Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

『ヒル・カントリー・レビュー(Hill Country Revue)』を聴く

またまた衝動買いで凄いバンドを発見しました。『Make A Move/Hill Country Revue』です。

ジャケット裏にも何のクレジットの記載がなかったので、ほぼジャケ買いです。2009年のリリースです。

帰って、ライナーノーツを読んで(あまりよくわかりませんが)、ノース・ミシシッピ・オールスターズのメンバが結成したバンドだということがわかりました。

ノース・ミシシッピーはアメリカ南部のブルース・バンドで数多くのアルバムを出しています。

そのメンバーの中からコーディ―・ディッキンソン(Cody Dickinson,g,ds,piano,vo)とクリス・チュー(Chris Chew,b)がエドワード・クリーブランド(Edwrad Hot' Cleveland,ds)やカーク・スミスハート(Kirk Smithhart,g,vo)、ダニエル・ロバート・コバーン(Daniel Robert Coburn,vo,harp)をメンバーに入れて結成しました。

ゲストのゲリー・バーンサイドが多くの曲を提供し、ギターも弾きヴォーカルもとっています。彼はブルースマンのR.Lバーンサイドの息子です。そのせいか、アルバム全体はブルース色が圧倒的に強く、中にオールマン・ブラザースを思わせるようなサザンロック風な曲もあったりでとても気に入りました。本当に見っけものです。思わずガッツポーズ。

ノース・ミシシッピのアルバムの中にもこのバンド名と同じ『Hill Country Revue』というアルバムがあります。

このアルバムは最高です。が、このバンドもなかなか見つけられません。高い金を出せばいいのでしょうが、やはりこの年になるとレコード屋を漁って安いものを見つけるのが醍醐味です。

ヒル・カントリー・レビューはこの後もう一枚出しています。2010年に『Zebra Ranch』というアルバムです。

早く聴きたい、が、まず出て来ないでしょうから、じっくり探しましょう。

 

それでは今日はこの辺で。

ブリティッシュ・ハード・ロックの正統派 『ザ・クワイアーボーイズ(The Quireboys)』

今日は 玄 様の記事に触発されて『クワイアーボーイズ』を取り上げてみます。クワイアーボーイズはどちらかというとヘヴィメタにジャンル分けされていることが多いですが、私はブリティッシュハード・ロックの正統派だと思っています(ジャンル分けというのはあまり意味がないし、好きではありませんがレコード屋で探す時に知っていないと不便)。彼らの最初の解散までの記載になります。

 

gemrock.hatenablog.com

ザ・クワイアーボーイズ(The Quireboys)

クワイアーボーイズは80年代半ばごろから活動を開始しました。その当時のメンバーはスパイク(Spike Gray,vo)、ガイ・ベイリー(Guy Bailey,g)、ジンジャー(Ginger,g)、ナイジェル・モグ(Nigel Mog,b)、クリス・ジョンストン(Chris Jhonston,key)、ニック・コンネル(Nick Connel,ds)でした。ナイジェル・モグの伯父はあのUFOのフィル・モグです。マネージャーにはオジー・オズボーンの妻シャロンを迎え、レコード会社はEMIに決まりました。ところがファーストアルバムのレコーディングを前にジンジャーがザ・ワイルドハーツを結成するため脱退し(彼はEMI前の2枚のシングルに参加後退団)、さらにドラマーのニックを解雇します。ジンジャーの替わりにガイ・グリフィン(Guy Griffin)、ドラムにセッションマンのイアン・ウォーレス(Ian Walace)を採用しレコーディングを開始します。そして発表されたのが『A Bit Of What You Fancy』です。1990年です。

このアルバム、初めて聞いたときにロッド・スチュアートとフェイセスを思い浮かべなかった人はいないんじゃないかと思えるくらい、よく似ているし、ご機嫌なロックンロールを演っていました。特にオープニングの「7O'clock」はご機嫌そのものです。そしてバラードも光っていました。アルバムは大ヒットしました。

 

同じ1990年にライブアルバム『Live Compact Disc(Recorded Around The World)』が発売されます。

これは世界各地でのライブを集めたコンピレーションのようなものです。具体的にどの曲がどこでのライブかはわかりません。ロンドン、東京、ロサンゼルス、ハンブルクでのライブであるということはわかっています。ストーンズの「ハートブレイカー」をカバーしています。ライブのせいか声がますます枯れ枯れになっています。

 

続いて1992年に『Bitter Sweet And Twisted』をリリースします。

日本盤にはミニCDが付属しています。ライブが3曲です。

このアルバムからドラムをルディ・リッチマン(Rudy Richman)に替えました。プロデューサーがボブ・ロックに替わりました。

ファースト同様ロックンロールとバラード。見方によっては進歩なしですが、頑なにロックンロールをやり続ける姿は微笑ましいです。1曲を除いて全てオリジナルですが、その1曲がホット・チョコレートの曲でストーリーズで大ヒットした「Brother Louie」です。あの「ルイ、ルイ、ルイルア~・・・」です。これがカッコいい。ストーリーズのヴォーカルもしゃがれ声でいいですが、全然負けていません。

しかし、このあとバンドはあえなく解散します。時代が彼らの音楽を必要としなくなっていたのでしょうか。世の中はグランジブームに沸きあがっていました。

その後2000年代になって再結成されたようです。あのロックンロールとバラードをまだ続けていてくれたら嬉しいですが。自然に体が動いてしまうロックンロールをまた聴きたいですね。

 

それでは今日はこの辺で。

 

「お礼」 と 『沈黙ーサイレンス』を観る

昨日は「100記事達成記念日」にたくさんの方にアクセスいただき、1日のアクセス数は過去最高となりました。特に「100記事達成」にはたくさんのスターを頂き最多スター賞を塗り替えてしまいました。それとたくさんの心温まる励ましのコメント、さらには「はてなブックマーク」もたくさん頂きました。本当に有難うございました。

はてなブックマーク」でコメントを頂いた方に対する返事の方法がわかりませんのでこの場を借りてお礼申し上げます。

そすう様、タマシイ ユレオ様、おぎパパ様、コメントありがとうございました。

今日からまた一から始めるつもりで書きますのでよろしくお願いします。

 

さて、今日のキネ旬シアターは『沈黙ーサイレンス』です。

監督:マーティン・スコセッシ

主演:アンドリュー・ガーフィールドリーアム・ニーソン窪塚洋介浅野忠信

   イッセー尾形

原作:遠藤周作

アメリカ合衆国

2016年製作、2017年公開(日本)

 

これはご存じ遠藤周作原作の映画化です。1971年に篠田正浩監督で映画化されています。私は高校生時代に原作も読んで映画も見ています。が、全く憶えていません。憶えているのは岩下志麻の顔ぐらいです。情けないです。もっとも、その頃の私は宗教、ましてやキリスト教などには全く興味がなかったから仕方がありませんが。それではなぜ観に行ったかというと、篠田正浩大島渚吉田喜重と並んで松竹ヌーベルバーグの三羽烏と呼ばれた逸材で『処刑島』や『心中天網島』などすぐれた作品を制作していました。そういう事から観に行ったのですが、残念ながら内容の記憶はほとんどありません。

今回、マーティン版を観てああ、そういえば棄教の話だったなと思い出しました。確か篠田版は原作とだいぶ違っていたような記憶がありますが、原作も忘れているのでどうしようもありません。

内容は、江戸時代初期、イエズス会の司祭で有名な神学者フェレイラが布教先の日本での弾圧に屈して棄教したという噂がポルトガルで流れました。その噂を信じられないロドリゴとガルベ2人の神父が事実を確かめるために日本に向かいます。途中マカオでキチジローという日本人に出会い、日本入国の手引きをしてもらいます。3人はトモギ村というところに上陸します。そこには弾圧に苦しみながらも信仰を守り続けている村人たちがいます。彼らは2人の神父を大歓迎しますが、まもなく奉行所の手入れが入り、2人の宣教師たちの引き渡しを命じますが村人はそれを断り、代わりに村人を代表して4人が身代わりになって出頭します。そこで踏み絵を要求されますが4人とも踏み絵を踏みます。しかし奉行所はさらにキリスト像に唾を吐けと命じます。キチジローだけは唾を吐きますが、後の3人は出来ずに、処刑されます。キチジローは以前にも家族を守るために踏み絵を踏んだことがあり、今回も自分だけ刑を逃れたずるいやつと自分を責めます。神父2人は、これ以上この村に滞在するのは村人に迷惑だと考え、ロドリゴは五島に、ガルぺは平戸にそれぞれ逃れます。

五島はキチジローの故郷で、かつてキチジローに頼まれ宣教に来たことがあったので、再びやってきたのですが、村は一変しており、人はほとんどいなくなって、家屋も荒れ果てていました。食うものもなくさ迷っているとまたキチジローに出会いました。キチジローは再びロドリゴに告解します。しかし、またしてもキチジローは裏切ります。奉行への密告でロドリゴは捕らえられます。そこには捕まった村人も何人かいました。そしてありとあらゆる拷問が始まります。ある時は平戸で捕らえられたガルぺが連れて来られ、ガルぺの目の前で信仰者が処刑されるのをガルぺは我が身をもって助けようとしますが、結局彼も死んでしまいます。ロドリゴは自分の無力を嘆き、神の沈黙に疑問を感じます。そして長崎奉行の井上は既に棄教して日本に住み家族も作っているフェレイラを呼び、ロドリゴを説得させます。頑として聞かないロドリゴの目の前で信仰者の拷問を見せつけ、フェレイラは「お前が棄教する以外彼らを救える道はない」と説得します。そしてとうとうロドリゴは踏み絵を踏みます。踏む瞬間、キリストが「踏んでいいんだ」と、ロドリゴに語りかけます。

その後は彼もまたフェレイラと同じように日本で家族を持ち、キリスト教とは無関係な、反対にキリスト教を罰する協力をするようになります。江戸で暮らすロドリゴのそばにはキチジローがいます。そしてロドリゴはキチジローにそばにいてくれてありがとうと、感謝します。そしてロドリゴは亡くなりますが、彼の本心はどうだったのかは誰もわかりませんが、自分が日本での最後の司教だという自負があったのかもしれません。最後に妻が棺桶の中でそっと十字架を手の中に握らせて映画は終わります。

私には宗教心というものが全くないので、この時代の人たち、特に貧しい農民が、どんな拷問、弾圧にも屈せず、信仰を貫く心というものがどこから来るのか到底理解できませんが、世界史を振り返っても、また現在の世界情勢を見ても、この宗教の違いからくる争いというものは永遠に続くのでしょう。

棄教したフェレイラという人物は実在した人物で、長崎奉行の井上様(幕府大目付)というのも実在の人物らしく、この映画でも出てくる「穴吊り」という拷問でフェレイラは棄教したと言われているようですが、この「穴吊り」を考案したのが井上様らしいです。この役をイッセー尾形が演じていますが、うまいです。「穴吊り」というのは目隠しして、体を縛り、逆さづりにして、顔だけ地中に埋め、耳の後ろに穴をあけ、血が少しづつ流れ出し、なかなか死なないという、凄い拷問です。

拷問場面が多く、すこし滅入りました。それとこの時代にみんな外国語を達者に話せたんだなと、変に感心しました。海での拷問シーンなど、役者も命がけです。

最後の字幕でロビー・ロバートソンの名前を見つけたのですが、調べてみるとエグゼクティヴ音楽プロデューサーだそうです。スコセッシの映画音楽の多くを手掛けているようです。

またまた長文になってしまいました。まったく反省が生かされていません。気を付けます。

 

それでは今日はこの辺で。

遂に100記事達成! 感謝、感謝!!

 

本日、遂にこの記事をもって100記事を達成です。全く偶然にもちょうど100日目です。1日1記事のペースで書いてきたことになります(1日ゼロだったり2記事だったりしました)。こんなに続くとは自分でも信じられないくらいです。

こうして100記事を達成できましたのも、ブログを書くことを薦めてくれた長女、このブログを訪問してくださった方々、読者になっていただいた方々、スターをつけてくださった方々、はてなブックマークを付けてくださった方々、コメントを書いてくださった方々、皆さまのおかげです。本当にありがとうございました。

ブログを始めたきっかけは、長女の「ブログでもやってみたら」の一言でした。はじめはとてもそんな気にもなれずにいました。なにしろSNSとかには全く興味がありませんでしたから。ところが何度か言われるうちに、「ブログっていったい何を書くの」とちょっと興味が湧いてきて、趣味のこととか書いていればいいんだというのがわかって、「ああ、それならいいか」となって、備忘録のつもりで(最近物忘れが激しいもので)書くことにした次第です。ところが、どこのブログがいいのか、どのくらい、どのように書けばいいのか、何もわかりません。なにしろ文章といっても日記も書いたこともなく、書いたものと言えばビジネス文書だけですからどのような書き方をすればよいのかもわかりませんでした。すべて長女の教えにしたがって、はてなブログを選択し、何でもいいからとりあえず書き始めました。記念すべき第1号が「はじめまして」でした。(ごく最近までこのようにリンクを貼ることも知りませんでした)

lynyrdburitto.hatenablog.comごくさいきんまでご

文章は下手くそで、気恥ずかしいですが、出来上がってみると何となく嬉しくて、また書いてみようという気になっていました。それでも初めの2週間ほどはほとんど認知されませんでした。ところが、その頃に書いた一つの記事でアクセス数が増えてきました。その記事がこれです。やっぱりテレビの力はすごいです。

lynyrdburitto.hatenablog.com

やがてスターが付いたり、読者になってくださる方が出てきたりで、モチベーションも上がってきました。お陰様で読者の方も増えてきまして、スターの数もたくさんいただけるようになりました。今のところ最多スター賞はこの記事です。私としては意外な感じでしたが。

lynyrdburitto.hatenablog.com

ただ、いかんせん素人なもので、皆さんのブログのように、体裁のいい、見やすく、読みやすいブログは作れていません。もっと見やすいレイアウトとか文字の大小とかを考えないといけないんでしょうが、そういう才能がないもので困ったものです。本当は皆さんの記事の中で面白かった記事や参考になった記事を紹介したかったのですが、なにせ先ほども書きました通り、リンクの貼り方もわかりませんでしたので、それもできませんでした。残念です。

いまだにはてなブックマークのコメントに対する返答の仕方がわかりません。この場をお借りして改めてお詫び申し上げます。どなたかに教えていただけたら光栄です。

idコールというのも先日、かんいち(id:sekiuti)様に下記の記事のコメントに対する返答の中で教えていただきました。ありがとうございました。

sekiuti.hateblo.jp

文字数も3千や中には4千文字以上の記事もあったりで、これだけの文字数をだらだらと書かれたのではさすがに自分でもこれじゃ読む気にならないよな、なんて思ったりもしました。

それでも初心の「備忘録を」ということを思えば、少しは昔のことを思い出させてくれてよかったなと思っています。本来ならもっとたくさん昔の映画や本の記事を書くつもりでいたのですが、いざ書こうとするとストーリーやシーンが思い出せないことが多く、誤った記載をするのもと思い躊躇してしまいました。もう一度そういう映画を観る機会がありましたら改めて書こうと思っています。

これからは1日1記事のペースはちょっと無理かもしれませんが、なるべく細々と長く続けられるように頑張ってみたいと思います。体裁のほうはこれ以上のものは能力的に無理かもしれませんが、文字数は千文字程度に収まるように心がけます。

これからもご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 皆々様、本当にありがとうございました。重ねて御礼申し上げます。

 

それでは今日はこの辺で。

ブルースロックの後継者たち 80年代以降 ⑥ ジェフ・ヒーリー(Jeff Healey)

ブルースロック第6弾はジェフ・ヒーリーです。1966年のカナダ生まれです。1歳の時ガンで失明します。それでも3歳からギターを習い、17歳でバンドを結成したといいますから凄いです。彼はギターを膝の上に置いて、上からフィンガーボードを押さえるという独特の奏法です。

1988年にアルバムデビューします。『See The Light

名義はジェフ・ヒーリー・バンドでベースにジョーロックマン(Joe Rockman)、ドラムにトム・ステファン(Tom Stephen)という顔ぶれです。

ZZ TOPの曲やフレディ・キング、ジョン・ハイアットのスロー・ブルースナンバーは聴かせます。

1990年には『Hell To Play』です。

今回はマーク・ノップラーやボビー・ウィットロックをゲストに迎えていますが、何といってもジョージ・ハリソンを迎えてあの「While My Guiter Gently Weeps」をカバーしていることです。やってくれます。曲も再びジョン・ハイアット、そしてマーク・ノップラーの曲を取りあげています。全体的にロック色が強くなりました。

続いては1992年、『Feel This』をリリースします。

ここではトム・ペティの曲やスティーヴィー・サラスとの共作もあって、なかなか素晴らしい出来に仕上がっています。

第4作は3年後、『Cover To Cover』です。

 これは全曲カバー曲です。ヤードバーズの「Shapes Of Things」から始まって、ジミヘン、ビートルズ、ウィリー・ディクソンのブルース、スティーラーズ・ホイール、スピリット、CCR、マローンの「As The Years Go Passing By」、クラプトンの「バッジ」、レッド・ツェッペリンと曲名を聴いただけで、これはいったいどうなってるんだという感じです。

 

この後、しばらくブランクの後200年に『Get Me Some』をリリースします。レコード会社もアリスタからイーグルへと移籍します。

このアルバムではあのマーティ・フレデリクセンがプロデューサーで多くの曲も提供しています。また、フィリップ・セイスもギターでゲスト参加しています。完全なロックアルバムとなっています。スティーヴィー・サラスとの共作やマーク・ジョーダンのカバーもあります。

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この後も比較的コンスタントにアルバム制作を行ってきましたが、2007年にガンの手術を受け、闘病生活ののち2008年に亡くなりました。

遺作となったのが久々のブルースロックへの回帰、『Mess Of Blues』でした。

 基本ブルースですが、なんとニール・ヤングの「ライク・ア・ハリケーン」とザ・バンドの「ウェイト」をやっているじゃありませんか。嬉しくなってきます。彼はこのアルバムの発売は見届けられませんでした。41歳でした。

その後も未発表曲やライブ音源が発売されています。

彼もまた早すぎる死でした。合掌

これまでのブルースロックに関する記事は次の通りです。ご参考までに。

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それではこの辺で。

ブルースロックの後継者たち 80年代以降 ⑤ ケニー・ウェイン・シェパード(Kenny Wayne Shepherd)とザ・ライズ(The Rides)

ブルースロックの第5弾です。ケニー・ウェイン・シェパードです。1977年生まれで、彼もまた先日のジョー・ボナマッサと同じく子供のころからスティーヴィー・レイ・ヴォーンにあこがれギターを始めました。こうしてみるとSRVの影響力は凄いものがあります。

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13歳の頃にはすでに南部のクラブで演奏していました。高校在学中の1995年にファースト・アルバム『Ledbetter Heights』でメジャーデビューします。

 とても高校生とは思えないくらいの演奏を聴かせてくれます。インストのライブ音源もいいです。この時はまだリードヴォーカルがCorey Sterlingという人で、これがなかなかいい味を出しています。大半をオリジナルで占めています。ブルースナンバーもあります。

次に1997年に、『Trouble Is.....』をリリースします。

 ここでは、ボブ・ディランジミ・ヘンドリックス、フランキー・ミラーをカバーしています。このアルバムからケニー・ウェイン・シェパード・バンドと名乗ります。ボーカルにノア・ハント(Noah Hunt)、ゲストにジェイムス・コットン、クリス・レイトンを迎えています。

さらに1999年には『Live On』をリリースします。

一段とロック色が強くなった3作目。ゲストにはやはりジェイムス・コットン、クリス・レイトン、それに驚くなかれウォーレン・へインズがスライド・ギターで参加しています。ブルース色は影を潜めています。ヴォーカルのノア・ハントはいいです。ジミ・ヘンドリックス(作曲はバディ・マイルスです)とフリート・ウッドマックをカバーしています。

暫く間隔があいて、2004年に『The Place You're In』をリリースします。

 5年ぶりのアルバムは、彼が初めてリードヴォーカルを担当します。ノア・ハントが2曲、インスト1曲、後はケニーがリードヴォーカルです。その彼にヴォーカルを勧めたのがマーティ―・フレデリクセンで、このアルバムのプロデューサーでもあり、エアロスミスなどに楽曲を提供している人物です。このアルバムでもほとんどがマーティ―とケニーの共作です。それとキッド・ロックがゲスト参加して1曲歌っています。ケニーのヴォーカルはノア・ハントに比べると甘い歌声で、ブルースにはちょっとという感じで,どちらかというとロック向きでしょう。現にこのアルバムもロック色が強いです。ですが、これはこれで気に入っています。

このあとケニーは約3年ごとのペースでアルバムを出していくことになりますが、まだ買えていません。

 

ところが2013年に、あろうことかあのスティーヴン・スティルスとエレクトリック・フラッグなどの大御所バリー・ゴールドバーグとともにユニットを結成します。ザ・ライズ(The Rides)です。そしてアルバムも発表します。『Can't Get Enough』です。

当然、私としてはこちらの方に食指が動くわけでして、早速購入しました。いいですね。ブルースナンバーはもちろんですが、スティルス節が聴けるのがいいです。ニール・ヤングのカバーもありで十分楽しめます。彼らのブルースも安心して聴けます。

続いて昨年、第2弾を発表します。『Pierced Arrow』です。

今作も前作の延長線上ですが、ブルース色はやや薄れました。ますます聴きやすくなって、ベテランの味が存分に発揮されています。ブルーナンバーの1曲を除いてすべて2人か3人による共作になっています。まさに21世紀のスーパーセッションですか。

 

ケニーのソロはご無沙汰してしまっていますが、The Ridesを聴けたことで十分満足しています。ソロもなんとか早く見つけたいです。

 

それでは今日はこの辺で。

ブルースロックの後継者たち 80年代以降 ④ ジョー・ボナマッサ(Joe Bonamassa)

「ブルースロックの後継者たち」の第4弾としてジョー・ボナマッサを取り上げます。

ボナマッサは4歳の時にスティーヴィー・レイ・ヴォーンを聴いてその虜になったといいますから驚きです。8歳の時にはB.B Kingに出会い、12歳の時には一緒にプレイしたといいますから、ますます驚きです。

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その後ボナマッサはウェイン・クリーガー(ジム・クリーガー(ドアーズ)の息子)、エリン・デイヴィス(マイルス・デイヴィスの息子)、ベリー・オークリー・ジュニア(ベリー・オークリー(オールマン・ブラザース)の息子)とバンドを組み、レコードも出しましたがすぐに解散してしまいました。

その後22歳の時にEpicと契約し、2000年になって23歳の時にトム・ダウドのプロデュースでファースト・ソロアルバム『A New Day Yesterday』をリリースします。

このアルバムのタイトルはジェスロ・タルの曲名からきています。アルバムの中でも演奏しています。このアルバムを出す前にボナマッサはジェスロ・タルのコンサートに出演しています。そういう関係から取り上げたのだと思います。また、このアルバムではロリー・ギャラガーの「クレイドル・ロック」やフリーの「ウォーク・イン・マイ・シャドウ」それにアル・クーパー、ウォーレン・へインズまでカバーしています。

ゲストでグレッグ・オールマンリック・デリンジャーレスリー・ウェスト(マウンテン)など錚々たるメンバーです。

曲やメンバー、プロデューサーからも想像できるようにブルースよりもロック寄りのブルースロックに仕上がっています。

2002年にはセカンド・アルバム『So,It's Like That』をリリースします。

このアルバムでは、メンバーがエリック・ザー(Eric Czar,b)、ケニー・クラーム(Kenny Kramme,ds)そしてプロデュースもクリフ・マグネスに代えました。プレスリー・ナンバーなどを入れ、一段とロック色が強くなりました。

続いてライヴを挟み2003年に『Blues Deluxe』を発表します。

ここではしっかりとブルースナンバーをカバーしています。B.B King、John Lee Hooker、Buddy Guy、Elmore James、T-Bone Walker、Freddie King、Albert Collins、Robert Johnson と大御所のブルースマンの曲が並びます。そしてジェフ・ベックのタイトル曲もあります。やっぱりいいですねえ。

2004年には『Had To Cry Today』をリリース。

再びロック寄りのアルバムに戻ります。それでもロウエル・フルソンのカバーもあります。タイトル曲はスティーヴ・ウィンウッドの曲です。なぜか彼は他人の曲をタイトルにすることが多いです。ここではメンバーを変更して、マーク・エプスタイン(b)、ボギー・ボウルズ(ds)としています。

2006年には『You & Me』が発表されます。

ここでは再びブルース寄りになっています。チャーリー・パットン、ソニー・ボーイ・ウィリアムソン、それに何といってもツェッペリンのカバーが凄いです。「Tea For One」です。ここではジョン・ボーナムの息子・ジジェイソンがドラムを叩いています。

続いて2007年、『Sloe Gin』です。

このアルバムはちょっとアコースティックな曲が多くなりました。バッド・カンパニ―やブルース・ブレイカーズもカバーしています。この前のアルバムからベースがカルミネ・ロハスに代わり、リック・メリックがキーボードとして加わりました。

ライブを1枚挟み、2009年に『The Ballad For John Henry』をリリースします。

これはブリティッシュ・ロックですね。でもいいです。ひょっとすると私はこれが1番好きかもしれません。トム・ウェイツ、トニー・ジョー・ホワイトをカバーしています。

またライブを挟み2010年に『Black Rock』をリリース。

いよいよB.B Kingをゲストに迎えてのブルース・ロックアルバム登場です。ジェフ・ベックレナード・コーエン、オーティス・ラッシュ、ブラインド・ボーイ・フラーなど多様なアーティストをカバーしています。良質なブルース・ロックです。

翌年『Dust Bowl』をリリースします。

何とも嬉しいのはフリーの「ハートブレイカー」をカバーしていることですね。たまりません。こうして、これまでのアルバムを見てみるとボナマッサはブリティッシュ・ロックに強く惹かれているんだなということがよくわかります。ブルースロックはやはりイギリスが本場ですね。

2012年に『Driving Towards The Daylight』をリリースします。

これはまたまたブルース色の強いアルバムになっています。オリジナルは4曲で後はブルースのカバーを混ぜながらブルージーな曲が揃い、特にトム・ウェイツのカバーは圧巻です

 

この後も彼は活動を続けていますが、残念ながら今のところこれ以降のアルバムは購入できていません。CD漁りをして早く見つけたいと思っています。

 このころ、ボナマッサはべス・ハートとのサイド・プロジェクトとブラック・カントリー・コミューニオンというバンドと並行して活動しています。ブラック・カントリーについては以前若干記事を書いていますのでご参考までに。

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 中途半端な記事になってしまいましたが、ジョー・ボナマッサがこれからのブルースロックの牽引者であることは間違いないでしょう。

 

では、今日はこの辺で。