今日はちょっと昔を偲んで「アメリカン・ニューシネマ」について書いてみようと思います。あくまでも作品に対する評論ではなく雑感ですのであしからず。
「1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った映画作品群を指す日本での名称」(ウィキペディアより)ということになっています。大雑把に言えばこんな感じかもしれませんが、「反体制的」というとなにやら政治的な意味合いを感じてしまいますが、「アメリカン・ニューシネマ」の作品に登場する主人公は決して反体制的な政治思想を持った人間ばかりではなく、アウトロー、一般社会からドロップアウトした連中が多く登場します。共通しているのは希望から絶望へ、挫折、退廃、虚無、残酷な死、といったものが(特に若者の)描かれていることでしょう。当時のアメリカの腐敗した政治に対する若者の反体制的な運動(公民権運動、ベトナム戦争反対運動、人種差別反対運動など)や反社会的な行動(ヒッピーやドラッグ)を描くことで特にアメリカの若者に大いに受け入れられたのです。日本でも同様の現象は学園紛争や映画、音楽、文学などの分野にも現れることとなりました。
主な作品を挙げると
『卒業』
『マッシュ』
『いちご白書』
『ファイブ・イージー・ピーセス』
その他
これらの作品はほとんど高校生時代に観たものですが、特に好きだったのが『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』『明日に向かって撃て』『真夜中のカーボーイ』『いちご白書』ですね。
これらの作品についてすべて書いていたのではきりがありませんので、今日はこの作品達を印象付けているラストシーンをちょっと振り返ってみたいと思います。
監督:アーサー・ペン
主演:ウォーレン・ビーティ フェイ・ダナウェイ
銀行強盗のボニーとクライド(実在)は仲間の父親の密告によって、車を降りたところを警察の一斉射撃を受け衝撃の死を遂げる。そのラストシーンは壮絶。
監督:マイク・ニコルズ
ラストシーンは結婚式を挙げている花嫁(キャサリン・ロス)をダスティン・ホフマンが強引に奪ってバスで逃げるシーン。バスに乗った二人は笑顔だったがやがて不安げな表情に変わっていく。印象的なシーン。
監督:デニス・ホッパー
主演:ピーター・フォンダ デニス・ホッパー ジャック・ニコルソン
コカインで大金を手に入れた二人は気ままな旅でフロリダを目指すが、途中でヒッピー姿の若者に嫌悪感をもつ農民に射殺され、オートバイとともに吹っ飛んでしまうというラストシーン。これまた壮絶。それにしてもあのバイクは当時初めて見てびっくりでした。
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
主演:ポール・ニューマン ロバート・レッドフォード キャサリン・ロス
ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド(実在)、二人の銀行強盗が警察に追い詰められ、最後に射殺覚悟で銃弾の中に飛び込んでいくというシーンがストップモーションで写される。これも衝撃だった。
監督:ジョン・シュレシンジャー
主演:ダスティン・ホフマン ジョン・ボイド
田舎から一旗揚げようと意気揚々と出てきた青年とびっこの小男の奇妙な友情。青年は挫折を味わい、小男は病気。二人は最後にフロリダを目指しバスに乗るが小男は小便を漏らし、やがて息絶える。その時のカウボーイの青年(ジョン・ボイド)の何とも言えない表情が忘れられません。
監督:スチュワート・ハグマン
主演:ブルース・デイビソン キム・ダービー
学園紛争で知り合った二人の男女。男の方は闘争にあまり熱心でもなかったが、リーダー的存在だった彼女に惹かれやがて積極的に活動するようになる。やがて大学側が警察権力による実力行使に移り、彼女をとらえようとするが、それに対し彼が警官にとびかかるラストシーンがやはりストップモーション。これも忘れられないシーンでした。
さらに『アメリカン・ニューシネマ』に共通しているのが音楽です。
『卒業』はサイモンとガーファンクル
『イージー・ライダー』はザ・バーズ(ロジャー・マッギンも)、ザ・バンド、ステッペン・ウルフ、ジミ・ヘンドリックス、ホリー・モダル・ラウンダーズ etc
『明日に向かって撃て』はバート・バカラック B.J トーマス
『いちご白書』はニール・ヤング、CSNY、バフィー・セントメリー、サンダークラップ・ニューマン、ジョン・レノン etc
曲名は省略(機会があれば『音楽』の項で)します。あしからず。
以上、『アメリカン・ニューシネマ』を懐かしみましたが、すでに45年ほども経っているのです。この頃のことは意外と憶えているのです。青春でした。もっと一杯書きたいのですが、またの機会ということで。