Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画 『シベールの日曜日』を見る

今日の映画は『シベールの日曜日』です。

監督:セルジュ・ブールギニョン

主演:ハーディ・クリューガー、パトリシア・ゴッジ、ニコール・クールセル

撮影:アンリ・ドカエ

制作:1962年、フランス

 

実はこの映画を観るには2度目です。1度目は高校生の頃ですから、既に40数年前になります。地元の市の学生の映画連盟に所属していた時に、なんとか映画祭で上映したものを観ました。ほとんど忘れていましたが、ところどころ思い出しました。私の記憶違いでなければ、今回観たDVD(CS放送)はちょっと変です。それは後ほど。

 

ストーリーは、元空軍パイロットのピエールがインドシナ戦争空爆の際に少女を殺してしまい、事故を起こして記憶喪失になっています。その後、退院した後も入院した際の病院の看護婦マドレーヌに面倒を見てもらっています。彼の日課は駅に行ったり、森や湖畔を散歩することです。

ある日、いつものように駅に行って暇つぶしをしていると、父親に連れられて修道院の寄宿学校に入れられようとしている少女と出会います。彼は父親が寄宿舎の前に置いていったバックを拾い、少女が父親に捨てられたのでということを知ります。そして日曜日に寄宿舎に彼女を訪ねます。そこで彼女に父親に捨てられたことを教えます。彼女は母親にも祖母にも父親にも捨てられたと嘆きます。ピエールはそんな彼女を慰めるために毎週日曜日に会いに来ると約束します。

それから日曜日ごとに親子とも恋人とも見える逢瀬が始まります。二人には二人にしかわからない孤独感が理解できたのです。12歳の少女と30代の男。彼女は自分が18歳になったら結婚しようと言います。ピエールも徐々に人間らしさを取り戻していきます。ピエールの精神はマドレーヌの愛情にも拘わらず、虚無的になっていたのです。マドレーヌは明るさを取り戻してゆくピエールを見て嬉しくなります。

ピエールは少女に名前を聞きます。「フランソワーズ」だと教えます。でも本名は違うんだと言います。それを教えてくれと言いますが、彼女はクリスマスの日に、教会の風見鶏を取ってきてくれたら教えると約束します。

ある日、ピエールはマドレーヌに友人の結婚式に招待されたから一緒に出席するようにと言われます。それは日曜日です。困ったピエールはフラソワーズに今度の日曜日は合えない旨を伝えようと修道院に向かいますが、途中で友人たちに捉まり会えませんでした。

結婚式当日、時間ばかり気にするピエールに対し、周りは遊園地に誘いそこで遊び、マドレーヌはふざけてピエールにキスをせがみます。ピエールは怒って彼女を殴りその場を去ってしまいます。それを偶然フランソワーズに目撃されてしまいます。

翌日、修道院の尼僧がピエールに会いに来て、フランソワーズがショックで寝込んでいるから会ってあげて欲しいと頼みに来ます。ピエールは会いに行き、クリスマスには必ず一緒に過ごすからと約束します。

一方、ピエールの様子がおかしいことに気が付いたマドレーヌは、日曜日にピエールが出かけた後をつけます。そして湖畔で楽しそうに遊ぶ二人の姿を見て、まるで子供同士が遊んでいるようだと思い安心します。

そしてクリスマスの夜、ピエールの友人カルロス宅の大きなクリスマスツリーが盗まれます。カルロスはマドレーヌに連絡し、ピエールが盗んだのは間違いないと連絡します。心配になったマドレーヌは友人の医師ベルナールに相談します。ベルナールはもともとピエールが異常だと思っており、警察に連絡してしまいます。そして修道院にも連絡して、フランソワーズを連れ出したことも調べます。

ピエールは教会の屋根に登り、風見鶏を盗みます。そしていつもの湖畔でクリスマスツリーを飾り、二人でクリスマスを祝います。フランソワーズはピエールにツリーにかけてあるものを見て、と言います。ピエールがそれを開けてみるとそこにはフランソワーズの本名が書いてありました。『シベール』、それが本名だったのです。喜ぶピエール。

警察からの連絡を待つマドレーヌに連絡がありました。「死んだ」と。駆け付けると、ピエールは警官に撃たれ既に死んでいました。気絶しているシベールを警官が起こし、名前を聞くと、「もう名前なんかないの! 誰でもなくなったの! 私はもう何でもない...。」と叫び、泣き続けました。ここにエンドロールが重なり、終わります。

 

冒頭でちょっと変だと書いたのは、このラストシーンです。私の記憶違いでなければ、警官がピエールを撃つシーンがあったはずです。その前にピエールが風見鶏とナイフを持ってシベールに近づきます。別に殺すつもりなどないのに、警官が誤解したのです。

この部分を大幅にカットした意味は何でしょうか。いきなりピエールが死んでいる場面を見せられても戸惑います。

 

まあ、それはさておき、この映画の映像の美しさには感嘆です。アンリ・ドカエの撮影です。アンリ・ドカエといえば『太陽がいっぱい』『大人は判ってくれない』『死刑台のエレベーター』『サムライ』などなどフランス映画には欠かせない人物です。この映画の映像も白黒の墨絵を見ているようです。湖面の波紋、靄のかかった森、なんと美しいことか。

また途中で流れる「アルビノーニアダージョ」はいつ聴いても飽きません。

 

ピエールにとってシベールは爆撃で殺した少女と重なり合い、そして恋人のようでもあり、時には母のようでもあり、娘のようでもありと、自分をありのままにさらけ出せる、ようやく自分というものを取り戻せる存在だったのではないでしょうか。シベールにとっても両親、祖母に見捨てられ天涯孤独になっても、父親であり、恋人であり、将来の配偶者であるピエールという人間は掛け替えのない存在だったでしょう。それ失ってしまった絶望感はラストの叫び続けるシーンによく現れています。

世間一般、ましてやこの時代に親子ほど年の離れた少女と中年男の恋愛などタブー視されるのは当然で、警官が発砲することにもあまり疑問を感じなかったのでしょう。

 

本当に久しぶりに観た映画でしたが、高校時代があっという間に蘇りました。

 


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それでは今日はこの辺で。