久しぶりの「読書」記事です。本は毎日読んでいるのですが、書くのを忘れて、そのうち内容も忘れて、結局書けないという悪循環です。
何気なく読んだ「殺人鬼フジコの衝動」以来、イヤミスに嵌って真梨幸子、沼田まほかる、湊かなえ、桜木柴乃、貫井徳郎、誉田哲也、山田宗樹、五十嵐貴久等々を読み続けてきました。最近はめっきりこの手の本の読書が増えました。
昨日読了した『愚者の毒』は犯罪ミステリーですがイヤミスではありません。作者は宇佐美まことです。
50年前の犯罪を引きずりながら生きる男女の物語です。
3章立てになっています。
第1章『武蔵野陰影』
第2章『筑豊挽歌』
第3章『伊豆溟海』
第1章が2015年(現在)と1985年の回想
第2章が2015年と1965年の回想
第3章が現在
小説のジャンルはあくまでもミステリーですが、50年という半世紀の間の日本社会の高度成長期からバブル、そしてその崩壊という移り変わりを、重い犯罪を背負った男女を通した人間ドラマとして重厚に描いています。
内容はネタバレになってしまうので書けませんが、第2章の『筑豊挽歌』での炭鉱事故とその犠牲者の生活ぶりの描写は印象的です。
関連性はないのですが松本清張の『砂の器』を思い出してしまいました。極貧生活からの逃避、そのための犯罪。そして生涯消えることのない悔恨。
この小説のタイトル『愚者の毒』とは第1章の中で屋敷の主人で元学校の先生が言語発達遅滞の子供に言って聞かせる言葉からきています。「多くのことを中途半端に知るよりは知らないほうがいい。他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ(ニーチェの言葉)」。5歳の子供にわかるはずがありません。しかし、子供はじっと耳を傾けます。
そしてさらに「昆虫の毒も、使いようによっては薬になる。命を奪う毒と命を救う薬との違いはほんのわずかです。」「この世に存在するすべてのものは意味を持って生まれてきている」そして「身の内に毒をお持ちなさい。中途半端な賢者にならないで。自分の考えに従って生きる愚者こそ、その毒を有用なものに転じることができるのです。まさに愚者の毒ですよ」と、言って聞かせます。
この言葉の持つ意味がラストで明かされるのです。
この作者の小説は初めてでした。なんでも怪談文学賞を受賞したということで、その手の小説家と思いきや、まったく違う社会派小説でした。
忘れないうちに書きました。
唯一つ疑問。戸籍はどうなったの?
それでは今日はこの辺で。