Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『家へ帰ろう』を観る

今日のキネ旬シアターは『家へ帰ろう』でした。

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監督:パブロ・ソラルス

主演:ミゲル・アンヘル・ソラ、アンヘラ・モリー

制作:2017年 スペイン・アルゼンチン、2018年日本公開

 

アルゼンチンからポーランドまでのロードムービーです。

 

アルゼンチンのブエノスアイレスに住む仕立て屋のアブラハムは88歳で明日には老人ホームに入ることになっていました。老人ホームの者たちに孫自慢をするために孫たちに囲まれた記念写真を撮ろうとしていますが、孫たちもあまり楽しそうではありません。孫の一人は嫌だとゴネ、金で解決する始末です。止む無く老人ホームに入るのは、家を売るために子供たちに体よく家を追い出されるためです。

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家政婦が一着のスーツを持ってきて、これをどうするか尋ねます。アブラハムはあることを思いつき、その日の夜のうちに家を出てしまいます。亡くなったユダヤ人の友人の孫娘にマドリード行きの航空券を手配してもらい、旅立ってしまいます。

 

マドリードで入国手続きに手間取って別室に連れていかれた際に、自分はポーランドへ行くと言い、自分がポーランド出身であること、親友のために仕立てたスーツを届けに行くのだと告げます。しかし管理官は帰国の日程も決まっていない人間の入国をなかなか認めませんでしたが、アブラハムはヨーロッパのユダヤ人が戦時中どんな目に遭ったかを話しました。

 

ようやく入国を許可されて部屋を出ると、飛行機で隣の席だった男に強制送還されそうだと助けを求められました。金を持っていない彼にアブラハムは金を貸してあげました。ホテルについてひと眠りすると、すっかり寝過ごしてしまい、パリ行きの列車に乗り遅れてしまいました。がっかりするアブラハムを不愛想なホテルの女主人はバーに呑みに連れて行ってくれました。

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しかしホテルに戻ると、部屋の窓が開いており、泥棒に入られた後でした。アブラハムは有り金全部盗まれてしまいました。女主人はこれからどうするの?と聞きます。アブラハムマドリードに娘がいるが、勘当したので会えないと答えます。勘当の理由は、「家を子供たちに譲るので、自分をどう思っているのか聞かせて欲しい」と子供たちに言ったところ、他の子どもたちは皆いいことを言ってくれたが、その娘だけはそんな空空しいことは言えない、と断った。この娘は自分を蔑ろにしていると思って勘当したとのことでした。

 

女主人はくだらない、その娘は正直だ、他の子どもたちは家欲しさにお世辞を言っただけ、挙句の果てが老人ホームに入れられるだけだと言って、その娘に会いに行きなさいと説得します。アブラハムは飛行機の男に送ってもらい娘の家にやってきましたが、なかなか決心がつきません。やっとの思いで娘を訪ねると、金のためにやってきた父親に落胆したものの、金を貸してくれました。

 

そして女主人と男性に見送られパリに向かいます。

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ようやくパリに到着し、これからポーランドへ向かいますが、ドイツを通らずにポーランドまでいきたいと言います。アブラハムはドイツという言葉そのものを口にしたくないために紙に書いて説明します。それでは飛行機しかないと言われますが、一人のドイツ人の女性イングリッドが話しかけてきました。アブラハムはドイツ人と聞くとかまわないでくれと追い返します。

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乗りこんだ列車で再びイングリッドに出会います。イングリッドは自分が人類学者で自身はドイツの犯した罪を恥じていると言います。そして心を開いたアブラハムポーランドへ行きたい理由を聞きだしていきます。しかし、次第に昔の辛い思い出がよみがえってきます。

アブラハム一家はポーランドのウッチというところで仕立て屋を営んでいました。アブラハムはそこの使用人の子供と同じ年で兄弟のように育った親友がいました。しかし、ポーランドにもナチスが侵攻してくるとユダヤ人の迫害が始まり父親と伯父は銃殺され、大好きな妹も連れていかれ、自分は捕虜収容所へ。

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アブラハムホロコーストで地獄のような日々を送りました。その時に痛めつけられた脚を今でも引きずっています。その脚はすでに壊死が始まっています。戦争も終わるころ、ソ連が攻め込んで来て、そのすきに収容所を逃げ出し、傷だらけになってウッチの自宅だった家に戻ります。しかし、その家は使用人の家になっていました。親友の父親はアブラハムを匿ってはくれませんでした。けれどもその親友が、父親を責め殴り倒して地下室にアブラハムを匿ってくれたのです。そしてアルゼンチンへ渡る手助けをしてくれたのでした。アブラハムはその親友のためにスーツを仕立てるという約束をしたのでした。

 

ドイツの乗換駅でイングリッドと別れた後、アブラハムは列車の中で飛び交うドイツ語を聴いて気分が悪くなり、幻覚を見ながら気を失ってしまいました。気がつくとワルシャワの病院でした。病院では看護師のゴーシャに助けられます。アブラハムはゴーシャに退院したらウッチに連れて行って欲しいと頼みます。二人でウッチに向かい、その家を訪ねます。アブラハムは車椅子姿です。しかし、家には誰もいません。近所も回りますが分かりません。

 

諦めかけて家の周りを回った時に、あの匿われた地下室の階段を見つけます。ゴーシャに見てきて欲しいと頼みます。アブラハムはもう一度家を眺めます。すると窓の奥に人の気配がします。ミシンがあり、眼鏡をかけた老人が座り、ミシンを使い始めます。老人は何かの気配を感じたのか、顔を上げアブラハムと目が合います。親友が家を出て来ます。アブラハムも立ち上がり二人は抱き合います。そして親友は「家へ帰ろう」と言います。

 

ブエノスアイレスからマドリード、パリ、ワルシャワへと移動しますが、その先々で女性に助けられます。亡くなった親友の孫娘、ホテルの女主人、勘当した娘、ドイツの人類学者、ワルシャワの看護師。運がいい爺さんです。頑固で自分を認めてもらいたい一心の老人。自分の死期が近くなって、家も追い出され、最後にやり残してしまったことを思い出し、旅に出るといういかにもありきたりなストーリーですが、これが泣けるのです。年のせいか涙腺が弱くなって涙が出っぱなしです。

 

収容所の虐待シーンなどは出て来ません。戦時中の残酷なシーンなども一切出て来ません。しかし、アブラハムの言葉と表情を通して、戦時中の悲惨さが伝わります。家族に見放された孤独な老人が、脚の切断も考えなければいけないような体を鼓舞して、はるばるアルゼンチンからポーランドまで70年前の約束を果たそうと考えます。会いに行く寸前は、怖くて引き返そうとしますが看護師に励まされて、勇気を振り絞って訪ねます。すると70年前に別れてそれっきりになった親友が待ち続けていてくれてたのです。そしてかけた言葉が「家に帰ろう」です。この親友の優しそうな顔。話はべたですが、泣けないはずがありません。

 

 短い映画でしたが、中身の濃い作品でした。年寄り向けかもしれませんが。

 

 


家(うち)へ帰ろう - 映画予告編

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ジョン・セバスチャン(John B.Sebastian)/ John B.Sebastian』

ラヴィン・スプーンフル(Lovin' Spoonful)については書いた記憶があったのですが、果たしてジョン・セバスチャンのことについてはどうだったか記憶が定かでなく、確認したところ書いていませんでした。失態でした。

lynyrdburitto.hatenablog.com

改めてジョン・セバスチャン(John B.Sebastian)について書いてみたいと思います。

ラヴィン・スプーンフル時代については以前の記事をご覧ください。

 

ラヴィン・スプーンフル解散後、ウッドストックのコンサートに飛び入り出演したり、ビッグ・サー・フェスティバルに参加したりしました。

そして1970年にリプリーズからファーストソロアルバム『John B.Sebastian』をリリースします。

 

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John B. Sebastian

John B. Sebastian

 

 

Side A

1.Red-Eye Express

2.She's A Lady

3.What She Thinks About

4.Magical Connection

5.You're A Big Boy Now

6.Rainbows All Over Your Blues

 

Side B

1.How Have You Been

2.Baby, Don't Ya Get Crazy

3.The Room Nobody Lives In

4.Fa-Fana-Fa

5.I Had A Dream

 

参加ミュージシャンは

スティヴン・スティルス(Stephen Stills,g)

デヴィッド・クロスビー(Devid Crosby,g)

グラハム・ナッシュ(Graham Nash,vo)

ダニー・ワイス(Danny Weiss,g)

ハーヴィー・ブルックス(Harvey Brooks,b)

ダラス・テイラー(Dallas Taylor,ds)

ポール・ハリス(Paul Harris,organ,p,key)

レイ・ネオポリタン(Ray Neopolitan,b)

バディ・エモンズ(Buddy Emmons,pedal steel)

その他ホーンセクション

プロデュースはおなじみのポール・ロスチャイルド(Paul Rothchild)です。

 

このアルバムはビルボードの20位に達し、彼のアルバムでは最高位を記録しました。

CS&Nのメンバーが参加しているのは、一時期彼らのメンバーに加わる話が持ち上がったからでしょう。結局その話は実現しませんでした。

このアルバムは、スプーンフル時代と変わらず、なごませてくれる音楽です。

A-3などは珍しくハードな伴奏で始まりますが、メロディは優しいです。ウッドストックで披露したA-6、B-5も含まれています。そういえば裏ジャケットと中ジャケットはウッドストックの時の写真です。

 

この後、1971年に『Real Live』『The Four Of Us』をリリースします。

 

 

3枚目のアルバムでもダラス・テイラー、ポール・ハリスが参加しています。彼らはこのあとスティーヴン・スティルスのマナサスに参加します。

これらのアルバムは全米でそれぞれ75位、93位と振るいませんでした。

 

1974年、ジョンは3枚目のスタジオアルバム(通算4枚目)『Tarzana Kid』で起死回生を狙います。

ここには

ローエル・ジョージ(Lowell George,g,vo)

エイモス・ギャレット(Emos Gallett,g)

デヴィッド・リンドレー(David Lindley,fidle)

デヴィッド・グリスマン(David Grisman,mandlin)

ライ・クーダー(Ry Cooder,mandlin,slide g)

バディ・エモンズ(Buddy Emmons,pedal syeel)

ラッセル・ダシエル(Russel Dashiell,g)

ケニー・アルトマン(Kenny Altman,b)

ミルト・ホランド(Milt Holland,ds)

エミルー・ハリス(Emmylou Haris,vo)

など錚々たるメンバーを揃えました。

しかし結果は芳しくありませんでした。日本では未発売という不当な扱いを受けました。

 

その後、ジョン・セバスチャンの名前はしばらく聞かなくなりました。

 

そして1976年、久しぶりに彼の名前を見つけました。アルバム名もその名の通り『Well Come Back』です。

このタイトル曲がなんと全米1位に輝いたのです。アルバムは79位どまりでしたが、彼の復活を皆喜びました。

 

その後は新しいアルバムは出していません。

ジョン・セバスチャンはハーモニカ奏者としても有名で、多くのミュージシャンのセッションに参加しています。ドアーズ、ゴードン・ライトフット、ボニー・レイットなど。

 

現在74歳、名前を聞くこともなくなりました。寂しい限りです。

 

 


john sebastian - rainbows all over your blues


John Sebastian - w/Lyrics ☮ "I Had a Dream" ☮ live recording Woodstock 1969


John Sebastian - What She Thinks About


Welcome Back - John Sebastian

 

それでは今日はこの辺で。

映画『日日是好日』を観る

新春第1発目のキネ旬シアターは日日是好日でした。

「映画 日日是好日 画像」の画像検索結果

 

監督:大森 立嗣

原作:森下 典子

主演:黒木 華、樹木 希林、多部未華子

制作:日本 2018年公開

 

昨年亡くなられた樹木希林さんの人気なのか、キネ旬シアターにも珍しく行列が出来ていました。大半は高齢者のようでした。

 

樹木希林さんの映画は昨年だけでも10本は観たのではないでしょうか。別に亡くなったから観たというのではなく、たまたま是枝監督作品とかを観る機会が多かったという偶然が重なりました。

今年『エリカ38』という作品が上映される予定だそうで、それが遺作になります。『日日是好日』はその前の作品ということになります。

 

映画の内容は原作者・森下典子さんのエッセイの映画化ということで、特別なストーリーはありません。原作者の茶道を習い始めから今日までの日常のエピソードのようなものをつなぎ合わせた内容になっています。

 

典子(黒木華)が10歳の頃、家族に連れられて観に行ったフェリーニ監督の映画『道』が全然理解できなくてつまらなかったという本人のナレーションから映画が始まります。

 

典子は20歳になった大学生。真面目で理屈っぽいがおっちょこちょいな自分をいつも卑下しています。逆に従姉妹の美智子(多部未華子)は明るくてきぱきとしていて、決断力があり典子は羨ましがっています。そろそろ就職の話も出て来ますが、自分のやりたいことが見つかりません。

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そんな時、母親に近所の竹田さん(樹木希林)という茶道の先生の話をされ、習ってみたらと言われます。美智子はすぐにやってみたいと、賛成します。典子もしようがなく習うことにしました。

 

稽古の初日、緊張した二人は早速先生に様々な作法を教わります。掛け軸には『日日是好日』の文字が。意味もよくわかりません。茶道にはあまりに多くの決まり事があることに、たまらず形式主義だと言うと、先生は「頭で考えるのではなく、体で覚えなさい。お茶はまず形から、そこでできた入れ物に心を後から入れるもの」と教えます。

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以後、毎週の稽古が始まります。24節気ごとに茶道の作法も変わります。典子はやっと覚えた作法も、季節替わりで作法も変わり、なかなか上達しません。

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そして就職時期。美智子は貿易会社に就職が決まります。典子は出版社の試験に落ち、就職は諦め、出版社のアルバイトをすることになりました。このころ再び『道』を観て、世の中にこんなに感動する映画があったなんて、と美智子に話します。美智子は「茶道もそういうものなのかもしれないね」と応えます。

 

美智子は就職で茶道を辞め、典子は一人で通うことになりました。それから年月も経ち、後輩も出来てきました。この頃に、典子は水の音、お湯の音の違いにも気付くようになりました。季節ごとに変わる掛け軸に感動したりして典子の心情もゆっくりと変化してゆくようです。しかし、才能の有る高校生の後輩をみると自分の才能の無さを痛感させられ、先生からもそろそろ自分で工夫しなさい、などと注意もされるようになりました。

 

時はどんどん流れていきます。美智子は故郷に帰り結婚し、子供も生まれ幸せそうです。典子は中途採用の出版社の試験にも落ちてしまいます。結婚を2か月後に控えていた彼氏の裏切りにも遭い、結婚を断念します。それでも新しい恋愛の始まりや、一人暮らしを始めるなど、生活環境を変化していきます。そうした中でも茶道だけは続けます。

 

ある日、父親から「食事しないか」電話がありますが、用事があったので断ります。夜になって何かを感じ実家に電話します。父親は寝てしまっていました。翌日母親から電話で「お父さんが倒れた」との知らせが入ります。病院に駆け付けますが、間もなく亡くなってしまいます。父親に会わなかったことを後悔し悲しみに暮れる典子を「自分を責めないで」と励ましてくれたのは竹田先生でした。

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その後も典子は茶道を続けます。それまで気付かなかった季節の違いによる、雨の音の違いや、これまで関心もなかった花の美しさなど、周りの自然の移り変わりを肌で感じられるようになってきました。「雨の日には雨を聴く、雪の日は雪を見る、夏には暑さを、冬には厳しい寒さを味わう。その日その日を思う存分味わう。」そして『日日是好日』の意味も何となくわかるようになってきたのでした。典子は40代になりました。

 

映画の中で「世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐわからないもの』の
二種類がある。すぐわかるものは通り過ぎて行く。すぐにわからないものは、長い時間をかけて、少しずつ気づいて、わかってくる。」というセリフがでてきます。これは深いですね。

 

典子が映画『道』を長い時間をかけて理解できたように、茶道を続けることによって茶道そのものはもとより、その他、日常や自然のわずかな変化にも気付けるようになってきたのでしょう。

 

私などは茶道には全く縁がなく、この作法の細かさにあきれるばかりでしたが、茶道に興味がない人でも十分に楽しめる奥の深い映画だと思います。正月にふさわしい映画でした。

それにしても樹木希林さんの演技は素晴らしいの一言でした。

 

私は勉強不足で知りませんでしたが、この原作となったエッセイはベストセラーになっていたそうです。無知でお恥ずかしい限りです。

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

 


黒木華&樹木希林共演『日日是好日』予告編

 

それでは今日はこの辺で。

遅くなりました、レイ・デイヴィス先生!『Americana』

皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

ということで、新春一発目の記事は何にしようか悩んだのですが、昨年の暮れにようやく入手したレイ・デイヴィス(Ray Davies)『Americana』を取り上げることにしました。2017年の発売です。遅れに遅れています。先生には申し訳ない気持ちでいっぱいです。最近では新譜を購入する勇気がなかなか出て来ません。情けない次第でございます。

 

レイ・デイヴィス先生は現在74歳です。これまでに泥棒を追いかけて拳銃で撃たれたり、肺血栓で6カ月も入院したりと、健康面でも心配しましたが、こうして元気な声を聴くと一安心です。それどころかこの『Americana』の第2弾を昨年リリースしました。完全にこちらの方が後れをとっております。恐れ入ります。

 

それではアルバムの紹介です。

 

01.Americana

02.The Deal

03.Poetry

04.Message From the Road

05.A Place in Your Heart

06.The Mystery Room

07.Silent Movie

08.Rock 'N' Roll Cowboys

09.Change for Change

10.The Man Upstairs

11.I've Heard That Beat Before

12.A Long Drive Home to Tarzana

13.The Great Highway

14.The Invaders

15.Wings of Fantasy

 

パーソナルは

レイ・デイヴィス(Ray Davies,vo,guitars, p)

ビル・シャンレイ(Bill Shanley,g,backing vo)

ゲイリー・ルイス(Gary Louris,g,backing v)

マーク・パールマン(Marc Perlman,b,backing vo)

ティム・オリーガン(Tim O'Reagan,ds,backing vo, perc)

カレン・グロトバーグ(Karen Grotberg,p,key,lead vo, backing vo)

ジョン・ジャクソン(John Jackson,mandlin,violin,g,backing vo)

 

プロデュースはレイ・デイヴィスです。

 

バックにはゲイリー・ルイス以下、ジェイホークス(The Jayhawks)のメンバーが参加しています。

 

2013年にレイ・デイヴィス先生はアメリカでの生活を回顧したにした書籍『Americana:The Kinks,The Road,and The Perfect Riff』を出版しました。この本の発売に伴って、本に基づいたアルバムの制作を思い立って作られたのがこのアルバムです。前作のWorking Man'sCafé』以来、実に10年ぶりのソロアルバムです。コラボレーション・アルバム『See My Friend』からは7年ぶりのアルバムです。

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10年ぶりというのも嬉しいですが、ジェイホークスとの競演というのも何とも言えず、個人的には喜ばしいものが有ります。ただし、ジェイホークスがバックと言っても決してカントリー・ロックではありません。

レイ・デイヴィス先生、この時73才。どうしてこんなメロディーが作れるのだろう、とただただ感心するばかりです。全体的にキンクスのようでありながら、アメリカの香りがする音楽です。もっともキンクス自体が中期以降はかなりアメリカナイズされていましたから、その名残があるようです。レイ・デイヴィス先生のアメリカに対する思いが溢れ出ているようです。まさにレイ・デイヴィスの世界です。

 

このアルバムではまだこの本の内容は完結していないらしく、続編が昨年発売されました。『OUR COUNTRY: AMERICANA, Act 2』です。

 

先生には申し訳何のですが未購入です。今年は絶対に購入します。

 


Ray Davies - Americana


Ray Davies - The Deal (Audio)


Ray Davies - Poetry (Audio)


Ray Davies - Message from the Road (Audio)

 

 

それでは今日はこの辺で。

今年の映画、ベスト10 並びに御礼。

「映画 斬、」の画像検索結果

 

早いもので今年も大晦日を迎えてしまいました。今日は昨年の大晦日同様、今年劇場で観た映画で印象に残ったものを選んでみたいと思います。昨年は5本を選びましたが、今年は10本選びたいと思います。

上半期については以前書いていますのでご参考までに載せておきます。

 

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まず7月以降に劇場で観た映画を列挙します。

 

7月

『花咲くころ』

モリのいる場所

『哀しみのトリスターナ』

『昼顔』

太陽がいっぱい

エヴァの匂い

『太陽はひとりぼっち』

突然炎のごとく

 

8月

ヒトラーを欺いた黄色い星

『30年後の同窓会』

告白小説、その結末

 

9月

海よりもまだ深く

万引き家族

チャーチル ノルマンディーの決断』

『鏡の中にある如く』

 

10月

テル・ミー・ライズ

スターリンの葬送狂騒曲

沖縄スパイ戦史

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

 

11月

グッバイ・ゴダール!

『銃』

 

12月

『斬、』

『嘘はフィクサーのはじまり』

バルバラ セーヌの黒いバラ』

 

上半期の28本と併せて52本でした。昨年に比べ少なかったです。これはキネ旬シアターが年間パスポートを廃止してしまったことも影響しています。それでも友の会会員になったことで10本は無料鑑賞が出来ました。助かりました。

 

さて、10本を選ぶわけですが、例によって順位付けは行いません。それと上半期に選んだ5本も年間で選ばれるかは分かりません。それでは観た順に挙げていきましょう。

 

『永遠のジャンゴ』

 

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上半期の5本にも選びました。ジャンゴ・ラインハルトのギターにしびれました。即CDを買いました。

 

パリ、テキサス

 

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これも上半期からです。ジム・ベンダース作品。何度見てもいいです。ライ・クーダーのギターもいい。

 

ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』

 

 

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これも上半期から。楽しいの一言。これも即CDを買いました。圧巻です。

 

『昼顔』

 

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キネ旬シアターの【華麗なるフランス映画特集】から。ルイス・ブニュエル監督。『哀しみのトリスターナ』も上映されましたが、『昼顔』を選びました。ドヌーヴの美しさは何とも言えません。ブニュエルの変態ぶりも冴えています。

 

太陽がいっぱい

 

これも【華麗なるフランス映画特集】から。パトリシア・ハイスミス原作、ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン出世作。50年以上前の作品ですが今でも十分楽しめます。

 

『太陽がひとりぼっち』

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これも【華麗なるフランス映画特集】から。ミケランジェロ・アントニオーニ監督、アラン・ドロンモニカ・ヴィッティ主演。愛の不毛3部作の中のⅠ本。やはり名作はいつまでたっても名作です。

 

突然炎のごとく

 

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フランソワ・トリュフォー監督、ジャンヌ・モロー主演。昨年亡くなったジャンヌ・モローの作品はもう1本、ジョセフ・ロージーの『エヴァの匂い』も上映されましたが、こちらを選びました。

 

万引き家族

 

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是枝裕和監督のカンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞作品。是枝監督の追い求めるテーマである家族とは、が問われた作品。本物の家族と作り物の家族、何が違うのか。リリー・フランキー樹木希林がよかった。

 

『銃』

 

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中村文則原作。白黒・パートカラー。衝撃的なラストが忘れられません。

 

『斬、』

 

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塚本晋也監督作品。久しぶりに衝撃的な時代劇を観ました。殺陣の迫力、残酷なシーン、カメラワークと音響。どれも斬新でした。

 

あっという間に10本になってしまいました。音楽に関する映画。リバイバル映画。日本映画。これらに偏ってしまったようです。

 

上半期のベスト5からは2本が洩れましたが、甲乙つけがたい作品でした。

その他告白小説、その結末『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』グッバイ・ゴダール!なども印象に残っています。

 

観た映画、観た映画、片っ端から忘れていきます。そのためこのブログに観た映画の内容をネタバレ覚悟で書いています。このブログは備忘録の目的も兼ねていますので。そのおかげで、読み返すと内容が甦ってきます。これは非常に助かります。と、同時に自分の文章力、表現力の拙さに呆れかえってしまいます。読み返すのも善し悪しです。

 

それでもとりあえず、今年は正月3が日を休んだだけで、あとは毎日書き続けることが出来ました。『競馬』と『闘病記』の別ブログもちょこちょこと更新できました。これもひとえにこの拙いブログを読んで下さる皆様のお陰です。本当に有難うございました。

 

来年も正月3が日は休む予定です。酒浸りでとても書ける状態にはならないでしょうから。皆様におかれましても、良い年を迎えられますよう祈念致します。

 

来年またお会いしましょう。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

ニルヴァーナと言っても? 『ニルヴァーナ(Nirvana)/ Songs of Love & Praise』

ニルヴァーナ(Nirvana)といっても、あのアメリカの有名なニルヴァーナではありません。

イギリスのバンドです。今ではNirvana UKとして区別されることもあります。1992年にバンド名の使用を巡ってアメリカ側を提訴しましたが、結局、和解しました。その処置は寛大で名前の使用は許可されました。

 

ニルヴァーナは1965年にパトリック・キャンベル=ライオンズ(Patrick Campbell-Lyons,g,vo)アレックス・スパイロポウロス(Alex Spyropoulos,key)レイ・シンガー(Ray Singer,g,vo)で結成したプロジェクトのようなものです。そこにブライアン・ヘンダーソン(Brian Henderson,b)シルヴィア・シャスター(Sylvia Schuster,cello)、マイケル・コー(Michael Koe,horn,viola)が加わってスタートしました。

彼らはライブ活動を始めると同時に、音楽界のエグゼグティヴにプレゼンを行いました。結果、アイランドレコードのクリス・ブラックウェルに認められ契約を交わしました。

1967年に最初のシングル「Tiny Goddess」をリリースしてデビューします。ポップな曲でしたがヒットはしませんでした。

しかし、2作目のシングル「Pentecoast Hotelがスカンジナヴィアで1位となりました。さらにファーストアルバム『The Story of Simon Simopath』がリリースされます。

これは一説によれば世界最初のコンセプトアルバムで、キンクスプリティ・シングスザ・フーに先駆けて作られたアルバムです。ポップ感覚でオーケストラを導入したクラシックからロック、ラテン、ジャズ、フォークなどを融合したソフトなサイケデリックサウンドを作り上げました。

 

このアルバムの後、1968年に第3弾のシングル「Rainbow Chaser」がスペンサー・デイヴィス・グループのマフ・ウィンウッド(スティーヴ・ウィンウッドの兄)のプロデュースでリリースされ、これが全英の34位になるヒットとなりました。

 

しかしこの頃、レイ・シンガーが脱退、他のメンバーも去り、結局二人になりました。

そして映画『The Touchables』のテーマ曲「All Of Us」を制作し、それを含むセカンドアルバム『All Of Us』をリリースします。

このアルバムは前作同様多彩な音楽が詰まっています。イギリス本国での売れ行きは芳しくありませんでしたが、フランスやスペインなど海外で人気がありました。

また彼らの曲はハーマンズ・ハーミッツやアラン・ボウンなどに注目されカバーされました。

1969年、サードアルバム『Black Flowerを制作しますが、クリス・ブラックウェルはこれが気に入らず、リリースを拒否。アイランドとの契約も切れてしまいます。

しかし、このアルバムはアメリカのマイナーレーベルとの契約が成立して『Dedicated To Markos III』というタイトル名で発売されました。その後イギリスのパイ・インターナショナルからも発売されました。このタイトルは資金援助してくれたアレックスのいとこの息子マルコスに捧げられたものでした。

現在は『Black Flower』のタイトル名でCDが発売されています。

 

このアルバムを最後に相棒のアレックスもバンドを去ります。パトリック・キャンベル=ライオンズは一人になりました。彼はミュージシャン兼プロデューサーとしてヴァーティゴと契約し、1970年にアルバム『Local anaesthetic』をリリースします。

 

そして1972年に通算5枚目のアルバム『Songs of Love & Praise』がリリースされます。

 

Side A

1.Rainbow Chaser

2.Please Believe Me

3.Lord Up Above

4.She’s Lost It

5.Nova Sketch

 

Side B

1.Pentecost Hotel

2.I Need Your Love Tonight

3.Will There Be Me

4.Stadium

 

プロデュースはパトリック・キャンベル=ライオンズ自身です。

 

A-1の「Rainbow Chaser」とB-1の「Pentecost Hotelはアイランド時代のシングルのリメイクです。またA-2とB-4はシングルカットされました。

詳しいレコ―ディンデータは不明です。

 

何とも不思議な世界を醸し出しています。クラシックとロックの融合といえばプログレになってしまいますが、よりポップで聴きやすく、しかもその他の音楽の要素も入り込んで楽しめること間違いなしです。

 

このあとパトリック・キャンベル=ライオンズはニルヴァーナの名前は使わず、1973年にソロ名義のアルバムをリリースします。

さらにはニルヴァーナ名義のシングルを何枚かリリースしています。

 

1960年代後半、一部の人たちに受けたバンドでその後も根強いファンを持っているニルヴァーナグランジで人気沸騰したニルヴァーナと聴き比べるのも面白いかもしれません。

 


Nirvana (UK)-Rainbow Chaser (1972 version)


Nirvana (UK)-Pentecost Hotel (1972 version)


Nirvana (UK)-Please Believe Me

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『クリエイション(The Creation)/ Our Music Is Red With Purple Flashes』

 アシュトン、ガードナー&ダイクの記事の中でキム・ガードナー(Kim Gardner,b)が在籍していたことで名前が出てきたクリエイション(The Creation)です。クリエイションと言ってもあの日本のロックバンドではありません。

1966年に結成されたイギリスのバンドです。このバンドのことを知ったのは、ロン・ウッド(Ronnie Wood)が在籍していたということを知ってからでした。従って当時のレコードは入手できませんでした。おそらくオリジナルアルバムは1枚しか出ていないと思います。この頃はシングルやEPが中心の時代でしたからそれもありだと思います。中古レコード屋でもほとんど見かけませんでした。そんなこんなですっかり忘れてい頃、1990年代になってコンピレーションアルバムが何種類か発売されました。これは懐かしいとばかり思わず買ったのが、Demonレコードから出た『Our Music Is Red With Purple Flashes』でした。

 

01 Making Time

02 Try And Stop Me

03 Painter Man

04 Biff Bang Pow

05 If I Stay Too Long

06 Nightmares

07 Cool Jerk

08 Like A Rolling Stone

09 I Am The Walker

10 Can I Join Your Band

11 Hey Joe

12 Life Is Just Beginning

13 Through My Eyes

14 How Does It Feel To Feel (US Version)

15 How Does It Feel To Feel (UK Version)

16 Tom Tom

17 Midway Down

18 The Girls Are Naked

19 Bony Moronie

20 Mercy, Mercy, Mercy

21 For All That I Am

22 Uncle Bert

23 Ostrich Man *

24 Sweet Helen *

* ボーナストラック

  

クリエイションの前身は1963年に結成されたマーク・フォー(Mark Four)というバンド名で、1964年にシングルを2曲リリースしました。その時のメンバーは

ケニー・ピケット(Kenny Pickett,vo)

エディー・フィリップス(Eddie Phillips,g)

ミック・トンプソン(Mick Thompson,g)

ジョン・ダルトン(John Dalton,b)

ジャック・ジョーンズ(Jack Jones,ds)

 

ここからミック・トンプソンがバンドを離れ、ジョン・ダルトンが一時的にピート・クワイフの代わりにキンクスに参加するためにバンドを辞めました。ジョンの代わりにボブ・ガーナー(Bob Garner,b)を加え、バンド名もザ・クリエイション(The Creation)に変更しました。こうしてクリエイションはスタートしました。

 

1966年の最初のシングル「Making Time」は全英49位になりました。続くシングルPainter Man」はトップ10に入るヒットを記録しました。プロデュースはザ・フー(The Who)やキンクス(Kinks)を手掛けた敏腕シェル・タルミー(Shel Talmy)です。

エディー・フィリップスはエレキギターをバイオリンの弓で弾くという奏法で、これはおそらく最初の試みでじゃなかったかと思います。

1967年になると、ケニー・ピケットがバンドを去り、ボブ・ガーナーがリードヴォーカルを執ることになり、代わりのベーシストとしてキム・ガードナー(Kim Gardner,b)が加わりました。

クリエイションはイギリスではもちろんですがドイツで高い人気を誇りました。

しかし、1967年末にエディ・フィリップスが脱退、続いて1968年になるとボブ・ガーナーも脱退し、結局解散となりました。

ところがクリエイションの人気は高く、ジャック・ジョーンズがバンドを再結成します。ヴォーカルにケニー・ピケットを戻し、キム・ガードナーも復帰し、キムがザ・バーズ(The Birds,アメリカのThe Byrdsとは違います)で一緒だったロン・ウッド(Ronnie Wood,g)を連れてきました。

しかしこの新生クリエイションはシングル1曲をリリースして解散してしまいました。解散後に2枚のシングルがリリースされました。

 

解散後、キム・ガードナーはアシュトン、ガードナー&ダイク、ロン・ウッドジェフ・ベック・グループからフェイセズ、エディ・フィリップスはPPアーノルドのバック、ケニー・ピケットはソロにとそれぞれ別れました。

 

クリエイションの音楽は、初期のザ・フーにそっくりです。さらにキンクスローリング・ストーンズプリティ・シングスも入っています。いわゆるブリティッシュ・インベンションにカテゴライズされるバンドの一つです。

 

このコンピレーションにはファーストアルバムの曲は全て収録されています。 01~04は1966年、05~14は1967年、15~22は1968年、23は1982年、24は1993年の録音です。08はボブ・ディラン「ライク・ア・ローリングストーン、11はジミヘンやバーズでもおなじみ「ヘイ・ジョー」です。

 

1982年にエディ・フィリップス、ケニー・ピケット、ジョン・ダルトンキンクスにいたミック・アイヴォリー(Mick Ivory,ds)を加えて再結成し、シングルを1枚リリースしました。しかしすぐに解散。

1994年にはフィリップス、ピケット、ボブ・ガーナー、ジャック・ジョーンズが揃いアルバム『 Power Surge』をリリースしました。

 

現在もエディ・フィリップスがメンバーを入れ替え活動中らしいです。頑張りますね。

 

1960年代半ば頃はこのようなバンドが数え切れないくらいあったのでしょう。その中で今でもこうしてアルバムが発売されるというのはほんのわずかなバンドです。貴重なアルバムです。

 

なお、彼らのファーストアルバムはWe Are Paintermen』です。

 


The Creation "Making Time"


The Creation - Like A Rolling Stone


The Creation - Hey Joe - 1966


Creation - Painter Man 1967

 

それでは今日はこの辺で。