今日の「この人の、この1枚」はジョニー・オーティス・ショウ(Johnny Otis Show)の『Cold Shot』です。
ジョニー・オーティスは1950年代に一世を風靡したミュージシャンであり、作曲家、バンドリーダー、プロデューサー、ディスクジョッキー、テレビ司会者といわゆるマルチタレントです。特にR&B分野ではその後のミュージシャンに大きな影響を与えました。そしてこのアルバムに登場するギタリスト、シュギー・オーティス(Shuggie Otis)は彼の息子で、このアルバムがデビュー・レコードとなります。シュギーについては以前の記事で書いています。
ジョニー・オーティスは1921年、カリフォルニア州ヴァレーホの生まれです。ギリシャ移民の子ですが、黒人居住区で育ったせいか自分を白人だと思ったことなどないとまで言い放っています。どうしても黒人になりたくて黒人女性と結婚までしています。
1931年頃、カウント・ベイシー楽団のドラマー、ジョー・ジョーンズの演奏に魅せられて、さっそくドラムを独学で覚え、間もなくプロとして活動するようになりました。それ以後はジャズのビッグバンドで演奏し、やがて自分の楽団も持つようになりました。しかし、楽団経営は資金的にも大変で、フル・バンドからコンボに切り替えました。この頃から彼の音楽はジャズからR&Bへと変化していきました。そのバンドにエスター・フィリップスやビッグ・ママ・ソートンなども呼ばれ歌っていました。そして「ハウンド・ドッグ」など数々のヒット曲も生まれました。
ジョニー自身のヒット曲には後にエリック・クラプトンもカバーした「ウィリー&ザ・ハンド・ジャイブ」などがありました。テレビでは「ジョニー・オーティス・ショウ」を主催し、司会も務めたり数々の番組にも出演しました。
しかし、1960年代はほとんど活躍しませんでした。それはイギリスのロックが台頭してきて、もはや自分の音楽の出番はないと思ったらしく、表立った活躍はありませんでした。ところが1960年代も末期になると再びR&Bブームが訪れてきました。そしてKENTレコードと契約し、この『Cold Shot』が生まれたという訳です。
シュギーは黒人の奥さんとの間にできた子供で、1953年生まれです。幼いころから父親に音楽を叩きこまれ、12歳の頃には父親とステージに立っていたようです。その彼の正式なレコード・デビューになります。これがアル・クーパーに認められ、アル・クーパーとの『クーパー・セッション』が生まれました。
このアルバムはジョニーの復帰作であり、シュギーのデビュー作でもあります。
Side A
1.The Signifyin' Monkey
2.Country Girl
3.I Believe I'll Go Back Home
4.High Heel Sneakers
5.Sittin' Here All Alone
Side B
1.C. C. Rider
2.You Better Look Out
3.Goin' Back To L.A.
4.Bye Bye Baby (Until We Meet Again)
5.Cold Shot
メンバーは
Vocals,Piano, Drums - Johnny Otis
Guitar, Harmonica - Shuggie Otis
Vocals,Violin - Delmar "Mighty Mouth" Evans
Bass - Al Rivera
Bass - Broadway Thomas
Drums - Hootie Galvan
Drums - Buddy Redd
シュギーのギターが唸ります。時代を反映してかブルース色強いアルバムになっています。
"Signifying Monkey" by The Johnny Otis Show
Johnny Otis Show - Cold Shot - 1969 - Goin' Back To L.A. - Dimitris Lesini Blues
それでは今日はこの辺で。