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映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』を観る

今日のキネ旬シアターは『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』でした。

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監督:パブロ・ラライン

主演:ルイス・ニェッコ、ガエル・ガルシア・ベルナルメルセデス・モラーン

制作:チリ、アルゼンチン、フランス、スペイン、日本公開2017年

 

1971年にノーベル文学賞を受けたチリの詩人であり政治家のパブロ・ネルーダの逃亡生活の中の1年を描いた映画です。

 

ストーリーは1948年、米ソ冷戦の最中、上院議員共産党員でもあるネルーダは、共産主義が迫害を受け、共産党が非合法になるとの報告を受け、上院議会でビデラ大統領を激しく非難します。ビデラ大統領は警官オスカル・ベルショノーにネルーダの逮捕を命じます。

こうしてネルーダの逃亡劇が始まります。しかし、ネルーダは共産党員の制止も聞かず逃亡を楽しむかのように酒場や街中を歩き回ります。そしてベルショノーが迫ってくると、また別なところに身を隠します。ネルーダは酒と女が大好きで酒場通いが止められません。酒場ではネルーダのノーベル賞受賞の元になった詩集「大いなる歌」の朗読もあります。酒場の連中はネルーダの味方で、警察の追及にも真実は話しません。

ベルショノーはネルーダの前妻に接近し、ネルーダの誹謗中傷をラジオで喋らそうとしますが、前妻は逆にネルーダの素晴らしさを話し始め、ベルショノーは慌ててラジオ放送を止めさせます。またパブロ・ピカソネルーダの逮捕を阻止するよう呼びかけます。

ネルーダは船による国外逃亡を計画しますが、これには女性は乗れず今の妻との別れが待っていました。しかし、計画は頓挫し、今度は山越えをして国外逃亡を図ります。ベルショノーは執拗に追いかけ迫ってきます。ベルショノーは追跡中にネルーダの詩を読み、次第にあこがれを感じる自分に気が付いていきます。

ネルーダは山奥に住む原住民の助けを得ながら、馬で雪山を進みます。ベルショノーも同じように馬に乗り後を追います。しかし、原住民の手によって殴打され雪山の中に倒れます。ベルショノーの叫びを聞いたネルーダはベルショノーを探し求め、その死体を見つけると、村に運ぶよう頼みます。ネルーダもベルショノーにシンパシーを感じていたのです。追うものと追われるものとの奇妙な心理です。

とうとうネルーダは無事国境を越えアルゼンチンに亡命できました。映画はこれで終わりますが、逃亡中にも詩作を欠かさず、抵抗姿勢も崩さない姿は見事です。このような姿勢もノーベル賞の受賞に輝いた理由でしょう。

 

1958年にチリでは共産党が再び合法化され、1970年には社会党のアジェンテが大統領に就任し初の社会主義政権が誕生しました。ネルーダは駐仏大使に任命され、1971年にはノーベル文学賞を受賞しました。しかし癌が見つかり、1972年に大使を辞退し帰国しました。

1973年にはピノチェトがクーデターを起こしアジェンテ政権を倒し軍事政権を樹立しました。政権はネルーダの家に押し入り徹底的に破壊しました。絶望したネルーダは病状が悪化し、危篤状態になり病院に搬送されましたが、途中で検問にかかり引きずり出されるなどされて、病院に着いた時には死亡していました。

2011年、チリ共産党ネルーダの死因は毒殺だとの訴えを起こし、司法当局も遺体を掘り起こし検査したが確認できなかったとの報告をしています。ただし、あまりにも時間が経ちすぎており、安易に毒殺説を排除するのは危険だとの声も上がっています。

 

ネルーダの詩は今でもチリ国民に広く親しまれており、彼の家や別荘は観光地としても有名らしいです。またベトナム戦争時のアメリカ大統領ニクソンを痛烈に批判した「ニクソンサイドのすすめ」などの政治的な著書もあります。

ネルーダがイタリアに国外逃亡してた時代を描いた映画『イル・ポスティーノ』がよく知られています。

 

アジェンテ政権の崩壊を描いた映画『NO』については以前記事にしていますのでご参考までに。

いずれにしても独裁政権程怖いものはありません。こういった映画を観るたびに思い知らされます。

lynyrdburitto.hatenablog.com


映画『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』予告編

それでは今日はこの辺で。