Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『サンタナ(Santana)/天の守護神(Abraxas)』

誠に遅ればせながら、カルロス・サンタナ(Carlos Santana)率いるサンタナ(Santana)です。

特別な理由があって遅れたわけでもなく、あまりにメジャーなので取り上げるのをちょっと躊躇っていました。

 

元々は1966年に結成され、その頃はサンタナ・ブルース・バンドと名乗っていました。1969年にコロムビアと契約し、同年ウッドストックに出演して一躍有名になりました。カルロス・サンタナはそれ以前にもアル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの世紀のセッションライブに不眠症でリタイヤしたブルームフィールドの代役でギタリストとして参加しています。

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カルロス・サンタナは1947年生まれのメキシコ出身です。カルロス一家はメキシコからカリフォルニアに移り住み、その後サンフランシスコに移住しました。カルロスは小さい頃から父親の影響でバイオリンを習い、さらに8歳の頃からはギターを習い始めました。サンフランシスコに移った頃にはブルースに傾倒していました。B.Bキング、Tボーン・ウォーカー、ジョン・リー・フッカーなどのブルースマンに影響を受けました。そして地元のバンドに加わりました。

ある偶然がカルロスに幸運を呼び込みました。ビル・グラハムの経営するフィルモア・オーディトリアムに顧客として時々行っていましたが、そこでその日の出演者のポール・バターフィールドが酔っぱらって演奏できなくなりました。そこでビル・グラハムは急遽メンバーを集めましたが、ギタリストが足りません。カルロスのマネージャーがカルロスを推薦するとビルは了承し、ジャムセッションが始まりました。ここでのギターが観客を唸らせました。そしてビル・グラハムをも虜にしました。

その年にカルロスはデヴィッド・ブラウン(David Brown,b)マーカス・マローン(Marcus Malone,perc)グレッグ・ローリー(Gregg Rolie,key,vo)と共にサンタナ・ブルース・バンド(Santana Blues Band)を結成しました。

 

そして1968年、先ほどのアル・クーパー、マイク・ブルームフィールドとのフィルモアの奇蹟』でレコードデビュー、翌年バンド名をサンタナに変更、ウッドストック出演、そしてファーストアルバム『Santana』のリリースとなりました。

これがウッドストックでの評判も相俟って全米4位を記録しました。

 

そして勢いに乗って翌年に発表したのが『天の守護神(Abraxas)』です。

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Side A

1.Singing Winds, Crying Beasts    風は歌い、野獣は叫ぶ

2.Black Magic Woman/Gypsy Queen

3.Oye Como Va    僕のリズムを聞いとくれ

4.Incident at Neshabur

 

Side B

1.Se a Cabo    全ては終わりぬ

2.Mother's Daughter

3.Samba Pa Ti    君に捧げるサンバ 

4.Hope You're Feeling Better

5.El Nicoya

 

この時のメンバーは

カルロス・サンタナ(Carlos Santana,g,bvo)

グレッグ・ローリー(Gregg Rolie,key,vo)

デヴィッド・ブラウン(David Brown,b)

マイケル・シュリーヴ(Michael Shrieve,ds)

ホセ・アリアス(José Octavio Areas,perc,conga)

マイケル・カラベロ(Michael Carabello,perc,conga)

です。

プロデュースはフレッド・カテロ(Fred Catero)カルロス・サンタナです。

 

「ブラック・マジック・ウーマン」フリートウッド・マックのカバーで全米4位になりました。日本でもヒットしました。原曲がフリートウッド・マックだと知ったのは後のことでした。

 

サンタナの音楽はラテンロックと呼ばれました。パーカッションをふんだんに取り入れ、カルロス・サンタナのギターソロとコラボしてラテンのリズムを奏でます。それまでにないロックを演じました。

 

この後、ニール・ショーン(Neal Schon,g)を加えサードアルバム『santana Ⅲ』をリリースします。

ニール・ショーンとのツインギターです。ここまではいわゆるラテンロックです。

 

1972年、4枚目のアルバム『Caravanserai』で新たな音楽性を発揮します。

オリジナルメンバーのデヴィッド・ブラウンとマイケル・カバレロが脱退します。アルバムの方は10曲中7曲がインストゥルメンタルで、ジャズロックの様相を示してきました。アルバムチャートも8位と健闘し、サンタナの最高傑作との呼び声も高いアルバムになりました。ニール・ショーングレッグ・ローリーはバンドを去り、ジャーニー結成に向かいます。

 

続いてはマハヴィシュヌ・オーケストラ(Mahavishnu orchestra)との競演盤『Love Devotion Surrender(魂の兄弟たち)』です。

ジョン・マクラグリン(John McLaughlin)とのツインリードが話題になりました。ジョン・コルトレーンの楽曲を2曲演奏しています。但し、これはカルロス・サンタナの個人でのアルバムです。

 

次はバンドとしての5枚目のスタジオアルバム『Welcome』です。

ここでは先のジョン・マクラグリンがゲスト参加しますが、商業的にはイマイチでした。またジョン・コルトレーンの未亡人アリス・コルトレーン(Alice Coltrane)がピアノとオルガンで参加しています。

 

1973年には日本公演の模様を収めた『Lotus(ロータスの伝説)』をリリース。

ジャケットデザインは横尾忠則でした。

 

1974年にアルバム『Borboletta(不死蝶)』発表。

スタンリー・クラーク(Stanley Clarke,b)アイアート・モレイラ(Airto Moreira,ds)フローラ・プリム(Flora Primu,vo)がゲスト参加しています。ジャズ、ファンク色が強いアルバムとなりました。デヴィッド・ブラウンが戻り、マイケル・シュリーヴはこの後バンドを去ります。その後ツトムヤマシタ、スティーヴ・ウィンウッドとアルバム『Go』を制作します。

 

1976年には久々のヒットとなったアルバム『Amigo』をリリースします。

新しいヴォーカリストグレッグ・ウォーカー(Greg Walker,vo)が加入しました。

アルバムは全米でベスト10に入りました。日本では「Europe」がシングルカットされ「哀愁のヨーロッパ」として人気が出ました。このアルバムでサンタナはラテンロックへ回帰しました。アルバムデザインは横尾忠則です。

 

1977年のアルバム『Festival』に続いて発表されたライブとスタジオの2枚組混合アルバム『Moonflower』はアルバムチャート、トップ10に入り、ダブルプラチナとなる大ヒットとなりました。

 

そして1999年に発表した『Supernatural』が28年ぶりの全米1位となる大ヒットアルバムになりました。

このアルバムは全米だけで1500万枚、全世界で3000万枚売り上げたと言われています。シングルの「Smooth」は12週連続1位を記録しました。グラミー賞は最多の9部門獲得。続くシングルMaria Mariaも10週間1位となりました。

 

続く2002年のアルバム『Shaman』も全米1位に輝きました。

 

50年以上にわたって第一線で活躍しているなんて信じられませんが、現実です。恐れ入りますの一言です。現在71歳まだまだいけますね。

 


santana- black magic woman


哀愁のヨーロッパ/サンタナ Europa/Santana


Santana - Smooth

 

それでは今日はこの辺で。