Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『ジョーン・オズボーン(Joan Osborne)/Relish』

ジョーン・オズボーン(Joan Osborne)アメリカの女性シンガー・ソングライターです。1962年にケンタッキー州アンカレッジで生まれました。

元々は映画業界志望で、ニューヨークの映画学校に進みました。しかし、生活は苦しくアルバイトに明け暮れていました。そんな時友人と地元のバーに行き、たまたまビリー・ホリデーの「God Bless the Child」を飛び入りで歌ったところ、評判がよくこのバーで歌うようになりました。エタ・ジェイムスやレイ・チャールズなどをレパートリーにしました。

そして自らインディーズレーベル「Womanly Hips」を立ち上げ、CD制作までするようになりました。やがてプロデューサーのリック・チャートフに見いだされ1995年にメジャーのマーキュリーと契約し、ファーストアルバム『Relish』をリリースしました。

 

01.St. Teresa

02.Man in the Long Black Coat

03.Right Hand Man

04.Pensacola

05.Dracula Moon

06.One Of Us

07.Ladder

08.Spider Web

09.Let's Just Get Naked

10.Help Me

11.Crazy Baby

12.Lumina

 

パーソナルは

ジョーン・オズボーン(Joan Osborne,vo,g,perc)

エリック・バジリアン(Eric Bazilian,g,manodlin,p,sax,harp)

マーク・イーガン(Mark Egan,b)

ロブ・ハイマン(Rob Hyman,p,organ,synthe,vo,ds)

アンディ・クラヴィッツ(Andy Kravitz,ds,perc)

 

エリック・バジリアンとロブ・ハイマンはザ・フーターズからの参加。

マーク・イーガンはパット・メセニーにも参加したりしているジャズ・ミュージシャン。

プロデュースはリック・チャートフ(Rick Chertoff)です。

 

このアルバムの中の「ワン・オブ・アス(One Of Us)」がビルボードの4位になり、アルバムも9位、プラチナアルバムとなりました。グラミー賞でも8部門でノミネートされました。いきなりアメリカの人気シンガーになりました。

アルバムの02はボブ・ディランの「オー・マーシー」から。10はブルースマンソニー・ボーイ・ウィリアムソン。その他はジョーン・オズボーンとエリック・バジリアンとの共作が7曲と多くを占めています。

 

全体としてはブルースやソウルを基本とした典型的なロックです。やや暗めな印象を受けます。ただジャズマンを起用しているということもあって、ジャズのフィーリングも醸し出しています。それが実にいいのです。

オープニング曲でいきなり弾き込まれること請け合いです。一聴の価値は充分にあると思います。

 

その後も寡作ではありますが順調にアルバムをリリースしています。

ごく最近ではボブ・ディランのソング・ブック集を出しています。『Songs of Bob Dylanです。

 

 


One Of Us


Joan Osborne - St. Teresa


Joan Osborne: Man in the Long Black Coat


Joan Osborne - Pensacola

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『ディアナ・カーター(Deana Carter)/Did I Shave My Legs for This?』

アメリカのカントリー系シンガー・ソングライターディアナ・カーター(Deana Carter)です。

デイアナ・カーターは1966年にテネシー州ナッシュビルで生まれました。父親は有名なスタジオミュージシャンでギタリストのフレッド・カーター・ジュニアです。フレッドはボブ・ディランサイモン&ガーファンクルジョーン・バエズなどのレコーディングにも参加していました。またレヴォン・ヘルムRCOオールスターズのメンバーでもありました。

ディアナはそのような父親のもとでもそれほど音楽には夢中にはなっていませんでした。もちろん音楽活動は行っており、17歳の時にレコード会社との契約の話もありましたが、まだまだレコーディングするほどの能力はありませんでした。

父親は音楽関係に進むことを進めましたが、ディアナはテネシー大学でリハビリテーション療法を学び、卒業後は病院に勤めました。

23歳の時にやはり自分には音楽が必要であると気づき、音楽の道を追求することに決めました。

ギターを学び、曲作りもするようになりました。ナイトクラブで歌うようになり、デモテープも作成しました。その一つがウィリー・ネルソンの手に渡りました。ウィリー・ネルソンは父親との関係から、子供の頃のディアナを憶えていました。ネルソンは大層気に入り、結局キャピトルとの契約が成立しました。

 

そして1996年にファーストアルバム『Did I Shave My Legs for This?』をリリースしました。30歳になっていました。

01.I've Loved Enough To Know

02.We Danced Anyway

03.Count Me In

04.If This Is Love

05.Love Ain't Worth Making

06.Before We Ever Heard Goodbye

07.How Do I Get There

08.Strawberry Wine

09.That's How You Know It's Love

10.Did I Shave My Legs For This?

11.To The Other Side

 

プロデュースはクリス・ファーレン(Chris Farren)ジミー・ボーウェン(Jimmy Bowen)です。

ティール・ギターでダン・ダグモア(Dan Dugmore)が参加しています。

 

11曲中6曲が共作によるオリジナルが6曲です。ラストの曲はキム・カーンズでバッキングヴォーカルで参加しています。

 

いきなりノリのいいカントリーソングで始まります。彼女の声はいかにもカントリーに似合っています。ポップな曲も含まれており実に聴きやすくなっています。

08の「Strawberry Wine」ビルボードで1位になりました。アルバムは500万枚を超える大ヒットとなりました。さらに「We Danced Anyway」「How Do I Get There」ビルボード1位のシングルヒットになりました。

 

1998年にはセカンドアルバム『Everything's Gonna Be Alright』をリリースします。

このアルバムは前作ほどのヒットにはなりませんでしたが、3曲のシングルヒットが生まれました。

 

2枚目がファーストほどの成功を収められなかったことで、キャピトルとの契約を解消し、ラウンダーレコードと契約を結びサードアルバムをリリースします。『Father Christmas』。2004年にはアリスタレコードから『I'm Just a Girl 』をそれぞれリリースします。

 

 

その後もヴァンガード・レコードと契約し2枚のアルバムを残しました。

 

現在は自身のレーヴェル「リトル・ナゲット」を立ち上げ、アルバムも発表し頑張っています。

現在では貴重なカントリーシンガーです。

 


Deana Carter - "Strawberry Wine" | Live at the Grand Ole Opry | Opry


Deana Carter we danced anyway


How Do I Get There - Deana Carter

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『マリア・マッキー(Maria McKee)/永遠の罪(You Gotta Sin to Get Saved)』

アメリカの女性シンガー・ソングライターマリア・マッキー(Maria McKee)は1964年にロサンゼルスで生まれました。

兄はあのラヴ(Love)のギタリストだったブライアン・マクリーン(Bryan MacLean)です。ただ、年は17歳も離れていました。

1983年にはローン・ジャスティス(Lone Justice)というバンドを結成します。そして2枚のアルバムをリリースします。しかし、大した注目も浴びず解散してしまいます。

それでもイーグルスドン・ヘンリーボブ・ディランなどから高い評価を得、ディランからは楽曲の提供(Go Away Little Boy)まで受けています。またロビー・ロバートソンのソロアルバムにも参加したりします。

 

1987年のバンド解散後はソロに転向し、1989年にファーストアルバムMaria McKee』をリリースします。

このアルバムはイギリスではそこそこ売れましたが、アメリカではさっぱりでした。シングル「Breathe」はシングルヒットしました。

 

それから4年後の1993年、ようやくセカンドアルバム『永遠の罪(You Gotta Sin to Get Saved)』がリリースされます。

01.I'm Gonna Soothe You

02.My Lonely Sad Eyes

03.My Girlhood Among The Outlaws

04.Only Chance

05.I Forgive You

06.I Can't Make It Alone

07.Precious Time

08.The Way Young Lovers Do

09.Why Wasn't I More Grateful

10.You Gotta Sin To Get Saved

 

プロデュースはブラック・クロウズやジェイホークスなどでおなじみのジョージ・ドラコリアス(George Drakoulias)です。

アイルランドに傾いていた前作から、アメリカン・ルーツロックに回帰したようねアルバムです。プロデューサーや参加メンバーを見ても一目瞭然です。

参加メンバーは

まずローン・ジャスティスのメンバーから

マーヴィン・エツィオーニ(Marvin Etzioni,g,b,mandlin,vo)

ブルース・ブロディ(Bruce Brody,organ.p,vo)

ドン・ヘフィトン(Don Heffington,ds,perc,vo)

 

ジェイホークスから

ゲイリー・ローリス(Gary Louris,g,vo)

マーク・オルソン(Mark Olson,g,vo)

 

トム・ペティ&ハートブレイカーズから

ベンモント・テンチ(Benmont Tench,p,organ,vo)

 

その他

ドン・ウォズ(Don Was,b)

ブレンダン・オブライエン(Brendan O'Brien,b)

ジム・ケルトナー(Jim Keltner,ds)

メンフィス・ホーンズ(The Memphis Horns,horns)

 

01はローン・ジャスティスのメンバーたちと作った曲。ベースはドン・ウォズです。いかにもソウルっぽいアメリカンミュージックです。

02は敬愛するヴァン・モリソンの曲。ゼム時代の曲です。子供の頃から好きな曲だったらしいです。

03は自作曲。しっとりとしたマリアのヴォーカルが心地よい。

04も自作曲。ザ・ポウシーズのメンバーがバッキングヴォーカルを務めます。カントリーロック。

05はサム・ブラウンとの共作。ソウルフルなバラードです。

06はキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが書いてダスティースプリングフィールドが歌った曲です。ポップな曲です。

07はジェイホークスのゲイリー・ローリスとマーク・オルソンの曲。ジェイホークスらしいカントリーソングです。

08は再びヴァン・モリソンの曲です。ヴァン・モリソンのソロ第2作『Astral Weeks』に収録されていました。これはこのアルバムの目玉ではないかと思っています。それほど素晴らしい。

09はローン・ジャスティスのメンバーとの共作です。これもソウルフルなんナンバー。

10もローン・ジャスティスとの共作です。ラストはメンバーたちと楽しくロックンロール・ヒルビリー

 

マリア本人が「これはソロアルバムではない」と言っているように、ローン・ジャスティスが復活したようなアルバムになりました。

 

この後、マリア・マッキーは昨日紹介したヴィクトリア・ウィリアムズのトリビュートアルバムにも参加しました。

またソロアルバムも現在までに4枚、ライブアルバムを3枚ほどリリースしています。

  

 

派手にチャートを賑わすようなシンガー・ソングライターではありませんが、実に魅力的なミュージシャンです。

 

 

 


Maria McKee - The Way Young Lovers Do (cover Van Morrison)


Maria Mckee,I forgive you


Maria McKee- You Gotta Sin To Get Saved


Precious Time: Maria Mckee and the Jayhawks live

 

 

それでは今日はこの辺で

『ヴィクトリアのために(Sweet Relief : A Benefit for Victoria Williams)』

ヴィクトリア・ウィリアムス(Victoria Williams)は1958年生まれでアメリカ・ルイジアナ州出身のシンガー・ソングライターです。

 

1986年にはシンガー・ソングライターのピーター・ケースと結婚し(その後離婚)、1987年にはファーストソロアルバム『Happy Come Home』をリリースします。

ここでは、T-ボーン・バーネットやヴァン・ダイク・パークスカーラ・ブレイ、アントン・フィアなど多彩なゲストを迎え、独特の唱法で声で独自の世界を展開しました。

 

続いて1990年にはセカンドアルバム『Swing the Statue!』をリリースします。

アコースティック色が強くなりましたが、ヴィクトリアの世界はますます独自色を強めて行きました。前作ほどの豪華ゲスト陣ではありませんが、スティーヴン・ソールズやウィリアム・ブラザース等が参加しています。

 

ところが1992年にニール・ヤングのツアーのオープニング・アクトを務めていた時に、彼女は手に麻痺を感じました。ギターを弾くのも困難になってきました。医師の診断の結果、難病の「多発性硬化症」と診断されました。彼女は他のミュージシャン同様健康保険に加入していませんでした。多額の医療費を支払うことが困難になりました。

 

そこで彼女を知る仲間やミュージシャンが立ち上がり、彼女のためのベネフィットコンサートをニューヨークとロサンゼルスで開催することになりました。

参加ミュージシャンはT-ボーン・バーネット、マリア・マッキー、サム・フィリップスマイケル・ペン、ジェイホークス、ウィリアム・ブラザース、ルー・リード、エリック・アンダーソン、ジェフ・バックリー、ショーン・コルヴィン、ルシンダ・ウィリアムズ、などなど錚々たるメンバーが参加しました。

 

これらのメンバーの顔ぶれを見ただけでも、彼女がいかに慕われていたかが伺えます。

そして、続いて企画されたのが、本アルバム『Sweet Relief』の発表です。

 

このアルバムの収益の一部は彼女が設立した「スウィート・リリーフ・ミュージシャン」基金に贈られ、同じような病気で苦しむミュージシャンの医療費に当てられることになりました。

 

01.Summer of Drugs - Soul Asylum

02.Main Road - Lucinda William

03.Crazy Mary - Pearl Jam

04.Merry Go Round - Buffulo Tom

05.Weeds - Michael Penn

06.Animal Wild - Shudder to Think

07.Tarbelly and Featherfoot - Lou Reed

08.Opelousas (Sweet Relief) - Maria Mckee

09.This Moment - Matthew Sweet

10.Frying Pan - Evan Dando

11.Lights - Jayhawks

12.Why Look at the Moon - The Waterboys

13.Big Fish - Giant Sand

14.Holy Spirit - Michelle Shocked

 

各ミュージシャンがヴィクトリア・ウィリアムズの曲をカバーした作品集になっています。

 

01はソウル・アサイラムです。1983年結成のオルタナバンド。曲はセカンドアルバムから。なかなかのアレンジです。オープニングを飾るにふさわしい曲になっています。ソウル・アサイラムはいつか取り上げようと思いながら、いまだに出来ていません。

02はルシンダ・ウィリアムズです。彼女については先日取り上げました。例によって虚脱感たっぷりに歌い上げます。曲はファーストからです。

03はパール・ジャムです。パール・ジャムについては今更言うことはないでしょう。グランジのスーパースター。ここではヴィクトリアも参加しています。曲は1994年に発表されたアルバム『Loose』に収められた曲です。

04はバッファロー・トムです。アメリカのオルタナグランジバンド。このバンドもまだ取り上げていませんでした。その内にと考えています。曲はファーストからです。

05はマイケル・ペン。彼については既に書きました。すぐれたシンガーソングライターです。曲はセカンドアルバムから。

06はシャダー・トゥ・シンク。このバンドのことは良く知りません。クレイグ・ウェドレンが1986年に結成したバンドです。曲はファーストアルバムから。

07はルー・リードです。今更説明の必要もありません。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

08はマリア・マッキーです。1964年生まれのフォーク・カントリー系のシンガー・ソングライターです。元はローン・ジャスティLone Justice)のボーカルとしてデビューしました。その後ソロに転向。なかなか魅力的なシンガーです。曲はファーストアルバムからです。

09はマシュー・スウィートです。この人についても既に取り上げています。多彩なシンガー・ソングライターマルチプレイヤーです。曲はセカンドアルバムからです。

10はイヴァン・ダンドゥです。アメリカのオルタナバンド、レモンヘッズの中心メンバーです。レモンヘッズはメンバーチェンジが激しく、イヴァン・ダンドゥが一人で頑張っている状態。曲はファーストアルバムから。アコースティック・ギターの弾き語りです。

11はジェイホークスです。彼らについても既に取り上げました。カントリーロックの貴重な後継者です。曲はファーストアルバムからです。ヴィクトリアはジェイホークスのマーク・オルソンと結婚しますが、その後再び離婚します。

12はウォーターボーイズです。イギリスのフォークロック系のバンドです。曲はセカンドアルバムのオープニングナンバーです。

13はジャイアント・サンドです。1983年結成でキャリアの長いバンドです。一風変わった音楽性です。ヴィクトリアも彼らのアルバムに参加したりして交流も深いです。曲はファーストアルバムからです。

14はミッシェル・ショックトです。1962年生まれのシンガー・ソングライターです。彼女のレコーディングにもおなじみのミュージシャンが数多く参加します。アメリカでは有名人です。曲はセカンドアルバムからです。

 

なんとも豪華な顔ぶれでした。

 

この後ヴィクトリア・ウィリアムズは治療に専念しながら、1994年にはアルバム『Loose』を発表します。

今回もスウィート・レリーフに参加したメンバーやヴァン・ダイク・パークスが再び参加するなど豪華なメンバーが揃い、素晴らしいアルバムが出来上がりました。R.E.Mのピーター・バックマイク・ミルズも参加しました。私個人はこのアルバムが一番のお気に入りかもしれません。

 

つづいてライブアルバムを挟んで1998年には『Musings of a Creek Dipper』をリリースします。

 

その後も寡作ではありますが2000年、2002年にアルバムをリリースしました。

 

 

近況は聞いておりませんが、いやなニュースには接していないので頑張っている事と思います。

 


Victoria Williams - Crazy Mary


Victoria Williams - Hitchhikers Smile


Maria McKee - Opelousas (Sweet Relief)


Soul Asylum | Summer Of Drugs | Sweet Relief | Victoria Williams Benefit

 

それでは今日はこの辺で。

映画 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を観る

今日のキネ旬シアターは東京タワー オカンとボクと、時々、オトンでした。

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監督:松岡 錠司

原作:リリー・フランキー

主演:オダギリジョー樹木希林内田也哉子小林薫松たか子

制作:日本 2007年公開

 

樹木希林追悼記念での公開でした。

 

過去と現在が交錯しながらドラマは進行します。

1960年代。ボク (オダギリジョー)は自由で勝手気ままなオトン(小林薫)に愛想をつかしたオカン(樹木希林内田也哉子)と共にオカンの実家、九州・筑豊の炭鉱町に引っ越し暮らし始めました。オカンは妹の小料理屋を手伝いを始めました。四姉妹仲良く楽しく暮らしていました。ボクはすっかりはじけました。

 

1970年代、ボクは家を出たくなり高校進学を大分の美術学校に決め、家を出ました。オカンの仕送りで学校に通いますが、オカンのいう通りに見事にだらしのない生活を送ります。そして今度は大学進学。憧れの東京へ。武蔵野美術大学に入学しました。

 

オカンの仕送りで暮らしますが、相変わらずだらしのない生活ぶり。留年して何とか卒業はしたものの、就職もせずサラ金から借金する始末。しかし貸してくれるところはもありません。しかたなくオカンに金の無心をしようと、久しぶりに連絡をとったら、オカンは癌の手術をして入院したことを知らされました。ボクがオカンに心配をかけまいと連絡しなかったいっぽう、オカンの方も心配をかけたくなくて連絡をしなかったのでした。

 

これでボクは目が覚めました。心を入れ替えイラストレーター兼コラムニストとして今までの人生を取り戻すかのように働き出し、借金も返済し、何とか生活のめども立ってきました。そして彼女・ミズエ(松たか子)も出来ました。

 

ボクはオカンに東京で一緒に暮らそうと誘います。東京案内をしながら、そのうち落ち着いたらミズエと3人で東京タワーに登ろうと約束します。オカンは料理好きで社交的なのでボクの友だちが毎日のようにやってきて、それはそれは賑やかな日々が始まりました。

 

しかし、そんな時にオカンの癌が再発してしまいます。もはや手術は出来ず抗がん剤治療に踏み切ります。オカンは抗がん剤の副作用に悲鳴をあげます。ボクはそんなオカンを見るに忍びず、抗がん剤の治療を断念しました。これで死期は早まります。しかし穏やかな日々がやってきました。オトンも久しぶりにやってきて、楽しいひと時を過ごします。

 

やがてオカンはボクとオトンが見守る中、「ありがとう」と口を動かし、息を引き取りました。オカンが残した箱の中にはボクへのお別れの言葉が記されていました。そしてミズエ宛の手紙も入っていました。

 

ボクは一緒に東京タワーに登る約束を果たせなかったことを後悔し、位牌をもってミズエと共に東京タワーにのぼり、眼下の東京の街を眺めるのでした。ミズエもオカンの手紙を読みながら東京の風景を眺めるのでした。

 

 

最近の涙腺の弱さは、この映画でも涙を止められませんでした。子を思う母親の気持ちと親を思う子の気持ちが見事に表現されています。

これは一つには樹木希林の演技力によるものだと思います。癌に侵された樹木希林の最期とオカンの最期がダブってきてしまいます。

オカンの過去と現在を実の親子が演じています。よく似ているし、何か妙な気持ちになってしまいました。オトンは自由気ままで全く内田裕也そのもののようです。オカンとオトンの別居生活もなにやら実生活を思わせるようでした。

 

ただ一つ腑に落ちないところがあります。オカンが入院したときにはボクはミズエとは既に別れています。それでもお見舞いに来たり、葬儀を手伝っています。オカンが初めてオトンにもらった指輪もミズエにあげています。何故別れたのかが全く分からず、また最後にミズエがもらった手紙には何が書いてあったのか、興味が尽きないところです。別れてもなお、相手の親には会いに行くというのは、やはりこのオカンが余程魅力があったのでしょうね。このあたりのことはリリー・フランキーの原作を読めばわかるのでしょう。

 

話は変わりますが、ボクが東京へ出てきてからの自堕落な生活ぶりはまるで私自身の姿を見ているようでした。それでも何も知らずにせっせと仕送りしてくれた、今は亡き両親を思うと、今更ながらに頭が下がる思いです。そんな感情が一層涙を誘ったのでしょう。

 

この映画は親子の関係をもう一度振り返ってみる機会を当ててくれました。

 

出演した俳優陣が凄いです。チョイ役で有名俳優がいっぱい出て来ます。名前が出て来ません。

 

 


東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ルシンダ・ウィリアムス(Lucinda Williams)/Car Wheels on a Gravel Road』

ルシンダ・ウィリアムス(Lucinda Williams)は1953年、ルイジアナ生まれのシンガー・ソングライターです。カントリー、フォーク、ブルースと幅広い音楽性を持ちます。

 

彼女の父親は文学教授で詩人のミラー・ウィリアムスです。母親はピアニストでした。小さい頃からフォークミュージックに馴染み、ジョーン・バエズボブ・ディランを好んで聴いていました。

彼女は反抗的な態度で高校も中退してます。その頃から人前でフォークソングを歌うようになりました。

1979年にはファーストアルバムの『Ramblin'』をリリースすることが出来ました。

これはブルースとカントリーのカバー集でした。

 

1980年には、ルシンダのオリジナルで固めたアルバム『Happy Woman Blues』をリリースします。

しかしこの2枚は一部の批評家を除いては大した評判にもなりませんでした。

 

その後ルシンダは地道な活動を続け、ロサンゼルスに移りラフ・トレードと契約しサードアルバム『Lucinda Williams』をリリースします。1988年でした。

このアルバムの中から1993年にメアリー・チェイピン・カーペンターがPassionate Kisses」をカバーしこれがアカデミー賞を獲得しました。これで一躍ルシンダの名前も知られるようになりました。

 

続いて1992年には『Sweet Old World』をリリースします。

 

そして1998年に4枚目のアルバムとして『Car Wheels on a Gravel Road』がリリースされます。

01. Right In Time

02.Car Wheels on a Gravel Road

03.2 Kool 2 Be 4-Gotten

04.Drunken Angel

05.Concrete And Barbed Wire

06.Lake Charles

07.Can't Let Go

08.I Lost It

09.Metal Firecracker

10.Greenville

11.Still I Long For Your Kiss

12.Joy

13.Jackson

 

ゲスト参加でティーヴ・アールエミルー・ハリスなど、注目はチャーリー・セクストンです。

 

いつものように気怠さいっぱいのヴォーカルに心地よいメロディーがよく合います。カントリー系のルーツ・ロックとブルースの感覚も併せ持った、何とも魅力的なアルバムです。

11の「Still I Long For Your Kiss」ロバート・レッドフォードの映画「モンタナの風に抱かれて」で使われました。

またルシンダはこのアルバムで再びグラミー賞を受賞しました。

 

1999年には『グラム・パーソンズ・トリビュート(Return of the Grievous Angel: A Tribute to Gram Parsons)』ではデヴィッド・クロスビーと「Return of the Grievous Angel」をデュエットしています。

 

さらに2001年には6枚目のアルバム『Essence』をリリースします。

このアルバムではチャーリー・セクストンが前作では数曲でしたが、今回は全面的に参加しています。

ここでも「Get Right With Got」グラミー賞を獲得しました。

 

ルシンダ・ウィリアムスは実に寡作ですが、良質なアルバムを出し続けています。まだまだ65歳、元気いっぱいですね。

 

 


LUCINDA WILLIAMS- Drunken Angel (1998)


Lucinda Williams - "Still I Long For Your Kiss" [Live from Austin, TX]


Lucinda Williams - I Lost It

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『ブラック・クロウズ(Black Crowes)/サザン・ハーモニー(The Southern Harmony and Musical Companion)』

ブラック・クロウズ(Black Crowes)は1989年ジョージア州アトランタで結成されました。それ以前にクリス・ロビンソン(Chris Robinson,vo,harp,perc)リッチ・ロビンソン(Rich Robinson,g)ミスター・クロウズ・ガーデンというバンドを作っていました。そこにジェフ・シーズ(Jeff Cease,g)ジョニー・コルト(Johnny Colt,b)ティーヴ・ゴーマン(Steve Gorman,ds)が加わってバンド名も変更してブラック・クロウズが生まれました。

 

そして1990年にファーストアルバム『Shake Your Money Maker』をリリースします。

プロデュースはジョージ・ドラコリアス(George Drakoulias)です。

しかしこれがいきなりの大ヒット、全米チャート4位で400万枚を売り上げるという驚異的な成功でした。オーティス・レディングのカバーシングル「Hard to Handle」も大ヒットしました。オーソドックスなアメリカン、サザンロックでしたが意外な人気を呼びました。

 

続いてが1992年のセカンドアルバム『The Southern Harmony and Musical Companion』です。

01.Sting Me

02.Remedy

03.Thorn In My Pride

04.Bad Luck Blue Eyes Goodbye

05.Sometimes Salvation

06.Hotel Illness

07.Black Moon Creeping

08.No Speak No Slave

09.My Morning Song

10.Time Will Tell

11.Shake Em Down(Live)

 

ジェフ・シーズが退団。代わりにマーク・フォード(Mark Ford,g)が加入し、前作ではオールマン・ブラザースのチャック・リーヴェルがキーボードでゲスト参加していましたが、今作からエド・ハウリッシュ(Eddie Harsch,key)が正式にメンバーとして参加しました。

プロデュースは前作同様ジョージ・ドラコリアスです。

このアルバムも売れに売れ全米No.1を獲得しました。

ソウルフルなロックンロールで始まります。南部のバンド特有のジャム感たっぷりの02をはじめR&Bがたっぷりです。04の西海岸にも通じるゆったりとした南部特有のバラードなどは絶品です。クリス・ロビンソンのヴォーカルは素晴らしいの一言。

でもなんでこれが全米No.1になるのだろう、という疑問が残ります。1990年代初頭というとヘヴィメタは衰退し、オルタナグランジ全盛時代です。そのような時にこのような、どちらかというと地味なルーツ・ロックが売れるとはなんとも理屈では解明できない不思議さです。

 

続いてブラック・クロウズは1994年にサードアルバム『Amorica』をリリースします。

プロデュースがジェリー・フィッシュを手掛けたジャック・ジョセフ・プイグ(Jack Joseph Puig)ブラック・クロウズの共同プロデュースに代わります。

このアルバムもかなり良くできていますが、前作に比べ若干おとなしくなったような感じです。

 

 

1996年には4枚目のアルバム『Three Snakes & One Charm』をリリースします。

ここでのプロデュースはジャック・ジョセフ・プイグ単独になります。

このアルバムは前作以上に地味になってしまいました。

前作もこの作品も商業的にはセカンドアルバム程の成功は収められませんでした。

 

そして案の定、マーク・フォードとジョニー・コルトが退し、代わりにスヴェン・パイピーン(Sven Pipien,b)が加入します。ギターはリッチ一人になりました。

1999年に5枚目のアルバム『By Your Side』をリリースします。

プロデュースはケヴィン・シャーリー(Kevin Shirley)に代わります。

元気な「黒いカラス」が戻ってきました。というか今までで1番の激しいロックンロールではないでしょうか。

 

続いて2001年に『Lions』をリリースします。

スヴェン・パイピーンが脱退、オードリー・フリード(Audley Freed,g)が正式加入します。プロデュースはドン・ウォズ(Don Was)を迎えます。レーヴェルも変わります。

「黒いカラス」の迷走が始まりました。

 

2002年に活動停止。クリス・ロビンソンはソロアルバムの発表。

2005年に活動開始。その後もすったもんだがあり2015年にとうとう正式解散となりました。

 

一時期のサザンロックを盛り上げた立役者でした。

 

 


The Black Crowes - Hard To Handle


Sting Me.wmv


Bad Luck Blue Eyes.wmv


The Black Crowes - Sometimes Salvation

 

 

それでは今日はこの辺で。