Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

『フィルモア(Fillmore)』のライブアルバム

ロックミュージックのみならずジャズでもクラシックでもライブアルバム、昔でいうとところの実況録音盤というのは欠かせないものですが、ロックのライブアルバムに限ると、ライブ会場として数多く録音されているのが『フィルモア』だと思います。

ということで、昨日はこの記事を書くつもりが、『フィルモア』とその創設者ビル・グラハムのことで一杯になってしまいましたので、今日は改めて『フィルモア』でのライブアルバムを思い出せる限りで紹介したいと思います。以前紹介しているアルバムもありますので詳細は割愛します。

 

フィルモアの奇蹟(The Live Adventures of Mike Bloomfield and Al Kooper)』-アル・クーパー、マイケル・ブルームフィールド

フィルモア・ライブの定番。1968年9月のフィルモア・ウエストでの録音。エルビン・ビショップやサンタナポール・サイモンも参加。

なお、この年の12月にフィルモア・イーストでバックのメンバーを替えてコンサートを開いています。長い間発売されませんでしたが、2003年にCDによってようやく日の目を見ました。まだ無名のジョニー・ウィンターがゲスト参加しています。

フィルモア・イーストの奇蹟(Fillmore East: The Lost Concert Tapes 12/13/68)』

 

フィルモア・イースト・ライヴ(At Fillmore East)』/オールマン・ブラザース・バンド(The Allman Brothers Band)

言わずと知れたオールマンの永久の名盤。1971年、フィルモア・イーストでの録音。続いてリリスされた『イート・ア・ピーチ(Eat A Peach)』にも続きのライブが一部収録されています。

さらにさらに、この『フィルモア・イースト・ライブ』はCD時代に入ると続々とデラックス盤が発売され、最近ではCD6枚組まで出されました。凄いの一言です。

  

 

『マッドドッグス&イングリッシュメン』/ ジョー・コッカー

 

1970年、フィルモア・イーストでの録音。これも後にCDでデラックスエディションとして2枚組で発売されました。

 

『4ウェイ・ストリート(4 Way Street)』/クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN & Y)

1970年、フィルモア・イーストでの録音。CDでは4曲追加されて発売されています。

 

『クリームの素晴らしき世界(Wheels of Fire)』/クリーム(Cream)

2枚組のうち1枚がライブです。その内の1曲がフィルモア・ウエストでの録音です。他は同じビル・グラハム経営のウィンターランド・ボールルームです。

また『ライブ・クリーム』にもフィルモア・ウエストでの音源が1曲含まれています。

 

マイルス・デイヴィス・アット・フィルモア(At  Fillmore)』マイルス・デイヴィス

1970年、フィルモア・イーストでの録音。この年『ビッチェス・ブリュー』のヒットでジャズ・ファンクに傾倒した時期の録音で、ロックの殿堂にビル・グラハムがジャズ界のリーダーを迎えた画期的な出来事でした。

  

『イン・コンサート』デレク&ザ・ドミノス

1970年、フィルモア・イーストでの録音。発売は何故か1973年でした。デュアン・オールマンはいません。1994年には5曲を追加してCDで発売されました。

 

『Golden Filth』ザ・ファッグス(The Fugs)

1968年、フィルモア・イーストでの録音。ファッグスとしては7枚目のアルバム。現代詩人が3人集まって作ったグループ。アヴァンギャルドなバンド。

 

フィルモア・ライブ '71(Fillmore East: June 1971)』フランク・ザッパ、マザーズ

1971年、フィルモア・イーストでの録音。この時のバンド名義は単純に『ザ・マザーズ』です。元々は『ザ・マザーズ・オブ・インベンション』でしたが、時によって変わるようです。もっともザッパにとってはどうでもいいことなのかもしれません。バンド名義とソロ名義が交互に出てきたりしていた時期です。

 

バンド・オブ・ジプシーズジミ・ヘンドリックス

1969年大晦日から70年元旦にかけてのフィルモア・イーストでの録音。これもボーナストラック付きでCDが発売されています。またDVDも出ています。さらに2枚組CD『Live at the Fillmore Eastとしても発売されています。

 

悪の華(Flowers Of Evil)』マウンテン

これはレコードの片面がライブです。1970年、フィルモア・イーストでの録音です。

 

『パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモアハンブル・パイ

1971年、フィルモア・イーストでの録音。このレコードが発売されたときにはピーター・フランプトンは脱退していました。録音時にはまだいました。

 

『ライブ』ジョニー・ウィンター・アンド

2か所でのライブ音源を組み合わせたもの。1か所はフィルモア・イーストです。その時のライブ音源と思われるものが2010年に『Live at the Fillmore East 10/3/70』として発売されました。

 

ちょっと先が見えなくなってきました。こんなに長くなるとは思っていませんでした。

続きは次回に回します。失礼しました。

 


Mike Bloomfield & Al Kooper - That's All Right [HQ Audio] The Live Adventures Of, 1968


The Allman Brothers Band - Statesboro Blues ( At Fillmore East, 1971 )


Derek & The Dominoes - Have You Ever Loved A Woman - Fillmore Double Night 10/23-24/1970


Jimi Hendrix - Power of Soul (Jimi Hendrix: Machine Gun: Fillmore East 12/31/1969) [Audio]


CSNY - Southern Man - 1970 @ Fillmore East

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

ライブハウスの殿堂 『フィルモア(Fillmore)』の歴史

1960年代後半からのロック・ミュージックの隆盛にフィルモア(Fillmore)』というライブハウスが大きく貢献したのは疑う余地のないところでしょう。

その『フィルモア』を開店したのはビル・グラハムという男でした。ビルは1931年、ドイツ生まれのユダヤ人でした。ドイツでナチスが台頭するとユダヤ人迫害から逃れるため、ビルが10歳の時に母親は単身でビルをアメリカに移住させました。

アメリカに渡ったビルは除隊後、サンフランシスコで前衛演劇集団マイム・トゥループの裏方の仕事を始めます。このマイム・トゥループは当時の若者の政治的意見や芸術感などを代弁して、後に西海岸から全米、全世界へと広がるフラワームーヴメントの発端となった劇団でした。

ビルはここで下働きから学び、あらゆる裏方の仕事を請負、プロモーターとしての手腕を磨きました。そしてマイム・トゥループの活動資金を稼ぐために当時若者の間で流行り出した音楽を聴かせるコンサートを開催する企画をし、その会場を探しました。そして1965年11月に「フィルモア・ボールルーム」というダンスホールでコンサートを開催しました。これが『フィルモア』の出発点となります。そしてこの会場をフィルモア・オーディトリアム』と名付けて、1968年7月までここが常設のライブハウスになりました。

1968年、ビルはニューヨークにも同じようなライブハウスを作る計画をし、実際にフィルモア・イーストと名付けてオープンしました。同時にサンフランシスコの『フィルモア・オーディトリアム』を移転してフィルモア・ウエスト』として新たにオープンしました。

両会場とも1968年から1971年までロックのみならずジャズのミュージシャンも数多く出演して大盛況を誇りました。ジェファーソン・エアプレイングレイトフル・デッドクイックシルバースティーヴ・ミラーカントリー・ジョー&ザ・フィッシュなどの西海岸のミュージシャンのみならずサンタナ、オールマン・ブラザースなども出演、さらにジャズ界からはマイルス・デイヴィスなども出演しています。またクリームハンブル・パイなどイギリスのミュージシャンも数多く呼びました。数え上げたらキリがないほどです。

ビルの巧みなのはその出演者の組み合わせの妙にありました。ロックとジャズミュージシャンの組合せなど、それまでは常識では考えられなかったことをやって、しかも成功させたのです。さらにサイケデリックなポスターとステージのライトショーも大変な人気を呼び、ヒッピームーヴメントの先駆けとなっていきました。

「ビル・グラハム フィルモア」の画像検索結果

 

しかし、やがてロックビジネスはもっと大きな会場で多くの観客を呼んでのコンサートにシフトしていくようになりました。ミュージシャンの方もそれに味をしめるようになっていきます。そうした流れのなかでビルはあっさりと両会場の閉鎖を決定してしまいます。こうして『フィルモア』はその歴史を閉じることになりました。1971年のことでした。凄く中身の濃い6年間でした。

ビル・グラハムは『モンタレー・ポップフェスティバル』ウッドストック・フェスティバル』などの巨大フェスティバルの開催には反対でしたが、その手腕を買われ関係者の強い依頼で裏方を務めました。モンタレーは成功でしたがウッドストックは表向きは散々騒がれ話題になりましたが、その裏では悲惨な状況が続いていたようです。

「モントレーポップフェスティバル 画像」の画像検索結果 「ウッドストックフェスティバル 画像」の画像検索結果

 

 

ビルはその後も巨大フェスティバルには反対でしたが、その杞憂が現実になったのがローリング・ストーンズのオルタモントでのフリー・ライブコンサートでした。これに当時の暴走族ヘルスエンジェルスが参加し、遂に死者が出ました。ヘルスエンジェルスが黒人青年を殺害したのです。その他にも死者が3人出ています。後に「オルタモントの悲劇」と呼ばれる出来事です。このコンサートの模様は翌年映画『ギミー・シェルター』で見られました。

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この事件の後、ビルはしばらく音楽業界から離れますが、やはりその魅力に誘われ再び戻ってきます。そして今度は巨大イベントのプロモートに積極的に取り組んでいきます。『SNACK BENEFIT CONCERT』ザ・バンド『ラスト・ワルツ』、さらに「ウィー・アー・ザ・ワールド」でおなじみのライブ・エイドのプロモートなど数多くのコンサートを手がけました。

「ラストワルツ 映画画像」の画像検索結果

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その間も薬物中毒になり、再起不能などと言われた時期もありましたが、不屈の精神で立ち直って再びプロモート活動を開始します。

ところが1991年10月25日に自身が乗ったヘリコプターの墜落事故で突然亡くなってしまいました。59歳でした。

たった一人、10歳で見知らぬ地へ来て、歴史に残る大きな仕事を成し遂げ、最後は非業の死を遂げるという波乱万丈の人生でした。そして『フィルモア』が果たした歴史的役割は計り知れないものがありました。

その年の11月3日にはサンフランシスコのゴールデン・ゲイト・パークで『ラフター、ラブ&ミュージック』という追悼コンサートが開催されました。親交のあった多くのミュージシャンが参加し、観客は約50万人が集まったとされています。多くの人が彼の死を悼みました。

laughter_love&music

 

凄いメンバーが参加しています。

ニール・ヤングとジェリー・ガルシア。歌はボブ・ディランの「FOREVER YOUNG」


Grateful Dead w/ Neil Young - Forever Young - 11/03/91 - Golden Gate Park (OFFICIAL)

 

ジャーニー


Journey - Faithfully - 11/3/1991 - Golden Gate Park (Official)

 

ジョー・サトリアーニ


Joe Satriani - The Crush Of Love - 11/3/1991 - Golden Gate Park (Official)

 

CSNY


Crosby, Stills, Nash & Young - Ohio - 11/3/1991 - Golden Gate Park (Official)


Crosby, Stills, Nash & Young - Long Time Gone - 11/3/1991 - Golden Gate Park (Official)

 

ここまで書いてきて、なんなんですが、実はこういう事を書くつもりは全くなかったのです。ただ『フィルモア』でのライブレコーディングのアルバムを紹介しようと思っていただけなのですが、ビル・グラハムのことを書き始めたら止まらなくなってしまいました。

よって、アルバム紹介は次回に回します。大変失礼しました。

 

それでは今日はこの辺で。

遂に一周年! 感謝、感謝!!

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遂に今年の最大の目標でありました1周年を迎えました。エイプリルフールではありません!

昨年4月1日に始めたこのブログも、今日で丸1年になりました。その間、昨日までに当ブログで361記事書きました。さらに昨年途中から『闘病記(Lynyrd Burritoのブログ)』と『競馬(Lynyrd Youngのブログ)』を別ブログにしました。そちらで新たにそれぞれ2記事、20記事書いていますので、合計383記事書いたことになります。ほぼ1日1記事強です。1記事あたり大体1,500~3,000字、多い時は4,000~5,000字などという時もありました。書籍にしたら大全集が出来そうです(笑)。

 

こんなにたくさんの記事を書けたことに自分でも驚いています。ましてや1年も続くとは思ってもいませんでした。これもひとえにこのブログを読んで下さった皆さま、読者登録して下さいましたの皆さま、スターやコメント、ブックマークを下さった皆様のお陰と感謝の気持ちでいっぱいです。有難うございました。

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節目節目ではこんな記事を書いていました。

lynyrdburitto.hatenablog.com

lynyrdburitto.hatenablog.com

lynyrdburitto.hatenablog.com

lynyrdburitto.hatenablog.com

むかしの記事はほとんど読み返しませんが、これらを読むとこんなことを書いていたんだな、などと恥ずかしかったり驚いたり複雑な気持ちです。

 

記事の中身は音楽関連が圧倒的な数を占めています。この辺は当初の目論見とかなり違ってきています。当初は音楽と映画と読書を交互に書いていくつもりでしたが、映画も読書も昔の詳細な記憶が薄れています。なのでいい加減な内容を書くわけにもいかず、かといって本を読み直したりするほどの気力もないということから、どうしても読書と映画の記事は少なくなってしまいました。

ただ映画の場合はキネマ旬報シアターの会員になったおかげで、映画館に行く回数が増え、その日観た映画を記事にするようにしたので、ある程度の数は書くことが出来ました。しかしながら本来は昔観て感動した映画のことを書くつもりだったのですが、詳細を忘れてしまっていて書くに書けなかったというのが実情です。

その点、音楽の場合はターンテーブルにレコードを乗せればあっという間に当時のことが蘇ります。これは手軽で便利です。ということで音楽が手っ取り早いとうことで、音楽中心になってしまったというのが本音です。

 

ブログを書いていて面白いなと思ったのは、こちらが力を込めて書いたブログは、思いのほか反応が悪く、逆にこれはうまく書けなかったなと思った記事に意外な反応があったりなどということが結構あって、自分の思惑と他人の感想の違いを改めて思い知らされました。

 

 

ということで、1年が経ちました。これからどうしようかなと、思っているところです。1日1記事はちょっときついので少しペースを落とそうかとか、いろいろ考えています。

また当初は自分のための備忘録として始めたものが、次第に読者の方の目を意識し始めてしまっている自分に気が付きました。始めた時は、こんな古い音楽や映画の話など誰も読まないだろうと思っていました。しばらくそんな時期があり、やがてボチボチとアクセス数も増えてきて、読者登録してくださる方も出てきて、スターなども付けてもらえるようになると、モチベーションも上がるようになってきました。そうなるとやはり読者の方の目を意識せざるを得なくなりました。

従って、記事の内容も微妙に変わってきてしまっています。このあたりは反省材料で、あくまで当初の思惑通り、自分の備忘録として書いていくとすれば、不完全な記憶でも一向にかまわないわけで、もう一度初心に帰って思いつくままの記事を、あまりテーマにこだわらず書いていこうかなどと考えたりしています。

そんな大層なブログでもないのに何を言ってるんだと笑われそうですが、本人はまじめに悩んだりしています。いやいやそうでもないか。

 

今のところネタには困らないのですが、それをどのように料理するかがこれからの課題です。が、少々気力が萎えているところもあります。皆さんのブログを読んでいると、内容も体裁もよくできていて、本当に感心します。それに引き換え我がブログの味気無さはなんだろう、などと落ち込んだりしています。センスと文章力の問題ですから今更嘆いても始まりませんが。元々が読んでもらうためのブログじゃなくて、自分のボケ防止のためのブログなので、気にせずに今まで通りやって行こうかなどと、自己矛盾に満ちた試行錯誤に陥ったりしています。何か愚痴っぽくなってしまいました。

 

なにはともあれ1年間書き続けられたということで目出度し目出度しです。今年の目標を300記事と1年継続にしていたので、二つとも達成できました。重ね重ね皆様のお陰と感謝しております。ありがとうございました。

次の目標は500記事あたりでしょうか。ちょっと難しそうですが。

 

 

いつまで続けられるか分かりませんが、引き続きご支援よろしくお願いいたします。

それでは今日はこの辺で。

明日はどうしようかな。

 

 

 

 

 

この人の、この1枚 『エアロスミス(Aerosmith)/ホンキン・オン・ボーボゥ(Honkin' on Bobo) 』

今日取り上げるこの1枚はエアロスミス(Aerosmith)/ホンキン・オン・ボーボゥ(Honkin' on Bobo) 』です。

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初版はハーモニカ付きCDでした。2004年、ライブまで含めると通算18枚目のアルバムとなります。

 

よりによって何で?という声が聞こえて来そうです。他に名盤、ヒット作がたくさんあるのに、わざわざこれですか?と。

理由は簡単です。私の好きなブルースカバー集だからです。

もともとエアロスミスはデビュー前にはストーンズヤードバーズのカバーなどをしており、また初期のアルバムなどはロックンロールやブルースロックに近いものも演奏していたので、実は彼らはこのようなアルバムを作りたかったのではないかと思ってしまったりします。

これ以前のポップなエアロスミスはちょっと物足りませんでした。このアルバムは彼らが生き生きと演奏しているように思えます。

 

01.Road Runner

02.Shame, Shame, Shame

03.Eyesight to the Blind

04.Baby, Please Don't Go

05.I Never Loved a Man

06.Back Back Train

07.You Gotta Move

08.The Grind

09.I'm Ready

10.Temperature

11.Stop Messin' Round

12.Jesus is on the Main Line

 

この時のメンバーは

スティーヴン・タイラー(Steven Tyler,vo,harmonica)

ジョー・ペリー(Joe Perry,g)

ブラッド・ウィットフォード(Brad Whitford,g)

トム・ハミルトン(Tom Hamilton,b)

ジョーイ・クレイマー(Joey,Kramer,ds)

 

01はE.マクダ二エルことボ・ディドリーの曲。

02はRuby FisherとKenyon Hopkinsの共作でスマイリー・ルイスが歌いました。

03はソニー・ボーイ・ウィリアムソンの曲。

04はビッグ・ジョー・ウィリアムスの曲。

05はRonny Shannonの曲でアレサ・フランクリンがカバーしています。

06はミシシッピー・フレッド・マクダエルの曲。

07も同じくミシシッピー・フレッド・マクダエルの曲

08は唯一のオリジナル曲。これもブルースロックナンバーになっています。

09はウィリー・ディクソンの曲でマディー・ウォーターズがカバーしています。

10はウォルター・ジェイコブスの曲でチャールズ・マッスルホワイトがカバーしています。

11はフリートウッド・マックのピーター・グリーンの曲でマックのアルバム『ミスター・ワンダフル』に収録されています。エアロスミスはマック・ファンでもありました。

12はトラディショナルでフレッド・マクダエルのアレンジです。

 

以上、ほぼブギ、ロックンロール、ブルースです。ただし、単なるカバーではなく、そこは長年のキャリアを積んでいるエアロスミスだけに彼らなりのオリジナリティーが十二分に施されています。

久しぶりにエアロスミスを楽しめた1枚になりました。

去年、解散宣言をしたとかしないとか、寂しいですね。


Road Runner Aerosmith


The Grind Aerosmith


Stop Messin' Around Aerosmith

 

それでは今日はこの辺で。

 

シンフォニック・メタル 『ラナ・レーン(Lana Lane)/バラード・コレクション(Ballad Collection)』

アメリカのプログレッシヴ・メタルの女性ヴォーカリスト『ラナ・レーン(Lana Lane)』です。プログレメタルというよりもシンフォニック・ロックとハードロックを織り交ぜた音楽で日本でも人気を得たシンガーです。

1995年に後に夫となるエリク・ノーランダー(Erik Norlander,key)の協力を得てデビューアルバムをリリースして以降、日本のアヴァロンと契約して順調にアルバムも出し続けています。

そんな中で、日本での編集アルバムBallad Collectionを取り上げます。

 

01.Avalon

02.Athena's Shadow

03.Stardus

04.Through The Fire (Acoustic Version)

05.When Time Stood Still

06.Clouds(1998 Version)

07.Heart Of Dawn(1998 Version)

08.Take A Breath(1998 Version)

09.Across The Universe

10.Avalon Reprise

 

これは単なる編集盤ではなく、これまで発表してきた楽曲からエリクがバラードを選び新アレンジでリメイク、新曲1曲さらにカバー2曲を加えた完全な新録音源アルバムです。

録音メンバーは2人の他に

ニール・シトロン(Neil Citron,g)

マーク・マクライト(Mark Mccrite,g)

トミー・アマート(Tommy Amato,ds)

ドン・シフ(Don Schiff,b)

その他楽曲ごとに

ノヴィ・ノヴァグ(Novi Novog,viola)

グレッグ・エリス(Greg Ellis,perc)

トニー・フランクリン(Tony Franklin,b)

タリー・ウィンフィールド(Tully Winfield.vo)

が参加しています。

 

01.はエリクのバンドRocket Scientists が1993年に発表したデビュー作に収められていた曲で、新しくラナが歌っています。ヴィオラが入って幻想的な曲に仕上がっています。

02.は新曲です。マーク・マクライトのアコースティックギターが哀愁を帯びています。ラナの透き通るようなヴォーカルが印象的です。

03.もRocket Scientists時代の曲のリメイクです。ポップな曲です。

04.ラナのデビューアルバムから。ヴィオラをフィーチャーしたちょっと激しい曲。

05.はエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のカバー曲。こういう曲を選んでくるところが渋いです。極上のバラードです。

06.はセカンドアルバム『Curious Goods』からの選曲。新録です。

07.もセカンドアルバム『Curious Goods』からの選曲。新録です。

08.もセカンドアルバム『Curious Goods』からの選曲。新録です。

09.はご存じビートルズのカバーです。素直に曲の中に入り込んでいけます。

10.は01のインストナンバーです。

 

発売が1998年ということで、古い曲ばかりというのは致し方ありませんが、その後この編集盤の第2弾が発売されました。

 

これまで彼女は9枚のオリジナルアルバムを出しています。もちろんこれらのアルバムではよりハードな一面が聴けます。  

Curious Goods

Curious Goods

Amazon

 

 

 

 

ちょっと疲れた時にこういう音楽を聴くと癒されます。いかがなものでしょう。

 


Across the Universe - Lana Lane (Beatles cover)


Lana lane -Stardust Live Acoustic

 

それでは今日はこの辺で。

アメリカ産メロハー『ディパーチャー(Departure)』

アメリカ東海岸の産業ロックバンドというかメロディアス・ハードロックバンド、『ディパーチャー(Departure)』です。バンド名もメンバー全員がジャーニーのファンということもあってジャーニーの大ヒットアルバムのタイトルにちなんで付けられた、いわばジャーニーの申し子のようなバンドです。

バンドの結成は意外と古く1986年に、中心メンバーのマイケル・ウォルシュ(Mike Walsh,g,key)がヴォーカリストケニー・マイケルズ(Kenny Michaels,vo)と出会い意気投合してバンドの結成を目論見ます。仲良しのジェフ・セイコット(Jeff Seykot,b)を誘い、ドラムにスティーヴ・パゼランティ(Steve Pazzelanti,ds)、キーボードにジョン・オコーネル(John O'Connell,key)を起用し結成に至ります。

しかし、レコード会社との契約が上手くいかず、90年代に入るとオルタナグランジブームでメタルは敬遠され一旦は活動休止に追い込まれます。90年代中ごろになると、ヨーロッパからメロディアスなロックが注目されるようになり、ディパーチャーにも契約の話が飛び込んできました。

こうして1998年にファーストアルバムDepartureをリリースします。

 

ゲストにレインボーのデヴィッド・ローゼンタールを迎えています。キーボード、ピアノ中心の楽曲はプログレ風ですが、中にはポップであったり哀愁あるメロディーであったりと、ヨーロッパと日本で売れたのがわかる気がします。

 

続く1999年にセカンドアルバムOpen Your Mindをリリースします。

ここで大幅にメンバーが変わります。

ヴォーカルにデイヴ・ボルドウィン(Dave Baldwin,vo)、ベースにマイク・ベレス(Mike Beres,b)、ドラムにデューイ・ライべステロ(Duey Ribestello,ds)にそれぞれ代わります。ここでもデイヴ・ローゼンタールがゲスト参加しています。

このアルバムはグッとメロハーらしくなりました。ヴォーカルのデイヴの声が前任者に比べて柔らかい感じがするのも影響しているかもしれません。この人はVOICESやTRADIAに在席していた人で、ソロアルバムも発表しているほどの実績の持ち主です。

 

3年のブランクが空いて2002年にサードアルバムCorporate Wheelをリリースします。

ここでまたまたヴォーカルが代わります。デイヴ・ボルドウィンが音楽性に違いから脱退し、代わりに無名の新人ティモシー・ルイス(Timothy Lewis,vo)が加入します。個人的に私は前作のヴォーカルの方が好きで、このアルバムのティモシー・ルイスのヴォーカルはちょっと弱いような気がします。

 

この後、解散したのか活動休止状態だったのかわかりませんがしばらくの間、消えました。

そして2012年に約10年ぶりに新譜が発売されました。Hitch A Rideです。

残念ながら未購入です。どうやらまたヴォーカルが代わったようです。

 


DEPARTURE - The Way You Show Your Love


DEPARTURE - 100 Midnights


DEPARTURE - You Were Mine

映像では好きな曲が見つかりませんでした。

 

それでは今日はこの辺で。

 

ジャーニーから『バッド・イングリッシュ(Bad English)』へ

以前、『ハードライン(Hardline)』のことを書きましたが、肝心なその前身の『バッド・イングリッシュ(Bad English)』のことは書いていないことに気が付きました。遅ればせながらちょっとだけ書いてみたいと思います。

lynyrdburitto.hatenablog.com

『バッド・イングリッシュ』、結成は1988年、メンバーは、

 

ジョン・ウェイト(John Waite,vo)

ニール・ショーン(Neal Schon,g,vo)

ジョナサン・ケイン(Jonathan Cain,key,vo)

リッキー・フィリップス(Ricky Phillips,b,vo)

ディーン・カストロノヴァ(Deen Castronovo,ds,vo)

 

ニールが元『ジャーニー』、ジョンとリッキーが元『ベイビーズ』、そしてジョナサンが『ベイビーズ』から『ジャーニー』に引き抜かれた男、というメンバー構成です。こうしてみると知名度からいって『ジャーニー』が『ベイビーズ』を吸収したように見えますが、実態は『ベイビーズ』が『ジャーニー』、とりわけニール・ショーン知名度を利用したのではないかという憶測がどうしても拭い去れません。それはニールの抑制されたギターとわずか2枚で解散、そしてジャーニーの再結成という流れから見るとそう思わざるを得ないところがあります。

なお、『バッド・イングリッシュ』とはビリヤードの玉を撞くときに失敗することを意味するようです。

 

1989年にファーストアルバムBad Englishをリリースします。

01.Best of What I Got

02.Heaven Is a 4 Letter Word

03.Possession

04.Forget Me Not

05.When I See You Smile

06.Tough Times Don't Last

07.Ghost in Your Heart

08.Price of Love

09.Ready When You Are

10.Lay Down

11.Restless Ones

12.Rockin' Horse

13.Don't Walk Away

 

現在はボーナストラック2曲追加のデラックス・エディションが発売されています。

このアルバムからは02、03、04、05、08がシングルカットされ、05は全米1位を記録します。今聴いても80年代後半の匂いがプンプン、日本人好みの曲が連続です。ハードロックあり、AORあり、バラードありで、叙情的メローディは日本人受けします。ジョン・ウェイトの声は多少ハスキーでこういった曲にはピッタリです。私もこのアルバムはかなり気に入りました。

 

1991年にセカンドアルバムBacklashをリリースします。

01.So This Is Eden

02.Straight to Your Heart

03.Time Stood Still

04.Time Alone With You

05.Dancing Off the Edge of the World

06. Rebel Say a Prayer

07.Savage Blue

08.Pray for Rain

09.Make Love Last

10.Life at the Top

 

このアルバムは前作が素晴らしすぎたのか、評判がよくありませんでした。

確かにヴォリューム的には前作が62分、今作が48分と大分少なくなりましたが、1曲1曲の曲自体は前作から劣るものではないと思います。

オープニングはいかにもキャッチーなハードポップロック。03、04は泣きのバラード。 ジョン・ウェイトはバラードがよく似合います。05、06は重々しいロック。07はAOR、08はメロハー的。ラストは軽快なロックナンバー。なかなかバラエティに富んだ好アルバムだと思います。

 

しかしこのアルバム作成の頃からニールの欲求不満は極限まで行きつき、アルバム発売の頃にはドラムのディーンを引き連れ脱退してしまいます。そして『ハードライン』結成へと向かいます。

ジョン・ウェイトはソロに、ジョナサン・ケインはソロ活動の後、ニール、ディーンと共にジャーニーの再結成へ、リッキーは2003年からスティクスへとそれぞれ活動拠点を求めます。

何とも惜しい気もしますが、これがスーパーグループの宿命なのでしょう。

 


Bad English - When I See You Smile

 


Bad English - Possession (1989)

 


Bad English-time stood still

 

それでは今日はこの辺で。