Flying Skynyrdのブログ

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不思議な魅力『ジョー・ヘンリー(Joe Henry)』

手元にジョー・ヘンリー(Joe Henry)のアルバムが6枚ほどあります。彼が発表しているアルバムは15枚ですから半分にも満たないので大層なことは言えませんが、それでも十分に楽しめます。

彼の音楽は蟻地獄のようなもので、一度嵌まるとなかなか抜け出せません。しばらくは聴きっぱなしになります。それだけ不思議な魅力を持っています。

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彼は一応シンガー・ソングライターでギタリスト、マルチプレイヤーですが、その音楽性は幅広いものが有ります。

私が持っているCDの中で一番リリースが古いのが1996年リリースの『Trampoline』というアルバムです。通算6作目です。

デビューアルバムが1986年ですからデビューから10年経っています。聞くところによると、以前はジェイホークスなどと関連を持ちいわゆるカントリーロックやフォークに傾倒していた時期があるようですが、このアルバムを聴く限りそのような形跡は感じられません。1曲だけカバー曲があります。スライ・ストーンの曲ですがヘヴィメタバンドのヘルメットのギタリスト、ページ・ハミルトンがギターを弾いています。ファンクっぽいヘビメタになっています。その他は自作曲ですが、ジャズや教会音楽、ドラマティックなロックなどジャンル分けなどできないほどバラエティに富んでいます。声はしわがれて押しつぶしたような声ですぐに彼と分かります。

 

その次は2001年から2011年までの間にリリースされた5枚です。これは連続しています。前作の後には1999年に1枚リリースしただけでした。

2001年のアルバムは『Scar』です。

ジャズミュージシャンを迎え一気にジャズ寄りになった大傑作盤です。何といってもあのフリージャズの巨匠オーネット・コールマンが参加していることです。オープニングからいきなりオーネットのアルトが響きます。

さらにブラッド・メルドーのピアノ、マーク・リボーのギター、なんともジャジーな雰囲気に包まれます。物悲しいジョーのヴォーカル。もう抜け出せません。マーク・リボーの起用でトム・ウェイツらしさが感じられてしょうがありません。

 

その後は2003年の『Tiny Voices』です。

トム・ウェイツも所属するANTIレーベルに移籍しました。このアルバムの前にソロモン・バークのアルバムをプロデュースし、グラミー賞を受賞しています。そちらの方面の能力も高いのです。

このアルバムもジャジーでムーディーです。ジム・ケルトナーが1曲ドラムを叩いています。

 

暫く間隔が空いて2007年、通算10枚目のアルバム『Civilians』をリリースします。

ヴァン・ダイク・パークスがピアノで参加しています。またギターでビル・フリッセルとギター、マンドリングレッグ・ライツが加わっています。

もうこれはジャズやフォーク、カントリー、ブルースなどのジャンル分けは必要ありません。ジョー・ヘンリーそのものの世界です。

 

2009年には『Blood from Stars』をリリースします。

再びマーク・リボーを迎えました。そしてジャズ界からピアニストのジェイソン・モランも参加しています。

いきなりそのジェイソン・モランの切なくなるピアノソロから始まります。そしてむせび泣くような息子のレヴォンのサックスにジョーのしゃがれたヴォーカルが絡んでくるジャズブルース。もう応えられません。

 

そして2011年に『Reverie』をリリースします。

ここでもマーク・リボー他ドラムスのジェイ・ベルローズ、ベースのデヴィッド・ピルチ、ピアノのパトリック・ウォーレンなどおなじみのメンバーが揃います。

どうしてこんなにいい曲が次々と書けるのだろうと不思議になってしまいます。

ただ一つ残念なのは、私自身の英語読解力の無さで、歌詞の内容が良く理解できません。これが理解出来たらおそらくもっと憑りつかれることになるでしょう。すべて外国盤なので訳詞がついていないのです。辞書をひきひき訳せばいいのでしょうがそこまでの元気はありません。音楽から想像するに多分に内面的なものが多くなっているとは思いますが。トム・ウェイツランディ・ニューマンに通じるものが有ると思います。

 

 

今のところここまででストップしています。このあと今年までに3枚リリースしていますが未購入です。初期のアルバムも未購入です。それでもこの6枚でお腹いっぱいです。

聴きだしたら止められません。また当分蟻地獄に嵌るでしょう。

 


Joe Henry - Richard Pryor Addresses a Tearful Nation


The Man I Keep Hid - Joe Henry


Joe Henry - Civilians

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ブルー・ロデオ(Blue Rode)/カジノ(Casino)』

ブルー・ロデオ(Blue Rode)はカナダ出身のカントリーロックバンドです。カナダでは絶大なる人気を誇り、その後はアメリカを基盤に活躍中のバンドです。

バンドの結成は1984年でした。場所はカナダトロントです。メンバーは

ジム・カディ(Jim Cuddy,g,vo)

グレッグ・キーラー(Greg Keelor,g,vo)

バジル・ドノヴァン(Bazil Donovan,b)

ボビー・ワイズマン(Bob Wiseman,p,organ,harp,accord)

クリーヴ・アンダーソン(Cleave Anderson,ds)

でスタートしました。

 

ジムとグレッグが交互にヴォーカルをとるという、この二人が中心のバンドです。

1987年にファーストアルバム『Outskirts』をリリースします。

これが大層な評判となり、カナダでのダブルプラチナになりました。

 

続く1989年にセカンドアルバム『Diamond Mine』をリリースします。

このアルバムは前作以上の評判を呼び、カナダでの賞を総なめにしました。

 

そして勇躍アメリカに乗りこみます。そしてリリースされたのがサードアルバム『Casino』です。1991年のことでした。

 

01.Til I Am Myself Again

02.What Am I Doing Here

03.5 A.M. (A Love Song)

04.Montreal

05.Last Laugh

06.Trust Yourself

07.Two Tongues

08.Time

09.After the Rain

10.You're Everywhere

 

ドラムがマーク・フレンチ(Mark French,ds)に代わっています。

プロデュースはピートアンダーソン(Pete Anderson)です。

このアルバムもカナダではチャートの6位のダブルプラチナ、シングルの01は1位、アメリカでも19位まで上がりました。

アメリカよりアメリカらしいカントリーロックです。まるでザ・バーズを現代風にアレンジしたようです。

実はこのアルバムがブルー・ロデオに出会った私の最初のアルバムになります。その後も次々に聴いていきました。それでもこのアルバムの印象は強かったのです。

ブルー・ロデオのアルバムには駄作はありません。

 

1992年には『Lost Together』

 

1994年には『Five Days in July』

 

その後も『Nowhere to Here』『Tremolo』と続きます。

 

 

この間2人の中心メンバーとバジルは変わらず、その他ドラムがグレン・ミルケム(Glenn Milchem,ds)に代わり、キーヴォ―ドも何度か代わり現在はマイケル・ボウグスキー(Michael Boguski,key)になっています。ギタリストとしてコリン・クリップス(Colin Clipps,g)が加入しています。

 

さらに1999年から現在までに9枚のアルバムを発表しています。その中で気にったものをピックアップすると2000年の『The Days in Between』、2002年の『Palace of Gold』、2005年の『Are You Ready』あたりでしょうか。

  

 

ブルー・ロデオはカナダのバンドですがアメリカのカントリーロックの守り神のような存在です。最近はあまり聴く機会もありませんが、今後も期待しています。

 


Blue Rodeo - "Til I Am Myself Again" [Official Video]


Blue Rodeo - What Am I Doing Here.wmv


Blue Rodeo - After the Rain

 

 

それでは今日はこの辺で。

オルタナカントリー 『ブルー・マウンテン(Blue Mountain)』

 

ブルー・マウンテン(Blue Mountain)の結成は1993年ですが、バンドの前身はミシシッピ州のオックスフォードでケリー・ハドソン(Cary Hudson,g,vo)ローリー・スティラット(Laurie Stirrutt,b,vo)、ジョン・スティラットが組んだバンド、ヒルトップスが始まりです。ジョン・スティラットはローリーの双子の兄で、後にウィルコに参加します。

ヒルトップス解散後ケリーとローリーは結婚し、カリフォルニアに活動拠点を移しますが、カリフォルニアに馴染めず、オックスフォードに戻ってマット・ブレナン(Matt Brennan,ds)を誘いブルー・マウンテンを結成します。

そして1993年にファーストアルバム『Blue Mountain』をマイナーレーベルのFour Barrelというレーベルからリリースします。

Blue Mountain (CD, Album) album cover

但し、これは現在入手不可能のようです。

 

続いて1995年にはロードランナー・レコードと契約しセカンドアルバムDog Daysがリリースされます。

ここでドラムスがフランク・カウチ(Frank Coutch,ds)に代わります。プロデュースはエリック・アンベル(Eric Ambel)です。

ファーストに収められていた5曲がここで取り上げられています。このアルバムがヒットしました。

ブルー・マウンテンの音楽はカントリーを基本に据えながらも、ブルースやヒルビリーなどアメリカのルーツ・ミュージックを取り入れ、そこに現代風のアレンジを加えることによって古臭さを感じさせないアメリカン・ルーツロックになっています。スキップ・ジェイムスのカバーもあります。

 

1997年にはサードアルバム『Homegrown』をリリースします。

プロデュースはジェフリー・リード(Jeffrey Reed)に代わります。

ブルー・マウンテンの曲はカバーを除けばほぼケリー・ハドソンの曲になるのですが、このアルバムでも12曲中11曲がケリーの曲です。残る1曲はかつての仲間でウィルコに入ったジョン・スティラットの曲です。

 

続く1999年に4枚目のアルバム『Tales Of A Traveler』をリリースします。

ここで新たにジョージ・シェルドン(George Sheldon,b,vo)が加わります。プロデュースはダン・ベアード(Dan Baird)に代わります。ダン・ベアードはご存じの通り、ジョージア・サテライツのリーダーとして知られるギタリストです。ここでも何曲かギターを弾いています。

このアルバムは前作に比べ、随分とロック寄りになったような気がしますが、相変わらずアメリカン・ルーツロックの雰囲気は十分感じられます。

 

2001年には5枚目のアルバム『Roots』をリリースします。

これはトラディショナル曲集です。オルタナカントリーと呼ばれるバンドはやはり少なからず、カントリーミュージックのトラディショナルに立ち返る時が来るようです。ブルー・マウンテンにしてもやはりここでこのような試みをしました。

 

そしてこれが集大成だったかのように解散してしまいます。

翌年には2枚組のライブアルバムがリリースされます。『Tonight Its Now Or Never』です。

このライブにはジョージ・シェルドンもフランク・カウチもいません。ドラムスがテッド・ゲイニー(Ted Gainey,ds)に代わっています。

カントリーのトラディショナルやブルース、これまでのレパートリーなど新旧取り混ぜたアコースティックなライブアルバムになっています。ナンシー・グリフィスの曲もカバーしています。

 

それにしてもあっけない幕切れでした。まさかと思ったのですが、カントリーロックにいいバンドが現れたと思っていたところでいたから残念でした。

 

ところが2007年に彼らは再結成したのです。再結成後は残念ながら聴けていません。彼らのCDはなかなか安価盤がなく購入を躊躇してしまいます。中古屋さんにもまずありません。

 

ちなみに2008年に2枚のアルバムがリリースされています。『Omnibus』はこれまでの楽曲の新録です。もう一枚が『Midnight in Mississippi』です。

 

フランク・カウチが戻って元の3人のメンバーになったようです。

 

ところが2013年に再び正式に解散してしまいました。この後は全く消息を聞いていません。後継者ではなくなったようです。

 

ケーリー・ハドソンは2007年までに4枚のソロアルバムを発表しています。未購入です。聴いてみたいですがまず見つかりません。

 


Blue Mountain - A Band Called Bud


Blue Mountain - Myrna Lee


Blue Mountain - Comicbook Kid (1999)

 

それでは今日はこの辺で 。

ジェイコブ・ディラン(Jakob Dylan) と『ウォールフラワーズ(The Wallflowers)』

ボブ・ディランと妻サラ・ラウンズの息子、それがジェイコブ・ディラン(Jakob Dylan)です。

昔、ボブ・ディランの5枚目のアルバム『Bringing It All Back Home』のジャケットの後ろの方でタバコを吸っているのがサラ・ラウンズだという話が流れましたが、どうやら誤報だったようです。

ジェイコブは1969年、ボブ・ディランの5番目の子としてニューヨークで生まれました。やはり、ボブ・ディランの息子なのか、早くも高校時代にはバンドを組むようになりました。

当初はギターを学んでギタリストとして活動していたようですが、次第にソングライティングに力を入れるようになり、幼馴染のトビ・ミラー(Tobi Miller,g,vo)とバンドを組むことになり、バリー・マクガイヤ(Barrie Maguire,b,vo)、ピーター・ヤノウィッツ(Peter Yanowitz.ds,vo)、ラミー・ジャフェー(Rami Jaffee,p,organ)を誘ってウォールフラワーズ(The Wallflowers)を結成しました。

 

そして1992年にヴァージンレコードからファーストアルバムThe Wallflowersをリリースします。

プロデュースはポール・フォックス(Paul Fox)です。

このアルバムは一定の評価を得ますが、商業的には完全に失敗しました。というのもボブ・ディランの息子ということが先行し、ジェイコブが嫌気を差し、プロモーションに積極的にならなかったからというのがその理由に挙げられました。

ただ、このアルバムは私自身は結構気に入っています。いい曲もたくさんあります。声はしゃがれ声ですがボブ・ディランとは違います。詩の方はボブ・ディランの同じ年頃の頃から比べれば、分かり易いですが抽象的な詩も多いです。

全体としては正統派アメリカンロックと言えばいいでしょうか。

 

この商業的失敗は契約関係にも響き、ヴァージンレコードとの契約は消滅します。そしてジェイコブはメンバーチェンジを行います。ラミー・ジャフェーを残し全員がバンドを去ります。

新たなラインナップは

ジェイコブ・ディラン(Jakob Dylan,vo,g,p)

ラミー・ジャフェー(Rami Jaffee,p,organ)

マイケル・ワード(Michael Ward,g,vo)

グレッグ・リッチリング(Greg Richling,b)

マリオ・キャリエ(Mario Calire,ds)

です。

 

そしてインタースコープ・レコードとの契約を結び、1996年にセカンドアルバムBringing Down the Horseをリリースします。

Bringing Down the Horse

Bringing Down the Horse

Amazon

 

ここではプロデュースにT-ボーン・バーネット(T-Bone Burnett)を迎えます。

そしてゲスト陣に

ジェイ・ジョイス(Jay Joyce)

レオ・ルブラン(Leo Le Blanc)

フレッド・タケット(Fred Tackett)

マイケル・ペン(Micheal Penn) SSW

ゲイリー・ルーリス(Gary Louris)  ジェイホークス

マイク・キャンベル(Mike Campbell) トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ

ドン・フェフィントン(Don Heffington)

サム・フィリップス(Sam Phillips) T-ボーンの奥様

ティーブン・ブルトン(Stephen Bruton)

トビ・ミラー(Tobi Miller) 元ウォールフラワーズ

デヴィッド・ロウリング(David Rawlings)

マット・チェンバレン(Matt Chamberlin)

アダム・ドゥ―リッツ(Adam Duritz) カウンティング・クロウズ

ジョン・ブライオン(Jon Brion)

パトリック・ウォーレン(Patrick Warren)

 

を迎えレコーディングされました。

4曲のシングルヒットを含み、このアルバムは大ヒットとなりました。グラミー賞も2部門で受賞しました。One Headlight」「6th Avenue Heartache」「Three Marlenas」「The Difference。これら4曲のシングルはいずれも素晴らしい楽曲です。

これでジェイコブとウォールフラワーズボブ・ディランの呪縛から解かれました。

 

1998年にはデヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」をカバーして映画『Gozila』に使用され大ヒットをしました。

 

さらに4年後の2000年、サードアルバム『Breach』をリリースします。

ブリーチ

ブリーチ

Amazon

 

ここではプロデュースがアンドリュー・スレイター(Andrew Slater)マイケル・ペン(Michael Penn)に変わっています。

そしてゲストにバッキングヴォーカルでエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)が参加しています。

ゲイリー・ルーリス、マイク・キャンベル、ジョン・ブライオン、マット・チェンバレンは今回も参加しています。

 

このアルバムは前作ほどのヒットには至らなかったもののゴールドディスクを獲得しました。アメリカンロック全開です。こういう音は安心して聴けます。この時代にこのような音があるのが嬉しい限りです。

 

そして2年後、2002年に4枚目のアルバム『Red Letter Days』をリリースします。

Red Letter Days

Red Letter Days

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この前にギタリストのマイケル・ワードが脱退します。このアルバムではジェイコブがギターを弾いています。プロデュースは盟友トビ・ミラービル・アップルベリー (Bill Appleberry)です。

さらに

ヴァル・マッカ゚ラム(Val McCallum,g) シェリル・クロウボニー・レイット

ラスティ・アンダーソン(Rusty Anderson,g)  ポール・マッカートニー

マイク・マクレディ(Mike McCready,g)  パール・ジャム

が参加しています。

ちなみに、ヴァルはデヴィッド・マッカラムとジル・アイアランドの息子です。

 

ここでも相変わらずのアメリカンロックですが、機械処理が多くややオルタナ色が強くなったような気がします。後期のボブ・ディランよりはずっと聴きやすいです。

 

ドラマーのマリオが退団します。代わりにフレッド・リングハム(Fred Eltringham,ds)が加入します。

 

そして2005年に5枚目のアルバム『Rebel, Sweetheart』をリリースします。

Rebel Sweetheart

Rebel Sweetheart

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プロデュースはブレンダン・オブライエン(Brendan O' Brien)に代わります。このアルバムはビルボードの40位どまりでした。

しかし中身はウォールフラワーズが戻ってきました、という感じで素晴らしい出来になっています。古臭いけど新しいアメリカンロックです。歌唱力もぐんと上がったようです。ブルース・スプリングスティーントム・ペティを目指しているのかもしれません。

 

ここでウォールフラワーズとしてのアルバム制作活動はしばらく中断します。2007年にはこれまでずっと一緒に歩んできたラミー・ジャフェーがバンドを去ることになりました。後に復帰することになるのですが、フー・ファーターのツアーへ参加することになったのです。

そしてジェイコブはコロムビアと契約しました。ジェイコブはソロアルバムの制作に取り掛かります。したがってツアー活動も中団となりました。

その間、ザ・バンドのトリビュートアルバム『Endless Highway』の中の「Whispering Pines」を録音したりしました。

 

ジェイコブのファーストソロ『Seeing Things』は2008年にリリースされました。

 

プロデュースは名うてのリック・ルービン(Rick Rubin)です。

アコースティック・アルバムです。前作でもその傾向は若干ながら見えていましたが、ここまで本格的にアコースティックで通すとは。親父の歩んだ道を歩くかのようです。

 

続いて2010年にはソロ第2弾『Women & Country』をリリースします。

Women & Country (Dig)

Women & Country (Dig)

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プロデュースは再びT-ボーン・バーネットです。ギターでマーク・リボー(Marc Ribot)が参加しています。バッキングヴォーカルではニーコ・ケース(Neko Case)も参加。

シンプルなサウンドに朴訥なヴォーカル。余計なものを削ぎ落し、すべてに達観したような雰囲気を感じさせてしまうアルバムです。デヴィッド・マンスフィールドフィドルやグレッグ・ライツのスティールが入っているせいかカントリー・ロックの要素も入って、さらにマーク・リボーの影響かトム・ウェイツが出てきたり、ルーツ・ロック満載です。

 

この人はこれからどこへ向かっていくのでしょう。父親のボブ・ディランはアルバムを出すごとに人々を驚かせましたが、息子もそのようになっていくのでしょうか。

 

そして2012年にはウォールフラワーズの6枚目のアルバム『Glad All Over』がリリースされます。

 

ラミー・ジャフェーは戻ってきました。フレッド・リングハムは退団して、代わりにジャック・アイアンズ(Jack Irons,ds)とツアーメンバーだったスチュアート・マティス(Stuart Nathis,g,vo)が正式に加入します。

ギターとバッキングヴォーカルで元クラッシュのミック・ジョーンズ(Mick Jones)が2曲でゲスト参加しています。

ソロはソロ。バンドはバンド。ハードなウォールフラワーズに戻りました。

 

これを最後に今のところ新作は出ていません。これからどうなるのでしょうか。

ボブ・ディランの子と言っても今の人はピンと来ないでしょう。私などはどうしても親父と比べながら聴いてしまいます。そろそろ50歳です、オッサンになりましたね。早く新作を出してください。ソロでもバンドでもいいですから。

 


The Wallflowers - One Headlight


The Wallflowers - 6th Avenue Heartache


The Wallflowers - Heroes

 

 

それでは今日はこの辺で 。

『ウィスキータウン(Whiskeytown)』とライアン・アダムス(Ryan Adams)、ケイトリン・キャリー(Caitlin Cary)

カントリーロックにしろ、その後のオルタナティヴ・カントリーにしろ日本ではほとんど人気のないジャンルです。それでもカントリーはアメリカでは脈々と受け継がれて来ています。

1960年代のバーズ、フライング・バリット・ブラザースの立役者グラム・パーソンズの遺伝子でも入っているのでは、と疑いたくなるようなカントリーロックの後継者がノースカロライナ州から現れたのが、1994年のことでした。それがライアン・アダムス(Ryan Adams)ケイトリン・キャリー(Caitlin Cary)を中心として結成されたウィスキータウン(Whiskeytown)です。

 

当初のメンバーは

ライアン・アダムス(Ryan Adams,vo,g)

ケイトリン・キャリー(Caitlin Cary,fidle,vo,perc)

フィル・ワンドシャー(Phil Wandscher,g,vo)

エリック・ギルモア(Eric Gilmore,b)

ティーヴ・グロスマン(Steve Grothmann,ds)

でした。

 

彼らのデビューは1995年のファーストアルバムFaithless Streetのリリースでした。このアルバムはマイナーレーベルのムード・フード・レコードというところからのリリースでしたが、このアルバムが評判を呼び、ゲフィン傘下のアウトポストから再発されました。その時に大幅に未発表曲が追加されました。逆にオクラホマという曲が削除されてしまいました。これはライアン・アダムスの意向のようです。

ウィスキータウンはこのアルバムによって、ジェイホークスやウィルコ、サンヴォルトなどと並び称されるオルタナ・カントリーの星になりました。

オープニングの曲やその他にもパンクっぽい曲がありますが、基本的にはカントリーロックです。グラム・パーソンズのソロアルバムにも通じる曲がたくさん散りばめられています。1曲だけケイトリンがヴォーカルを執っていますが、これがエミルー・ハリスとは違ったいい味を出しています。

プロデュースはクリス・スタミー(Chris Stamey)とウィスキータウンです。

 

そしてメジャーからのアルバムStrangers Almanac』を1997年にリリースしますが、メンバーのエリック・ギルモアとスティーヴ・グロスマンがバンドを去ります。代わりにジェフ・ライス(Jeff Rice,b)ティーヴ・テリー(Steven Terry,ds)が加入します。

このアルバムも2008年には2枚組のデラックス・エディションとして再発されました。

プロデュースはジム・スコット(Jim Scott)です。

このアルバムはファーストがカントリーロックとしてはまだ未完成というかちょっと中途半端だったのに比べ(それはそれでいいのです)、ほぼ完ぺきなカントリーロック(オルタナ)の名盤に仕上がりました。

 

しかし、このアルバムのためのツアー中にライアン・アダムスとケイトリン・キャリーを残してメンバーは辞めてしまいます。途中でメンバーに加わったマルチプレイヤーマイク・デイリー(Mike Daly,g,b,key,mandlin,vo)の3人になってしまいました。

 

それでもバンドは新たにメンバーを迎え1999年にサードアルバムを制作しました。しかし、レコード会社の解散があって、レコーディングされたアルバムはお蔵入りになってしまいました。そしてバンドは解散に至りました。

 

そして解散後、2001年にようやくユニバーサル傘下のロストハイウェイ・レコードからサードアルバム『Pneumonia』がリリースされました。

プロデュースはグリン・ジョンズの息子イーサン・ジョンズ(Ethan Johns)です。

参加したミュージシャンは3人の他に

ブラッド・ライス(Brad Rice,g)

ジェニファー・コンドース(Jennifer Condos,b)

リチャード・カウソン(Richard Causon,key)

ジェイムス・イハ(Jamens Iha,g,vo)  スマッシング・パンプキンズ

トミー・スティンソン(Tommy Stinson,g,dobro)

ジェイムス・アウモニア(James Aumonier,celeste)

イーサン・ジョンズ(Ethan Johns,ds,d,mandolin,key,perc,g)

です。

 

このアルバムはこれまでの2枚のアルバムとは趣を異にします。ライアン・アダムスがこれまで以上に大きくフィーチャーされ、まるでソロアルバムのようです。その代わりにライアン・アダムスの才能が大きくクローズアップされる形になりました。穏やかなアコースティクサウンドとカントリータッチの曲。前作でもジャクソン・ブラウンを思わせるメロディなどもありましたが、今作でもSSW的な、フォーク的なサウンドとメロディになっています。

 

こうしてウィスキータウンは消滅してしまいましたが、ライアン・アダムスはこれ以降ソロ活動を始めます。

2000年にアルバム『Heartbreaker』でソロデビューし(エミルー・ハリスとのデュエットもあり)、2001年には2枚目の『Gold』のシングル「ニューヨーク、ニューヨーク」が大ヒットし、アルバムも大ヒットし成功を収めます。この頃はオルタナカントリーというよりはオルタナティヴ・ロックという感じです。

その後もコンスタントにアルバムを出し続け、私も途中まで付き合いましたが2007年の『Easy Tigerが最後になりました。

   

 

彼は数々の暴言や横暴な態度で有名です。最近の消息は分かりませんが、彼のことですから相変わらず気ままにやっているでしょう。

 

一方最後までウィスキータウンでライアン・アダムスのわがままに付き合ったケイトリン・キャリーはその後3枚のソロアルバムをリリースしています。これがなかなかいいのです。

ファーストは2002年『While You Weren't Looking』です。

ここではウィスキータウンで最後に一緒だったマイク・デイリーが参加しています。 ほとんどの曲が2人の共作になっています。

 

翌2003年には『I'm Staying Out』をリリースします。

ここではバッキングヴォーカルでメリー・チェイピン・カーペンターが参加しています。ギターではタッド・コックレルが参加。この人とコンビを組むことになります。

マイク・デイリーとウィスキータウンでプロデュースもしたことがあるクリス・スタミーもミュージシャンとして参加しています。

 

2005年にはサードアルバムBegoniasをリリースします。

 

セカンドで参加したタッド・コックレルが参加し、ほとんど二人の共作曲になります。

 

残念ながら日本ではほとんど人気がありません、というかあまり知られていません。当然日本盤も発売されていません。もったいない限りです。

 

ウィスキータウンにしろライアン・アダムスにしろアメリカでの人気に比べたら日本での知名度は驚くほど低いです。カントリーロックの人気の低さが響いているのでしょうか。

 

ウィスキータウンを未だ書いていなかったことに気付き急遽書いた次第です。とっくに書いたつもりでいました。ボケてます。

 


Whiskeytown - Faithless Street


16 Days - Whiskeytown


Ballad of carol lynn - Whiskeytown


Ryan Adams - Gimme Something Good

 

 

それでは今日はこの辺で。

思い出のテレビ お笑い編 ②

今日は『思い出のテレビ お笑い編』の2回目で落語家を書いてみたいと思います。

東京へ上京した大学時代は金もなく寄席にも滅多に行けませんでしたが、その分社会人になってからは新宿末広亭池袋演芸場に随分通いました。またホール落語にも顔を出しました。今また落語ブームになっているようです。いいことです。

でも、今日はあくまでも第1次お笑いブームの頃に活躍した落語家です。とても古いので我慢してください。それでもそれ以前に亡くなった名人たち(3代目桂三木助、8代目三笑亭可楽等々)はリアルタイムでは聴けなかったのが残念です。この時代は寄席番組も多く、落語もよく聴けたのです。

 

それではいってみましょう。

 

古今亭志ん生(5代目)

まずはなんといってもこの人、5代目古今亭志ん生です。といっても私は志ん生の噺をテレビでリアルタイムに観たのは1度位だったと思います。1961年に脳出血で倒れ、その後カムバックしますが、1968年が最後の高座ですから一度というのは正解だと思います。後はテレビでも昔のビデオを流す程度でした。もう少し早く生まれていればよかったなどと思ったりしたものでした。83歳没。「火焔太鼓」「黄金餅」など名演多数。

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桂文楽(8代目)

8代目桂文楽志ん生と並び称される名人。志ん生落語はどちらかというと八方破れでアバウトな落語。一方文楽は正確無比な落語です。晩年の高座でセリフを忘れてしまい「勉強し直してまいります」と言って高座を降り、二度と上がりませんでした。それだけ芸には厳しかったようです。この人の高座はリアルタイムで数回見た記憶があります。79歳没。「寝床」「明烏」「愛宕山」など。

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三遊亭圓生(6代目)

6代目三遊亭圓生は人情噺が得意でした。早くから落語協会会長を務めます。1978年には落語協会分裂騒動が起き、落語三遊協会を設立。勲4等瑞宝章。1979年、79歳没。「死神」「三十石」「文七元結」など演目多数。

関連画像

 

柳家小さん(5代目)

5代目柳家小さんは愛嬌のある顔で人気者でした。落語界初の人間国宝。剣道は範士7段の腕前。弟子は皆剣道の相手をさせられます。圓生の後、落語協会会長就任。落語はそれほど上手いとは思いませんでしたが、滑稽話が多かったので面白かった。紫綬褒章、勲4等旭日小綬章。87歳没。「強情灸」「にらみ返し」「親子酒」など。

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林家正蔵(8代目)

現在の9代目林家正蔵林家三平の長男)の前の正蔵です。正蔵の名を元の正蔵家(三平の父)に返上するため、自身は林家彦六を名乗りました。林家木久蔵(現在の木久扇)によくものまねをされていました。震えるような声でとぼけた味を出していました。私が知っているのは晩年でした。86歳没。紫綬褒章、勲4等瑞宝章、文部大臣賞など数々受賞。

「林家彦六」の画像検索結果

 


春風亭柳橋(6代目)

柳家金語楼とともに落語芸術協会の設立者。私が知っているのは本当に晩年で、たまに寄席番組のトリで観た記憶があります。79歳没。現在の柳橋は8代目です。落語芸術協会初代会長。

「春風亭柳橋 (6代目)」の画像検索結果

 


三遊亭金馬(3代目、4代目)

先代(3代目)の三遊亭金馬が名人と言われていましたが、1964年に亡くなっていますので、ほとんど記憶がありません。「孝行糖」が得意でビデオでは何度も観ました。4代目は三遊亭小金馬としてNHKの「お笑い3人組」で有名になりました。4代目襲名は1967年ですが、どうしても小金馬の印象が強くてなかなかこの名前に馴染みません。現在89歳。入院中との情報もありますが。落語界でも長老の年齢になっています。古典、新作ともに演じていました。

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金原亭馬生(10代目)

古今亭志ん生の長男です。本来なら志ん生の名前を受け継いでしかるべきですが、志ん生が次男の志ん朝に継がせたかったのを知って遠慮したようです。落語は名人クラスです。大ネタも多く、芸術選奨新人賞文化庁芸術祭優秀賞を受賞。落語協会副会長。1982年52歳で他界。長女は女優の池波志乃です。「そば清」「二番煎じ」など。

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古今亭志ん朝(3代目)

これぞ名人!古今亭志ん生の次男、金原亭馬生の弟です。二つ目時代からテレビ、映画に出演し人気者になっていました。36人抜きで真打昇進。落語協会分裂騒動では志ん朝も当事者になり一度は教会を出ますが、寄席に出られなくなるという理由で、弟子達のために協会に復帰しました。落語協会副会長。芸術選奨文部科学大臣賞受賞。「あくび指南」「船徳」など。生でも何回か聴きました。

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橘家圓蔵(8代目)元月の家圓鏡(5代目)

圓鏡と言った方が私などはしっくりきます。「ウチのセツコが」のセリフが大うけでテレビ、ラジオで引っ張りだこでした。圓鏡を見ない日はないくらいの売れっ子でした。寄席番組にも多数出演して「反対車」や「猫と金魚」などをよく演じていました。2015年81歳で没。談志、志ん朝圓楽とともに落語四天王などと呼ばれていました(柳朝休業後)。7代目の橘家圓蔵は師匠です。林家三平は兄弟子にあたります。

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三遊亭圓楽(5代目)

月の王子様、三遊亭圓楽です。きざなセリフを並べ立て、笑わせてくれました。三遊亭圓生門下の総帥です。「笑点」の初代メンバーです。圓生亡き後は落語三遊協会を引き継ぎ、圓楽一門会とします。自前の寄席「若竹」を開設しますが、経営難のため僅か4年で閉館。脳梗塞の症状が現れ「笑点」を降板。2007年には現役引退表明。文化庁芸術祭賞受賞、旭日小綬章受章。落語四天王。2009年癌のため死去、76歳。「たがや」「文七元結」など。

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春風亭柳朝(5代目)

林家彦六一門の総領です。気風のいい語り口で若手落語家四天王の一角でした。春風亭小朝の師匠でもあります。1982年、61歳の若さで他界。「井戸の茶碗」「粗忽の釘」など。

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林家三平(初代)

三平は父林家正蔵に弟子入りしますが、すぐに父が他界。正蔵の弟子の4代目月の家圓鏡に弟子入りし前座修行をやり直させられます。落語は古典落語ですがさっぱり受けません。しかしラジオ・テレビブームが起きると三平は番組の司会などに起用されるようになります。そして三平ブームが沸き起こります。古典落語ではなく歌謡漫談のような芸を披露するようになります。俗にいう「化ける」です。「好きです、好きです、ヨシコさ~ん」の歌が大人気になって、どの番組でも引っ張りだこになりました。しかし好事魔多しで、1979年脳溢血で倒れます。右半身麻痺と言語障害がのこります。しかし、その年奇跡のカムバックを果たします。それでもかつての勢いはありません。翌年肝臓がんで亡くなります。54歳の若さでした。長女は蛯名みどり、二女は泰葉、長男は9代目林家正蔵、二男は2代目林家三平です。昭和の爆笑王でした。

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三遊亭圓歌(3代目)

三遊亭歌奴と言った方が分かり易い。「やまのあな、あな」です。元国鉄職員で新大久保駅勤務(真偽のほどは不明)。この人もテレビでも人気がありました。浪曲物が得意で、古典落語もたまに聞きましたが、新作落語が圧倒的に多かったと思います。柳家小さんの後の落語協会会長。勲4等旭日小綬章。「授業中」「浪曲社長」など。88歳没。僧侶でもありました。

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柳家小せん(4代目)

柳家小さんの総領弟子。テレビ番組「日曜演芸会」の大喜利で有名になります。とぼけたキャラクターで人気がありました。「ケメ子の唄」のレコードも出しています。「長屋の花見」「湯屋番」など。83歳没。

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柳家つばめ(5代目)

大学出で教師から噺家になった異色の経歴の持ち主。柳家小さん門下の3番弟子。落語は新作でインテリ落語です。「佐藤栄作の正体」などは放送禁止になったほどです。1974年、46歳で亡くなりました。惜しい、もう少し聴きたかった。

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立川談志(7代目)

本人は5代目と言っています。柳家小さんの4番弟子。あれこれ言う必要もない昭和・平成の名人。二つ目「小ゑん」の時代からテレビ・映画に出演。志ん朝のライバル。日本テレビの「金曜寄席」から「笑点」を企画、初代司会者。1971年、参議院議員。1975年「沖縄開発政務次官」に就任しますが酔っぱらって会見し、「公務と酒、どっちが大事なんだ」と言われ「酒に決まってんだろ!」と言って辞任。1983年には立川流創設。書いたらきりが無いほどのエピソードのオンパレード。よく晩年の「芝浜」がとりだたされますが、私は若い頃の「大工調べ」や「三方一両損」などキップのいい落語が好きでした。享年75歳。

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柳家小三治(10代目)

柳家小さん門下の5番弟子。本格派古典落語。バイク、俳句、クラシック、オーディオなど多趣味で有名。「あくび指南」「うどん屋」「看板のピン」など惚けた落語が面白いです。紫綬褒章旭日小綬章人間国宝落語協会会長。現在78歳。まだまだ。

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三遊亭圓窓(6代目)

三遊亭圓生門下の柳家小三治と並ぶ実力派。一時期「笑点」のメンバーになります。「火事息子」「明烏」など。

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柳亭痴楽(4代目)

「痴楽綴方狂室」で一世を風靡。これが気持ち悪くて面白いのです。72歳没。

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三遊亭小圓遊(4代目)

キザを売り物にした三遊亭金遊改め4代目三遊亭小圓遊です。「笑点」の初代メンバー桂歌丸との罵り合いで人気を博します。実際は仲が良かった。テレビでの姿と実際の自分とのギャップに苦しみ、酒に溺れ43歳の若さで他界します。落語は古典落語で、上手かった。三遊亭小圓遊の名は皆早死にするというので、4代目以降その名を継ぐ者はいません。

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桂文治(10代目)

この人も私などは桂伸治の名前の方がピッタリくる噺家でした。とにかく惚けた表情と語り口がいいです。私の母親などはいつもこの人をテレビで観ては「おかしい人」と言って笑っていました。勲4等旭日小綬章受章。落語芸術協会会長(4代目)。80歳没。

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桂米朝(3代目)

上方落語では何といっても米朝でしょうか。上方落語を復活させた立役者です。笑福亭松鶴桂春団治桂小文枝(後の5代目文枝)と共に上方落語四天王と呼ばれます。4人の中では圧倒的に米朝落語が好きでした。人間国宝文化勲章。89歳没。

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桂枝雀(2代目)

桂小米改め2代目桂枝雀です。この人こそ鬼才でしょう。「東の志ん朝、西の枝雀」と言われたほどの逸材です。師匠は桂米朝。顔の表情の変化を観ているだけで笑いがこみ上げてくるようです。若い時からうつ病を発症し、一時期脱しましたが、晩年に再び発症、自殺を図って死去。59歳でした。「代書屋」「親子酒」「青菜」など多数。

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桂小南 (2代目)

落語芸術協会に属しながら上方落語を演じていた異色の噺家。というのは生まれが京都で関西訛りが消えず悩んでいたところ、師匠の三遊亭金馬(3代目)に上方噺に転向するよう勧められ上方落語を習い、東京で演じていました。紫綬褒章。76歳没。

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春風亭柳昇(5代目)

おとぼけの柳昇、その何とも言えぬ人の好さのようなものが感じられました。新作一筋でした。古典落語には向いていなかったかもしれません。決まり文句があります。「わたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では・・・、わたし一人でございます」。ここでどっと笑いが来ます。たまに古典落語の「雑排」を演じますが、これは傑作です。勲4等瑞宝章。82歳没。

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古今亭今輔(5代目)

おばあちゃん落語です。以前は古典落語も演じていたらしいですが、私がテレビで観ていたのは全て新作でした。おばあちゃん役が上手かった。勲4等瑞宝章落語芸術協会会長(2代目)

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三遊亭圓右(3代目)

ツルツル頭で笑顔が優しい。コマーシャルにもよく出ていました。古今亭今輔の弟子です。新作オンリーでした。82歳没。

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三笑亭夢楽(初代)

三笑亭可楽門下。「日曜寄席」の大喜利に出ていたような記憶がありますが、ひょっとしたら記憶違いかもしれません。親分肌の落語家でした。「三人旅」「三方一両損」など古典落語を得意としていました。

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三笑亭笑三(初代)

この人も三笑亭可楽門下。キャッチフレーズは「上から読んでも下から読んでも三笑亭笑三」。他にも三遊亭遊三という人がいましたが。古典、新作共にこなします。テレビの高座では時事漫談的なものが多かったように記憶しています。最長老の一人です。

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桂米丸(4代目)

おばあちゃん落語の古今亭今輔の弟子。新作落語一筋ですが、とにかく面白い。「日曜寄席」では大喜利の司会を務めていました。現時点で三笑亭笑三と並んで最高齢の落語家です。落語芸術協会会長(3代目)。現在は顧問。紫綬褒章、勲4等旭日小綬章

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桂歌丸(初代)

先日亡くなられた桂歌丸。訃報記事を書いたばかりです。笑点の初代メンバー落語芸術協会5代目の会長。文部科学大臣賞、旭日小綬章古今亭今輔に弟子入りするも、古典落語ばかり演じるので破門。その後今輔の許可を得て兄弟子の桂米丸の門下に入ります。1960年代は新作落語がメインでしたがその後古典落語を演じます。肺疾患で死去、81歳。

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【番外編】

一龍斎貞鳳

落語ではなく講談です。NHKの「お笑い三人組」の中の一人です。後に参議院議員、環境政務次官。私はこの人のお陰で講談の面白さを知りました。小学生の頃だったと思います。それまで落語はよく聴いていましたが、講談はちょっとお堅いようなイメージがあって聴いたことがありませんでしたが、この人の講談を聴いて本当に面白くて、講談というものを見直しました。それでもこの人ほど面白い講談をそれ以後聴いていません。彼は政治家になったことで協会を追い出されたみたいで、それ以後はテレビにも出てないと思います。今はどうしていることやら。生きていれば92歳です。

中央が貞鳳、左が猫八、右が小金馬(現在の金馬)

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これだけ書いて、現在存命なのは5人だけです。昭和和遠くなりにけり、です。

 

これまた、あとからあとから思い出されてきりが無くなりました。この辺で打ち止めにします。おあとがよろしいようで。

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

思い出のテレビ お笑い編 ①

久しぶりに思い出のテレビ、第5弾です。今日はお笑い編です。
私の中では1960年代が第1次お笑いブームでした。それ以前は知りませんので当たり前ですが。1970年代のたけしの「ツービート」や「B&B」、「伸介・竜介」などが第2次お笑いブーム、そして1980年代後半からが第3次です。ここには「ウッチャン・ナンチャン」とか「ダウンタウン」とかがいました。そしてそれ以降が第4次ということになります。あくまでも私感です。
 
今日取り上げるのは第1次お笑いブームの中の「落語」以外のお笑いです。落語は私の中では別扱いになっていますので改めて取り上げます。
この1960年代のお笑いが、私にとっては一番強烈に印象に残っています。年齢が幼かったせいもあるかもしれませんが、とにかくおかしくてたまりませんでした。
ということで、「漫才」「トリオ」「漫談」「コミックバンド」「コント」「ものまね」などと分けて紹介します。あくまでも私の好みですのであしからず。
 
それではいってみましょう。
 
【漫才編】
てんや・わんや
獅子てんや・瀬戸わんやのコンビ。とにかくおかしくて笑い転げていました。もしかして一番好きな漫才師かもしれません。大きい方の「てんや」のボケ突っ込みと「わんや」の怒りが絶妙。「たまごの親じゃ、ピーヨコちゃんじゃ。ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ。」「いーとこはーとこいとはとこ」などギャグもいっぱい。瀬戸わんやは66歳で死去。

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Wけんじ
東けんじ、宮城けんじのコンビ。栃木県出身の東けんじのボケが傑作。「やんなっ」で一世を風靡。東けんじは75歳で、宮城けんじは81歳でそれぞれ亡くなっています。
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チック・タック

晴乃チック・タックのコンビ。晴乃ピーチク・パーチクのピーチクの弟子。「いいじゃな~い」のギャグで売れっ子に。コンビ解散後はタックは高松しげおとして俳優、タレントになりました。

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トップ・ライト

コロムビア・トップ・ライトのコンビ。コロムビアレコードと専属契約を結び、コロムビアの歌手の司会を務め人気になります。時事漫才が多かったように記憶しています。コロムビアトップは後に参議院議員になり、コンビ解消。確か一時期漫才協会の会長だったような気がします。2人の仲は大変悪かったという噂も流れていました。「青空一門」の親分。トップ82歳、ライト83歳で死去。左がトップ。

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千夜・一夜

その青空一門青空千夜・一夜。 凸凹コンビ。大きい方の一夜が毒舌でしゃべくりまくります。あまり好きな漫才でもなかったかな。

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はるお・あきお

青空一門が出たついでに青空はるお・あきおのコンビ。一時期人気がありましたがいつのまにか消えたと思ったら、2人とも役者でテレビなどに出ていました。面白かった。

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球児・好児

もう一つついでに青空球児・好児のコンビ。「ゲロゲ~ロ」のギャグで有名。今でも時々テレビで見かけます。「ぼくもよ」→「よもくぼ」の反対語漫才が特に面白かった。

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天才・秀才

リーガル天才・秀才のコンビ。「教養が邪魔するね」などの秀才ぶりや時事ネタが得意でした。80歳と81歳で亡くなりました。

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唄子・啓助

関西漫才。鳳啓介 ・京唄子のコンビ。元夫婦。大口の京唄子を啓介がからかう。テレビの「おもろい夫婦」の司会を長く務めました。鳳啓介71歳、京唄子89歳で死去。

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いとし・こいし

関西漫才。夢路いとし・喜味こいしの兄弟コンビ。私が観た頃には既にベテランでした。兄貴のいとしのお惚けぶりが面白い。いとし78歳、こいし83歳没。

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やすし・きよし

横山やすし・西川きよしのコンビ。今更説明の必要もありません。関西のビッグ・ネームになりました。西川きよし参議院議員になってからは活動休止。やすしは度々不祥事を起こし結局解散。1996年にやすしは51歳で死去。きよしは一人で活躍しています。第1次ブームの最後の頃でした。

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【トリオ編】

三波伸介戸塚睦夫伊東四朗のトリオ。三波伸介の「びっくりしたな、もう」で一躍人気者になります。1973年、戸塚睦夫の死により解散。三波伸介は「笑点」の司会やNHKの「お笑いオンステージ」の司会を務めますが、1982年に死去。伊東四朗小松政夫との電線音頭でブレイク。その後は俳優として大活躍です。
 
横山ノック・フック・パンチのトリオ。横山ノック参議院議員から大阪府知事横山パンチ上岡龍太郎です。横山フック青芝フックとしてタレントで活躍。「パンパカンパーン、今週のハイライト」と言って時事ネタなど正統派漫才でした。ノックの髪の毛が特徴でタコ入道の物まねが上手かった。横山ノックは府知事時代に強制わいせつ事件で辞職。
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トリオ・ザ・パンチ
内藤陳率いるトリオ。メンバーは井波健、栗実。「おら、ハードボイルドだど!」のギャグ。カウボーイ姿にモデルガンを持って登場。内藤陳はハードボイルド小説の愛好家。映画なども多数出演しています。2011年、75歳で亡くなりました。

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ナンセンス・トリオ
江口明、岸野猛前田隣のトリオ。「 親亀の背中に子亀を乗せて〜、子亀の背中に孫亀乗せて〜、孫亀の背中にひぃ孫亀乗せて〜、親亀こけたら子亀・孫亀・ひぃ孫亀こけた」途中からの早口言葉が面白かった。また「「赤あげて! 白下げて! 白あげないで赤下げる!」の旗揚げゲームの創始者です。学校でも大うけ。
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トリオ・スカイライン
東八郎小島三児原田健二のトリオ。東八郎はアズマックスの父。東京出身なのに東北弁のような喋りでうけました。52歳の若さで亡くなりました。小島三児もトリオ解散後は役者に転向しましたが62歳で死去。
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【漫談編】
ウクレレ漫談の牧伸二です。「あ~あ、やんなちゃった、あ~あ、おどろいた」で有名。日曜日お昼の「大正寄席」の司会で人気者になりました。師匠も漫談家牧野周一です。牧野周一活動弁士出身です。

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東京ぼん太

東京ぼん太は栃木出身で唐草模様の風呂敷をもって登場。栃木弁丸出しで喋ります。「夢もチボーもないね」などのギャグで人気者になります。しかし賭博容疑で逮捕されてからはパッタリ見かけなくなり、1986年死去。
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今でも元気いっぱい。医学漫談というかエロ漫談です。家業を継ぐべく日大医学部に入学しましたが、教授とそりが合わず芸術学部に転部。テレビに出てきた当初は驚きの連続でした。学校でも持ちきりでした。
 
【ものまね編】
 
桜井長一郎
ものまねの第一人者と言えばやはりこの人でしょうか。長谷川一夫や政治家の物まねが上手かった。田中角栄の真似をよく憶えています。
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三代目の江戸家猫八です。こちらは動物の物まねです。NHKの「お笑い三人組」で人気者になります。2001年に80歳で没。息子が4代目を継承しています。
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小野栄一

この人は洒落た人だったと記憶しています。美空ひばりの物まねが抜群で、司会などもやっていたと思います。北海道大学中退の当時としては異色芸人。今はどうしているでしょうか。

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【コミックバンド編】
 
小野ヤスシジャイアント吉田猪熊虎五郎、祝勝(いわいかつ)のカルテット。これは文句なしに面白かった。4人は元々ドリフターズのメンバーでした。小野ヤスシ72歳、猪熊虎五郎69歳でそれぞれ死去。
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1960年代にはドリフターズお笑い番組に出演して、コミックバンドをやっていました。いかりや長介加藤茶荒井注仲本工事高木ブーの5人。小野ヤスシらがドンキーカルテット設立のため退団すると、荒井、仲本、高木が加入して再結成します。
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【コント編】
 
萩本欽一坂上二郎のコンビ。この人たちを初めて見た(たぶん大正寄席)ときの衝撃は凄かった。とにかくおかしくておかしくて、おなかが痛くなるくらいでした。その後の活躍はご存じの通り。「先天性鼻くそかたまり症」なんか最高でした。二郎さんは76歳で没。映画にもたくさん主演しました。

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コント・ラッキーセブン

ポール・牧と関武志のコンビ。指パッチンで有名。関武志が60歳で亡くなると解散。ポール牧は住職になり、63歳で亡くなります。

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【その他】
 
ショパン 猪狩の東京コミックショウは蛇つかいのショウで一躍人気に。「レッドスネェ〜ク、カモォ〜ン!」などと言いながら蛇を操ります。これがばかばかしくて面白い。76歳没。
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ヴォードヴィリアン。帽子を使った芸で人気を博します。帽子の形が色々に変化します。楽しい芸です。50歳没。

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アダチ龍光
奇術です。当時奇術と言えばこの人です。引田天功はその後です。ちょっと訛りながらお客さんとの掛け合いをしながら演じます。芸術祭奨励賞受賞。1982年、86歳没。
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染之助・染太郎
海老一 染之助・染太郎の太神楽です。染太郎の「おめでとうございま~す」で有名。染太郎が70歳で没、その後は染之助が一人で頑張っていましたが、昨年12月83歳で亡くなりました。
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林家正楽 (2代目)
紙切りです。この芸も見事です。寄席でも何度か見せてもらいました。リクエストには何でも応じます。凄いです。62歳没。現在は3代目です。

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長々と書いてしまいました。書いている途中で色々と思い出されて、その人たちも書こうと思いましたが、あまりにも長くなってしまうので諦めました。この辺にしておきます。単なる思い出記事です。
 
次は落語家を書いてみたいと思います。
 
それでは今日はこの辺で。