エクストリーム(Extreme)は1985年、ボストンで結成されました。
メンバーはゲイリー・シェロン(Gary Cherone,vo)、ヌーノ・ベッテンコート(Nuno Bettencourt,g)、パット・バッジャー(Pat Badger,b)、ポール・ギアリー(Paul Geary,ds)の4人です。ゲイリーとポール、ヌーノとパットはそれぞれのバンドで活動していましたが、2つのバンドが合体してエクストリームが結成されました。
1986年、1987年と2年連続でボストン・ミュージック・アワードの最優秀ハード・ロック/ヘヴィ・メタル・アクトを受賞し、これが全米で噂になりA&Mと契約することになります。
そして1989年にファーストアルバム『Extreme』がリリースされます。
プロデュースをクイーンなどを手掛けたMackということもあってか、ブリティッシュロックの影響と、ヴァン・ヘイレンやファンキーさが交じり合ったようなアルバムになりました。ヌーノの超絶ギターが冴えます。
翌年にはセカンドアルバム、名作『Extreme II: Pornograffitti 』がリリースされます。
このアルバムには全米1位に輝く「More Than Words」と全米4位になる「Hole Hearted」が含まれています。ファンキー色が一層強くなりましたが、アコースティックによるバラードなどが散りばめられており、大ヒット作となりました。一瞬ビートルズ?、なんて思わせたりします。
プロデュースはマイケル・ワグナー(Michael Wagener)に代わりました。
1992年にサードアルバム『III Sides To Every Story』がリリースされます。
このアルバムは3部構成になっています。「Yours」「Mine」そして「& The Truth」ときます。歌詞的には相当にメッセージ性の高い作品です。音楽的にはハードロック、ドラマティックなメロディアスな曲やバラード、そしてクラシック並みのスケールを感じさせる曲という具合に章ごとに別れています。
なお、このCDにはシングルCDが付属していました。「Don't Leane Me Alone」という曲でLPとカセットには収録されていたようですがCDには収録しきれなかった曲のようです。
プロデュースはヌーノです。ヌーノの才能がどんどん膨らんでいくのが分かります。
1995年には4作目『Waiting For The Punchline』がリリースされます。
このアルバムのレコーディング中にドラムスのポール・ギアリーが脱退を表明、代わりにマイク・マンジーニ(Mike Mangini,ds)が加入します。アルバムの中では3曲に参加しています。
ヌーノのギターを前面に出したこのアルバムは前作とは全く違ったファンキー、ヘヴィー、ジャジーなロックアルバムになりました。
しかし、このアルバムは商業的には失敗に終わります。個人的には好きです。
翌年ヌーノはソロ活動に専念したいとバンドを脱退します。続いてゲイリー・シェロンもヴァン・ヘイレンに加入したためエクストリームはここで解散となりました。11年間のバンド活動でした。
ソロになったヌーノ・ベッテンコートは1996年に最初のソロアルバム『Schizophonic』をリリースします。
ここでヌーノはその天才ぶりを発揮します。 すべてのパートを自身でこなし、ヴォーカル、曲作りまですべてほとんど一人でこなしました。おまけにプロデュースまで(数曲はボブ・セント・ジョンとアンソニー・J レスタとの共同)やってのけます。
そのヴォーカルも悪くはありません。このアルバムを聴いているとヌーノがエクストリームに飽き足らなくなってきたのではないかと想像します。オルタナ、グランジのようでもあります。
翌年にはMourning Widowsなるバンドを結成しアルバム『Mourning Widows』をリリースします。
メンバーは甥のドノヴァン・ベッテンコート(Donovan Bettencourt,b)とビリー・ヴェガス(Billy Vegas,ds)のトリオ編成です。しかし、ビリー・ヴェガスとは偽名でヌーノがドラムを叩いているという話もあるようです。
ヌーノのギターが十分に聴ける、スピード感あふれる一種のギター・アルバムです。曲はともかくとしてもヌーノのギターはカッコいいです。
2000年には第2弾『Furnished Souls for Rent』がリリースされます。
ドラムにジェフ・コンズィ(Jeff Consi,ds)が正式にクレジットされました。前作以上にファンキーっぽいアルバムになりました。
これでモーニング・ウィンドウズは終わります。その後も『Population 1 』『Dramagods』『Satellite Party』と次々とバンドを結成してはアルバムを出しています。
まだ51歳ですから、まだまだやる気でしょう。
それでは今日はこの辺で。