Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル((Creedence Clearwater Revival)/バイヨー・カントリー(Bayou Country)』

C.C.Rと言ってわかる人は、今時どれぐらいいるでしょうか。それだけ過去のグループになってしまった感がありますが、1970年頃の彼らの勢いは凄かったのです。「プラウド・メアリー」や「雨を見たかい」など、ヒット曲が多数なので、中には知らずに聴いているということもあるかもしれません。日本にロック・ミュージックを浸透させた功績は「シカゴ」や「グランド・ファンク」などと並んで絶大でした。

そんな彼らのセカンドアルバムが『Bayou Country』です。

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裏ジャケットにありますように、これが日本でのデビューアルバムになっていました。ジャケットもオリジナルとは全然違います。

これが、オリジナルのジャケットです。当時はこういうことはよくありました。アーティストの評判などを確認してから、発売に踏み切るというやり方です。

実際に彼らのファーストアルバム『Creedence Clearwater Revival』からは「Suzie Q」と「I Put A Spell On You 」という2曲のヒットが生まれました。いずれもカバー曲ではありましたが。

そして2作目からも「Proud Mary」が全米2位を記録するなどしました。 これを見て日本も慌てて発売に踏み切ったのではないかと想像します。

 

C.C.Rのメンバーは、

ジョン・フォガティ(John Fogerty,vo,g)

トム・フォガティ(Tom Fogerty,rhythm g)

スチュワート・クック(Stu Cook,b)

ダグ・クリフォード(Doug Cliford,ds)

です。

ほぼジョン・フォガティのワンマンバンドです。トムはジョンのお兄さんです。

 

Sude A

1. Born On The Bayou

3. Graveyard Train
 
Side B
1. Good Golly Miss Molly
2. Penthouse Pauper
3. Proud Mary
4. Keep On Chooglin'
 
なお、オリジナル盤は日本盤とA面とB面が逆になっています。
 
A-1 自分のちっぽけな汚い町が好きだから、どこへも行かないといった内容。ロックンロール調のご機嫌なナンバー。
A-2 単調なリズムとメロディ。ちょっとサイケっぽい。
A-3 これも単調なコード進行の繰り返し。
B-1 この曲のみカバー曲。リトル・リチャードがヒットさせた名作。
B-2 ブルース色たっぷりの曲。ジョン・フォガティのしわがれた声が合っています。
B-3 大ヒット曲。不滅の名曲。
B-4 A-3と並んで7分を超す大作。当時はまだ長尺ナンバーは少なかったのです。
 
このアルバムは全米で7位まで売り上げを伸ばしました。
しかし、彼等は当時のロックグループがアルバムに力を入れていたのに対し、シングルに重きを置いていたフシがあります。
 
その後も次々とヒット曲を飛ばしますが、なかなか全米1位は獲得できませんでした。2位が5曲もあるという珍しいバンドでした。
 
1969年には『Bayou ountry』からサードアルバムの『Green River』、そして4枚目の『Willy and the Poor Boys』まで3枚ものアルバムをリリースしています。

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このサードアルバムからは「Bad Moon Rising」「Lodi」「Green River」「Commotion」と4曲ものヒットがうまれました。アルバムは全米1位を獲得しました。 

 この4枚目のアルバムからは「Down On The Corner」「Fortunate Son」がヒットしました。アルバムは全米3位。

 

翌、1970年には『Cosmo's Factory』と『Pendulum』の2枚のアルバムをリリースします。

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このアルバムからは「Travelin' Band 」「 Who'll Stop The Rain」「Up Around The Bend」「Run Through The Jungle」「Lookin' Out My Back Door」「Long As I Can See The Light」と、なんと6曲ものシングルヒットが生まれます。さらに驚くことにこの中の4曲が全米2位になります。アルバムも当然1位です。

 

このアルバムからは「Have You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)」が8位に入りました。アルバムは全米5位になりました。

 

しかし、このあたりから陰りが見え始めます。ハイペースでアルバムを発表し続けてきた彼等でしたが、ジョンのワンマンぶりに嫌気が差したか、トムが脱退します。

そして少し間隔をおいて1972年、7枚目のアルバム『Mardi Gras』をリリースします。

このアルバムからは「Sweet Hitch-Hiker」と「Someday Never Comes」がかろうじてヒットしますが、かつての勢いはありません。
楽曲も他のメンバーの曲を取り上げるなどして、ワンマンぶりを解消しようとしましたが、もはやどうにもなりませんでした。バンドはあっさりと4年間の栄光に幕を下ろしました。
 
その後、ジョン・フォガティはソロ活動を続け。アルバムも相当数出しました。1997年にはグラミー賞も獲得しています。
クックとクリフォードはその後、ドン・ハリソン・バンドに加入し、その後はセッションマンとして活躍。
トム・フォガティはソロアルバムを数枚出しましたが、1990年に48歳で他界しました。
 
C.C.Rというと、どうしても南部の土臭い香りがするのですが、彼等はウェストコーストの出身なのです。それなのに、当時はスワンプミュージックの代表選手のような言われ方をしていました。う~ん、やっぱりウェストコーストの匂いはしませんね。泥臭さが魅力です。
 


雨を見たかい/Have You Ever Seen the Rain/CCR

 

 それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『エリック・クラプトン(Eric Clapton)/レインボー・コンサート(Rainbow Concert)』

1970年頃のクラプトンは多忙を極めていました。スティーヴ・ウィンウッドらとのスーパーグループ、「ブラインド・フェイス」の終焉、渡米後「デラニー&ボニー」のツアーに参加、初のソロアルバムの制作、デュアン・オールマンらと「デレク&ザ・ドミノス」の結成、レコーディング等々。疲れ切ってしまったのか、ミュージシャンの行きつく先はドラッグ。約2年間の沈黙。

これを見るに見かねた、ザ・フーのリーダー、ピート・タンジェントの呼びかけで、開催されることになったレインボー・シアターにおけるクラプトンの復活コンサートが『レインボー・コンサート』です。

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Side A

1.Badge
2.Roll It Over
3.Presence of the Lord

 

Side B

1.Pearly Queen
2.After Midnight
3.Little Wing

 

参加したメンバーは

ピート・タンジェントザ・フー) ギター、ヴォーカル

スティーヴ・ウィンウッドトラフィック) キーボード、ヴォーカル

リック・グレッチ(トラフィック)  ベース

ジム・キャパルディ(トラフィック) ドラムス

ジム・カーステイン  ドラムス

リー・ボップ(トラフィック)  パーカッション

ロン・ウッド(フェイセス) ギター、ヴォーカル

 

A-1 ジョージ・ハリソンとの共作。クリームのアルバム『グッバイ・クリーム』に 収録。

A-2 デレク&ザ・ドミノスでのボビー・ウィットロックとの共作。

A-3 ブラインド・フェイス時代の曲。ヴォーカルはスティーヴ・ウィンウッド。名 曲です。「神の前では生きる道は、たった一つ。それがわかったよ。」

B-1 トラフィックの曲。スティーヴ・ウィンウッドとジム・キャパルディの共作。 トラフィックセカンドアルバムに収録。ヴォーカルはスティーヴ。

B-2 J.J ケイルの曲。彼のファーストアルバムに収録。

B-3 ジミ・ヘンドリックスの名曲。『Axis:Bold As Love』に収録。デレク&ザ・ド ミノスでもカバーしています。

 

このアルバムは発売当初は音質の悪さと曲数の少なさ、それに演奏のだるさで酷評されました。

確かに音質は悪いです。演奏のだるさも、クラプトンのヨレヨレだった体調を考えると致し方ないのかもしれません。それでも私はクラプトンが復活してくれ、実際にギターと声を聴けたことで十分満足でした。

 

その後、1995年になって、8曲追加されリマスター盤でCD化されました。

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01. Layla
02. Badge
03. Blues Power
04. Roll It Over
05. Little Wing
06. Bottle Of Red Wine
07. After Midnight
08. Bell Bottom Blues
09. Presence Of The Lord
10. Tell The Truth
11.  Pearly Queen
12. Key To The Highway
13. Let It Rain
14. Crossroads

オープニングが「レイラ」だったわけです。

ドミノスでの曲が、03,08,10,12が追加されました。

06はデラニー&ボニーとの共作でドミノスのライブで演奏していました。

13はファーストソロから。

14はブルースナンバーでクリームの『Wheels Of Fire』に収録。

 

こうしてみるとデレク&ザ・ドミノスからライブを含めると実に8曲、クリーム時代が2曲、ブラインド・フェイスが1曲、ソロが2曲。その他が1曲。という構想になっています。クラプトンの2年間を考えれば、新曲が無いのも致し方ないのかもしれません。08などは大好きな曲なので聴けるだけで申し分なしです。

クラプトンはこの翌年、レイドバックの傑作、『461 Ocean Boulevard』を発表します。

そしてその年初来日を果たします。夢中で観ていました。

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その後のクラプトンの活躍は言うまでもありません。随分追いかけました。

 

クラプトンについては少しだけ書いた記事がありますので参考までに。

lynyrdburitto.hatenablog.com

lynyrdburitto.hatenablog.com

当時のクラプトンに関するアルバムです。順に『ブラインド・フェイス』『ファースト・ソロ』『デラニ―&ボニー・オン・ツアー』『いとしのレイラ』。デラックスエディションなど大幅に未発表音源を追加して発売されています。こういうのは嬉しいやら、今さらなんだよ、と複雑な気持ちです。

     

 

まだまだ元気いっぱいのエリック・クラプトン、72歳。いつまでも元気で頑張ってもらいましょう。

 


Eric Clapton - Layla (Eric Clapton's Rainbow Concert)

 


Eric Clapton 's Rainbow concert - Badge

 


Eric Clapton-Pete Townshend-07-Little Wing-Live Rainbow 1973

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ロジャー・マッギン(Roger Mcguinn)/ピース・オン・ユー(Peace On You)』

ザ・バーズのリーダーとして、数々のメンバーチェンジを繰り返しながら7年間ザ・バーズを守り抜いてきた男。それがロジャー・マッギンです。

ザ・バーズは1965年のファーストアルバム『ミスター・タンブリンマン』から1971年の最後のアルバム『ファーザー・アロング』まで11枚のアルバムを発表し、フォークロック、スペースロック、ラガロック、カントリーロックと様々な音楽分野の先駆けとなって、アメリカンロックを牽引してきた功績は計り知れないものが有ります。そのグループのリーダーとして活躍してきた男は、遂に1971年に解散を決断します。

lynyrdburitto.hatenablog.com

そしてソロになり1973年にファーストアルバム『Roger Mcguinn』でソロデビューします。

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このアルバムにはボブ・ディランの他、バーズのオリジナルメンバーが全員顔を見せています。実はこの年にザ・バーズがオリジナルメンバーにより再結成され、アルバム『Byrds』が発表されます。このアルバムはその伏線だったのでしょう。

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翌年、アルバム『Peace On You』が発売されます。

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Side A
1. Peace On You
2. Without You
3. Going To The Country
4. (Please Not) One More Time
5. Same Old Sound
 
Side B
1. Do What You Want To Do 
2. Together
3. Better Change
4. Gate Of Horn
5. The Lady
 
レコーディング参加メンバーは
 
ラス・カンケル  ドラムス
リランド・スクラ―  ベース
ポール・ハリス  キーボード
ドニ―・ダッカス ギター
ダン・フォーゲルバーグ  ギター、Bヴォーカル  B-1、B-3

アル・パーキンス  スティール・ギター B-1

アル・クーパー クラリネット、ギター、ピアノ、アレンジ A-4

驚くのはアル・クーパーの参加です。そういえばボブ・ディランを介せば二人の結びつきは当然だったかもしれません。

 

A-1はカントリーの大御所、チャーリー・リッチの曲。壮大なロックにアレンジして います。すがすがしいくらいです。

A-3はレコードクレジットではドニー・ダッカスの曲となっていますが、これはス  ティーヴ・ミラー・バンドの『Number 5』に入っていた曲で、そちらのクレジットを見るとスティーヴ・ミラーとベン・シドランの共作になっています。どうなっているのでしょう。

A-4はアル・クーパーの曲。いかにもアル・クーパーの曲らしい。

B-3は当時まだ駆け出しのシンガーソングライターだったダン・フォーゲルバーグの 曲です。

 

このアルバムではロジャー・マッギンのオリジナルが前作に比べかなり減っています。バーズ時代からの相棒、ジャッケス・レヴィとの共作が4曲と単独で1曲、合計5曲と全体の半分です。珍しいです。

 

この後、ロジャーはイギリスツアーに赴き、そこで知り合ったメンバーとバンドを作ります。「ロジャー・マッギン&バンド」です。そして発表されたのが『Roger Mcguinn & Band』です。1975年です。

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ここでは、曲作りもメンバーにバランスよく振り分け、自身の曲はバーズ時代の曲を含め4曲のみです。このあたりはバーズ時代の反省からくるメンバーに対する心遣いか、「Lover Of The Bayou」と「Born To Rock'n Roll」をリヴァイヴァルしているのは、嬉しいやら微妙な感じです。ディランの「天国の扉」もカバーしています。

翌年、再びソロに戻り、最高傑作の誉れ高い『Cardiff Rose』をリリースします。

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この年、ボブ・ディランが「ローリング・サンダー・レヴュー」という大々的なコンサートツアーを開催します。ロジャーもそのメンバーに加わりますが、このアルバムにはそのツアーのメンバーが参加しました。ミック・ロンソン、デヴィッド・マンスフィールド、ロブ・ストナー、ハウイ・ワイエスなど、それに「ポコ」のティモシー・シュミットも参加しました。ディランやジョニ・ミッチェルの未発表曲も取り上げています。

この後、1977年にソロアルバム『Thenderbyrd』を出します。

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ここで再びバンド編成します。「サンダーバード」というのがバンド名ですが、結局この1枚でした。

 

その後は、ジーン・クラークの記事でも書きましたように、「マッギン・クラーク&ヒルマン」の結成、そしてジーン・クラークが抜けて「マッギンーヒルマン」として1枚アルバムを出して、80年代は目立った活躍はありませんでした。

90年代に入り再びソロ活動を開始します。

     

 

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

ロジャー・マッギンと言えば12弦ギターの使い手です。ソロに転向してから、他の元メンバーのソロアルバムと比較してバーズの匂いを一番感じさせてくれます。それはギターの音色や声が声だからかもしれませんが、やはり一人でバーズを背負ってきた重さが、浸み込んでいたのでしょうか。

  


Roger McGuinn Peace on you

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ジーン・クラーク(Gene Clark)/ジーン・クラーク(Gene Clark)』

ザ・バーズのオリジナルメンバーのジーン・クラークの幻の名盤と謳われた『ジーン・クラーク』です。通称『ホワイト・ライト』と呼ばれています。

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ジーン・クラークは1964年ごろロジャー・マッギン(その頃はジム)と知り合い、さらにデヴィッド・クロスビーが加わり、クリス・ヒルマンとマイケル・クラークも入れて「ジェットセット」というバンド名で立ち上げました。その後「ザ・バーズ」と変名し、1965年ボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」が大ヒットし、アルバム『ミスター・タンブリンマンも」大ヒットし、アメリカにおいてフォークロックの歴史が幕を開けました。

この頃のバーズの曲はディランの曲以外はジーンの曲が多くを占めており、重要なソングライターでした。2作目の『ターン、ターン、ターン』も高評価でしたが、飛行機嫌いという理由(本当かどうか疑わしい)でバンドを去ります。

ザ・バーズについては以前、若干触れていますので参考までに。

lynyrdburitto.hatenablog.com

1967年にソロに転向し、第1作目としてカントリー・グループの「ゴスディン・ブラザーズ」と組んでアルバム制作にかかります。バックはバーズのクリス・ヒルマン、マイケル・クラーク、それにレオン・ラッセルグレン・キャンベル、ダグ・ディーラード、のちにバーズに合流する名手クラレンス・ホワイト等々です。

しかし、このアルバムは売れませんでした。後に、タイトルを変えて再発されます。

その後、ジーンはデヴィッド・クロスビーがバーズを抜けたために、一旦バーズに戻りますが、すぐにバンドを離れ、今度は親交のあったダグ・ディラードと共に「ディラード&クラーク」を結成します。ここで2枚のアルバムをリリースします。

    

このグループはよりカントリー色の強い音楽を目指しました。後にフライング・バリット、イーグルスに加入するバーニー・レドンもメンバーでした。

そして再び独立し、ソロ活動に入り、1972年にA&Mと契約し、ソロ第2作の『ジーン・クラーク(ホワイト・ライト)』を発表します。

しかし、日本ではしばらく発売されませんでした。その為、幻の名盤などと呼ばれたのでしょう。私も外国盤で買いました。アメリカ盤特有の包装のためこんな汚い画像になっています。

 

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Side A 
1. The Virgin
2. With Tomorrow
3. White Light
4. Because of You
5. One in a Hundred

Side B
1. For a Spanish Guitar
2. Where My Love Lies Asleep
3. Tears of Rage" (Bob Dylan/Richard Manuel)
4. 1975

 

参加メンバーは

ジェシエド・デイヴィス  エレクトリック・ギター

ジョン・セルク  アコースティック・ギター ボトルネック・ギター

ベン・シドラン  ピアノ

マイク・アトレー  オルガン

クリス・エスリッジ  ベース

ゲイリー・マラバー  ドラムス

 

プロデュース  ジェシエド・デイヴィス

 

特筆すべきはプロデュースにジェシエド・デイヴィスを起用したことでしょう。セッションマンとしても有名で、ソロアルバムも3枚出しています。数々の著名なミュージシャンのレコーディングに参加しています。

 

A-1 針を落とすと、ジーンの朴訥とした歌声と独特の節回しが聞こえてきます。

A-2 静かに歌い上げるジーン。ジェシとの共作です。

A-3 タイトル通称となっている曲。カントリーロックの名曲に入る出しょう。

A-4 しみじみとしています。

A-5 ジェシのスライドギターがいいです。

B-1 私の一番のお気に入り曲。哀愁漂う、ギターとヴォーカル。もう何も言うこと ありません。

B-2 この曲も静かに聴かせます。

B-3 この曲はボブ・ディランの曲でザ・バンドがアルバム『ミュージック・フロ  ム・ビッグピンク』の1曲目で取り上げています。ザ・バンドのように重々しくなく、軽く飄々と歌っています。

B-4 ジェシのギターが冴えます。

 

参考までにジェシエド・デイヴィスのアルバムを紹介します。『ジェシ・デイヴィス』と『ウルル』

  

この2枚は特筆もの。ものすごいメンバーが顔をそろえています。面白いところでは、クラプトン、グラム・パーソンズ。挙げたらきりがありません。

 

その後、ジーン・クラークはソロ活動、バーズの再結成、ロジャー・マッギン、クリス・ヒルマンとのマッギン・クラーク&ヒルマンの結成、カーラ・オルソンとのデュオと忙しく活躍していましたが、1991年に心臓麻痺で亡くなりました。46歳でした。早すぎました。

死後、リマスター盤、数々の未発表音源、コンピレーションが発売されました。私もその都度買い集め、ジーン・クラーク関連だけでもかなりな数になってしまいました。そこにバーズ関連を足すと、とんでもない枚数になってしまっています。

ほんの一部だけ紹介します。

ソロ関連

    

 バーズ再結成とマッギン・クラーク&ヒルマン

   

 その他

   

 

調べましたら廃盤になっているものも、たくさんありました。もったいないことです。

 

ウェストコーストの人脈は奥深いです。が、実に興味深いです。

 


Gene Clark - For A Spanish Guitar

 

 それでは今日はこの辺で。

 

映画 『シベールの日曜日』を見る

今日の映画は『シベールの日曜日』です。

監督:セルジュ・ブールギニョン

主演:ハーディ・クリューガー、パトリシア・ゴッジ、ニコール・クールセル

撮影:アンリ・ドカエ

制作:1962年、フランス

 

実はこの映画を観るには2度目です。1度目は高校生の頃ですから、既に40数年前になります。地元の市の学生の映画連盟に所属していた時に、なんとか映画祭で上映したものを観ました。ほとんど忘れていましたが、ところどころ思い出しました。私の記憶違いでなければ、今回観たDVD(CS放送)はちょっと変です。それは後ほど。

 

ストーリーは、元空軍パイロットのピエールがインドシナ戦争空爆の際に少女を殺してしまい、事故を起こして記憶喪失になっています。その後、退院した後も入院した際の病院の看護婦マドレーヌに面倒を見てもらっています。彼の日課は駅に行ったり、森や湖畔を散歩することです。

ある日、いつものように駅に行って暇つぶしをしていると、父親に連れられて修道院の寄宿学校に入れられようとしている少女と出会います。彼は父親が寄宿舎の前に置いていったバックを拾い、少女が父親に捨てられたのでということを知ります。そして日曜日に寄宿舎に彼女を訪ねます。そこで彼女に父親に捨てられたことを教えます。彼女は母親にも祖母にも父親にも捨てられたと嘆きます。ピエールはそんな彼女を慰めるために毎週日曜日に会いに来ると約束します。

それから日曜日ごとに親子とも恋人とも見える逢瀬が始まります。二人には二人にしかわからない孤独感が理解できたのです。12歳の少女と30代の男。彼女は自分が18歳になったら結婚しようと言います。ピエールも徐々に人間らしさを取り戻していきます。ピエールの精神はマドレーヌの愛情にも拘わらず、虚無的になっていたのです。マドレーヌは明るさを取り戻してゆくピエールを見て嬉しくなります。

ピエールは少女に名前を聞きます。「フランソワーズ」だと教えます。でも本名は違うんだと言います。それを教えてくれと言いますが、彼女はクリスマスの日に、教会の風見鶏を取ってきてくれたら教えると約束します。

ある日、ピエールはマドレーヌに友人の結婚式に招待されたから一緒に出席するようにと言われます。それは日曜日です。困ったピエールはフラソワーズに今度の日曜日は合えない旨を伝えようと修道院に向かいますが、途中で友人たちに捉まり会えませんでした。

結婚式当日、時間ばかり気にするピエールに対し、周りは遊園地に誘いそこで遊び、マドレーヌはふざけてピエールにキスをせがみます。ピエールは怒って彼女を殴りその場を去ってしまいます。それを偶然フランソワーズに目撃されてしまいます。

翌日、修道院の尼僧がピエールに会いに来て、フランソワーズがショックで寝込んでいるから会ってあげて欲しいと頼みに来ます。ピエールは会いに行き、クリスマスには必ず一緒に過ごすからと約束します。

一方、ピエールの様子がおかしいことに気が付いたマドレーヌは、日曜日にピエールが出かけた後をつけます。そして湖畔で楽しそうに遊ぶ二人の姿を見て、まるで子供同士が遊んでいるようだと思い安心します。

そしてクリスマスの夜、ピエールの友人カルロス宅の大きなクリスマスツリーが盗まれます。カルロスはマドレーヌに連絡し、ピエールが盗んだのは間違いないと連絡します。心配になったマドレーヌは友人の医師ベルナールに相談します。ベルナールはもともとピエールが異常だと思っており、警察に連絡してしまいます。そして修道院にも連絡して、フランソワーズを連れ出したことも調べます。

ピエールは教会の屋根に登り、風見鶏を盗みます。そしていつもの湖畔でクリスマスツリーを飾り、二人でクリスマスを祝います。フランソワーズはピエールにツリーにかけてあるものを見て、と言います。ピエールがそれを開けてみるとそこにはフランソワーズの本名が書いてありました。『シベール』、それが本名だったのです。喜ぶピエール。

警察からの連絡を待つマドレーヌに連絡がありました。「死んだ」と。駆け付けると、ピエールは警官に撃たれ既に死んでいました。気絶しているシベールを警官が起こし、名前を聞くと、「もう名前なんかないの! 誰でもなくなったの! 私はもう何でもない...。」と叫び、泣き続けました。ここにエンドロールが重なり、終わります。

 

冒頭でちょっと変だと書いたのは、このラストシーンです。私の記憶違いでなければ、警官がピエールを撃つシーンがあったはずです。その前にピエールが風見鶏とナイフを持ってシベールに近づきます。別に殺すつもりなどないのに、警官が誤解したのです。

この部分を大幅にカットした意味は何でしょうか。いきなりピエールが死んでいる場面を見せられても戸惑います。

 

まあ、それはさておき、この映画の映像の美しさには感嘆です。アンリ・ドカエの撮影です。アンリ・ドカエといえば『太陽がいっぱい』『大人は判ってくれない』『死刑台のエレベーター』『サムライ』などなどフランス映画には欠かせない人物です。この映画の映像も白黒の墨絵を見ているようです。湖面の波紋、靄のかかった森、なんと美しいことか。

また途中で流れる「アルビノーニアダージョ」はいつ聴いても飽きません。

 

ピエールにとってシベールは爆撃で殺した少女と重なり合い、そして恋人のようでもあり、時には母のようでもあり、娘のようでもありと、自分をありのままにさらけ出せる、ようやく自分というものを取り戻せる存在だったのではないでしょうか。シベールにとっても両親、祖母に見捨てられ天涯孤独になっても、父親であり、恋人であり、将来の配偶者であるピエールという人間は掛け替えのない存在だったでしょう。それ失ってしまった絶望感はラストの叫び続けるシーンによく現れています。

世間一般、ましてやこの時代に親子ほど年の離れた少女と中年男の恋愛などタブー視されるのは当然で、警官が発砲することにもあまり疑問を感じなかったのでしょう。

 

本当に久しぶりに観た映画でしたが、高校時代があっという間に蘇りました。

 


SUNDAYS AND CYBELE 「シベールの日曜日」(Robert Lafond) シベールの日曜日 「VAIO MOVIE STORY」 Film Music

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

この人の、この1枚 『ジェフ・ベック(Jeff Beck)/トゥルース(Truth)』

エリック・クラプトンジミー・ペイジと並んでイギリスの三大ギタリストと呼ばれたジェフ・ベックです。

ベックの経歴を大雑把に分けると、ヤードバーズ時代、第1期ジェフ・ベック・グループ時代、第2期ジェフ・ベック・グループ時代、ベック・ボガード&アピス(BB&A)時代、ソロ時代となるでしょう。

今日のアルバム『Truth』は第1期ジェフ・ベック・グループ時代の1枚目です。

ジェフ・ベックはクラプトンがヤードバーズを抜けた後釜で加入しました。当初はベースがジミー・ペイジでした。ヤードバーズ時代には映画『欲望』の中でヤードバーズライヴハウスで演奏し、ベックがギターを壊すシーンがありました。当時は、今のようにYouTubeで簡単にアーティストの映像が見られるなんてことはなかったので、それはそれは興奮しました。

そして、メンバーとの不和と音楽の方向性の違いからヤードバーズを脱退し、ソロ活動に入ります。シングル「Hi Ho Silver Lining / Beck's Bolero」を1枚リリースして、これがヒットしました。が、ベックはこれが気に入らず、バンドを作る準備をします。集められたメンバーがショットガン・エクスプレスにいたロッド・スチュワート、それにベースのロン・ウッド、ドラムのエインズレー・ダンバーです。このメンバーでシングル「Tallyman / Rock My Plimsoul」を録音します。直後にエインズレーは路線が違うと脱退します。替わりに、ミッキー・ウォーラーが加入し、このメンバーでツアーを行います。そしてファーストアルバムの録音が始まります。2回のセッションで計4日間で完成します。驚きです。1968年リリースされます。

正式メンバー

ジェフ・ベック(Jeff Beck,g,b)

ロッド・スチュワート(Rod Stewart,vo)

ロン・ウッド(Ron Wood,b)

ミッキー・ウォーラー(Mickey Waller,ds)

ゲストミュージシャンとしてピアノのニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)がクレジットされており、彼はセカンドの『BECK-OLA』から正式メンバーになります。

ただし、ジェフ・ベックグループとはどこにも書かれてありません。正式にジェフ・ベック・グループと書かれるのは第2期からです。第1期はあくまでもベックのソロアルバムという位置づけのようです。日本では第1期からジェフ・ベック・グループと呼んでいましたが。

 

 

Side A

1. Shapes Of Thing
2. Let Me Love You 
3. Morning Dew
4. You Shook Me
5. Ol' Man River
 
Side B
1. Greensleeves
2. Rock My Plimsoul
3. Beck's Bolero
4. Blues Deluxe
5. I Ain't Superstitious
 

A-1はいきなりヤードバーズ時代の曲です。ヤードバーズのポップな感じと違い、ロッドのしゃがれ声がいい感じのハードロックになっています。

A-2はブルースナンバー。

A-3もブルースのスタンダード。

A-4もブルースナンバー。マディー・ウォーターズでおなじみです。面白いのはライバルのジミー・ペイジがレッド・ツェッぺリンのファーストでもこの曲を取り上げていることです。

A-5にはザ・フーキース・ムーンが参加しています。

B-1はおなじみの「グリーンスリーブス」。アコースティックギター1本。なかなか 聴かせます。

B-2はシングルのB面。ブルースナンバーです。

B-3はジミー・ペイジがアレンジして、ベックに提供したとされているボレロです。 ジミとレッド・ツェッぺリンのジョン・ポール・ジョーンズが参加しています。好きです。

B-4はスローブルースナンバー。ニッキー・ホプキンスのピアノがいいです。

B-5もハウリン・ウルフで有名なブルースナンバー。

 

以上のように全体としてブルース色の濃いハードロックです。まさに60年代後半から70年初頭にかけてのイギリスのサウンドです。ロッドのしゃがれ声とベックの強烈なギターの絡み合いが存分に聴ける傑作です。

 

この後、ベックはこのメンバーでのセカンドアルバム『BECK-OLA』をリリースします。

このアルバムでは前作と違い、カバーは2曲のみ(「監獄ロック」「All Shook Up」)で、あとはオリジナルになっています。ファーストの後、ロン・ウッドが解雇され、この直前に再び戻ってきます。しかし、リリース直前、ニッキー・ホプキンスが脱退、リリース後ロン・ウッドがフェイセスに加入するために脱退、ロッド・スチュワートロン・ウッドと行動を共にし、結局はこのバンドは消滅します。

このころベックは「ヴァニラ・ファッジ」のティム・ボガートとカーマイン・アピスと新しいグループを作る計画を立てていました。しかしベックが交通事故で重傷を負い、入院したため計画は白紙になります。

そして再起後、メンバーを集め第2期ジェフ・ベック・グループを結成します。メンバーはマックス・ミドルトン(key)、クライヴ・チャーマン(b)、コージー・パウエル(ds)、ボブ・テンチ(vo)です。

そして2枚のアルバムを発表します。

 

 

しかしこれも2枚で終息します。ベックはどうしてもティム・ボガートとカーマイン・アピスとのバンド編成にこだわったようです。突然以前のメンバーを解雇し2人を加入させます。ヴォーカルには「フリー」のポールロジャースを起用しようと考えましたが実現しませんでした。当時2人は「ヴァニラ・ファッジ」を辞めて「カクタス」のメンバーでした。

そして、グルプ名を『ベック・ボガード&アピス(BB&A)』として、スタートします。

1973年に『Beck,Bogert & Appice』をリリースします。さらに日本でのライブを収めた2枚組アルバムを発表します。

 

しかし、再びティム・ボガートとベックの間がしっくりせず、解散となってしまいます。結局このバンドもアルバム2枚で終わります。

この後ベックはソロになり、当時流行っていたフュージョンへと向かいます。そして最高のインストアルバム『Blow By Blow』と『Wired』をリリースします。

     

 

ジェフ・ベック自身もやはりソロがいいのでしょうか。

その後も、現在まで活躍中で、ほぼ毎年のように来日し、テレビ出演などもしています。それでも私はブルースロック時代のベックが好きです。

三大ギタリスト、いずれも健在で喜ばしい限りです。

 

「この1枚」のはずでしたが、筆が止まらなくなりました。いい加減にして止めます。

 


I Ain't Superstitious , Jeff Beck , 1968 Vinyl

 


BECK'S BOLERO (1967) by the Jeff Beck Group - with backwards guitar ending

なお、ロッド・スチュワートについては別途書くつもりでいます。

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)/フォー・エヴリマン(For Everyman)』

今日の「アーティストこの1枚」はジャクソン・ブラウンにしました。どのアルバムにするか色々迷いました。本来なら名盤の誉れ高い『Late For The Sky』や『The Pretender』『Running On Empty』あたりを選択するのが妥当かと思いますが、あえてセカンドアルバムの『For Everyman』を選びました。

それはこのアルバムが、私のジャクソン・ブラウンに対する初体験ということもあって、思い出深いアルバムになっているからです。イーグルスのヒット曲「Take It Easy」の作者であるということ、またその前にザ・バーズの10枚目のアルバム『バードマニア』のなかの「Jamaica Say You Will」の作者ということで、その名は知っていましたが、初めて買ったアルバムがこれでした。

このアルバムにはその「Take It Easy」も収録されているということで、即買いました(「Jamaica Say You Will」はファーストに収録。ファーストには他にヒット曲「Doctor My Eyes」も収録)。

こうしてジャクソン・ブラウンイーグルス、リンダ・ロンシュタッド、J.D サウザーあたりの関係が詳しくわかるようになりました。イーグルスとリンダについては以前少し触れています。

lynyrdburitto.hatenablog.com

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Side A

  1. Take It Easy
  2. Our Lady of the Well
  3. Colors of the Sun
  4. I Thought I Was a Child
  5. These Days

Side B

  1. Red Neck Friend
  2. The Times You've Come
  3. Ready or No
  4. Sing My Songs to Me
  5. For Everyman

 

脇を固める主なミュージシャンは以下のような豪華顔ぶれです。

スヌーキー・ピート(フライング・バリット・ブラザース) ペダル・スティー

デヴィッド・リンドレイ  ギター、フィドル

ダグ・ヘイウッド  ベース

ジム・ケルトナー  ドラムス

スプナー・オールダム  オルガン

ビル・ペインリトル・フィート)  ピアノ

エルトン・ジョン(ロッカディ・ジョニーの名で参加) ピアノ

リランド・スクラ―  ベース

ラス・カンケル  ドラムス

ジョニ・ミッチェル  ピアノ

グレイグ・ダーギ  ピアノ

ミッキー・マッギー  ドラムス

ゲイリー・マラバー  ドラムス

ウィルトン・フェルダー(クルセダーズ)  ベース

マイケル・アトレー  オルガン

ドン・ヘンリー  バック・ヴォーカル

ボニー・レイット  バック・ヴォーカル

デヴィッド・クロスビー  バック・ヴォーカル

 

ご存じの方は、この名前を聞いただけで、アルバムを聴きたくなるのではないでしょうか。

 

A-1が「Take It Easy」というのは嬉しくなります。スヌーキー・ピートのペダル・スティールが絶妙です。イーグルスとは少し違った魅力があります。

A-2は前曲のエンディングに被さるように始まります。愛の歌です。

A-3はトム・ラッシュによって歌われています。男の内面を歌った歌です。

A-4は自らの生き方を問う歌です。

A-5はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコが彼女のファーストソロアルバムで1967年に取り上げたほか、トム・ラッシュ、ニッティ―・グリッティ―・ダート・バンド、イアン・マシューズなどにも取り上げられた、彼の初期の代表曲です。このアルバムではグレッグ・オールマンが編曲を示唆しています。男の人生の悩みを歌った歌です。

B-1はシングルカットされたロックンロール曲です。エルトン・ジョンがピアノでノリノリです。

B-2はボニーレイットがバッキング・ヴォーカルで参加。ピッタリ息があっています。

B-3は子供が出来てしまったけど、今までどうり一人で暮らしたいと彼女に告げる男の話。

B-4はジョニ・ミッチェルがピアノで参加。

B-5はこれも前曲からのエンディングに被さるように始まります。

 

この頃のジャクソンはB-1のような激しい曲もありますが、全体的には日常とか恋愛、悩みといった内面を歌った歌が多いです。読解力の乏しい私には、詳しく理解はできませんが、彼独特の声と旋律が心地よく響き、おそらくこんなことを言っているんだろうな、なんて勝手な想像も可能なぐらい曲自体は分かりやすいです。

次作の『Late For The Sky』あたりになると、さらに内面を深く掘り下げた歌詞が多くなってきます。その『Late For The Sky』は全米で14位、次の『The Pretender』は5位、次の『Running On Empty』は3位ときて、とうとう1980年の『Hold Out』で全米1位に輝きます。

1980年頃から、彼の歌は内面から外へと向かうようにまります。1979年のアメリカのスマイリー等の原発事故には抗議する『No Nukes』コンサートを企画したり、南アフリカアパルトヘイトに反対するチャリティーアルバムに参加したりと、行動も政治性を帯びてきます。80年代以降、レコードの売り上げは70年代には及ば亡くなりますが、反面社会的活動は活発になりました。彼はリベラル思想の持ち主で熱心な民主党支持者です。

1990年代に入ると再び内省的な曲に回帰していきます。アルバム制作も間隔が長くなり、その分コンサートやチャリティ活動に力を入れるようになります。

東日本大震災の折の福島原発事故が起こると反原発コンサートを開催します。CS&Nやボニー・レイット、ドゥービー・ブラザース等が駆け付けました。

私も1977年の彼の初来日には観に行きました。新宿厚生年金会館でした。デヴィッド・リンドレイも来てたはずです。懐かしいです。

 

お勧めのアルバムです。順に『ファースト』『Late For The Sky』『The Pretender』『Running On Empty』

   

 

 

www.youtube.com


Jackson Browne - These Days

デビュー前から彼の楽曲は多くの人に取り上げられ、一部ではその名もかなり知れ渡っていました。シンガーソングライターという言葉は1970年頃に生まれたと思いますが、この人ほどこの言葉が似合う人はいないのではないでしょうか。また、彼の交流の広さも特筆すべきものです。反原発コンサートも彼の呼びかけで多くの有名ミュージシャンが駆け付けました。彼の人柄の賜物だと思います。その賜物は彼の歌に滲み出ていると思います。

まだまだ68歳、元気で頑張ってほしいです。

 

それでは今日はこの辺で。