今日の「聴き比べ」は『すみれ色の涙』です。
この曲はどちらかというと岩崎宏美のヒット曲として知られているのではないでしょうか。しかし、元はジャッキー吉川とブルー・コメッツの曲でした。
1968年、シングル『こころの虹』のB面として発売されました。『こころの虹』と同様にテレビでも『すみれ色の涙』はよく歌っていました。
グループサウンズ・ブームも絶頂期を過ぎ、次第に歌謡曲化し始めました。ブルー・コメッツも御多分に漏れずそちらの方向に向かっていました。この曲は井上忠夫の作曲ではなくキーボードの小田啓義の作曲で作詞は万里村ゆき子でした。
ブルー・コメッツはグループサウンズとしては珍しく長髪ではなく、『ブルーシャトー』で日本レコード大賞も獲得するなど、グループ・サウンズの優等生的存在でした。『青い瞳』以降ヒット曲を連発、エド・サリバンショーにも出演するなど演奏力も群を抜いていました。当時、グループサウンズでは珍しくザ・ワイルド・ワンズと共にNHKに出演が認められ、紅白歌合戦にも出演しました。髪が長いというだけでNHKには出演できなかった時代でした。
歌謡曲路線になってからは徐々に売り上げも落ち、グループサウンズの衰退とともに主要メンバーが抜けるも、ジャッキー吉川の下、現在も活動は続けています。
主要メンバーの井上忠夫は脱退後も本名の井上大輔として数々のヒット曲を飛ばす作曲家としても、またミュージシャンとしても活躍しましたが、2000年に病気の妻の看病疲れや網膜剥離の術後回復が思わしくないなどの理由から自殺してしまいました。このニュースを耳にした時はショックでした。
三原綱木は田代みどりと結婚し、「つなき&みどり」としてヒット曲を出しました。その後離婚のため解散。その後は楽団ニューブリードのバンドマスターとなり紅白歌合戦などでも指揮を執っています。
小田啓義は三原綱木の前のニューブリードのバンドマスターでした。三原に譲ってからは作曲家として、またシンガーソングライターを育てる講座などを開催し、一青窈などを育てました。
ベースの担当の高橋健二は1972年にバンドを脱退しますが、2000年に復帰し現在も在籍中です。
なお、三原も小田も現在はブルー・コメッツに在籍して活動を続けています。
すみれ色の涙
作詞:万里村ゆき子
作曲:小田 啓義
すみれって すみれって
ブルーな恋人どうしが
キスして キスして
生まれた花だと思うの
※淋しかったから あなたを愛して
淋しかったから あなたを憎んだ
淋しかったから あなたにさよならを
そしてひとつぶ すみれ色の涙※
すみれって すみれって
あなたとわたしの青ざめた
心が 心が
咲かせた花だと思うの
※くりかえし
そしてひとつぶ すみれ色の涙
ジャッキー吉川とブルー・コメッツBlue Comets/すみれ色の涙A Tears Fell (1968年)
1981年、岩崎宏美がこの曲をカバーしヒットさせました。岩崎宏美は姉が持っていたレコードを持って、この曲を歌いたいと申し出て採用されたようです。
岩崎宏美 ...■1981-Jul-13... すみれ色の涙 -1
井上大ちゃんを偲んで書きました。
それでは今日はこの辺で。