Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『ボビー・チャールズ(Bobby Charles)/ボビー・チャールズ(Bobby Charles)』

ボビー・チャールズは1938年にルイジアナ州で生まれました。彼の活躍の場は、ルイジアナニューオリンズでした。ジャズ、ブルース、R&B、ロックなどの音楽の聖地です。ここで彼はブルースレーベルのチェスレコードからヒット曲を出します。しかし彼はステージに立つのを嫌っていたため、自分の楽曲をファッツ・ドミノやビル・ヘイリーなどに提供していました。

その後ニューオリンズ音楽シーンの衰退とともに、彼はニューヨーク州ウッドストックへ住居を移しました。これが彼にとっての人生の転機になりました。1970年頃のことです。当時のウッドストックはあのウッドストックフェスティバルの後で、ボブ・ディランザ・バンドなど多くの著名なミュージシャンが集まっていました。

そうした中で彼はザ・バンドのメンバーと交流を深めます。このきっかけとなったのがザ・バンドの1971年の4枚目のアルバム『Cahoots』ではないでしょうか。というのはザ・バンドはこの時、ボブ・ディランと共にアメリカ南部の音楽に傾倒し始め、南部出身で頭角を現してきたアラン・トゥーサンにアレンジの協力の依頼をします。このアランを介してザ・バンドとボビーは知り合うことになったと思われます。

そして1972年に初のソロアルバム『Bobby Charles』をリリースします。

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このアルバムの参加メンバーはザ・バンドからリック・ダンコ、レヴォン・ヘルム、ガース・ハドソン、リチャード・マニュエル、他にエイモス・ギャレット、ベン・キース、ドクター・ジョン、ボブ・ニューワース、デヴィッド・サンヴォーン等々ウッドストックの連中が揃い、プロデュースは彼自身とジョン・サイモン、リック・ダンコが務めました。

 

Side A

1. Street People
2. Long Face
3. I Must Be In A Good Place Now
4. Save Me Jesus
5. All The Money
 
Side B
1. Small Town Talk
2. Let Yourself Go
3. Grow Too Old
4. I'm That Way
5. Tennessee Blues
 
まさにアメリカ南部のゆったり、のんびりとした雰囲気が出ています。
B-1は永遠の名曲。色々な人がカバーしていますが、本家はやはり一味違います。朴訥としたヴォーカルが南部臭さを醸し出しています。
B-3はファッツ・ドミノのヒット曲。10年ぶりに歌います。
 
レイドバックという言葉はグレッグ・オールマンの『レイドバック』で有名になりましたが、その前にこういう素晴らしいレイドバックがあったのです。
1978年のレヴォン・ヘルム来日時には一緒に来ていたと思います。コンサートには行っているのですが、記憶が曖昧になっています。
 
しかし、アメリカでも評判の良かったこのアルバムも日本ではしばらく発売されませんでした。そこで当時のワーナー・パイオニアが名盤復活シリーズと銘打って、埋もれた名盤を発表しましょうとうことになって、このアルバムがようやく日の目を見ました。
これはその第1弾で、その他にジャケット裏の帯にもありますが、『ジョン・サイモンズ・アルバム』、『フィフス・アヴェニュー・バンド』、『ロジャー・ティリソンズ・アルバム』、『ジェシ・ウィンチェスター』の5枚でした。
その後第2弾があって、『ハングリーチャック』、『ジャーニー/ジョン・サイモン』、『エリック・アンダーソン』、『ぺタルマ/ノーマン・グリンバウム』、『ファイヴ・イヤーズ・ゴーン/ジェリー・ジェフ・ウォーカー』の5枚でした。
 
監修・小倉エージです。まだまだ日本のレコード会社もやる気がありましたね。
 
ボビー・チャールズは2010年、71才で亡くなりました。突然の訃報に衝撃が走ったのを憶えています。
 
 
それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『バーニー・レドン=マイケル・ジョージアディス・バンド(The Bernie Leadon・Michael Georgiades Band)/歌にくちづけ(Natural Progressions)』

イーグルスを辞めたバーニー・レドン(リードンが耳慣れていますが)が2年の沈黙の後に発表したアルバムです。

Natural Progressions

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バーニーに関してはこれまでも書いてきましたので、簡単に触れます。

lynyrdburitto.hatenablog.com

lynyrdburitto.hatenablog.com

バーニーはザ・バーズを辞めたジーン・クラークとダグ・ディラードのバンド、ディラード&クラークに参加後、フライング・バッリト・ブラザース、リンダ・ロンシュタッドのバックバンドを経てイーグルスの設立メンバーになりました。1975年にイーグルスを退団し、今回のバンド設立に至りました。

一方のマイケル・ジョージアディスはバーニーの家の近くに住んでいるシンガーソングライターということです。ジョニー・リバースに曲を提供したりもしていました。二人は一緒にステージ活動を続けていたようです。

 

 

Side A

1. Callin' For Your Love  ( Michael Georgiades )

2. How Can You Live Without Love ?  ( Bernie Leadon )

3. Breathe  ( Michael Georgiades )

4. Rotation  ( Michael Georgiades )

5. You're The Singer  ( Michael Georgiades )

 

Side B

1. Tropical Winter  ( Michael Georgiades )

2. As Time Goes On  ( Bernie Leadon )

3. The Sparrow  ( Bernie Leadon )

4. At Love Again  ( Michael Georgiades )

5. Glass Off  ( Bernie Leadon )

 

 

メンバーは二人の他に

スティーヴン・ゴールドシュタイン(Steven Goldstein,key)

ブライアン・ガラファロ(Brian Garafalo,b)

デヴィッド・ケンパ(David Kempa,ds)

です。

ブライアン・ガラファロはジャクソン・ブラウンのバンドにいて、確かジャクソン・ブラウンの初来日の時に参加していた人です。ほぼ忘れていますが。

バーニーがヴォーカル、ギター、マンドリンバンジョー、スティール。

マイケルがヴ―カルとギターです。

 

楽曲の方は、上記のように、マイケルが6曲、バーニーが5曲とはっきり分かれています。

バーニーの曲は相変わらずしっとりとメロディアスで、一層ポップになりました。優しいです。

マイケルの方はオーソドックスなウェストコーストロックです。ジャクソン・ブラウンなどを思い起こさせる曲作りです。

全体的に爽やかなウェストコースト・サウンドです。ただ惜しむらくはマイケルのヴォーカルがちょっと弱い感じがします。好みなのでしょうが。バーニーのヴォーカルはこれ以上の期待は酷でしょう。

 

バーニーは現在70歳。いつまでも元気で頑張ってください。


The Bernie Leadon Michael Georgiades Band - How Can You Live Without Love? (1977)


Bernie Leadon・Michael Georgiades Band - The Sparrow

 

イーグルス時代のバーニー、最後の曲。


"I Wish You Peace" - The Eagles (High Quality)

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ブレッド(Bread)/ベスト・オブ(The Best Of)』

アメリカ西海岸の爽やか系ソフトロック・バンド『ブレッド』です。この1枚ということなんですが、どれも甲乙つけがたく、結局いい曲がみんな入ったベスト盤にしました。ただし、ベスト盤の1と2を併せて取り上げます。ずるいです。

『ブレッド』は1968年にロサンゼルスで結成されました。

当初のメンバーは

デヴィッド・ゲイツ(David Gates,vo, b, g, key,vio)

ジェイムス・グリフィン(James Griffin,vo, g, key, Per)

ロブ・ロイヤー (Robb Royer,b, g, flute, key, Per)

の3人でしたが途中からドラムスにマイク・ボッツ(Mike Botts)、ロブ・ロイヤー脱退後はラリー・ネクテル(Larry Knechtel,b,key)が加入します。ラリー・ネクテルはあのサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」でピアノを弾いていた人です。有名なスタジオ・ミュージシャンです。

 

1969年にファーストアルバム『Bread』を発表します。

翌年にはセカンドアルバム『On The Waters』を発表します。この中からシングル「Make It With You」が全米1位の大ヒットとなります。これで『ブレッド』の名は世界的なものになります。

1971年にはサードアルバム『Manna』をりりーす、この中の「If」がまたしても大ヒット、『ブレッド』の代表曲となります。

1972年の4枚目『Baby I'm-A Want You』からラリー・ネクテルが加わります。この中からタイトル曲が大ヒット、他にもヒットシングルが生まれ、アルバムも全米3位に輝きました。

1972年に5枚目『Guitar Man』をリリースします。このアルバムのタイトル曲はベスト10を逃しますが11位と健闘します。このアルバムはややロック色が強くなりました。

ここで『ブレッド』は解散します。デヴィッドとジェイムスはそれぞれソロ活動を始めますが、今一つパットしませんでした。そこに再結成の話が持ち込まれ、1977年に再結成します。そして通算6作目のアルバム『Lost Without Your Love』がリリースされます。相変わらずの爽やかロックを聴かせてくれます。

 

ということで、今日紹介するベストは『Guitar Man』をリリースした後の1973年と1974年に発表されました。

まずは『The Best Of Bread』です。

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Side A

1.Make It With You

2.Everything! Own

3.Diary

4.Baby I'm-a Want You

5.It Don't Matter to Me

6.If

 

Side B

1.Mother Freedom

2.Down on My Knees

3.Too Much Love

4.Let Your Love Go

5.Look What You've Done

6.Truckin

 

A-1は『On The Waters』から。全米1位の大ヒット。

A-2は『Baby I'm-A Want You』から。全米5位の大ヒット。

A-3も『Baby I'm-A Want You』から。全米15位。

A-4も『Baby I'm-A Want You』から。全米3位の大ヒット。

A-5は『Bread』から。全米10位。

A-6は

A-6は『Manna』から。全米4位。

B-1は『Baby I'm-A Want You』から。全米37位。

B-2は『Baby I'm-A Want You』から。

B-3は『Manna』から。

B-4は『Manna』から。

B-5は『On The Waters』から。

B-6は『Manna』から。

となっています。

 

続いて、『The Best Of Bread  Volume Two』です。CDは入手困難のようです。

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Side A
1.Sweet Surrender
2. Fancy Dancer
3. Guitar Man
4. Been Too Long On The Road
5. Friends and Lovers
6. Aubrey

 

Side B
1. Daughter
2. Dream Lady
3. Yours For Life
4. Just Like Yesterday
5. He's a Good Lad
6. London Bridge

 

A-1は『Guitar Man』から。全米11位

A-2は『Guitar Man』から。

A-3は『Guitar Man』から。全米15位

A-4は『On The Waters』から。

A-5は『Baby I'm-A Want You』から。

A-6は『Guitar Man』から。全米15位

B-1は『Baby I'm-A Want You』から。

B-2は『Baby I'm-A Want You』から。

B-3は『Guitar Man』から。

B-4は『Bread』から。

B-5は『Manna』から。

B-6は『Bread』から。

 

となっています。とりあえず、5枚のアルバムからまんべんなく選曲されています。特に『Baby I'm-A Want You』からの曲が全部で7曲に上ります。このアルバムが一番売れたということからも妥当な選曲なのでしょう。

 

Bread    On the Waters    Manna    Baby I'm-A Want You    Guitar Man

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ジェイムス・グリフィンは2005年に癌で、マイク・ボッツも同じ年にやはり癌でなくなりました。それぞれ62歳と61歳でした。2009年にはラリー・ネクテルも心臓発作で亡くなっています。69歳でした。

デヴィッド・ゲイツは今のところ健在です。76歳になりました。

ジェイムスとデヴィッドは類まれなソングライティング能力を持ち合わせ、70年代のウェストコーストの風に乗って、爽やかなメロディーとサウンドを聴かせてくれました。

 

代表曲を2曲。


Bread - Make it with you (1970)


Bread - The Guitar Man (Lyrics)

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

この人の、この1枚 『アトランタ・リズム・セクション(Atlanta Rhythm Section)/アー・ユー・レディー!(Are You Ready!)』

アトランタ・リズム・セクション(以下、A.R.S)の通算9枚目のアルバムはライブ2枚組(レコード)です。待ちに待ったライヴで、ベスト盤的な意味合いもありました。

A.R.Sは南部ジョージア州の出身。このライブ時のメンバーは

バリー・ベイリー(Barry Bailey,g)

ロニー・ハモンド(Ronnie Hammond,vo)

ポール・ゴダード(Paul Goddard,b)

J.R コッブ(J.R Cobb,g)

ディーン・ドートリー(Dean Daughtry,key)

ですが、この前までドラムでロバート・ニックス(Robert Nix,ds)が在籍していましたが、この時は体調不良で、替わりにロイ・イエーガーが務めました。その後正式メンバーになりました。

 

このバンドの結成は古く1971年に遡ります。このバンドのプロデュースをファーストアルバムから一貫して務めているバディ・ブイ(Buddy Buie)スタジオ・ワンの感性と共にアトランタのスタジオ・ミュージシャンを集めてバンドを作ろうという構想が生まれ、集められたのが上記のメンバーでした。正しくはその時はヴォーカルはロドニー・ジャストでしたが、ファーストアルバムをリリース後にソロ活動に専念すということで現在のロニー・ハモンドに替わります。

スタジオ・ミュージシャンの集まりなので技術は申し分ないのですが、ステージ経験が不足しており、どうしても地味な印象が拭えませんでした。それでも専門家筋は高く評価しており、アル・クーパーなども盛んにライヴに顔を出していましたし、彼のソロアルバムにもA.R.Sのメンバーが参加したりしていました。

彼らがメキメキ頭角を現すようになったのは4枚目のDog Days、5枚目のRed Tapeあたりではないでしょうか。ちょうど1970年代の中ごろです。オールマン・ブラザース、レーナード・スキナードと並び称されるほどになりました。

1976年のRock And Roll Alternative、1978年のChampagne Jam』あたりで最高潮を迎えます。そうした中で発表されたのが今日取り上げるAre You Ready!です。

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Side A
       0. Prelude: Tara's Theme
       1. Sky High
       2. Champagne Jam
       3. I'm Not Gonna Let It Bother Me Tonight
       4. Large Time
Side B
1. Back Up Against the Wall
  2. Angel (What in the World's Coming Over Us)
  3. Conversation
  4. Imaginary Lover
Side C
  1. Dorville
  2. Another Man's Woman
Side D
  1. Georgia Rhythm
  2. So Into You
  3. Long Tall Sally
 
B面の2と4がセカンドアルバム『Back Up Against The Wall』から。
C面の1はサードアルバム『Third Annual Pipe Dream』から。
C面の2とは『Red Tape』から
A面の1とD面の1、そして大ヒットしたD面の3は『Rock And Roll Alternative』から。
A面の2,3,4とB面の4は『Champigne Jam』から。
残念ながら『Dog Days』からは選曲されませんでした。
それでもヒット曲は網羅されており、ベスト盤とライブ盤を一遍に味わうことが出来るアルバムとなりました。
 
このジャケットを見てもわかりますように、この観客の多さと凄まじい熱気には圧倒されます。A.R.Sも当初は南部の匂いがしましたが、この頃になるとすっかり垢抜けて、都会的バンドになってきました。
 
この後もバンドは活動を続けますが、メンバーのバリー・ベイリーは37才の時に心臓発作で、ロニー・ハモンドは60才の時に心臓発作で、ロバート・ニックスは多発性骨髄腫で67歳の時に、そしてポール・ゴダードはガンで68歳の時にそれぞれなくなりました。現在のA.R.Sにオリジナルメンバーで残っているのは、ディーン・ドートリーだけになっています。
 

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それでは今日はこの辺で。

映画 『別離』を観る

久しぶりの自宅シアターです。

今日の映画はイラン映画の『別離』です。

 

監督 アスガル・ファルハーディー

主演 レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、シャハブ・ホセイニ、サレー・バヤト

制作 2011年 イラン

ベルリン国際映画祭 金熊賞、男優賞、女優賞

アカデミー賞 外国語映画賞

その他多数の映画賞受賞

 

ストーリーはナデルとシミン夫妻は11歳の娘テルメーとナデルの父親との4人暮らしをしています。シミンは娘の将来のためにイランを出て家族で暮らしたいと願っており、ナデルはアルツハイマー父親を残しては行けないと出国に反対しています。シミンは離婚してでも出国すると家庭裁判所に離婚の申請をしますが却下されます。

シミンはナデルの元を離れ、実家に帰ります。テルメーは父親の元で暮らします。

シミンがいなくなったことで、父親の介護をラジエーという敬虔なイスラム教徒で貧しい子連れの女性を雇います。しかしラジエーは失業中の夫に無断でこの仕事に就きました。短気で、狂暴な夫に男性の介護などしていることが知れたら暴れ出すと思っていたからです。ラジエーは働き出して、父親が失禁しているのを目撃し、介護で男性の体に触れることが信仰上許されるのか悩みます。それでも見捨てることは出来ず続けることにします。

ある日、ラジエーは父親をベッドに縛り付け外出してしまいます。ちょうど帰宅したナデルとテルメーがベッドから転落して意識不明の状態になっている父親を発見します。さらに日給と同額の金が無くなっていることに気が付きます。怒ったナデルはラジエーを怒鳴りつけ、もう2度と来るなと玄関から無理やり押し出してしまいます。ラジエーは階段に倒れ込み、その夜、彼女は流産してしまいます。

ラジエーの夫は怒り狂い、ナデルがラジエーは妊娠しているのを承知で胎児を死に至らしめたと告訴します。胎児が4カ月を過ぎると殺人罪が成立するのです。

ナデルは妊娠は知らなかったと主張します。それに突き飛ばしてはいないと主張します。そして逆に父親を縛り付けて放置したとして、ラジエーを告訴します。

ラジエーの夫は短気で暴力的です。テルメーの学校まで押しかけ、ナデルの家族の悪口を言いふらします。

テルメーはナデルがラジエーの妊娠を知らなかったという証言に疑問を感じていました。そして父親を問いただします。ナデルは真実を認めます。それはお前を一人にはできないし、守りたかったからだと答えます。そしてナデルは裁判所でも証言は翻しません。テルメーは裁判所で判事から証言を求められます。しかし彼女は、父は妊娠を知らなかったと噓の証言をします。

苦しむ娘の姿を見てシミンはラジエー家との示談を持ち掛けます。しかし、ナデルは自分の罪を認めることになると言い反対します。それでもシミンは娘の安全のためにと、直接ラジエーを訪ねます。そこでラジエーは父親が徘徊で外に出てしまい、探しに行ったところ父親が車に轢かれそうになったのを庇って自分が車と接触してしまい、その日の夜に流産したという事実を打ち明けます。この事実を夫が知ったら大変なことになるし、また事実を隠して示談金をもらってしまえば娘に災いが降りかかると、怯え悩んでいます。

ナデルとシミンはようやく娘の安全のためにと示談金を支払うことで決心し、ラジエー家へ行きます。そこでナデルは、示談金は間違いなく支払うが、その前にラジエーに私のせいで流産したことをコーランに誓ってくれと依頼します。驚いたラジエーは別室に入ったきり出て来ません。夫が様子を見に行くとラジエーはようやく夫に真実を話します。夫は気が狂ったようになり家を飛び出してしまいます。ナデルの車のフロントガラスは割られていました。

場面は変わって、家庭裁判所。離婚裁判の続きが始まりました。テルメーが父親か母親か、どちらと暮らすかを選ばねばなりません。判事がテルメーに、心は決まりましたかと訊ねると、テルメーは「はい」と答えますが、なかなか言い出しません。両親には席を外してもらいますか、と訊ねられると「はい」と答えます。ここで両親は廊下へ出ます。

両親は廊下へ出て待ちます。ちょうど廊下の仕切りの向こう側とこちら側に分かれて座ります。この情景が定点カメラで延々と続き、やがてエンドロールが流れ映画は終わります。

はっきり言って凄い映画です。

この映画の監督アスガル・ファルハーディーは過去にアフマディネジャド政権を批判したことで映画人としての権利を剝奪された経験があるそうです。

その為なのかこの映画では政権に対する批判などはほとんどありません。シミンが娘の将来のためにイランにはいられないという発言も、判事によって完璧に否定されています。

また真実はどこにあるのかという、一見サスペンス風なドラマ仕立ても功を奏しています。

ナデル一家中流以上の家庭、ラジエー一家貧困層。この対立。

イスラム教の戒律と現実の狭間で悩む教徒。

など、様々な視点からこの映画を観ることが出来ます。

しかし何といっても、印象に残るのはラストシーンです。夫婦間の深い溝、その間で悩み苦しむ娘。夫婦間の断絶を見事に描写したラストシーンではなかったでしょうか。結局、娘テルメーがどちらを選んだのかは分かりません。でも、どちらでも関係ないのでしょう。彼女の本心は両親に別れてほしくないと切に願っているのですから。彼女が父親の元で暮らしていたのは、母親が戻ってくるのを確信していたからです。それでも離婚が現実的になってくると、どちらかを選択しなければならないという子供の苦悩がこのラストシーンで思わず涙がこみ上げるほどに見事に描かれています。

 

おそらくイラン映画は初体験かと思いますが(忘れているかもしれません)何の違和感もなく観れました。いい映画でした。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

ファッツ・ドミノ(Fats Domino)、遠藤賢司 逝く!

今日は二つの悲しい知らせを受け取りました。10月24日、ファッツ・ドミノが、25日に遠藤賢司がそれぞれ旅立ちました。

 

ファッツ・ドミノ

ファッツ・ドミノはご存じ、ロックンロールの創始者と言われる人です。ロックンロールだけではなく、ブギウギやブルースも魅力でした。丸々と太った姿でピアノを弾く姿は何度もテレビで見かけました。

ビートルズや60年代、70年代のロック・ミュージシャンに多大なる影響を与えた黒人ミュージシャンでした。

「The Fat Man」「Blue Monday」「My Blue Heaven」「Blueberry Hill」などヒット曲は多数です。それでもやっぱり50年代から60年台前半のインペリアルに在席していた頃が全盛期だったでしょうか。

ファッツ・ドミノ、89歳でした。2005年のハリケーンカトリーナでは一時行方不明になったそうですが、無事救出されたようです。ロックの歴史を語る上では欠かせないミュージシャンでした。

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遠藤賢司

エンケンこと遠藤賢司がとうとう逝ってしまいました。去年から胃がんで療養していると聞いていましたが、いつだったかテレビで元気な姿を見て良かったと思っていましたが、やはりこの日が来てしまいました。

遠藤賢司については高校生の頃に初めて知り、それ以来レコードを買ったりして聴いていました。

何といっても私の思い出の1枚は『満足できるかな』ですね。1971年発売です。

1曲目の「満足できるかな」はまさにロックです。そしてその後の遠藤賢司のパンクロックの芽がここにあったのでしょう。

「カレーライス」は大ヒット曲です。ちょうど三島由紀夫が割腹自殺をした後で作ったようで、「誰かがおなかを切っちゃったって、痛いだろうにね」って歌っています。三島の割腹自殺は当時では過激派の活動と並んで重大ニュースでしたが、それよりもカレーライス、このニヒリスティックなところが受けました。

遠藤賢司もその頃のフォークシンガー同様、ボブ・ディランに多大なる影響を受けており、ギターとハーモニカの弾き語りが基本でした。60年代後半から70年代初頭にかけては関西フォークの連中と行動を共にしていますが、高田渡と同様関東の出身で、関西フォークの直接的なプロテストソングとは一線を画くしているようなところがありました。高田渡もそうでしたが、当時としては珍しく日常を題材にした歌も多くありました。特に猫が好きで「寝図美よこれが太平洋だ」という曲では自分の飼い猫(寝図美(ネズミ)という名前)を歌にしています。その他にも猫の歌が多いです。

このアルバムには大瀧詠一を除くはっぴいえんどのメンバーがバックで参加しています。今聴いても決して古臭さを感じさせない、傑作アルバムだと思います。

この前のファーストアルバムに入っていた「夜汽車のブルース」も晩年まで歌っていた代表曲です。

その後はご存じのとおり、ロックへとそしてパンクへと向かいます。そして再び弾き語りへと戻ってきます。日本のフォーク、ロック界に与えた影響は大きいものが有りました。

私が遠藤賢司のライブを見たのは1回だけでした。1973年の大晦日ライブでした。座ってギターを弾き、「カレーライス」を歌う姿が思い出されます。

加川良の訃報記事でもこのライブのことは書いていますので読んでみてください。

lynyrdburitto.hatenablog.com

今年に入って、加川良佐藤公彦(ケメ)そして遠藤賢司と私の青春時代を彩ったフォークシンガーが次々と亡くなりました。高田渡山平和彦もりりィももいません。本当に寂しくなりました。我が青春は遠くなりにけり、です。


カレーライス    遠藤賢司

 

今日はファッツ・ドミノ遠藤賢司、図らずも二人の訃報記事を書く破目になってしまいました。

 

心より、ファッツ・ドミノ遠藤賢司、お二人のご冥福をお祈りいたします。合掌

この人の、この1枚 『アメイジング・リズム・エイセス(The Amazing Rhythm Aces)/スタックド・デック(Stacked Deck)』

アメイジング・リズム・エイセス(以下、A.R.A)といっても憶えておられる方は少ないかもしれません。1990年代に再結成し2000年代まで活動していたのでご存じの方もおられるかもしれません。

1970年ごろに結成されたアメリカ・テネシー州のローカルバンドで、デビューが1975年でした。メンバーは、

 

ラッセル・スミス(Russell Smith,vo,g,harm)

バリー・”バード”・バートン(Barry"Byrd"Burton,g,dobro,mando,vo)

ビリー・イヤーハート(Billy Earheart,key)

ブッチ・マクデイド(Butch McDade,ds)

ジェイムス・フッカー(James Hooker,p)

ジェフ・デイヴィス(Jeff Davis,b)

です。

 

バンド結成のきっかけとなったのが、ラッセルとブッチの出会いです。二人は元々別のバンドで活動していました。そこで意気投合します。さらにブッチとジェフが出会います。そしてラッセルに紹介します。そしてギタリストを加えたバンドを結成しますが、間もなく解散。その後、ブッチはジェシ・ウィンチェスター(Jesse Winchester)のツアーに誘われジェシ・ウィンチェスター&リズム・エイセスという名前で活動、そこにジェフも加わります。

一方ラッセルはビリーと知り合い、曲作りをしていて、ブッチがその曲の一部をジェシ・ウィンチェスター(Jesse Winchester)に紹介します。ジェシはひどく気に入り、彼の3枚目のアルバムで2曲も取り上げます。

ラッセルはギタリスト・ジム・カーショウを加えバンド結成を準備しますが、そこにブッチとジェフが加わり、バンドが結成されます。さらにジム・カーショウが辞めたためバリーが替わり加入、ピアニストのジェイムスも加入してARAはようやく結成されました。

そして1975年に待望のファーストアルバム『Stacked Deck』が発表されました(現在入手困難のようです)。

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A -side

1.Third Rate Romance

2.The 'Ella B"

3.Life's Railway to Heaven

4.The Beautiful Lie

5.Hit the Nail on the Head

6.Who Will the Next Fool Be

B-side

1.Amazing Grace(Used to Be Her Favorite Song)

2.Anything You Want

3.My Tears Still Flow

4.Emma-Jean

5.Why Can't I Be Satisfied

6.King of the Cowboys

 

A-1はジェシ・ウィンチェスターが『Learn To Love It』の中で取り上げた「Third Rate   Romance」です。ジェシとはまた違った雰囲気でラッセルの独特の唱法で生かされ  れています。

A-3はブルーグラス

A-4はなんとも美しいバラード.です。

A-5はロックンロール調ナンバー。

A-6はチャーリー・リッチの曲。

B-1はご存じアメージング・グレイス、「彼女の一番好きだった曲」として歌っています。全く別曲です。カントリーフレーバーあふれた曲。

B-3はソウル。

B-4ではかつてのギタリスト。ジム・カーショウが弾いています。カントリーです。

B-5は珍しくマイナー調の曲です。ギターがいい。

B-6は最後にふさわしくスローカントリーで締めくくります。

このアルバムはカントリーチャートで12位を記録し、シングルのA-1はカナダのカントリーチャートの1位になりました。

 

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翌年、A.R.Aはセカンドアルバム『Too Stuffed to Jump』を発表します(これも入手困難のようです)。

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A-side
1. Typical American Boy
2. If I Just Knew What To Say
3. The End Is Not In Sight
4. Same Ole' Me
5. These Dreams Of Losing You
 
B-side
1. I'll Be Gone
2. Out Of The Snow
3. Fool For The Womn
4. A Little Italy Rag
5. Dancing The Night Away
 
このアルバムもファーストに負けず劣らず傑作です。ファーストよりもパワーアップしています。このあとグラミー賞を獲得しています。
 
その後もA.R.Aは1981年までに5枚ほどアルバムを出しますが、その後解散します。そして1994年に再結成します。2004年ごろまではアルバムを出していたようです。
 
なお、入手困難としましたが調べてところ、2枚のアルバムの2イン1のCDが出ていました。 参考までに。
 
渋い、いぶし銀のバンドでした。
 
それでは今日はこの辺で。