1980年代半ば、L.Aメタルの全盛期もやや後退気味の頃登場したのが、『テスラ』です。L.Aメタルの範疇に入れるのもちょっと気が引けるぐらいに、アメリカン・ハードロックの王道を突っ走るグループです。1994年の最初の解散までについて書いてみたいと思います。
1984年、彼等はCity Kiddのバンド名で結成されました。その後テスラにバンド名を変更します。由来は科学者ニコラス・テスラです。
メンバーは
ジェフ・キース(Jeff Keith,vo)
フランク・ハノン(Frank Hannon,g,key mandlin,bvo)
トミー・スキーオTommy Skeoch(g,bvo)
ブライアン・ウィートBrian Wheat,b,bvo
トロイ・ルケッタTroy Luccketta,ds)
の5人でスタートします。
1986年にファーストアルバム『Mechanical Resonance』をゲフィンレコードからリリースします。
まさにアメリカン・ハードロックです。ジェフ・キースのヴォーカルはちょっぴりハスキーで、ロックにはピッタリです。アコースティックを織り交ぜながら、バラードもあり、ブルージーな曲もありと、デビューアルバムにしては文句なしの出来です。ツインギターもいいですね。
1989年にセカンドアルバム『The Great Radio Controversy』をリリースします。
傑作の誕生です。アルバムトップから、重みのあるハードロックで、一気に引き込まれます。この辺は欧州風な感じもしますが、文句なしです。何といっても圧巻は11曲目の「LoveSong」でしょう。全米10位まで上り詰めました。アコースティックギターの前奏で始まる、バラードです。ジェフ・キースのハスキーヴォーカルにツインギターが絡み合って見事なバラードに仕上がっています。泣かせます。続く「Paradise」も同じくバラードで、これまた泣かせます。こういう曲を聴いていると、ロックを聴き続けてきてよかったなと、つくづく思います。
翌年、1990年にアンプラグドのライブアルバム『Five Man Acoustical Jam』を発表します。
全曲アコースティックギターによるナンバーです。グレイトフル・デッドの「Truckin'」、ビートルズの「We Can Work It Out」、ローリングストーンズの「Mother's Little Helper」、CCRの「Lodi」、それとジェフ・キースのあこがれのバンド、『Five Man Electrical Band』の「Signs」をそれぞれカバーしています。この曲が全米8位を記録します。アルバムのタイトルもこの『Five Man Electrical Band』から命名したようです。アコースティックのみという事でも物足りなさはありませんでした。名曲「LoveSong」「Paradise」も含まれています。スタジオアルバムの間隔を埋める形で発表された本アルバムですが、売れ行きは素晴らしく3枚目のプラチナアルバムに輝きました。このアルバムがきっかけとなって、アンプラグドブームが起こります。
翌1991年には4枚目のアルバム『Psychotic Supper』をリリースします。
スタジオアルバムとしては3枚目のアルバムになります。相変わらずハードロック路線で安心します。グイグイ押してきます。ドラマティックな「Song & Emotion」「Freedom Slaves」、泣きのバラードの「What You Give」など曲も多彩で飽きることがありません。日本盤のボーナストラックではジョ・ジョ・ガンやモントローズのカバーも含まれています。またブルースナンバーの「I Ain't Superstitious」もカバーしています。
3年のブランクの後、『Bust a Nut』をリリースします。
このアルバムもハードロック路線を踏襲して、安心させてくれます。相変わらずバラードは美しく、ハスキーヴォイスは健在。しかし、時代はオルタナ、グランジ時代に突入し真っ盛りに。ゲフィンレコードはハードロック路線を嫌って契約を解除します。さらに、ギタリストのトミーが薬物中毒でリタイア。ライブ活動を続けるも結局、1996年に解散します。
実にもったいない感じですが、今まで何度も書いてきたように、時代の波には敵わないのでしょう。
それでも2000年に再結成します。新しいギタリスト、デイヴ・ルード(Dave Rude)も加入します。
この他にカバー集やライブアルバムも発表しています。
絶大な人気を博した、というほどでもありませんが、実にいいバンドでした。
それでは今日はこの辺で。