ジェファーソン・エアプレインの記事の中でも書かせてもらいましたが、ギターのヨーマ・コウコネン(Joma Kaukonen)とベースのジャック・キャサディ(Jack Casady)はジェファーソンの活動の傍らサイドプロジェクトとして、主にブルースを演奏する『ホット・ツナ』というバンドを作っていました。
1969年9月、ヨーマとジャックはハープのウィル・スカーレット(Will Scarlett)を入れてカリフォルニア州バークレイのニューオリンズ・ハウスでライブを行います。この時の模様が彼らのファーストアルバムとして1970年に発売されます。タイトルは『Hot Tuna』です。サブタイトルが「Recorded Live At The New Orleans House,Berkeley」です。日本盤のタイトルは『ブルース』でした。
これはヨーマ・コウコネンのアコースティック・ギターによるブルースアルバムです。ジャック・キャサディのベースとウィル・スカーレットのハープが重なります。おそらく狭い会場なのでしょう、グラスの割れる音が入っていたりして、アットホームな感じがよく出ています。トラディショナルなブルースが多く、「Hesitation Blues」や「Death Don't Have No Mercy」などをカバーしている一方、ヨーマのオリジナルブルースも有ります。ヨーマの声は鼻にかかった、決して上手いヴォーカルではありませんが、聴きなれると病みつきになります。好き嫌いでしょうが。
1971年にはChateau Liberteでのライブの模様を録音した『First Pull Up、Then Pull Down』がリリースされます。日本盤のタイトルは『エレクトリック・ホット・ツナ』でした。
この時のメンバーは前作の3人に加えて、バイオリンのパパ・ジョン・クリーチ(Papa John Creach)、ドラムにサミー・ピアッツア(Sammy Piazza)が入ります。前作とは打って変わって、日本盤タイトルの通りエレクトリックです。映画「フィルモア最后の日」でも演奏していた「Keep Your Lamps Trimmed And Burning」と「Come Back Baby」は秀逸です。映画でも出ていたパパ・ジョン・クリーチがホット・ツナの特徴的な存在になっています。
翌1972年はヨーマとジャックがジェファーソン・エアプレインを正式に脱退した年です。その後エアプレインは解散します。
そんな中、発表されたサードアルバムが『Burgers』です。
このアルバムでは、ハープのウィル・スカーレットは参加しておらず、ニッキ・バック(Nikki Buck,key)、リッチモンド・タルボット(Richmond Talbott,slide g,vo)、そしてデヴィッド・クロスビー(David Crosby,vo)が数曲で参加しています。前作までのアコースティックとエレクトリックを織り交ぜたサウンドになっています。ブルース色は薄れサンフランシスコ・サウンドになっています。ここでもパパ・ジョン・クリーチが存在感を指名しています。
パパ・ジョン・クリーチは自身でもソロアルバムを出していて、そこにはジェファーソンやホット・ツナのメンバーの他にデッドのジェリー・ガルシア、クイックシルバーのジョン・シポリナ、カルロス・サンタナなどものすごいメンバーが参加しているのを見ても彼の活動の幅広さが窺えます。
1973年には4枚目の『The Phosphorescent Rat』をリリースします。
このアルバムは完全なロックアルバムになっています。ヨーマのオリジナルが大半を占めギターを前面に押し出してきています。パパ・ジョン・クリーチはグループを離れています。
1974年にヨーマ・コウコネンはジャック・キャサディのプロデュースでソロアルバム『Qua』をリリースします。
1975年には『America's Choice』『Yellow Fever』と立て続けにリリースします。そして翌年『Hoppkorv』が発表されます。
これらのアルバムからドラムスがボブ・スティーラー(Bob Steeler)に替わります。両作品とヨーマ・コウコネンのギターの洪水のようです。『Yellow Fever』の1曲目でジミー・リードのブルース「Baby What You Want Me To Do」をカバーしていて、久しぶりにホット・ツナらしいブルースが聴けます。『Hoppkorv』ではバディ・ホリーのリンダ・ロンシュタットもカバーしていた「It's So Easy」をカバーしています。ただ、いかんせんシンセサイザーとギターとヨーマのヴォーカルの取り合わせが何とも表現しがたいです。
この後1978年に2枚組ライブアルバムを発表します。『Double Dose』です。
ここには時折レコーディングに参加していたニッキ・バック(Nikki Buck,key)が正式にクレジットされています。プロデュースはなんとあのクリーム、マウンテンのフェリックス・パパラルディです。レコードのA面はアコースティックサイドです。ジェファーソン時代の曲やセカンドアルバムに入っていた曲などを演奏しています。ファーストアルバムの再来です。B、C、D面はエレクトリックサイドで主に『America's Choice』以降の曲が占めています。ブルースナンバーも数曲入れながらのアメリカンロック全開です。ホット・ツナは何をやってもホット・ツナです。
こうしてホット・ツナの1970年代は終わり、しばらくの休養に入ります。
その間1980年代にはホット・ツナの1970年代のライブ音源を編集したアルバムが2枚ほど発売されました。『Splashdown 』と『Historic Hot Tuna』です。
前者は1975年のライヴでアコースティック・セットです。後者は1971年のライブでエレクトリック・セットです。パパ・ジョン・クリーチがいます。
この後、活動を再開したり、また解散したり、復活したりして現在も活動中です。
1989年にはヨーマ・コウコネンとジャック・キャサディがマーティ・バリンとポール・カントナー、グレイス・スリックとともにジェファーソン・エアプレインを再結成しました。アルバムも1枚『Jefferson Airplane』残しました。
ヨーマ・コウコネンもジャック・キャサディも健在なのが嬉しいです。
Hot Tuna - Come Back Baby - 3/22/1973 - 46th Street Rock Palace (Official)
Hot Tuna: Rock Me Baby (live - audio only)
それでは今日はこの辺で。