Flying Skynyrdのブログ

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小池真理子の『沈黙のひと』を読む

久しぶりの読書記事です。小池真理子『沈黙のひと』です。

小池真理子さんの作品を読むのも久しぶりでした。以前は『恋』や『欲望』、その他ミステリーやホラー小説まで片っ端から読んでいた時期もありました。年代も近いので小説に出てくる世相などにも共感を感じていたのかもしれません。

彼女の作品で最後に読んだのが『望みは何と訊かれたら』でした。2007年でしたから随分以前の話です。この小説はある意味で期待したのですが、期待外れに終わり、結局それ以降の作品は読まずじまいでした。

それが何かの記事でこの『沈黙のひと』のことを読んで、もう一度読んでみようかなという気になって、読んでみました。2012年の作品で吉川英治文学賞受賞作品です。

 

結論から言うと、凄い小説でした。半分はノンフィクションのようなものなのでしょう。「沈黙のひと」というのは小池真理子さんの実の父親のことだそうです。パーキンソン病を患い、手足も動かず、口もきけなくなった、要するに何も語れなくなった、つまりは沈黙する父親のことを描いた小説です。あとがきで「父に捧ぐ」とありました。この沈黙の意味するところはそう単純ではないのでしょう。

 

幼い頃に父親に捨てられた「衿子」は父親との微妙な距離感を保ちながら生きてきました。しかし、父親がパーキンソン病を患って、その距離は縮まり、やがて父親が亡くなり、その遺品の中から大量に出てきた手紙や日記を読んで、父親に対する複雑な思いが交錯します。また夫にに捨てられながらも、一言も夫の悪口を言わず一人娘を懸命に育て上げた母親も認知症になり、施設に入れる決断をします。50代半ばになって両親の生きざまを初めて知ったような気になった衿子なのです。

 

両親が離婚したというのはフィクションのようですが、外に女を作って妊娠させたというのは本当らしいです。小説では離婚して二人の子供を作っていますが、実際は母親が相手の女に直談判して子供を堕ろさせたようです。

 

小説の上でのパーキンソン病の父親、認知症の母親、それぞれの晩年は壮絶なものでした。そして彼女の実生活上でも両親の死、さらに夫の藤田宜永の癌による死を経験。彼女の死生観のようなものは朝日新聞の日曜版で「月夜の森の梟」として連載されました。毎週読んでいました。夫に対する愛情の深さをしみじみと感じていました。

 

小説の中の彼女は父親に対する愛情を、父親が病になるまでは気づかぬうちに抑え込んでいた自分に気づきます。幼いころからの自分に対し注がれた愛情に背を向けるように生きてきた衿子。家族を嫌悪するという感覚、あの時代の若者たちにある種共通のものがありました。父親が病になり、会話も成り立たなくなり、そして亡くなって、初めて自分が父親に対して抱いていた愛に気づいたのでした。そして後悔、その辺りの描写は読み応え十分でした。小池真理子自身の感情が吐露されたものと受け止めます。

 

また彼女の小説を読んでみたくなりました。最新作の『神よ憐れみたまえ』を読んでみようかな。

 

 

それでは今日はこの辺で。