Flying Skynyrdのブログ

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聴き比べ あがたと本田『赤色エレジー』

今日の「聴き比べ」はあがた森魚、最大のヒット曲『赤色エレジーです。

 

1972年のアルバム『乙女の儚夢』に収録されました。あがた森魚は当時のフォーク界では異色の存在でした。この頃のフォーク歌手はテレビを毛嫌いしていましたが、あがた森魚は積極的にテレビにも顔を出していました。下駄ばきとジーンズでこの曲を歌いました。世間では衝撃的だったでしょう。

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林静一の同名劇画に感銘してあがた森魚が作詞したものです。作曲は八洲秀章となっていますが、これは八洲が作曲した「あざみの歌」に似ていることから、レコード会社が作曲者名を八洲秀章にしたのです。実際はあがた森魚が作曲しています。

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赤色エレジー 

作詞:あがた森魚

作曲:八洲秀章

 

愛は愛とて 何になる

男一郎 まこととて

 

幸子の幸は どこにある

男一郎 ままよとて

 

昭和余年は 春も宵

桜吹雪けば 蝶も舞う

 

寂しかったわ どうしたの

ああ 母さまの 夢見たね

 

おふとん もひとつ ほしいよね

いえいえこうして いられたら

 

あなたの口から さようならは

言えないことと 思ってた

 

はだか電球 舞踏会

踊りし日々は 走馬燈

 

幸子の幸は どこにある

 

愛は愛とて 何になる

男一郎 まこととて

 

幸子の幸は どこにある

男一郎 ままよとて

 

幸子と一郎の 物語

お泪頂戴 ありがとう


あがた森魚 赤色エレジー

 

この曲を、この頃「秋でもないのに」「一人の手」でヒット曲を出していた本田路津子がカバーしました。彼女は森山良子と並んで和製ジョーン・バエズなどと呼ばれていました。美声が持ち味でした。今はどうしているのでしょう。


本田路津子 赤色エレジー

 

全く違う曲に聴こえてしまいます。

 

 それでは今日はこの辺で。