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映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』を観る

今日のキネ旬シアターは『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』でした。

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監督:エイミー・バーグ

出演:クリス・クリストファーソン、カントリー・ジョー・マクドナルド etc

制作:2015年 アメリカ 日本公開 2016年

 

ジャニス・ジョプリンドキュメンタリー映画については、これまでにも1974年のライブ映画『ジャニス』が公開されていました。最近再上映されているようです。

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また、ドキュメンタリーではありませんが、ジャニスをモデルにした、ベット・ミドラー主演の映画『ローズ』も1980年に公開されています。

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ザ・ローズ ベット・ミドラー(The Rose / Bette Midler)

 

 

今回の『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』は完全なドキュメントでジャニスからの家族への手紙、親しい友人やかつての恋人、家族などのインタビューを通して、生身のジャニスに迫った映画です。

 

内気な少女の生きる道は歌しかありませんでした。モンタレー・ポップフェスティバルで一躍脚光を浴び、ウッドストックで不動の人気を獲得。しかし、27歳の時、麻薬の過剰摂取で死亡。その短い人生の一端がこの映画で垣間見えます。

 

ジャニスは1943年、テキサス州ポートアーサー出身です。両親と弟、妹との5人家族です。小さい頃から容姿にコンプレックスを持っており、高校・大学とそのことでいじめられ、テキサス大学ドロップアウトしました。一方で高校生の頃聴いたブルースやフォークに夢中になり、やがて家出するようにサンフランシスコへと向かいます。シスコでは歌いながら生計を立て、好きな男性も出来、結婚するつもりでいました。しかし、この男性には裏切られました。

 

この頃から彼女の行動は破天荒になっていきます。麻薬に手を出したのもこの頃からで、男性遍歴も数多くなっていきます。グレートフル・デッドのロン・マッカーナンやカントリー・ジョー・マクドナルドなどとも関係を持っていました。デッドのボブ・ウェアのインタビューではジャニスとロン・マッカーナンの夜の様子が面白く語られていました。

 

1966年頃、サンフランシスコのバンド、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー(BBHC)のヴォーカリストとして採用されます。このバンドは知名度も高くありませんでした。ところが1967年のモンタレーポップフェスティバルでの演奏が人気を博し、知名度も上がりました。

 

このモンタレーの映画では、当初サンフランシスコのバンドは撮影を拒否しましたが、撮影側の断っての依頼で、再度出演機会を設けることで撮影することが出来ました。というのは、このころのシスコのバンドとロサンゼルスのバンドにはお互いに嫌悪感があったのです。しかし、ロスのママキャス・エリオットが客席の一番前でジャニスに拍手を送っていることから、その上映も決まったようです。

 

そして名作『チープスルル』が発表されます。しかし、この頃から、ジャニスとバンドメンバーとの間に不協和音が立ち始めます。結局ジャニスはバンドを離れます。BBHCはジャニス抜きでは存在価値がありませんでした。ジャニスはモット高みを目指していたのです。そしてコズミック・ブルース・バンドを結成します。

 

このバンドでウッドストックに出演し、ジャニスの人気は不動のものとなりました。しかし、バンドはあっさり解散します。ジャニスにはバンドをコントロールするマネジメント能力はありませんでした。それでもすぐに新たなバンド、フル・ティルト・ブギー・バンドを結成し、アルバムのレコーディングを開始しました。アルバム名は『パール』です。この中で、彼女はクリス・クリストファーソン「ミー・アンド・ボビー・マギー」をカバーします。これが後に彼女の最大のヒットになります。クリストファーソンもインタビューの中でその出来に満足していました。

 

1970年の6月末からは「フェスティバル特急」という列車に乗ってカナダの横断ツアーに参加します。ザ・バンドグレイトフル・デッドのメンバーとの楽しいやり取りが見られます。

それから間もなく、1970年10月4日、ロサンゼルスのホテルでドラッグの過剰摂取のため亡くなります。若干27歳でした。

 

ジャニスの歌は心の叫びでした。歌っている時だけが、生きていることを実感できたのでしょう。幼いころから生きることに息苦しさを感じ、それを救ってくれるのは音楽とドラッグとセックスだけでした。最後に彼女が高校の同窓会に出席したシーンが流れますが、その中でも大スターとなった彼女は孤独でした。ジャニスの表情が印象的でした。

 

彼女の死後、アルバム『パール』はリリースされます。アルバム、シングル「ミー・アンド・ボビー・マギー」共に全米NO.1を記録しました。

モンタレーでの「ボール&チェイン」のシーンでは思わず涙が溢れてきました。

 

この年はキャンド・ヒートのアル・ウィルソン、ジミ・ヘンドリックスがいずれも27歳で立て続けに亡くなりました。この前年にはストーンズブライアン・ジョーンズがやはり27歳で、翌年にはドアーズのジム・モリソンが同じく27歳で亡くなっています。呪われた27歳でした。

 

 

そういえば来週観る予定の映画『フェスティバル・エクスプレス』にも先ほど書いたようにジャニスが登場します。今日の映画でもこの映画『フェスティバル・エクスプレス』のシーンは登場します。この映画ははすでにDVDで観ていますが、劇場で観たいので来場する予定です。

 

キネ旬シアターでは『エリック・クラプトン 12小節の人生』から始まって、音楽ドキュメンタリー・シリーズを開催中です。

 


映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』予告


ジャニス:リトル・ガール・ブルー(字幕版)

 

ジャニスの記事も書いています。

lynyrdburitto.hatenablog.com 


Janis Joplin - Ball & Chain - Monterey Pop

 

 

それでは今日はこの辺で。