Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 ファッツ・ドミノの『Rockin' 50'』

きょうの「この人の、この1枚」はファッツ・ドミノ(Fats Domino)『Rockin' 50'』です。

 

このレコードはアメリカで1959年にFats Domino Swings』として発売されたLPを当時の東芝音楽工業が「ORIGINAL ROCKN' ROLL SERIES」のとして1972年にタイトルを変えて発売したものです。ファッツ・ドミノの50年代のヒット曲を集めたベスト盤です。

 

ロックンロールの3巨人の一人、ファッツ・ドミノは1928年、ルイジアナ州ニューオリンズで生まれました。本名はアントワーヌ・ドミニク・ドミノですが、太っていたためニックネームとしてつけられた名前です。

 

9人兄弟の貧しい家で育ち、10歳の頃から仕事をして家計を助けていました。それでも彼の音楽的才能は素晴らしく、18歳の頃にはピア二ストとしてナイトクラブで演奏するようになりました。

ニューオリンズのクラブで演奏している頃にいいピアニストがいるとの評判になり、新興レーベルのインペリアルの社長の目にとまり契約しました。そして1950年に発表されたのがその名も「ファット・マン(Fat Man)」でした。これが大ヒットしました。その後は次々とヒットを飛ばし、その太っちょで憎めない人柄と共にアメリカでの人気は物凄いものとなりました。

 

ファッツ・ドミノはロックンロールという範疇で語られることも多いのですが、初期の楽曲などを聴いていると、まだロックンロールよいうよりは泥臭いニューオリンズ・スタイルのR&Bやブギウギでした。その後、彼の音楽スタイルも徐々に変化し、いわゆるロックンロールといわれるような楽曲が増えましたが、本人はあくまでも自分の音楽はR&Bだと言っていました。

エルヴィス・プレスリービートルズをはじめ多くのミュージシャンに影響を与えたのは言うまでもありません。

 

1963年にインペリアルを退社してABCパラマウントへ移籍しますが、この辺りからヒット曲も生まれなくなりました。さらにマーキュリー、リプリーズとレコード会社を変えましたが状況は変わりませんでした。それでも小さなクラブやホテルでピアノを弾き歌っていました。

2006年にはハリケーン・カトリーヌの被害に遭い、一時は行方不明になりましたが、無事助けられました。2017年、89歳で亡くなりました。

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エルヴィス

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Rockin' 50's

 

Side A

1.The Fat Man

2.Blue Monday

3.Blueberry Hill

4.I'm In Love Again

5.Going To The River

6.My Blue Heaven

 

Side B

1.Bo Weevil

2.Goin' Home

3.Please Don't Leave Me

4.Aint It A Shame

5.I'm Walking

6.Whole Lotta Loving

 

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それでは今日はこの辺で。

 

 

ゴダール 逝く!!

昨夜、ニュースでジャン=リュック・ゴダールの死が報じられました。91歳でした。どうやら安楽死だったようです。

 

ゴダールといえばご承知の通りフランス・ヌーベルバーグ(新しい波)の旗手と言われた映画監督です。1959年に上映された勝手にしやがれで一躍映画界の革命児と言われた監督です。世界三大映画祭の最高賞をすべて受賞しました。

 

私が彼の名を知ったのは高校生の頃でした。当時、洋画に興味を持ち始め、映画雑誌(映画評論、キネマ旬報)なども購読するようになりました。その中で必ず名前が出てくる人物としてゴダールの存在を知りました。ところが、私が住む田舎町では当然ゴダールの映画などは上映されません。そんな時、雑誌にゴダールの映画を2本立てで上映するという広告が目に入りました。東京・新宿の映画館です。それまで東京など行ったことがありませんでした。なんとしても一度観てみたいと、一大決心をして単身東京へ行くことを決めました。電車賃を含め当時の私にとっては大金です。貯めた貯金をはたきました。その頃はインターネットなどありませんので、本屋で東京の地図を調べて映画館までの道順を覚え、どの電車に乗ったらいいかも調べ、朝早く東京へと向かいました。到着するまではハラハラドキドキとワクワク感でいっぱいでした。

無事、映画館に着いて2本立ての映画を観ました。記憶があいまいですがおそらく『アルファビル』『ウイークエンド』だったのではないかと思います。内容はさっぱりわからなかったような気がします。

 

その後、東京の大学へ進学してからは、1960年代のゴダール映画はすべて後追いですが観ることができました。上映館は様々な名画座でした。1970年代にはゴダールは商業映画から撤退してしまったので(80年代に復帰)、その間のゴダール映画は日本でも上映されなかったような気がします。今ではビデオやDVDですべて観られます。よい時代になりました。

 

『勝手のしやがれ』は製作が1959年という時代を考え合わせるとかなりショッキングな映画でした。カメラワークはドキュメンタリー・タッチで古い映画という感覚は全くありませんでした。まさに即興映画の如くでした。主役のジャン=ポール・ベルモンドジーン・セバーグがこれまた素晴らしかった。

 

また、1965年の代表作気狂いピエロも衝撃的でした。カラー映像が美しく、主演のベルモンドとアンナ・カリーナが素晴らしい。

 

ゴダール映画の特徴はセリフが長いこと。フランス語が分からず字幕を追いかけているだけで、観終わった後ぐったりします。極端に言うと画面の半分くらいが字幕でした。それがまた当時の学生にとっては良かったのです。世の中の風潮は学生運動も下火になったとはいえまだまだ盛んでした。そんな学生たちにとって映画は自分たちの考え・思想を具現化する場所だったのです。

 

最近になって、私が通っている『キネマ旬報シアター』でもゴダールの作品を上映しました。ゴダール映画は私のそれまでの映画観を根底から覆してくれたのです。リアルタイムで観ることはできませんでしたが、私にとってのゴダールは我が青春を彩った映画監督でした。

 

アラン・レネミケランジェロアントニーニ、フェデリコ・フェリーニルイス・ブニュエルヴィットリオ・デ・シーカアンジェイ・ワイダ、フランソワ・トリフォー、ピエル・パオロ・パゾリーニルキノ・ヴィスコンティ等々、私に映画の魅力を教えてくれた監督は皆いなくなりました。最近ではかつて映画界を賑わしてくれた監督・俳優などの映画人が続々と鬼籍入りしています。寂しい限りです。

 

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ゴダールに関する思い出話になってしまいました。失礼しました。

 

改めてジャン=リュック・ゴダール氏に謹んで哀悼の意を表します。合掌。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

手術後5年の定期検診

昨日、『腰部脊柱菅狭窄症』並びに『すべり症』の手術後5年目の定期検診に行ってきました。これが最後の定期検診になる予定だったのですが・・・。

 

あっという間の5年間でした。術後の経過も途中までは『闘病記』として割とマメにブログに書いていたのですが、ここ何年かはサボっていました。

 

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5年経った今も筋力の低下と痺れは回復していません。それに加えて最近は時々腰痛が顔を出して来るようになりました。

 

今回は5年目ということでレントゲン検査に加えてMRI検査も実施しました。この検査は相変わらずうるさい。

診察の結果は、手術した場所の上の部分が少し狭く(脊柱管)なってきていますが、症状が無ければ様子を見ましょう、ということで来年も定期検査をすることになってしまいました。ガッカリ。

 

筋力の衰えを訴えましたが、医師が試したところ、これだけあれば十分でしょう、とのこと。本人は全然満足していないのですが、医師と患者のギャップは如何ともしがたいのです。また、最近の腰痛やしびれについても症状を訴えましたが、返答無し。それ以上説明しても詮無いことと諦めました。

歩く距離は年々短くなってきています。当然走ることはできません。

 

また来年、忘れなければ『闘病記』を更新します。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

この人の、この1枚 リトル・リチャード(Little Richard)の『Here's Little Richard』

今日の「この人の、この1枚」はリトル・リチャード(Little Richard)『Here's Little Richard』です。

 

チャック・ベリー(Chuck Berry)ファッツ・ドミノ(Fats Domino)と並んでロックンロールの3巨人と呼ばれたリトル・リチャードです。先日観た映画『エルヴィス』にも登場して、ヒット曲「トゥッティ・フルッティ」を熱唱していました。そっくりでした。

 

本名リチャード・ウェイン・ペニマン、1932年ジョージア州メイコン生まれ。幼いころから歌好きで、7~8歳の頃には街角に立って歌い、小銭を稼いでいたといいます。両親の関係で教会でピアノやオルガンを弾くようになり、15歳で家を出ます。

それからドクター・ハドスンのメディシン・ショウに参加し、ドサ周りを経験します。その後タレントスカウトショーに参加し優勝。これでレコード・デビューのきっかけをつかみます。RCAからシングルを3枚ほど出しますが全く売れません。再びドサ周りへ逆戻り。

1953年に新たなグループを作り録音しますが、これまた全く評判にもなりませんでした。しかし地道に活動を続けていると、転機が訪れました。メイコンでのコンサートを聴いた歌手のロイド・プライスがピアノを弾きながら「トゥッティ・フルッティ」を歌う姿を見て、楽屋に飛び込んできました。そしてスペシャルティ・レコードでの録音を手配してくれたのです。

そしてこの曲でスペシャルティ・レコードからデビューし、これがビッグ・ヒットとなったのです。1955年のことでした。その後はご存じの通りヒット曲を連発しました。

しかし、1959年、突然引退を表明します。オーストラリア公演に向かったリチャードは往復2度もエンジンの火災に遭遇、危機一髪で難を逃れました。その炎の中に神の姿を見たと言い、自分の信仰心が足りないと、大学に通い神学を学び牧師になったのです。ロックは罪深い音楽だと言い、ゴスペルを歌うようになりましたが、1962年に復帰しました。この復帰コンサートで前座を務めたのがまだ無名だったビートルズでした。2020年、87歳で亡くなりました。

 

そんなリトル・リチャードのファースト・アルバムが『Here's Little Richard』です。1957年のリリースです。初期のヒット曲、ロックンロール曲が目白押しです。

サード・アルバムの『The Fabulous Little Richard』あたりになると、バラードやブルースなども歌うようになりますが、まだこの頃はバリバリの絶叫ロックンロールです。

 

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Here's Little Richard

 

Side A

1.Tutti-Frutti

2.True, Fine Mama

3.Can't Believe You Wanna Leave

4.Ready Teddy

5.Baby

6.Slippin' And Slidin'

 

Side B

1.Long Tall Sally

2.Miss Ann

3.Oh Why?

4.Rip It Up

5.Jenny, Jenny

6.She's Got It

 

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それでは今日はこの辺で。

 

映画『PLAN 75』を観る ーキネ旬シアター

先日のキネ旬シアターは『PLAN 75』でした。

 

監督:早川千絵

出演:倍賞千恵子、磯村優斗、ステファニー・アリアン

製作:2022年  日本、フランス、フィリピン、カタール

 

75歳以上の高齢者が国の制度上自ら死を選ぶことができるという近未来ドラマです。

 

世界の中でも高齢化が進んだ日本では、増えすぎた老人のせいで財政悪化になっていると、若者が老人を襲撃する事件が増えています。政府はこれらを解決するための施策として『PLAN 75』なる法案を可決させ、そして制度は施行されました。

 

『PLAN 75』とは75歳になったら自らの死を選択できるという制度です。制度が施行されて3年。『PLAN 75』を推進するサービスも充実して、高齢者も自らの死で国家に貢献できるという風潮も生まれつつありました。民間会社も国の制度を後押しします。テレビCMも流れます。

 

78歳のミチは夫と死別し子供もなく、ホテルの客室清掃の仕事をしながら一人暮らしをしています。ある日、ミチは高齢を理由に職場を解雇されてしまいます。仕事を無くしたミチは収入が途絶え、さらに団地の立ち退きも迫っています。仕事も住居も高齢ゆえになかなか見つかりません。困り果てたミチは『PLAN 75』の申請を考え始めるのですが・・・。

 

映画はミチの日常と『PLAN 75』の申請窓口で働く青年、そして安楽死を実際に執行する施設で働くこととなったフィリピン人の女性を中心に展開していきます。

 

自分の生死を自分で選択できる社会は本当に来るのでしょうか? 実際に安楽死を認めている国もありますから、まったくないということもないのでしょう。以前、この話と似たような小説を読んだことがあるのですがタイトルを思い出せません。その時も感じたのですが、個人的にはこの制度に賛成です。死ぬ時期ぐらいは自分で決めたいという単純な理由ですが、生きる希望が無くなったら、生きているだけで地獄と感じたら、死を選んでもそれは非難されるようなことではないと考えますが、いかがなものでしょう?

 

日本の国家予算、今年度は107.6兆円、その内社会保障費が36.3兆円で、年々増え続けています。このまま少子化が進み、高齢者が増え続ければ、国家予算の破綻も現実味を帯びてきます。いや、現時点でも国債の残高が1千兆円を超えているのを見れば既に破綻しているのかもしれません。政府は一時期取りざたされた財政再建の文字は封印したかのようです。このままいけば、社会保障費は賄いきれず、今日の映画のようなことが起こり得るかもしれません。怖い話です。

 

観客はほぼ100%高齢者でした。ため息が出るような内容でした。重く暗く救われようが無いドラマでした。その中でラストの鮮やかな夕日は何を表わしていたのでしょうか?

 

倍賞千恵子さん、名演技でした。『男はつらいよ』のさくらです。



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それでは今日はこの辺で。

 

 

 

映画『破壊』を観る ーキネ旬シアター

先日のキネ旬シアターは『破壊』でした。

 

原作:島崎藤村

監督:前田和男

出演:間宮祥太朗石井杏奈矢本悠馬

製作:2022年  日本

 

ちょうど60年前に市川崑監督が映画化した島崎藤村の小説『破壊』を再び映画化した作品です。1948年には木下恵介監督も映画化していました。

『破壊』といえば私が高校生の頃、涙を流して読んだ数少ない小説の中の1冊です。ちなみに初めて涙を流した作品は『フランダースの犬』でした。お恥ずかしい。

 

なぜ今頃この作品が映画化されたかというと、今年がちょうど全国水平社が創立されて100年にあたります。水平社はご存じの通り部落解放同盟の前身です。高校生の頃、被差別部落問題に興味を持ちこの小説を読んだという訳でした。その後もしばらく藤村に嵌りました。

 

話の方はというと、被差別部落出身の教師の苦悩を描いたドラマです。

瀬川丑松は被差別部落出身であることを隠し、学校の教員として勤めています。彼は父親から絶対に自分の出自を明かしてはならないと、強く言われていました。しかし、部落出身者に対する世間の差別意識と嫌がらせ、暴力は想像以上のものでした。

やがて好きな女性もできますが、彼に対する部落出身者ではないかという疑いの目が強くなっていき、彼の苦悩は増していきます。そんな時、彼はある人物と出会い、そしてある決心をするのですが・・・。

 

映画は明治時代の部落出身者に対する差別をテーマにしていますが、被差別部落は現在でも存在します。また現代でも数多くの差別が問題となっています。身分差別をはじめ、人種、宗教、階級、職業、学歴、職業、性差等々。この差別という問題は人間が抱えた宿命、永遠不滅のテーマなのでしょうか。劇中の思想家の言葉「差別は無くならない。なぜなら人間は弱いからだ」。この言葉が心に響きます。

 

涙、涙の2時間でした。但し、原作を読んだ時のように純粋な気持ちではなく、老化現象によるものも多分にありました。

 

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それでは今日はこの辺で。

 

映画『エルヴィス』を観る ーキネ旬シアター

先日のキネ旬シアターは『エルヴィス』でした。

 

監督:バズ・ラーマン

主演:オースティン・バトラー、トム・ハンクス、オリヴィア・デヨング

製作:2022年  アメリカ合衆国

 

「キング・オブ・ロックンロール」ことエルヴィス・プレスリーの生涯を描いた伝記映画です。

エルヴィスに関しては、中学生のころから名前だけは知っていましたが、実際に音楽を聴くことはありませんでした。私が彼の姿をリアルタイムで観たのは1971年の映画エルビス・オン・ステージ』でした。映画を観るなり、そのカッコよさに魅了されました。ところが、その姿はいわゆるエルヴィスがカムバックした後の姿なのでした。長い低迷期の後に1968年にテレビのライヴで復活し、その後はステージで完全復活したのです。

ですから、1950年代から60年代初期の全盛期の姿は観ていませんでした。諸先輩方に言わせると、「プレスリーの本当の魅力は50年代だよ、70年代のプレスリーは面白くない」なんて言われましたが、私にとってのプレスリーはあの煌びやかな姿のプレスリーです。

 

映画は死を目前にした悪徳マネージャーのトム・パーカー大佐が、1955年にエルヴィスとの出会いからを回想していく形で進められます。この悪徳マネージャーのナレーションとともに映画が進行するというのが映画の特徴です。

貧しい幼少期、ロックンローラーとしてのデビュー、トム・パーカーとの出会い、迎えた絶頂期、映画俳優としての活動、結婚、低迷期、カムバック、薬物、離婚そして子供との別れ、42歳での死。

なぜエルヴィスは若くして死ななければならなかったのか、エルヴィスを殺したのは誰か?・・・。

 

エルヴィスの転機はサン・レコードからRCAレコードへの移籍ですが、これはトム・パーカーの功績です。一方、彼のヒット曲の大半は50年代から60年代初頭に集中しています。その後68年までは低迷期を迎えます。これもトム・パーカーがエルヴィスを映画出演に集中させたためです。(勿論ビートルズの出現も大きかったのですが。)合計31本もの映画に出演させています。そのほとんどが駄作と言われています。このようにエルヴィスの光と影はトム・パーカーの存在が大きく影響しています。エルヴィスはトム・パーカーに対し不満を抱いていましたが、結局関係を切ることはできませんでした。良くも悪くもこの稀代の詐欺師トム・パーカーに翻弄された人生でした。エルヴィスの死後、トム・パーカーの搾取ぶりが明らかになりました。人生の全盛期と最晩年の落差に言葉を失います。

 

エルヴィスを演じたオースティン・バトラーという役者。顔はそれほどエルヴィスに似ていないのですが、時折見せる表情が実によく似ているのです。さらにステージ・アクションもよく研究しており、カムバック後のステージはまるでかつての映画『エルヴィス・オン・ステージ』を見ているようで興奮しました。

 

エルヴィスのヒット曲も次々と登場し、さらにハンク・スノー、ジミー・ロジャーズ・スノウ、アーサー・クラダップ、B.Bキング、ビッグ・ママ・ソートン、リトル・リチャード、マヘリア・ジャクソンなども登場しエルヴィスの知らなかった面も伺えて楽しめました。ラストはおそらくエルヴィスの最後の歌唱と思われる『アンチェインド・メロディ』が本人歌唱の映像で映し出され感動的でした。あっという間の160分でした。

 

映画の中で歌われていた曲を今思い出すと「ザッツ・オールライト」「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」「ハートブレイク・ホテル」「ブルー・スエード・シューズ」「今夜はひとりかい」「トラブル」「好きにならずにいられない」「明日への願い」「サスピシャス・マインド」「ポークサラダ・アニー」「バーニング・ラブ」などでした。他にもたくさんありました。さらに、リトル・リチャード役が歌った「トッティ・フルッティ」がそっくりで驚きました。

 

改めてエルヴィス・プレスリーは今もって世界一のシンガーであり、エンターテイナーであることを確認できた次第です。

 

この日の観客は圧倒的に高齢の女性が多かったです。エルヴィスには女性ファンが多かったことが頷けます。

 

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それでは今日はこの辺で。