 

作詞:小椋 佳

作曲:井上 陽水

 

真っ白な 陶磁器を

眺めては あきもせず

かといって 触れもせず

そんな風に 君のまわりで

僕の一日が 過ぎてゆく

 

目の前の 紙くずは

古くさい 手紙だし

自分でも おかしいし

破り捨てて 寝ころがれば

僕の一日が 過ぎてゆく

 

ある日 踏切のむこうに 君がいて

通り過ぎる汽車を待つ

遮断機が上がり 振り向いた君は

もう 大人の顔をしてるだろう

 

この腕を さしのべて

その肩を 抱きしめて

ありふれた幸せに

落ち込めればいいのだけれど

今日も一日が 過ぎてゆく

 

真っ白な 陶磁器を

眺めては あきもせず

かといって 触れもせず

そんな風に 君のまわりで

僕の一日が 過ぎてゆく

 

その時に、作詞が小椋 佳という人だということを知りました。それまで小椋佳という人を知りませんでした。小椋 佳バージョンを実際に聴いたのはそれからだいぶ経ってからのことだったと思います。1974年のアルバム『残された憧憬~落書~』に収録されました。

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残された憧憬~落書~

残された憧憬~落書~

 

 


小椋 佳 - 白い一日 ~ 落書 IV

二人のバージョンは共にしっとりと歌い上げて素晴らしい。声も共に素晴らしい。この曲の詩とメロディーが多感な青春時代の心に沁みました。

 

さらに、大好きな倍賞千恵子さんもカバーしています。クラシックを聴いているようです。


白い一日 倍賞千恵子

 

話は変わりますが、実は小椋佳の中で一番好きな歌が『少しは私に愛を下さい』という曲です。

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少しは私に愛をください~雨の中の青春~
 

 

この「少しは私に愛を下さい」という曲を教えてくれたのが、学生時代の友人T.Y君でした。彼は小椋佳の大ファンで、ギターを弾きながら歌ってくれ、「あ~、これはいい曲だな』と即座に思いました。ですから、小椋佳の本人歌唱はだいぶ後になってから聴いたのでした。小椋佳の歌というよりもT.Y君の歌が頭に残っているくらいです。彼のお陰で小椋佳を知ったようなものです。ほとんどの歌を弾き語りしていました。その代わりに私は岡林信康を聴かせてあげました。いい迷惑だったでしょうか。

 

小椋 佳 作詞・作曲

 

少しは私に愛を下さい

全てを あなたに捧げた私だもの

一度も咲かずに 散ってゆきそうな

バラが鏡に映っているわ

少しは私に愛を下さい

 

たまには手紙を書いて下さい

いつでも あなたを想う私だもの

あなたの心の ほんの片隅に

私の名前を残してほしいの

たまには手紙を書いて下さい

 

みぞれの捨て犬 だいて育てた

やさしい あなたを 想い出しているの

少しは私に愛を下さい

 

どうしてこのような詩とメロディーが浮かぶのか不思議でなりませんでした。ましてや男性なのにここまで女性の気持ちになり切って歌を作れるなんて、信じられないくらいでした。もっともこの詩は、男女共通のような気もします。当時、小椋佳はアルバムジャケットにもテレビにも顔を出しませんでした。どんな男なのだろうと興味がありましたが、後年その姿を見て、イメージとはかけ離れていたことに困惑したことを憶えています。


少しは私に愛を下さい/小椋佳

 

そしてこの曲も倍賞千恵子さんがカバーしています。


少し私に愛をください

 

そして驚くべきライブ音源を発見しました。井上陽水小椋佳来生たかおの競演です。ずいぶん昔のライブでしょうが、凄いものが残っているものです。


少しは私に愛をください

 

私が上京した頃には、ラジオから陽水の「傘がない」が盛んに流れてきて、「ああ、フォークの時代は終わったな」というのを実感しました。そして「夢の中へ」「心もよう」です。陽水はすでにJ・ポップでした。

陽水の『あやしい夜をまって』『LION & PELICAN』は社会人になってからのマイ・フェヴォリット・アルバムです。

 

その中でも「風のエレジー「ジェラシー」は最高です。

 

 

今日は学生時代がまざまざと蘇りました。

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『伊集加代/リヴィング・スキャット・エレガンス』

もう、随分と前になりますが、昔の映画音楽をまとめて聴きたくなり、随分とCDを探したのですが、新しい映画なども入っていたりして収録曲に満足できるようなものがありませんでした。

そういう中で伊集 加代という人のアルバムでリヴィング・スキャット・エレガンス』というアルバムが収録曲という点でで目を引きました。本当はサントラ盤が良かったのですが、まあ曲がいいので我慢するかと、購入しました。

 

それまで伊集加代という人は名前も知りませんでした。解説を読んでみると1937年生まれで現在は82歳です。えっ、と思いました。するとこのアルバムは1969年に発売された『サバの女王・スキャット・エレガンス』と1971年に発売されたスキャット・エレガンス 愛のスクリーン・テーマ・デラックス』を組み合わせたCDだということでした。どうりで昔の曲が多いなと納得しました。

 

伊集加代という人は元々はクラシックを学び、フォー・シンガーズやシンガーズ・スリーなどのコーラスグループに在籍しながら、CMソングやスタジオ・コーラスでキャリアを積んでいきました。そして歌謡曲のバックコーラスなども担当し、「スキャットの女王」と呼ばれるようになったそうです。

 

このアルバムが録音された当時は映画音楽やイージーリスニング・ブームでその手のレコードがたくさん発売されていました。

 

リヴィング・スキャット・エレガンス』

01. 男と女

02. サバの女王

03. 個人教授 ~ 愛のレッスン

04. スカボロー・フェアー

05. パリのめぐり逢い

06. 白い恋人たち

07. 恋するガリア ~ 愛のラルゴ

08. ふたりだけの夜明け

09. 白い十字架

10. 誓いのフーガ

11. フール・オン・ザ・ヒル

12. 黒いオルフ.

13. 青い影

14. 夜明けのスキャット

15. ひまわり

16. ガラスの部屋

17. 雨の訪問者

18. ワレリアの恋 ~ 赤いテント

19. さらば夏の日

20. 雨にぬれても

21. 雪わり草

22. エイプリル・フール

 

レコーディング・パーソナルは

佐藤允彦(p)

大野雄二(p,org,harps)

沢田駿吾(g)

松本 浩(vib)

ジェリー・カオキ(fl)

荒川康夫(b)

猪俣猛(ds)

原田寛治(ds)

 

以外とマイナーな曲が収録されているのが嬉しいです。

 

01は映画音楽の定番。フランシス・レイ

02は「シバの女王」とも言われるイージーリスニングの定番。

03は個人教授からのテーマ。ナタリー・ドロンがよかった。

04はサイモン&ガーファンクル

05はフランシス・レイ。これも定番。イブ・モンタンアニー・ジラルド

06もフランシス・レイ。映画『グルノーブル・オリンピック』のテーマ曲。

07は映画『恋するガリア』の主題歌。

08は以前紹介した『二人だけの夜明け』。最高です。

09はヴィッキーが日本向けに歌った曲。

10はティンカーベルズ・フェアリーダストのヒット曲。

11はビートルズ

12はマルセル・カミュ監督の映画。定番曲。

13はプロコル・ハルム

14は由紀さおりのヒット曲。

15はヴィットリオ・デ・シーカの名作。ヘンリー・マンシーニ

16は「ひろしです」で有名になってしまった曲。

17はフランシス・レイ作曲。チャールズ・ブロンソン主演。よかった。

18はクラウディア・カルディナーレの「赤いテント」。名曲です。

19はフランシス・レイルノー・バルレ―主演。

20はアメリカン・ニュー・シネマの名作。B.J トーマスでヒット。

21は雪わり草。これが入っているのも嬉しい。

22はバート・バカラックディオンヌ・ワーウィックのコンビでヒット。

 

オール・スキャットで初めは飽きるかなと思いましたが、どっこいこれがなかなかいいのです。人間の声とは思えぬような高音で、にもかかわらず耳障りは無く、演奏も素晴らしく、あの時代にタイムスリップするのにはもってこいのアルバムでした。

 

サバの女王


02-La Rein de Saba

個人教授~愛のレッスン


03-La Lecon Particulier

ふたりだけの夜明け


08-Vivre la Nuit

ひまわり


15-Love Theme From Sunflower

雨の訪問者のワルツ


17-Le Passager del la Pluie

赤いテント~ワレリヤの恋


18-The Red Tent

 

 

それでは今日はこの辺で。