またまた古い映画の話で恐縮です。
小学校の頃に観て感動を受けた映画、『愛と死をみつめて』です。
監督:斉藤武市
制作:日本 1964年公開
内容もさることながら、吉永小百合さんの美しさに感動しました。ただただ見惚れていました。それまでテレビの歌番組などでは観ていたと思いますが、映画は初めてだったと思います。それ以来私は吉永小百合ファンになり、ほとんどの映画は観たと思います。小学生のくせに生意気でした。この映画は日活史上最高の興行成績をあげました。
この映画の上映前にTBSテレビの『東芝日曜劇場』で大空真弓さんと山本学さんの主演で放送されていたようですがそれはたぶん観ていなかったと思います。
内容はご存じかと思いますが、軟骨肉腫という難病に罹病した大島みち子(映画では小島道子)と河野実(映画では高野誠)の悲恋物語です。
ミコ(道子)が高校生の頃、軟骨肉腫で阪大病院に入院していた際に、同じく入院していた長野の浪人生のマコ(誠)と知り合います。お互いに阪神ファンということもあって気が合い文通をするようになります。マコは退院後も休みの時にはバイトをしながら病院に見舞いにやってきます。病院の屋上で仲宗根美樹の「川は流れて」を二人で歌うシーンが印象的でした。
やがてミコは同志社大学、マコは中央大学に入学しますが、その後も文通は続きました。ミコは手術を受けるも再発し、やがて顔半分を切り取るほど病状は悪化してゆきます。視力を失い、顔を失う恐怖と戦い、マコは懸命に励ましますが、そのかいもなく22歳になる前に亡くなってしまいます。
映画を観て泣いたのはこれが初めてだったと思います。軟骨肉腫などという病気の存在を知り怖い思いもしました。吉永小百合さんとの出会いといい、悲しすぎる内容といい、思い出深い映画でした。
ところでこの映画が上映されたのは1964年、東京オリンピックの年でした。この年のレコード大賞は青山和子さんが歌った「愛と死をみつめて」でした。これも大好きな歌です。
「マコ、甘えてばかりでごめんね・・」で有名なこの歌です。しかし、この歌は映画でもテレビ版でも使用されませんでした。
映画では吉永小百合さんが歌う「愛と死のテーマ」が使われました。
この歌がヒットしたという記憶はありません。というか映画以外では聴いたことがありませんでした。
映画とテレビと歌とそれぞれが別々にヒットしたという当時としては珍しいケースだったのではないでしょうか。
この後、青山和子さんはこの曲のお陰か今でもテレビでこの歌を歌っている姿を見かけます。一方映画の方はすっかり忘れ去られたのではないでしょうか。
この話を詳しく知りたくなって、後年二人の往復書簡集『愛と死をみつめて』や大島みち子さんの日記『若きいのちの日記』などを買い込んで読みました。400通にも及ぶ往復書簡は涙なしには読めません。今の時代では信じられない純愛物語です。
さらに吉永小百合さんのエッセイ『夢一途』の中で、この映画のことが書かれてありました。小百合さんはこの往復書簡と日記を読んで「是非この役をやりたい」と会社に申し出たそうです。ロケの帰りにみち子さんの実家を訪ねると、快く歓迎され、お母さんから「今日一日ミコになってください」と言われ、そして一日家族と共に過ごしたそうです。小百合さんはみち子さんの強い生き方に心を打たれ、励まされたそうです。
「病院の外に、健康な日を3日下さい。
一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。
そして、おじいちゃんの肩をたたいて、それから母と台所に立ちましょう。
おいしいサラダを作って、父にアツカンを一本つけて、妹達と楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、私は貴方の所へ飛んで行きたい。
貴方と遊びたいなんて言いません。おへやをお掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理を作ってあげたいの。そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてね。
三日目、私は一人ぼっちで思い出と遊びます。
そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康にありがとう、と笑って永遠の眠りにつくでしょう。」
「若きいのちの日記」より
みち子さんが亡くなった後、河野実さんが結婚したということで、世間から批判されたようなことを何かの雑誌で読んだことがあります。
その辺のことも河野さんは著書にあらわしています。
マコがミコを思う気持ちは本物だったと思います。その後ことはそれぞれの人生です。
この後も、この『愛と死をみつめて』は映画化されたりテレビドラマになったりしていますが、オリジナル映画のイメージを壊したくないので観ていません。
最近の小百合さんのエッセイにもこの映画のことが書かれています。 小百合さんは今でもこの映画のDVDを観ると泣いてしまうそうです。
懐かしすぎる映画の話をしてしまいました。ご容赦願います。
それでは今日はこの辺で。