今日は二つの悲しい知らせを受け取りました。10月24日、ファッツ・ドミノが、25日に遠藤賢司がそれぞれ旅立ちました。
ファッツ・ドミノはご存じ、ロックンロールの創始者と言われる人です。ロックンロールだけではなく、ブギウギやブルースも魅力でした。丸々と太った姿でピアノを弾く姿は何度もテレビで見かけました。
ビートルズや60年代、70年代のロック・ミュージシャンに多大なる影響を与えた黒人ミュージシャンでした。
「The Fat Man」「Blue Monday」「My Blue Heaven」「Blueberry Hill」などヒット曲は多数です。それでもやっぱり50年代から60年台前半のインペリアルに在席していた頃が全盛期だったでしょうか。
ファッツ・ドミノ、89歳でした。2005年のハリケーン・カトリーナでは一時行方不明になったそうですが、無事救出されたようです。ロックの歴史を語る上では欠かせないミュージシャンでした。
エンケンこと遠藤賢司がとうとう逝ってしまいました。去年から胃がんで療養していると聞いていましたが、いつだったかテレビで元気な姿を見て良かったと思っていましたが、やはりこの日が来てしまいました。
遠藤賢司については高校生の頃に初めて知り、それ以来レコードを買ったりして聴いていました。
何といっても私の思い出の1枚は『満足できるかな』ですね。1971年発売です。
1曲目の「満足できるかな」はまさにロックです。そしてその後の遠藤賢司のパンクロックの芽がここにあったのでしょう。
「カレーライス」は大ヒット曲です。ちょうど三島由紀夫が割腹自殺をした後で作ったようで、「誰かがおなかを切っちゃったって、痛いだろうにね」って歌っています。三島の割腹自殺は当時では過激派の活動と並んで重大ニュースでしたが、それよりもカレーライス、このニヒリスティックなところが受けました。
遠藤賢司もその頃のフォークシンガー同様、ボブ・ディランに多大なる影響を受けており、ギターとハーモニカの弾き語りが基本でした。60年代後半から70年代初頭にかけては関西フォークの連中と行動を共にしていますが、高田渡と同様関東の出身で、関西フォークの直接的なプロテストソングとは一線を画くしているようなところがありました。高田渡もそうでしたが、当時としては珍しく日常を題材にした歌も多くありました。特に猫が好きで「寝図美よこれが太平洋だ」という曲では自分の飼い猫(寝図美(ネズミ)という名前)を歌にしています。その他にも猫の歌が多いです。
このアルバムには大瀧詠一を除くはっぴいえんどのメンバーがバックで参加しています。今聴いても決して古臭さを感じさせない、傑作アルバムだと思います。
この前のファーストアルバムに入っていた「夜汽車のブルース」も晩年まで歌っていた代表曲です。
その後はご存じのとおり、ロックへとそしてパンクへと向かいます。そして再び弾き語りへと戻ってきます。日本のフォーク、ロック界に与えた影響は大きいものが有りました。
私が遠藤賢司のライブを見たのは1回だけでした。1973年の大晦日ライブでした。座ってギターを弾き、「カレーライス」を歌う姿が思い出されます。
加川良の訃報記事でもこのライブのことは書いていますので読んでみてください。
今年に入って、加川良、佐藤公彦(ケメ)そして遠藤賢司と私の青春時代を彩ったフォークシンガーが次々と亡くなりました。高田渡も山平和彦もりりィももいません。本当に寂しくなりました。我が青春は遠くなりにけり、です。
今日はファッツ・ドミノ、遠藤賢司、図らずも二人の訃報記事を書く破目になってしまいました。