先日の映画は『ゴジラ‐1.0』でした。キネ旬シアターではありません。シネコンです。
監督・脚本:山崎貴
出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、吉岡秀隆、佐々木蔵之介
製作:2023年 日本
国内『ゴジラ』シリーズ70周年、30作目だそうです。第1作目から見続けています。生で最初に観たのが3作目の『キングコング対ゴジラ』でした。まだ小学生低学年で、観終わった後は今にもゴジラが屋根の上から顔を出すのではないかと怖がったものです。
やや成長してから『ゴジラ』の第1作目を観て、怪獣映画のスタートと同時に反原爆・反核や文明批判をモチーフにした社会映画だったということを認識しました。
翌年の2作目『ゴジラの逆襲』ではアンギラスが登場して怪獣対決映画のスタートとなりました。ここから娯楽性が強くなり、ゴジラのキャラクターも正義の味方でちょっとひょうきんなゴジラへと変わってゆき、以後子供向けの怪獣映画として定着しました。同時に怪獣ブームも全盛期へと向かいました。
16作目、9年ぶり昭和59年の『ゴジラ』からは、それまでのゴジラとは打って変わって、第1作のゴジラ復活を思わせる強面のゴジラに戻りました。以後、『平成ゴジラシリーズ』として7作製作されました。
その後『ゴジラ2000・ミレニアム』シリーズとして6作製作され、その後12年間製作されませんでした。
2014年にアメリカ版の『GODZILLA』が大ヒットすると、日本も負けじと庵野秀明監督による『シン・ゴジラ』が制作されました。全く新しいゴジラの登場でした。
前置きが長くなってしまいました。
今回の『ゴジラ‐1.0』は第1作目の『ゴジラ』に戻ったような社会風刺を盛り込んだ作品になっています。舞台は戦後間もない日本。特攻隊生き残りの兵士・敷島浩一とその仲間たちがゴジラに立ち向かいます。
敷島には悔やみきれない過去があったのです。敷島は特攻隊員として出征したが途中で機械が故障したと大戸島へ着陸します。しかしそれは恐怖のためについた嘘だったのです。そこに巨大な恐竜(島の人はゴジラと呼ぶ)が現れました。敷島は整備兵の橘からゼロ戦の20ミリ砲で攻撃するように頼まれますが、恐怖のあまり撃つことができず、結果島の兵隊は敷島と橘以外全員死亡してしまいました。敷島は橘に激しく罵られます。
終戦後、絶望を抱え東京へ戻った敷島は両親も空襲で亡くなったことを知ります。敷島は闇市で偶然知り合った女性・典子と彼女が偶然他人から託された赤ん坊と一緒に暮らすようになりました。しかし、心に傷を持つ彼は結婚する気には中々なれません。典子は自立するために銀座で働き始めます。
機雷除去の仕事に就いた敷島には同じ仕事に就く仲間と出会います。その頃、太平洋のビキニ環礁で行ったアメリカの核実験によりゴジラが被爆します。
敷島たちは作業中に巨大になったゴジラに遭遇してしまいます。除去した機雷や砲弾で応戦しますが全く歯が立ちません。その最中に巡洋艦「高雄」が救援に来ますが、ゴジラにたやすく破壊されてしまいます。敷島たちは這々の体で東京へ戻りますが、ゴジラも東京へ上陸し、典子が働く銀座へと向かいます。敷島は典子救出のために銀座へ向かうのですが・・・。
前作の『シン・ゴジラ』が徹底的に政府主導のゴジラ退治だったのに比べ、今回の『ゴジラ』は民間主導のゴジラ退治です。そこには政府やアメリカはあてにならない、ましてや立ち上がったかつての軍人たちは戦争中の政府・軍のやり方に強い不信感を持っているのです。
そしてもう一つ、『シン・ゴジラ』と決定的に違うのは市井の人の人間物語が描かれているところです。そこには男女の恋や男の友情、そして孤児への視線が向けられています。私など歳のせいか涙が止まりませんでした。
この映画には反戦・反核・反原発は勿論、災害時における政府の対応に対する風刺も込められていると思います。
それにしても技術の発達は凄まじいものがあります。まるで現実を見ているような圧倒的な迫力は現代の技術を抜きにしては実現しなかったでしょう。制作ごとに迫力が増してゆきます。
ラストシーン前の典子の首の痣とラストシーンは「ゴジラは不滅」を思わせ、次回作を期待させます。
神木隆之介と浜辺美波のコンビは朝ドラ「らんまん」の再現でした。
個人的には『シン・ゴジラ』より圧倒的に面白かったですね。ゴジラのテーマ曲も懐かしい!
それでは今日はこの辺で。