Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

遅れてやってきた大物 ホウヨウボーイ

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以前書いたサクラショウリバンブトンコートと同期でしたが、クラシック戦線には全く出走が叶わなかった馬、それがホウヨウボーイです。

ホウヨウボーイは3歳(今の2歳)の暮れの中山でデビュー、1番人気で6馬身の差をつけて圧勝します。ところがレース後右前脚の骨折が判明、春のクラシックは絶望となりました。秋を目指しますが、再び今度は左前脚を骨折してしまいます。これで年内の出走は絶望となりました。

ホウヨウボーイがようやく復帰できたのは5歳の夏の函館でした。最下級の400万下を勝ちますが、続く400万下特別は2着、次の特別戦を勝ち上がり、800万下特別を2連勝して5歳を終わります。これまで6戦5勝、2着1回とすべて連対を果たしています。しかもすべて1番人気でした。

明けて6歳になって、1200万下の特別戦を2着、続く同条件の特別戦を勝ち、初の重賞、日経賞に臨み、見事優勝します。重賞初挑戦での圧勝でした。

夏に降級し1200万条件戦を勝ち上がると、いよいよ天皇賞への緒戦を目指します。秋初戦のオープン戦を2着して、天皇賞への出走を決めます。天皇賞では前年のダービー馬カツラノハイセイコが1番人気、ホウヨウボーイは堂々の2番人気に押されます。レースの方はカツラノハイセイコホウヨウボーイが互いにけん制し合う中、牝馬プリティキャストがまんまと逃切り、2着にもメジロファントムが入り、カツラノハイセイコは6着、ホウヨウボーイは7着と初めて連対を外すという辛酸をなめました。

その後ホウヨウボーイカツラノハイセイコと共に有馬記念に駒を進めます。天皇賞での惨敗が響き、カツラノハイセイコは3番人気、ホウヨウボーイは4番人気になりました。1番人気には天皇賞で2着に来たメジロファントム、2番人気に前年の有馬記念の勝ち馬カネミノブがなりました。

レースの方はスピード馬のサクラシンゲキが逃げ、天皇賞馬のプリティキャストは逃げられず2番手、ホウヨウボーイは終始3番手を進みます。カツラノハイセイコは後方待機。3~4コーナーで馬郡が一団になると、内からホウヨウボーイが抜けだし、外からジカツラノハイセイコが襲い掛かります。結局ホウヨウボーイカツラノハイセイコをきわどくハナ差押さえて優勝しました。3着にはカネミノブでした。

この優勝が効いたのかホウヨウボーイはこの年の年度代表馬を6歳で獲得しました。

明けて7歳、ホウヨウボーイは初戦のAJCC杯を快勝、続く中山記念は2着になりましたが、春の天皇賞を目指します。しかし脚部不安を発症し、秋まで休養を強いられました。

秋初戦のオールカマーは1番人気で5着と敗れました。秋2戦目が天皇賞となりました。1番人気は春の天皇賞カツラノハイセイコの2着して。宝塚記念は逆にカツラノハイセイコを下したカツアールでした。ホウヨウボーイは2番人気でした。3番人気にメジロファントム。前年ダービ―2着の無冠の帝王モンテプリンスは5番人気でした。

レースはモンテプリンスが果敢に先頭に立ち、ホウヨウボーイはしゅうし2,3番手を進みます。向う正面で一旦先頭を譲る形になったモンテプリンスですが、直線に入って再び先頭に立ちます。後続馬が一気に押し寄せます。そして内を通ってホウヨウボーイが忍び寄って、モンテプリンスとの激しいデッドヒートの末、ハナ差交わしてホウヨウボーイが優勝しました。レコード勝ちでした。

この年大回目のジャパンカップが開催されました。ホウヨウボーイモンテプリンスも出走しますが、外国馬に敗れ去りました。ホウヨウボーイはこの時ゲートに顔をぶつけ歯を3本折っていました。

そして暮れの有馬記念を引退レースとして選び、出走しました。結果は同厩馬のアンバーシャダイの2着となりましたが、2年連続の年度代表馬に選ばれました。

引退後、8歳時に急死し、わずか48頭の種付けで終わってしまいました。

遅れてやってきたホウヨウボーイでいたが、退場後の生命はあまりにも早いものでした。

 

通算成績 19戦11勝、2着5回 有馬記念天皇賞(秋)


1980年有馬記念 - ホウヨウボーイ

 


【競馬】天皇賞・秋 (昭和56年)

 

それでは今日はこの辺で。

 

映画『きっと、いい日が待っている』を観る

今日のキネ旬シアターは『きっと、いい日が待っている』でした。

 

監督:イェスパ・W・ネルスン

主演:アルバト・ルズベク・リンハート、ハーラル・カイサー・ヘアマン、ラース・ミケルセン、ソフィー・グロベル

制作:デンマーク、2016年公開

 

この映画は1960年代後半に実際に児童養護施設で起きた事件をもとに制作された映画です。デンマークアカデミー賞で6部門を受賞しました。

邦題からは希望をに満ちた未来を描いた映画かなと想像しますが、予備知識なしで観に行った者としては衝撃的な内容でした。

 

ストーリーは、13歳のエリックと10歳のエルマーは母子家庭で、しかも母親は病気がちで満足に働けません。子供たちは小遣いがもらえないので、万引きを繰り返します。弟のエルマーは宇宙飛行士になる夢を持ち、兄のエリックはエロ本を隠し読むどこにでもいる思春期の男の子です。それでも何とか親子3人幸せに暮らしていましたが、ある日母親が倒れ入院します。病名は癌でした。叔父がいるのですが無職で子供たちを引き取ることができません。

役所は子供たちだけでは生活するのは無理と判断、ゴズハウン少年養育施設に預けることになりました。施設は周りには何もないド田舎にありました。

入寮初日から兄弟は重い荷物運びをさせられることになります。エリックが弟は生まれつき内反足で重い荷物を持つと足が痛くなるから無理だと訴えますが、いきなり教師に殴られます。そして作業と称する過酷な労働が始まります。さらに上級生からの激しいいじめ。

兄弟は耐えられず、脱走します。しかし、あっさりと捕まり連れ戻されます。さらに激しい体罰といじめが待っていました。

この養護施設のヘック校長は厳しく、体罰を是とする教育方針を執っています。絶大なる権力を誇り、教師は皆従わざるを得ません。まさに恐怖政治です。

兄弟の入寮と同時に新任の女性教師ハマーショイ先生が赴任してきます。ハマーショイは他の教師が暴力を振るうのに驚きますが、自分は体罰は行わないと言うのが精一杯です。

兄弟は施設の仲間からここで暮らすには、とにかく目立たぬように幽霊になるしかないと諭されます。

ある時、宿直の教師が夜中エルマーを起こしに来ます。その教師は男色、ロリコンで夜な夜な子供を漁っています。エルマーは訳が分からず連れていかれ被害に遭いました。

助けることが出来なかったエリックは後日その教師に復讐をします。電動ノコギリの安全装置を外し大怪我をさせます。

エルマーは慣れない環境のせいか、おねしょをするようになってしまいます。寒空の中、濡らしたスーツを裸で持たせられ、「乾かせ!」と命じられます。施設の医者にも診てもらい薬も処方されますが、治りません。エルマーは夜眠らないように気を付けますが授業中に居眠りしてしまい、ハマーショイ先生に注意されます。その時にエルマーが付けていた日記を見つけ、こんなに字を書けるはずがないと思い、読んでみなさいと命じます。文章の上手さと読み方の上手さに驚き、ハマーショイ先生はエルマーを郵便係を命じます。エリックも15歳になれが退寮できるからと開き直って幽霊のごとく暮らします。

こうして少しは落ち着いた生活が始まりますが、ある日食堂での食事中に叔父さんからエリックに電話がかかって来て、母親の死亡が告げられます。

泣きながら戻ってきたエリックに皆が異常を感じ、やがてエルマーが事情を聞くとママが死んだと聞き泣き出します。「食事中だ、静かにしろ!」と校長が叫びますが言うことを聞かず泣き続けます。怒りだした校長は二人を殴り始めます。校長は自制がきかない暴力教師の本性をむき出しにします。ハマーショイ先生がなんとか二人をなだめその場を収めます。

暫くして、叔父さんがやってきます。2人を引き取りたいと校長に申し出ますが、「定職のないあなたには無理」と簡単に退けられてしまいます。叔父さんは兄弟と脱走の相談をして一旦帰って行きます。兄弟は脱走に希望を求めます。

しかし、叔父さんはやはり自分には2人を育てるのは無理と思い、ハマーショイ先生に脱走は諦めろと二人に伝えてくれと電話をしてきます。驚いたハマーショイ先生はそれを伝えに向かいますが、ばったり校長に出会ってしまい、事情を話してしまいます。結局二人は捕まってしまいます。

校長に話したことをエルマーになじられたハマーショイ先生は思わずエルマーの頬を叩いてしまいます。殴ってしまったことにショックを受けた先生は翌朝施設を去ってゆきます。

施設に監察官が抜き打ちでやって来たときに、監察官は生徒たちの無気力さと傷の多さに違和感を感じましたが、誰も不満を言うものがおらず、その場は帰っていきました。

エリックは15歳になったらエルマーを連れて出ていくことだけを夢見て、優等生のふるまいをして生活します。そして15歳になろうとするときに校長に、「もうすぐ卒業ですがその時にエルマーも連れていきたいのですが」と申し出ます。

校長は「まだ内緒だけど、18歳まで働けるように特別措置を設けてやったよ」と言います。それを聞いたエリックは怒りが治まらず、校長の車を傷つけます。怒った校長はエリックを殴りつけ昏睡状態に陥らせてしまいます。しかも病院には連れて行かず、施設の医務室に寝かされます。医師も校長の言いなりです。

エリックが眠っている病室にこっそり会いに行ったエルマーは校長と医師がエリックは校長の暴力によって瀕死の状態になっている事、たとえ死んだとしても施設とは無関係にしようなどと話していることを立ち聞きしてしまいます。

エルマーは校長に自分は郵便配達が向いていると言われるので、明日郵便局の視察をしたいから休暇を下さいと申し出ます。

許可をもらったエルマーはコペンハーゲンに住むハマーショイ先生を訪ねます。そして実情を話し、監察官に会いにゆきます。監察官は出張で会えませんでしたが、秘書役に電話するようにと依頼して帰りますが、エルマーはある決心をします。

そして翌日、夜エルマーは自分で作って宇宙服に身を包み、校長の車のところにやってきます。校長を含め教師たちは校長の受勲のお祝いをしている最中でした。エルマーが車の上に載って車を破壊し始めました。画像

エルマーはこうすれば自分もボコボコにされエリックと同じような状態になる。それではじめて暴力の実態を世に知らしめようとしたのです。

殴られながらもエルマーは逃げ出し、貯水塔のてっぺんまで登ります。その騒ぎの中、監察官がハマーショイ先生に連れられてやってきます。

エルマーは自分の夢だった宇宙飛行士になったつもりで、貯水塔から空に向かって飛び出し自殺を試みます。

そして病院です。ハマーショイ先生は医師から二人とも無事だと聞かされます。お母さんは中に入って看てやってくださいと言われます。「いや、私は母親じゃ、」と言いかけますが。

やがて施設にエルマーがハマーショイ先生に連れられてやってきます。監察の真っ最中です。エルマーは校長に2人分の許可証(退寮)を下さいと言います。校長は渋々渡しますが、礼を言いなさいと命令します。エルマーは答えません。そして黙って去って行きます。

残った生徒たちに監察官が「何か言いたいことがことがある人はいますか」と訊ねます。初めは誰も手を挙げませんでしたが、やがて一人が手を挙げると、続々と皆手を上げだしました。監察官は満足そうな表情に変わりました。

2人の兄弟はハマーショイ先生の車に乗って施設を後にします。この映画のナレーションをする仲間が追って来て手を振り続けます。

 

最後の字幕で、児童施設での暴力等で今でも精神的にも肉体的にも病気に苦しんでいる人がたくさんいるということが書かれています。

 

この時代のデンマークの孤児たちを扱ったドラマですが、これが事実ということに驚かされます。今世紀にコペンハーゲン児童養護施設における暴力、性的暴力、薬物投与などの問題が明らかになりました。この映画でも施設はまるで強制収容所です。教師たちには人間性のカケラもありません。ただただ最高権力者の顔色を伺いながら、暴力をふるう。上級生たちもしかり。連帯責任の名のもとに暴力をふるう。似たような事件はその後の日本でも数々起こりました。組織の恐ろしさを改めて思い知らされました。

 

最後の最後で勧善懲悪的に終わってホッとしましたが、館内は鼻をすする音がいっぱいでした。私も思わず涙してしまいました。年のせいでしょうね。

 

エルマー役の子がかわいい、そして兄役のほうも徐々に兄貴としての責任感、弟を守るという心が芽生えてくるところが、本当の兄弟のようで微笑ましいです。

エルマーが生徒たちに親から来た手紙を読み聞かせる場面があります。実際には彼らは親からは見捨てられていると思っているのですが、エルマーはその手紙をうまく脚色して読んで聞かせます。するとみんなが自分にも読んでくれとせがんできます。エルマーのやさしさがにじみ出ているいい場面です。

対照的に校長役のラース・ミケルセンの極悪非情ぶりも見事でした。役者は凄い。

 


映画『きっと、いい日が待っている』予告編

 

それでは今日はこの辺で。

 

映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を観る

今日のキネ旬シアターは『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』でした。

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監督:パブロ・ラライン

主演:ルイス・ニェッコ、ガエル・ガルシア・ベルナルメルセデス・モラーン

制作:チリ、アルゼンチン、フランス、スペイン、日本公開2017年

 

1971年にノーベル文学賞を受けたチリの詩人であり政治家のパブロ・ネルーダの逃亡生活の中の1年を描いた映画です。

 

ストーリーは1948年、米ソ冷戦の最中、上院議員共産党員でもあるネルーダは、共産主義が迫害を受け、共産党が非合法になるとの報告を受け、上院議会でビデラ大統領を激しく非難します。ビデラ大統領は警官オスカル・ベルショノーにネルーダの逮捕を命じます。

こうしてネルーダの逃亡劇が始まります。しかし、ネルーダは共産党員の制止も聞かず逃亡を楽しむかのように酒場や街中を歩き回ります。そしてベルショノーが迫ってくると、また別なところに身を隠します。ネルーダは酒と女が大好きで酒場通いが止められません。酒場ではネルーダのノーベル賞受賞の元になった詩集「大いなる歌」の朗読もあります。酒場の連中はネルーダの味方で、警察の追及にも真実は話しません。

ベルショノーはネルーダの前妻に接近し、ネルーダの誹謗中傷をラジオで喋らそうとしますが、前妻は逆にネルーダの素晴らしさを話し始め、ベルショノーは慌ててラジオ放送を止めさせます。またパブロ・ピカソネルーダの逮捕を阻止するよう呼びかけます。

ネルーダは船による国外逃亡を計画しますが、これには女性は乗れず今の妻との別れが待っていました。しかし、計画は頓挫し、今度は山越えをして国外逃亡を図ります。ベルショノーは執拗に追いかけ迫ってきます。ベルショノーは追跡中にネルーダの詩を読み、次第にあこがれを感じる自分に気が付いていきます。

ネルーダは山奥に住む原住民の助けを得ながら、馬で雪山を進みます。ベルショノーも同じように馬に乗り後を追います。しかし、原住民の手によって殴打され雪山の中に倒れます。ベルショノーの叫びを聞いたネルーダはベルショノーを探し求め、その死体を見つけると、村に運ぶよう頼みます。ネルーダもベルショノーにシンパシーを感じていたのです。追うものと追われるものとの奇妙な心理です。

とうとうネルーダは無事国境を越えアルゼンチンに亡命できました。映画はこれで終わりますが、逃亡中にも詩作を欠かさず、抵抗姿勢も崩さない姿は見事です。このような姿勢もノーベル賞の受賞に輝いた理由でしょう。

 

1958年にチリでは共産党が再び合法化され、1970年には社会党のアジェンテが大統領に就任し初の社会主義政権が誕生しました。ネルーダは駐仏大使に任命され、1971年にはノーベル文学賞を受賞しました。しかし癌が見つかり、1972年に大使を辞退し帰国しました。

1973年にはピノチェトがクーデターを起こしアジェンテ政権を倒し軍事政権を樹立しました。政権はネルーダの家に押し入り徹底的に破壊しました。絶望したネルーダは病状が悪化し、危篤状態になり病院に搬送されましたが、途中で検問にかかり引きずり出されるなどされて、病院に着いた時には死亡していました。

2011年、チリ共産党ネルーダの死因は毒殺だとの訴えを起こし、司法当局も遺体を掘り起こし検査したが確認できなかったとの報告をしています。ただし、あまりにも時間が経ちすぎており、安易に毒殺説を排除するのは危険だとの声も上がっています。

 

ネルーダの詩は今でもチリ国民に広く親しまれており、彼の家や別荘は観光地としても有名らしいです。またベトナム戦争時のアメリカ大統領ニクソンを痛烈に批判した「ニクソンサイドのすすめ」などの政治的な著書もあります。

ネルーダがイタリアに国外逃亡してた時代を描いた映画『イル・ポスティーノ』がよく知られています。

 

アジェンテ政権の崩壊を描いた映画『NO』については以前記事にしていますのでご参考までに。

いずれにしても独裁政権程怖いものはありません。こういった映画を観るたびに思い知らされます。

lynyrdburitto.hatenablog.com


映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』予告編

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『アリソン・ムーラー(Allison Moorer)/ザ・デュエル(The Duel)』

アメリカのカントリーロックの女性シンガーアリソン・ムーラーについて書いてみます。

どのアルバムを取り上げるか大変迷いましたが、サウンドがまるでニール・ヤングのようなアルバム『デュエル』にしました。

 

01.I Ain't Giving Up On You

02. Baby Dreamer

03.Melancholy Polly

04.Believe You Me

05.One on the House

06.All Aboard

07.The Duel

08.When Will You Ever Come Down

09.Louise Is In The Blue Moon

10.Once Upon A Time She Said

11.Sing Me To Sleep

 

参加ミュージシャンは

ジョン・デイヴィス(John Davis,g,b,key)

ティーヴ・コン(Steve Conn,key)

R.Sフィールド(R.S Field,ds)

ソニー・レッド(Sonny Red,harmonica)

プロデュース The Primms

 

01.  伴奏を聴いた瞬間、あっ、ニール・ヤングだと思いました。そのくらいザクザクギターといい、テンポと言いそっくりです。ちょうど『ハーベスト』から『ズマ』あたりまでのサウンドです。歌唱の方はけだるさを交えていい感じになっています。

02.  この曲もまたニール・ヤングの「ヘルプレス」などを思わせます。『アフター・ ザ・ゴールド・ラッシュ』の頃のサウンドです。

03.  ポップな曲にカントリーの香りを乗せて爽やかに。

04.  これもザクザクギターでが効いています。アリソンの伸びやかな歌声がぴったりです。

05.  スティールギターをフィーチャーした悲し気なカントリーロック。

06.  これもニール・ヤング的な曲。『ハーベスト』の中の「アラバマ」を思わせます。

07.  ピアノをバックにしっとりと歌い上げます。

08.  カントリーロック。決して力まずに、淡々と歌います。

09.  アコースティックギターとともに始まる、ちょっとドラマティックな曲。歌が上手い。

10.  この曲はアコースティックナンバー。静かに、静かに歌い上げます。途中から、ザクザクのエレクトリックギターが絡んで来て盛り上がります。そして突然終わります。

11.  ラストナンバーはアコースティックギターによる静かなカントリーソング。

 

このアルバムは彼女にとっての5枚目のアルバムです。1998年に『Alabama Song』でデビューし、これまでに10枚のアルバムをリリースしています。

中でも私が気に入っているのは『Miss Fortune』と『Getting Somewhere』あたりでしょうか。

  

 

ベスト盤もいいですが、廃盤のようです。

 

彼女のお姉さんは、やはりカントリー系のシンガー、シェルビー・リン(Shelby Lynne)です。

彼女たちの母親は父親に殺され、父親は自殺しました。アリソンが14歳の時でした。4歳上の姉シェルビーが、カントリー歌手になり彼女を育てました。

 

このアルバムがニール・ヤングサウンドに似ていると書きましたが、実際に彼女はニール・ヤングの曲もカバーしています。ほとんどは自作曲ですが、カバーは珍しいです。それだけニール・ヤングには影響されているのかもしれません。その他にはジェシー・コルターもカバーしています。

 

最新作は全曲カバー曲らしいですが。、未購入です。時間と金があったら購入します。

 


Allison Moorer "I Ain't Giving Up On You' music video


Allison Moorer - Believe You Me (+ lyrics 2004)

 それでは今日はこの辺で。

映画『ブルーム・オブ・イエスタデイ』を観る

昨日のキネ旬シアターは『ブルーム・オブ・イエスタデイ』でした。

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監督:クリス・クラウス

主演:ラース・アイディンガー、アデル・エネル、ヤン・ヨーゼフ・リーファース

制作:ドイツ・オーストリア 2016年

 

ドイツ・ナチスホロコーストをテーマにした一種の恋愛映画です。

 

ホロコーストの研究家であるトトは次の「アウシュビッツ会議」の議長になりたいため研究を続けていますが、そのエキセントリックな性格を気にして教授はライバルのバルタザールにその任を任せてしまいます。トトは怒り狂いバルタザールに殴り掛かります。その間、教授は心臓マヒを起こし死亡してしまいます。

フランスから会議の助手を務める女性ザジが会議の手伝いにやってきます。ザジはバルタザールと関係を持っていますが、目的は一面識もないトトに会うためでした。

トトの祖父はかつてナチスの親衛隊の大佐でユダヤ人虐殺に関係していました。トトは祖父を弾劾するためホロコーストの研究家になっていました。その為親兄弟からは憎まれていました。

ザジの祖母はユダヤ人でナチスに殺されました。ザジはホロコースト研究家のトトに対し以前から興味を持っていたのです。それにはまた別な真の理由があったのです。

バルタザールの指示で空港にザジを迎えに行ったトトは使っている車の車種がベンツだということでいきなりいちゃもんをつけられ喧嘩になってしまいます。その後も顔を合わせるたびに口論になります。2人とも精神状態が不安定なのです。

トトは性的不能者で妻がほかの男性と性的関係を持つのを公認しており、黒人の幼女もとっています。公認はしているものの、嫉妬で狂いそうになります。一方ザジも情緒不安定で自傷行為を繰り返します。

ある日、トトはザジの持っている本を見て驚きます。そこには祖父の幼少の頃の写真が写っています。そして隣に写っていたのはザジの祖母でした。2人の祖父母は小学校の同級生同士だったのです。そしてトトの祖父がザジの祖母を殺したのかもしれないという思いがよぎります。ザジがトトに会いに来た本当の理由はここにあったのです。

アウシュビッツ会議を成功させるために出席予定者の確認を得るために2人はウィーンに派遣されます。ところがその人物がちょうどその日死亡していたのです。2人はウィーンにそのまま滞在しレストランで食事をし、急速に接近しますが、トトはザジを誘おうとはしません。ザジは理由を聞きます。そしてとうとう性的不能者の秘密を打ち明けます。

しかしその夜二人は結ばれます。そして、2人の祖父母が幼少期を過ごしたラトヴィアのリガに向かいます。そして墓地や写真にあった学校の教室をめぐります。そして2人は結婚の約束をします。ザジは昨日子供が出来たような気がすると言います。喜ぶトトは名前はどうしようかと言うと、ザジが「ミカエル」はどうかしらと答えます。

トトは妻に離婚を申し出て家を出ます。ザジもバルタザールに別れを告げますが、バルタザールはトトの過去を調べ上げ、刑務所に収監されているトトの兄のところにザジを連れていきます。

そこでザジはトトがネオ・ナチだったことを聞かされます。ザジはトトとの婚約を解消します。トトはそれは若い頃の話だと懸命に説得しますが、ザジは聞き入れず結局去っていきます。

5年の歳月が流れ、場所はニューヨーク?。黒人の娘とクリスマスの買い物をするトト。そこにザジが現れます。子供を連れています。トトは子供に「坊や年はいくつ?3歳?4歳?」と訊ねます。子供は答えず、ザジが一瞬、間が空き「3歳、名前はトーマス」と答えます。ザジは今はインドの女性と暮らしている、幸せだと言います。ザジは娘を見て、「あの時の子がこんなに大きくなって」と言って笑顔で帰っていきます。トトは「男の子か」と言いますが、娘が「違うよ、さっきミカエルって呼んでたよ」と言います。

ホロコーストに関する新しい映画かと思って、それなりの心づもりで見始めましたが、どうやらそうではなくて、過去を引きずる加害者と被害者が果たして和解できるのか、という視点で観たほうが分かり易いかもしれません。性的不能者が新しい恋人を得て回復しますが、やがてまた食い違いが生じ別れる。そして時は流れ、2人の愛し合った証は生きています、という物語。こう解釈すると分かり易いラブストーリーです。

ただ監督の狙いは何だったのでしょう。ホロコーストの場面も一切なく、過去の証人も語ることはありません。ただホロコーストというテーマだけが根底に存在しています。監督自身は祖父とその兄がナチスの高官だったらしく、そのことに強いショックを受けたようです。この映画では直接的にホロコーストについて語るのではなく、孫世代としてホロコーストをどのように感じ、受け止めるのかを自由に考えてみて下さいと言われているような気がしました。

 


ナチス戦犯を祖父に持つ男と、ユダヤ人女性が恋におちたら…『ブルーム・オブ・イエスタディ』予告編

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『チャーリー・ダニエルズ・バンド(Charlie Daniels Band)/ウェイ・ダウン・ヨンダ―(Way Down Yonder)』

一概にサザンロックと言ってもその地域は多岐に亘っています。オールマン・ブラザースはジョージアレーナード・スキナードアラバマ、そしてこのチャーリー・ダニエルズ・バンドはテネシーナッシュビルという具合になっていて、それぞれが自分の故郷が最高だといっています。

チャーリー・ダニエルズはバンドを結成する以前からセッションマン、プロデューサーとしてその名が知れていました。特にボブ・ディランナッシュビルでのレコーディングアルバム『ナッシュビルスカイライン』に参加したことでも有名になり、レナード・コーエンのバックバンドに参加したりでその名を馳せていました。

1970年には初のソロアルバムCharlie Danielsをリリースします。そして1972年にチャーリー・ダニエルズ・バンドとしてのファーストTe John, Grease, & Wolfman、1973年にサードアルバムHoney in the Rock』をそれぞれリリースします。この中の「Uneasy Rider」が大ヒットします。

そして1974年に、紹介する『Way Down Yonder』がリリースされます。

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Side A

1.I've Been Down

2.Give This Fool Another Try

3.Low Down Lady

4.Land of Opportunity

 

Side B

1.Way Down Yonder

2.Whiskey

3.I'll Always Remember That Song

4.Looking for My Mary Jane

 

バンドメンバー

チャーリー・ダニエルズ(Carlie Daniels,g,vo,fidle)

ジョエル・ディ・グレゴリオ(Joel "Taz" DiGregorio,key ,vo)

フレッド・エドワーズ(Fred Edwards,ds)

ゲイリー・アレン(Gary Allen,ds)

バリー・バーンズ(Barry Baines,g,vo)

マーク・フィッツジェラルド(Mark Fitzgerald,b,vo)

 

A-1 オープニングにふさわしく、激しいロックナンバー。ツインギターにツインドラム。迫力あります。ヴォーカルはグレゴリオです。

A-2 マイナーなスローブルースナンバー。このアルバム以降、よりカントリー路線が強くなるため、前曲やこのナンバーのような曲はあまり聴けなくなります。ここではチャーリーのヴォーカルです。

A-3 この曲はオールマン・ブラザースのような典型的なサザンロックです。

A-4 カントリー色の強いナンバー。女性コーラスを大胆に取り入れています。

B-1 いかにも南部の曲という感じ。オールマンにも通じます。彼らの代表曲でもあります。

B-2 これも南部のブギ・ロックンロール。ノリノリです。

B-3 スローなカントリーナンバー。

B-4 ラストはブギ・ロックナンバー。

 

実はこのアルバム、この後廃盤になります。そして1977年『Whiskey』というタイトルで再発されます。レコード会社との契約の関係だと思われますが、不可解です。

 CDも廃盤のようです。

 

このあとバンドは1975年に『Nightrider』『Fire On The Mountain』という傑作アルバムを立て続けに発表します。

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それでも私にとっては、この『Way Down Yonder』が一番お気に入りです。ブルースをやっているのも珍しいし、カントリー色がまだそれほど強くなく、オールマンにも通じるサザンロック特有のサウンドがいいのです。

 

チャーリー・ダニエルズはその後も元気いっぱいで、現在も活躍中です。

現在80歳、信じられません。頑張ってください。

 

 


The Charlie Daniels band - I've been down


The Charlie Daniels Band - Give This Fool Another Try.wmv

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

60年代ロックの象徴、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ(Country Joe & The Fish)

シスコ・バンドの5傑と言われ、ウッドストック・フェスティヴァルで世界中に知れ渡った、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ(CJF)ですが、この時はすでに終焉に向かっていました。

CFJの結成は1965年に遡りますが、オリジナルメンバーが揃うのは1967年です。

カントリー・ジョー・マクドナルド(本名ジョセフ・アレン・マクドナルド)は1942年に、左翼主義者の家に生まれ、ソ連のジョセフ・スターリンの名を取って名付けられました。当然ながら彼は政治的環境の中で育ち、一方であらゆるジャンルの音楽的環境にも恵まれ音楽教育も受けました。

1965年にフォーククラブで歌っていた時に、レコードを作ろうということになり、その時同じフォーククラブの常連だったバリー・メルトンを誘いカントリー・ジョー・&ザ・フィッシュの名前を使い、2曲録音しました。元々はカントリー・マオにするつもりでした。毛沢東の「水の中を進魚のように、革命は人民の中を進む」という言葉からの引用ですが、スターリンの名がジョー(ジョセフ)だったので、冗談でカントリー・ジョーと言っているうちに、そのまま使うことになってしまったようです。

そして1967年にファーストアルバムを作る際に、3人のメンバーが加わって、オリジナルメンバーが揃います。

 

ジョー・マクドナルド(Country Joe McDonald,vo,g,tamb)

バリー・メルトン(Barry Melton,g,vo)

デヴィッド・コーエン(David Cohen,g,organ)

ブルース・バーソール(Bruce Barthol,b,harp)

ゲイリー”チキン”ハーシュ(Chicken Hirsh,ds)

 

そして発表されたのが『Electric Music For The Mind And Body』です。

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サイケデリック・ロックの決定盤でしょう。フォーク、ブルース、ジャグバンドなどあらゆる音楽性を含んだ傑作だと評されました。一気にジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドと肩を並べるほどの人気になりました。

続いてのセカンドは同年の『I-Feel-Like-I'm-Fixin'-To-Die』です。

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 このアルバムでCFJの人気は決定的となりました。タイトル曲は当時泥沼に陥った、ベトナム戦争を強烈に皮肉ったメッセージ性の強い曲です。コーラスの部分("One, two, three, what are we fighting for?"「1..2..3..何のために戦ってるんだ」)はアメリカの若者の心を捉えました。その他にもファーストと同じようにフォークロックからサイケ長の曲、ブルース、バラードまで多様な音楽を展開し、ファーストと並んで傑作と評価されました。

 

しかしCFJの絶頂期はこの頃まででした。1968年に出されたサードアルバム『Together』の頃にはメンバー間の諍いが起こり、68年の9月には ブルース・バーソールが辞め(解雇らしいが再び参加)ます。

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このアルバムではジョーが参加しない曲が4曲もあります。それでもアルバムにはベリーメルトンのメッセージ性を含んだ曲や、ウッドストックで歌われた曲などが入っており質は高いものでした。

この翌年、4枚目のアルバム『Here We Are Again』をリリースします。

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このアルバムでは、再びジョーが主導権を握ります。バリー・メルトンのサイケなギターが目立ちますが、ポップな曲などもあり、ファースト、セカンドの頃のような輝きはありません。

 

そしてこの年、ウッドストック・フェスティヴァルが開催されます。CFJとしては「Rock And Soul Music」そしてジョーのソロで「I-Feel-Like-I'm-Fixin'-To-Die」を歌います。ステージでの「The "Fuck" Cheer」という掛け合いが流行になりました。

しかしこの前にメンバーが次々と去ります。デヴィッド・コーエンとゲイリー”チキン”ハーシュが去りました。

 

ジョーとバリー・メルトンはドラムにグレッグ・デューイ(Greg Dewey)、ベースにダグ・メッツラー(Doug Metzner)、キーボードにマーク・カプナー(Mark Kapner)を迎え、1970年に5枚目のアルバム『CJ FISH』を発表します。

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 このアルバムでは、フォークロック、カントリーロックが目立ち、サイケデリックなものは影を潜めました。メッセージ性も薄くなり、ロックバンド然としてきました。が、ジャケットが象徴するように、彼等は宇宙飛行士のごとく天に昇りました。

解散です。

わずか3年と短い期間でしたが、これほど時代を象徴するバンドは珍しかったのではないでしょうか。世界中の若者が反体制運動に燃え、そして挫折して、虚脱していく姿を象徴する様なバンドの短い歴史でした。

 

この後1977年にバンドは再結成します。アルバムが『REUNION』です。残念ながらCD化はされていないようです。

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話題性はあったものの、結局はこの1枚のみで再び彼らは自分の世界に戻って行きました。

カントリー・ジョー・マクドナルドはバンドの活動期間中からソロ活動も並行して行っており、現在までに、30枚ほどのアルバムを出しています。そして政治活動も相変わらず盛んなようです。私も何枚かお付き合いしました。

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バリー・メルトンはその後もバンドを編成したりソロ活動をしています。これも何枚かお付き合いしました。どちらも入手困難のようです。

   

 

 ロックの輝いていた時代でした。


Country Joe & The Fish "Waltzing In The Moonlight"

 


Country Joe and the Fish - Love (Woodstock 69)


Country Joe & The Fish "Porpoise Mouth"

それでは今日はこの辺で。